下級神アバドン
残り22時間55分。
残存エネルギー5.5パー。
端数を省略したクロツノサバクトビバッタの数770億匹。
再度のオーバーラッシュで恐らく100億匹前後を倒したはず。
たかだか30分ほどで120億匹も孵化したってことか。
――考えろ。
この調子で増えていったら、この町どころかこの大陸が洒落にならねえことになる。
ネズミ算どころの騒ぎじゃねえ。
……?
アイツら餌はどこから補給してるんだ?
まさかこのアスガルズとかいう世界じゃ物理法則も無視できんのか?
そんな無茶苦茶があってたまるか。
【レヴァン。何を食べて産卵しているんだコイツらは】
メガスなんていう魔法があるこの世界だったらありえるかもしれない、という一抹の不安を覚えながらもレーヴァンテインの枝に質問する。
【何も食べていません。クロツノサバクトビバッタは飢餓状態を極限まで高めてアバドンへと変化します】
【もうちょっと詳しく頼む。俺にも分かるように出来るだけ分かりやすく】
俺は何かヒントが欲しかった。
頼むから専門用語使わないでくれよ。
俺は神どもの業界用語もどきでえらい目にあってんだ。
【クロツノサバクトビバッタは孤独相が寄り集まる特定のタイミングがあります。通常の孤独相はお互いが離れて行動するようにプログラムされていますが、生息地域の孤独相の数が一定数を超えると生態環境の食物が減るため移動しようとします。その際に規定のプログラムから外れて群れになります。そして個体数を増やしていきます。
その状態が現在です。孤独相の群れは、飛行し増殖し世代交代を起こしネットワークを構築しながらアバドンになります。
アバドンネットワーク構築時の特徴は食物を必要としないことです。状態が保てる最低限の外骨格のみまで自身を飢餓状態まで追い込みます。
そのため、アバドンネットワークが構築された後の反動は激烈です。アバドンとなったクロツノサバクトビバッタの群生相は、周囲の炭化水素物を満腹状態を振り切れても取り込もうとします。
ネットワークにより、相互の情報が瞬間的に他の個体へと伝達されます。その同期によって学習速度が飛躍的に向上します。より密度の高い餌場を目指すことが可能です】
相変わらず全然分かりやすくねえ。
俺の脳みそレベルに合わせろ。
【完全に質量保存の法則無視してるじゃねえか】
【いいえ。無視していません。彼らは猛烈なスピードで産卵孵化成長し移動に最適な軽量化をしているだけです。個体数は増えますがアバドン群生相となった最終的なクロツノサバクトビバッタの群れ全体の質量は、孤独相時の群れの質量と同じです。飛行の関係上、表面積と質量は――】
……ああ、そうなんですか。
長々と移動に最適な大きさについて語り始めた。
今聞くべきはそんなことじゃない。
倍々で増えていくコイツらを何とかしなくちゃ。
力押しで駆除して行っても、全滅させるのは不可能だ。
解決策……何か根本的な打開策を……。
思いつかねえ……。
【もう良い。さっきから言ってるプログラムっつーのは何なんだ?】
【生命之書に書かれた規定事項です。世界に存在するありとあらゆる物に記された規定事項をプログラムと呼びます。名前に始まり、固有能力、履歴、行動目的、存在理由などを形作る魂の情報です】
ああ、あれか。
アホ神が、体の設計図がDNAで魂の設計図がアカシックレコードだとか何とか言ってたな。
…………っ!?
そうだ!
確か以前ミドガルズが言ってた!
名案を思いついた!
これしかねえ。
【レヴァン、お前はプログラムを書くことは出来るのか?】
【残存エネルギー量では不可能です】
エネルギーがあれば出来るってことか!?
ミドガルズが初めて自己紹介をした後、今まで龍に無傷で『学園』へと連れて行かれた自称生贄たちが何故か外にそのことを伝えないっていう話をしたときだ。
……あの時はマリアが信じてくれなくて大変だった。
確か『学園』では、アカシックレコードの洗い直しがされるってミドガルズが言っていた。
このレヴァンは龍ですら打倒出来るとてつもない力を持っている。
言うなりゃスーパーファンタジーアイテムだ。
ちっとも論理的じゃないが、ヒトに出来て天地開闢の神器『レーヴァンテインの枝』が出来ないわけがないじゃないか。
出来る出来る出来る出来る。
そう思い込まなきゃマジでヤバイ。
出来なきゃ俺たちはバッタの餌だ。
【どれくらい残存エネルギーが要る?】
【創生記の支払いコストは91%です。展開できません。チャージをお願いします】
くそっ!
ちくしょう!
ヴィゾの火球二発とニーズの雷一発で、チャージ6パーだぞ。
しかも今みたいにスピリット枯渇寸前じゃなくて、余力がある状態でだ。
火球が四〇発近くか雷八〇発。またはそれらを合わせた数がいる。
そんなに大量のチャージなんか出来るわけねえ。
待てよ?
ヒトの作った『学園』じゃあそんなエネルギーを集めることなんて出来るのか?
このガラクタを超える技術力がこの世界のヒトにはあるって言うのか?
……いいや、違うはずだ。
俺たち人間はもっとずる賢いはず。
もしそんなとんでもない技術が扱えるなら、二〇〇年も指をくわえて龍に生贄を送り続けるなんて選択をしない。
そうだ。
このガラクタは聞いたことしか答えない。
質問の仕方が悪かったんだ。
【……初めから書くんじゃなくて、一部だけ書き換える術のコストは?】
【二度筆の支払いコストは21%です。展開できません。チャージをお願いします】
それだ!
そいつを使って、バッタどもの一部のプログラムを書き換えちまえばいいんだ。
じゃあ何を換えればいいんだ?
……考えがまとまらない。
グルグルと思考は回るが、同じところを行ったり来たりして永久回廊のごとく先に進めない。
バッタの名前をクロツノサバクトビバッタからムカツクハラペコバッタに変えたところで何にも現状打破にはならねえ。
…………あ。
しかも、閃いちまった。
……うああああ。
気付きたくねえことに気付いちまった。
今ですら、バッタは770億匹もいる。
21パーなんて莫大なチャージが出来たとしても、一匹の名前を変えたところで何にもなりゃしねえじゃねえか。
例え、770億分の1匹に致命的な書き換えが出来たからって何だって言うんだ。
相変わらず、俺の前をバッタどもはぶんぶん飛び回っていた。
――――――
――――
――
【警告します。残り20時間00分です】
それでも俺たちはバッタどもを駆除していくしかなかった。
絶望が分かっているのにそれに前進するのは一体どういう心境だろうか。
レミングなんていうどんくさいネズミがいる。
このネズミたちは、嘘か真か崖下へと身を投げ集団自殺をするネズミとして有名だ。
回避不可能な状況であがく俺たちはレミングだろうか。
ふざけんな、絶対何とかしてみせる。
マリアとリント姫を連れて、門番をやっていた自警団長ゴルドスタインさんがやってきた。
「誘導、終わったよ。逃げたい人には逃げてもらった。次の町に警告してくれるように、依頼もした。だが、この量じゃ……」
ゴルドスタインさんは額に汗を垂らしながら、そう言った。
町中と上空にいる黒い虫に向かって諦めの表情をする。
「ゴルドスタインさん! さあゴルドスタインさんも早く!」
俺はそんな自警団長に避難を促す。
「……君も。もう……いいんだ。さ、早く。兄がやっている両替所の地下にまだ空きがある。あそこなら多分大丈夫だろう」
「やれるところまではやります! 行ってください! って何やってるんですか!?」
弟ゴルドスタインさんは、腰に下げた剣を抜いて、バッタどもの駆除を始めた。
かなり疲れているんだろう。
剣先はふらふらしていて、お世辞にもまともとは言えない。
斬るというより叩き潰しているようだ。
「格好をつけないでくれ。君たち余所者に、こんな見せ場を奪われるわけには行かないんだ」
自虐的だったが、彼も精一杯格好をつけているように思えた。
「はい……頑張りましょう」
年老いた自警団長の目はきらきらと輝いていた。
それを止めるなんてことは俺には出来ない。
『姫、大丈夫ですか?』
輪廻陣を展開しようとするリント姫に話しかける。
『ええ、もう、大丈夫』
嘘付け。
ヒザガクガクしてるじゃねーか。
「マリア、お前も無理するなよ」
その隣には、マリアがいた。
誘導を率先してやってくれたマリアは町の人たちと情報交換までやってくれたようだ。
「リントちゃんが凄い頑張ってくれた。みんな感謝してたよ。スミスさん、ええとご飯屋さんで会った酔っ払いの人がね、アナタに謝ってくれって言ってた。だから代わりに、気にしていませんって言っておいた。アナタならそう言うでしょ?」
分かってるなあマリア。
さすがこの世界で一番初めに会ったヒトだ。
言うなれば俺と一番付き合いが長い。
こんな幼馴染ならいつでもウェルカムだぜ、俺は。
「おう。ありがとな。……ちょっと聞きたいんだけど、農薬の代わりになる花とか草ってこの辺りに生えていないか?」
彼女は将来の夢は花屋だ。
もしかしたら何かバッタに効く草を知っているかもしれない。
「もう。やっぱり聞いてなかったのね。説明したでしょ。あぜ道にいっぱい生えてたマンジューシャっていう赤い花。あれには毒があって人間みたいな大きい動物にはあんまり効果はないんだけど、小さいモグラとか虫が食べると痺れて動けなくなるの」
よし。ナイス、マリア。
効果は薄いかもしれないけど、忌避効果ぐらいはあるだろ。
俺は剣を振っている自警団長に声をかけた。
「ゴルドスタインさん。残念ながら仕事が増えました。マンジューシャって分かりますか」
「ああ、この辺じゃムシヨケバナって言う。昔、イタズラで兄貴に球根を食べさせてえらい目にあったな。赤いヤツだろう?」
昔を思い出したのか、ふふっと息を吐き出すように笑う。
おいおい、毒あんだろ。ゴルドスタインさん兄、可愛そうに。
「そうです。それをすり潰して、みんなの体と、非難している石造りの建物に塗って下さい」
「なるほど防虫剤か。それなら奥で震えている商人連中にも協力してもらおうかな。あいつらだって命は惜しいだろう」
「他にも効果がありそうなものがあったら、お願いします」
「分かった。ナイスアイデアだ、少年」
ゴルドスタインさんはウインクしながらそう言った。
おっさん、意外にお茶目じゃねえか。
「おおーい! それはもういい! こっちを手伝ってくれ!」と叫びながら、延焼を防ぐために木造の建物を壊している人たちに向かってゴルドスタインさんは走って行った。
――――――
――――
――
【警告します。残り12時間15分です】
マンジューシャまたはムシヨケバナをすり潰した汁は効果絶大だった。
塗った建物にバッタが近寄ってこないのだ。
もちろん塗ったヒトにも近寄ろうとしなかった。
日が暮れたのか、さらなる暗闇が辺りを包む。
辺りには松明が点けられ、作業してくれていた人たちは汁まみれになりながらも、俺たちの駆除作業を応援してくれた。
光に吸い寄せられるように、数匹のバッタが松明にぶつかって燃えていた。
だがその汁の効果は良い面だけではなかった。
全身をマンジューシャの汁で包みながら駆除していた俺たちにもバッタが近寄らなくなったせいで、駆除の効率が落ちてきたのだ。
畳み掛けるように、事態は悪い方向へと向かっていく。
通算で一二回目の展開になる、レーヴァンテインの枝を使ってオーバーラッシュで広範囲駆除をし、俺を回復した直後だった。
ニーズのスピリットが切れた。
膝に力が無くなり、崩れるように前のめりになるニーズ。
慌ててニーズを抱きとめる。
異常を感じたヴィゾが駆け寄ってきて、首元に手を当てて瞳孔と呼吸を確認する。
無敵に思えたオーバーラッシュとニーズの回復コンボは、回復役がいないだけで使えなくなってしまった。
チャージ要因でもあるニーズをここで失うのはかなり厳しい。
脈拍が遅くなり、呼吸が浅く、反応が薄い。
ヴィゾによると使用によりスピリットがなくなることを『魂切れ』という。
ほとんど意識の無いニーズは典型的な魂切れらしい。
そう説明するヴィゾを見ると、肩で息をしていた。
ここでヴィゾまで魂切れされたら、俺たちに抵抗する手段はなくなってしまう。
ニーズは俺に抱きかかえられながらも、うわ言の様に『強き者とオレ、最高の相棒、うふ、うふふ』と半笑いで言っていた。……顔が綺麗な分、ギャップが何か気持ち悪い……。
いや、よく頑張ってくれた。ありがとうニーズ。少し休んでくれ。髪をさらりと撫でると、一層気持ち悪い笑みを浮かべて目を半開きにしながら、うふっと笑った。
リント姫がその交代要員でニーズの駆除を受け持つ。
ニーズほどの駆除能力は当然なかった。
じりじりと俺たちの行動ラインは狭まっていった。
――――――
――――
――
【警告します。残り2時間00分です】
【レヴァン。残存エネルギーの確認を】
口を開くのも辛いくらいに疲労がたまっていた。
【残存エネルギーは0.8%です】
【……バッタの数。端数を省略しないでくれ】
【1259億6921万8127匹……訂正、1259億7632万7389匹です】
くそ。一瞬で700万匹も増えやがって。
ニーズが倒れた後の俺たちの駆除効率は格段に落ちた。
オーバーラッシュが使えないことによって、バッタが増える速度が駆除速度を圧倒的に上回った。
レヴァンにスキャンしてもらうたびに、バッタの数は増えていく。
とんでもない数のバッタを倒しているはずなのに、一向に減らない。
どんどんとんでもない数になっていく。
もう時間が無い。
せめて他のヒトたちを避難させないと……。
「皆さん! 早く避難してください! あと二時間しかありません!」
持ち場の作業を放棄するように町民に叫んだ。
声が大きく出せない。喉がひりつき、金切り声のようになってしまう。
軽いと思っていたレヴァンがずっしりと重く感じる。
「お前たちこそもう休めって!」
「よくやってくれた!」
「アンタたちは立派だよ!」
皆が俺たちの状態を見てざわざわと心配する声を上げてくれる。
ヒト以外の人種もたくさんいた。
バッタまみれで、赤い汁まみれだ。
みんな必死になって作業していた。
五時間の仮眠を取り一旦は復帰したニーズは再度ダウン寸前だった。
姫も何度と無く休憩を取りつつも、必死に駆除作業をする。
一度も休憩を取らなかったヴィゾはこっちが心配するくらい足下がおぼついていなかったが、必死の形相で火球を作り出していた。
……あれ?
何か……くらくらする。
地面が……近え。
作業を手伝っていた両替商であり昔毒草を食わされた、兄の方のゴルドスタインさんが駆け寄ってくる。
俺を抱き起こし、優しく諭す。
「このままでは逃げる時間までなくなってしまいます。あなたたちは本当に良くやってくれました。ありがとうございます。ここは私と弟に任せて下さい。さ、両替所へ。場所は分かりますよね?」
「……弟さんにも同じことを言われましたよ。ゴルドスタインさん。お礼は全部終わってからにしてください。これも弟さんに言いました」
そう強がって、レヴァンを杖に無理やり体を起こす。
うは。膝に力がはいらねえ。
「……馬鹿ですね、あなたも」
その褒め言葉を受けて俺は笑った。
ゴルドスタインさんも笑った。
嘲笑するかのようにバッタの羽音が耳をつんざく。
うるせえんだよ。
どんだけ自己アピールしたいんだ。
【警告します。残り15分】
ほぼ全員の脱出と立てこもりが終了した。
町中の建物と地面には赤い汁がぶちまけられ、まるで地獄絵図だ。
今、表にいるのは、ゴルドスタイン兄弟。マリアを含めた俺たち五人。
埋め尽くさんばかりのバッタのみだ。
「ゴルドスタインさん。二人ともここは俺たちに任せて石造りの建物に避難してください」
「いいや、それはこっちのセリフだ。この町は生まれ育った町だ」
「私も弟と同じ気持ちです。生きるも死ぬも一緒です」
ゴルドスタイン兄弟は、そろって頑固だ。
だがあんた達は生き残らなけりゃならない。
「この町の復興を誰がするんですか、あなた達がそれを指揮するんでしょう?」
避難誘導、脱出の手引き、町の人たちへの説得、指示。
この二人は間違いなく、この町の顔役だ。
だが、俺の言葉を聞いた二人の兄弟は、苦虫を噛んだ様に、顔を歪めた。
「例え今回、この町が生き延びたとしても……あの領主がいる限り同じ事が起きます」
「領主? この地方のお偉いさんでしょう? こんな災害が起きても責任を取らないんですか?」
「一日近く経っているのに、領主の兵隊がこの町にいないのがその証拠だ。失敗しないために事態が全部終わってから動く。……それがアイツの政治だ。しばらくしていくらかの支援金を送って終わりだ。前に町で流行り病があったときもそうだった。町が瀕死になっていた時、アイツは女と旅行に行ってたんだぞ。信じられるか?」
「町どころか大陸がやられちゃいますよ、この調子だと」
「そうだろうな。アイツにはそんなことも分からないんだろう……どちらにせよ、我々に逃げ場はないのさ。だったらここで覚悟を決めよう」
誰が認めるか。
あんた達みたいな良い奴らはこの先も生き残らなくちゃいけないんだ。
何か手を考えるんだ。
考えることに集中すると、疲れがどっと押し寄せてきて、俺に眠れと催促する。
膝が笑う。
腕が震える。
体中が痙攣しだした。
――誰かの人影が倒れるのが見えた。
マリアとニーズとリント姫の悲鳴が聞こえる。
ヴィゾ!
ヴィゾは地面に膝をついた。
目をつぶり、憎々しげに何かを呟く。
二人の元龍とマリアがそれに駆け寄るのが見えた。
……ヴィゾ。
ああ、ヤバイ……俺も……。
体中どこにも力が入れられない。
朦朧となった意識の中で、無常にもレーヴァンテインは最後の時間を知らせる。
【警告します。残り0分です。下級神黒角笛が始動します】
うおん、という空気が振動する爆音が轟く。
恐怖を腹の底から引きずり出すような忌まわしい響きだった。
一匹ずつがぶんぶん寄り集まった群れとは明らかに違う。
どす黒い歓喜の声。
真っ黒な雲が、統率され意思を持ったように波打つ。
蠢く。
雲の一部が、ゆっくりと太い触手のような形になる。
全てがバッタで構成されるおぞましい触手。
撫でる。
近くにあった木造の家屋をふわりと一撫でする。
俺たちが昨晩行ったヴィゾがやたらと褒めちぎっていた食事処だ。
優しい愛撫のような一撫で。
食事処が抉り取られたように消失した。
食べる。
触手は雲から次々と伸び、触れたそばから建物は消えて行った。
触手が通過するだけで、木造の家屋は消えてしまう。
皆が必死になってやってくれた赤い汁の効果は、アバドンにはほとんど効かなかった。
やば過ぎる。
まさかこれほど強力なバッタになるなんて思ってなかった。
食べつくす速度が想像以上だ。
このままじゃ町なんかあっという間に食べつくされちまう。
隣にある石造りの家に触手が触れる。
よほどの衝撃なのだろう。ぎしぎしと全体が揺れる。
ごくりと息を呑み、その光景を見つめた。
その中には多数の町民がいるはずだからだ。
触手は、しばらく建物を撫でていたが、飽きたかのように次の建物に向かって行った。
残った建物は、表面が削られるだけで済んだ。
だが、何度も撫でられ削られたら、中にヒトがいることがばれちまう。
衝撃のせいで石造りでもヒビ割れが目立つ。
あの中にバッタが潜り込んだら、と考えると安全とは言えない。
黒い雲は、動く柔らかい肉、俺たちに気が付いたようだった。
同期だか何だか知らないが、雲は一斉に俺たちに狙いを定めるように蠢いた。
嬉しそうに触手が次々と俺たちに向かって伸びてくる。
ゴルドスタイン兄弟が、ヴィゾが、ニーズが、リント姫が、マリアが……つまり俺たち全員もそれに気付いた。
だが、俺たちは精根尽き果て、動くことも出来なかった。
もう……ダメか。
りいいいいいん、という長く響く、澄み切る音が聞こえた。
バッタどものうるさい羽音をかき消すかのような力強い音だった。
黒い上空に一筆書きで燃え盛る太い線が描かれた。
今まで見たメガスの中で最も大きい火球だ。
白い尾を引く、大きな火球。
美しく激しい、渦巻く炎。
燃える軌跡は黒雲を切り裂き、アバドンの触手を何本も消滅させた。
燃焼により消し炭になっても執拗に過熱されオレンジ色になったバッタの残がいが降り注ぐ。
大きな花火のように町の中を明るく照らす。
アバドンは怯んだかのように触手を引っ込めた。
『しっかりせんか、ヴィゾーニブル、ニーズ』
バッタの照明は、大きな火球を繰り出した主の正体を照らす。
紺色と黒の中間色。
一部に白い斑。
瞳は金色に輝き、触れるもの全てを破壊する爪がぎらりと光る。
大きな翼がばさりと羽ばたき、俺たちに優しく風を送る。
見た目は恐ろしいが、心優しき巨大な龍。
――ミドガルズ。カッコ良過ぎだぜ。