20 不穏な空気
「……やっぱり、麦の高騰は魔王の影響なんでしょうか?災厄のせいで土地は衰え、農作物の不作が続いたと聞きます」
町から離れ人少し高くなった丘の上で、エステルはポツリと漏らした。麦の収穫に忙しいらしく、周りに人の気配は全く感じられない。
人気のない場所に来てから再召喚したシルフは、じっと地面を見つめながら首を振った。
「いや。それだけではないだろうね。フルーエは大地の加護が厚くて、他の土地よりも被害が少ないはずだから」
「ああ。他の土地よりも麦の値段が高過ぎるように感じる。その上、あの麦畑が見えるだろう?」
シルヴェストは眼下に広がる麦畑に視線を遣る。町を囲むようにして広がる麦畑の中にぽつぽつと人がいるのが確認できた。農民たちは休む暇もないかのように、忙しなく働いている。
麦の穂はふっくらと膨らみ、風に吹かれて揺れている。エステルは麦を育てたことはないが、それでも決して不作ではない出来であることだけは分かった。
「シルヴェストが前に来たときには通行検査は無かったと聞きましたが」
「ああ。農民が多いせいもあって、穏やかな良い町だったよ」
「魔物を警戒しているのでしょうか?」
「まぁ、それもあるだろうけど。それよりも外の人間を警戒しているんじゃないの」
シルフの呆れたような言葉が落ちる。
町を出るときにも通行検査があった。彼らはどこの誰が町を出入りしているのか調べているようで、身分証を出したエステルたちに対しての警戒をようやく緩めたようである。その証拠にギルドに行くまで感じていた視線が、完全にとは言えないが無くなった。
「こんな時代ですから、余所者に厳しいのかもしれません。でも、何だか引っ掛かりますね」
「ああ」
「それよりも、シマイノシシがもう少し行ったところにいるよ?」
「とりあえず、シマイノシシを片付けよう」
「はい」
シルフがシマイノシシを見つけてエステルに教えてくれる。二人はギルドからシマイノシシ退治のクエストを受けているのだ。シマイノシシは作物を荒らすのだが、今収穫の時期を迎えている麦畑の畑もその例に漏れないらしい。
シマイノシシは読んで字の如く、縞模様のイノシシのような魔物だ。その縞模様は、肋骨に対して交差するように描かれて、顔には六本の大きな牙が迫り出すように生えている。その肉食さながらの外見とは反して草食を好むのだが、人間が作る作物の味を覚えた個体は山や森から抜け出て、人里を襲う。動きは猪突猛進で単純なものだが、そのパワーとスピードは侮れない。老人や女子供であれば、大怪我は免れないだろう。
シルフに言われるまま、丘を進むと遠くに草を食むシマイノシシが確認できた。エステルたちは気付かれないうちに岩陰に隠れると、そっと気配を殺す。人里の作物の味を覚えた個体は、もう自生する草木では満足できない。先程まで草を食べていたシマイノシシは大して食べないうちに、丘を下り始める。
「――行くぞ」
「はい!」
シルヴェストの合図で岩陰から躍り出る。突然現れた進路を邪魔する人間たちに、シマイノシシは苛立った目で目標を定めたようだ。
エステルは勇者の剣とは違う、軽くて扱いやすい剣を構えてシマイノシシを見る。横にはシルヴェストがいて、盾を構えて突進に備えていた。
シルヴェストが持つ盾は、前回の旅の終盤に見つけた伝説級のものである。男の勇者であったのなら、彼が勇者が持つに相応しい強度と性能を兼ね備えたものだ。鈍く光る銀色は、一見するとただの金属のように見えるが、月明かりを浴びて青く光る。それは古のミスリルであることに他ならない。多少の傷であれば自己修復機能が働き、どんな剣でも傷付けることは叶わず、ドラゴンのブレスさえも溶かすことはできないと言われている。
そして二人はシルフの魔法にも手助けされ、難なくシマイノシシを仕留めると、討伐の証である核を持って町へと戻った。
「――お帰りなさい。早速、報告を伺っても良いですか?」
「はい。これがシマイノシシの核です。シマイノシシは一匹でした」
ギルドに着くと、受付嬢のメリーがにっこりと笑って迎い入れてくれた。今度はエステルたちが来ると分かっていたせいか、初めの時とは違って落ち着いた様子である。エステルはシマイノシシが残した核をカウンターに置く。赤い透明な石は宝石のように煌めいているが、宝石とは違って魔物の魔力が詰まったものだ。特別な方法でないと加工はままならない。
「お疲れ様でした。では、これでクエストの終了となります。こちらが報酬です。――そうでした!それと、正規のギルドカードもできていますよ」
「ありがとうございます」
「二階の部屋も整えておきましたので、ゆっくりお休みくださいね。お食事は食堂が向かいと、少し行ったところに営業してますし、何か買ってきて中で召し上がっても構いませんよ」
「ああ。分かった。助かる」
メリーはツルツルとした質感のカードを二枚、カウンターの上に置いた。仮のギルドカードをそれと引き換えにして受け渡し、カードをまじまじと見つめる。カードにはしっかりとエスティと名前が書かれていて、そこには勇者の一言も書かれていない。これが、これからの身分証明書になるのである。
じっとカードを見ていると、メリーがシルヴェストに向かって説明をしていた。当たり前だが、ここはギルドであるので泊まることは出来ても食事はできない。少し寂れた印象のあるキルテだが、それでもまだ食事のできるところはあるらしい。
「まだまだクエストはありますので、良かったら検討してみてくださいね」
「はい。これから見させて貰いますね」
掲示板にはまだまだたくさんのクエストが貼られている。シマイノシシを受ける前に見たら、まだ受けられそうなものがいくつかあった。急ぐ旅ではないので、シルヴェストて相談してクエストをこなしてみるのも良いかもしれない。
「シルストさんとエスティさんがクエストを受けてくれると助かります。最近、キルテ支部に訪れる方はめっきり減っちゃって」
「そういえば、久しぶりって言ってましたね」
残念そうに話すメリーを見て、初めにギルドに入ってきた時の彼女の様子を思い出す。酷く退屈そうな様子で、あの様子であれば彼女が言うことに偽りはないだろう。
「危険は少ない町ですが、通行検査が厳しいのを嫌がる冒険者も少なくないんですよね。後ろ暗いことがあるわけではなくても、何て言うか威圧的な態度に辟易とするというか……」
エステルたちは食事のためにギルドを出た。せっかくなので、町を見物がてら少し先の食堂まで歩くのも良いかもしれない。二人で町の大通りを歩いていると、脇の小道から叫ぶような人の声が耳に飛び込んで来た。
「――あと一週間で良いのです!一週間だけ!」
「期限は今月の頭。もう一週間も過ぎているのに、あと一週間で何とかなるものか」
小道の物陰からそっと覗けば、小さな家の前に武装した男たちが見えた。どうやら家の前には農民の男がいるらしく、彼に税の取り立てを行っているようだ。
「それでしたら、あと一日!そうすれば、麦の収穫も終わりますので!」
「……ふむ。では、延滞料として三割だ」
「さ……三割!?そんな、それでは家族が……!」
「知ったことか。三割が嫌なのであれば、四割に引き上げても良いのだぞ」
「……そんな……!」
「では、そういうことだ。――散れ!見世物ではない!」
打ちひしがれる農民の男に言い放つと、武装した男たちはこちらを振り返った。周りには様子を見ている人たちがたくさんいて、それを蹴散らすようにして武装した男たちは去っていった。
「――アルバのとこのタリアが病気なんだろ?」
「ああ。その薬代で税金が払えないって話さ」
「全く、ただでさえ苦しいっていうのに税金の値上がりには困るもんだね」
「明日には我が身さ。働けるだけ働かないと。ロラ様のご加護がありますように」
「ああ。ロラ様のご加護がありますように」
近くにいた初老の女性たちが気の毒そうな顔で話している。それを聞いて、自然とシルヴェストと顔を見合わせた。
税金の値上げ、それだけ聞くと理由があればおかしい話ではない。特に魔王が出たばかりのころ、町の防御を上げるためにそのような名目でやることはよくあった。
しかし、今は長く続いた天候不良や土地の衰えにより不作が続き、貴族たちですら蓄えを崩すような時代である。それが農民であればもっと顕著であるはずだ。
「町の空気の原因はこれでしょうか?」
「だろうな」
誰が聞いているか分からないので、二人は口を閉ざしてその場を離れた。
キルテは他の町に比べて被害も少なく、麦も比較的安定して収穫されている。それでも他の町に比べてというだけで、その程度だ。普通に考えれば、今はまだ税金を上げるときではないだろう。
ふと町を歩いている数少ない町民を見れば、その腕はすっかり痩せ細り、その表情に明るさはない。他の町ではみんな希望に溢れた表情をしている人が多かったはずである。魔王が去り、災厄がなくなり、明日への希望の目を輝かせていたのだ。




