偽装工作と本音
婚約破棄は、罠だった。
正確には、エレノアと、その父である公爵が仕組んだ偽装工作だ。
王家と公爵家が仲違いしたように見せ、軍用物資を横流ししている裏切り者を油断させる。その隙に証拠を押さえるための作戦だった。
ここまでは、ルークにも分かった。
問題は、その作戦が別の方向へ進み始めていることだ。
「つまり、王太子が本気でリナさんを好きになった」
「はい」
「それで、エレノアさんとの婚約を本当に破棄したくなった」
「その通りです」
「それって……作戦として最悪じゃない?」
ルークが言うと、エレノアは静かに頷いた。
「私もそう思います」
「でも、何でそんなに冷静なの?」
「3日前から頭を抱え続けた結果、疲れました」
「なるほど……」
小庭園の東屋で、ルーク、アルフォード、ライオネル、エレノアの4人は、丸い石卓を囲んでいた。
エレノアの姿勢は変わらず整っていたが、よく見ると目元に疲れがある。アルフォードは腕を組んだまま、難しい顔で庭を見つめていた。
「兄上は昔から、気に入った女性に熱を上げやすいところがあったが……」
「そうなの?」
「いや、ここまでではなかった」
「じゃあ、リナさんが特別?」
「そういうことになるんだろうな」
ルークは少し考え、それからエレノアを見た。
「エレノアさんは?」
「何でしょう」
「王太子のこと、好きなの?」
エレノアの表情が止まった。
隣でアルフォードが咳き込む。
「ルーク!」
「何?」
「そういうことを、いきなり本人に聞くな!」
「父さんに言われたくない!」
「それは確かに……」
ライオネルまで頷いた。
「お前まで!」
エレノアはしばらく黙っていた。やがて、石卓の上で重ねた自分の手へ視線を落とす。
「好きかどうかは、分かりません」
「分からないの?」
「婚約が決まったのは、7歳のときですから」
「そんなに小さいころから……」
「それから10年以上、王太子妃になるための教育を受けてきました」
外交、礼法、法律、歴史、領地経営、他国語。
王族の一員として暮らすために、覚えなければならないことは数えきれなかったという。
「殿下と結婚することは、私にとって夢というより、決まっている将来でした」
「決まってる将来……」
「朝になれば起きる。冬が終われば春になる。それと同じくらい、当然のことだったのです」
ルークには、すぐには理解できなかった。
好きだから結婚するのではない。結婚することが決まっているから、そのために生きてきた。
エレノアは、自分より幼いころから、そんな将来を背負っていたのだ。
「だから、好きかどうかを考えたことがありませんでした」
「じゃあ、婚約を破棄されても平気なの?」
エレノアはすぐには答えなかった。
重ねていた指をほどき、少しだけ唇を結ぶ。
「……平気ではありません。腹は立ちます」
「やっぱり」
「私との約束を忘れて、ほかの女性と観劇へ行かれたことにも腹が立ちました」
「それで、紅茶をかけたの?」
「はい」
「そこは本当にやったんだね……」
「反省はしています」
エレノアは目を伏せた。
アルフォードが額を押さえる。
「話がどんどんややこしくなるな」
「最初から十分ややこしいよ」
そこでライオネルが、石卓へ身を寄せた。
「問題を整理しましょう」
「よかった。まともな人がいる」
「少年、私は常にまともです」
「父さんの近くにいるから、分からなくなってた」
「それは否定できません」
「ライオネル!?」
ライオネルは父の抗議を聞き流し、指を立てた。
「第1に、軍用物資を横流ししている者を突き止めること」
次の指を立てる。
「第2に、婚約破棄を偽装し、その者たちを油断させること」
さらに指を増やした。
「第3に、王太子殿下が本気で婚約を破棄しようとしていること。そして第4に、アルフォード殿下がこの件へ介入しすぎると、王宮内の支持者を失うことです」
「最後だけ俺の問題だな」
「私にとっては、それも重要です」
「それは嬉しいが……」
ルークは目の前に浮かぶ表示を見た。
《王宮内支持者喪失率――18%》
《第2の失敗まで――残り1日15時間》
「18%になってる」
「それ以上、増やしたくないな」
「父さんが黙ってれば大丈夫じゃない?」
「俺を置物みたいに言うな」
「今回は、置物のほうが役立つかも」
「未来の息子の言葉が厳しすぎる!」
アルフォードは大げさに肩を落とした。
けれどルークは、その顔を見ながら考え込む。
本当に、父が黙っていれば済むのだろうか。
失敗条件は、婚約破棄ではない。王宮内の支持者を7割失うことだ。
「ねえ」
「何だ?」
「未来で父さんの味方が離れたのって、王太子に反対したからだけかな」
「どういう意味だ?」
「7割って、多すぎない?」
アルフォードが黙った。ライオネルも眉を寄せる。
「王太子に反対したら、王太子派には嫌われるかもしれない。でも、もともと父さんを支持していた人まで、そんなに離れる?」
「普通なら、そこまでは……」
ライオネルが慎重に答えた。
「別の理由もあったと?」
「たぶん」
ルークはエレノアへ目を向ける。
「裏切り者を暴こうとして、父さんが失敗したんじゃない?」
エレノアの目つきが変わった。
「例えば、どのように?」
「証拠が足りないうちに、犯人だと思った人を告発したとか」
アルフォードが少し顔を逸らした。
「父さん?」
「何だ」
「今、心当たりがありそうな顔した」
「未来の俺なら、やるかもしれない」
「今の父さんもやりそうだよ!」
「証拠が十分ならやる」
「十分かどうか、ちゃんと確かめてからにしてね!」
「……はい」
エレノアが小さく笑った。
けれどすぐに表情を引き締め、声を落とす。
「実は、私たちは裏切り者の候補を3人まで絞っています」
全員が彼女を見た。
「誰だ?」
アルフォードの声が低くなる。
「1人目は、軍務省の調達官、グラン伯爵です」
ルークには知らない名前だった。
「2人目は?」
「公爵領の財務官、オズワルド子爵」
「3人目は?」
エレノアは少しだけ間を置いた。
「王太子殿下の側近、ハインツ侯爵令息です」
「兄上の側近か……」
アルフォードが腕を組み直した。
「厄介だな。横流しに関わった証拠は?」
「まだ、直接の証拠はありません」
「じゃあ、どうやって3人に絞ったの?」
ルークの問いに、エレノアが答える。
「それぞれに、内容を少しずつ変えた情報を渡しました」
公爵家は、軍用物資の保管場所や輸送日、荷物の種類について、3人に異なる情報を知らせたという。
どの情報をもとに横流しの準備が進むかを調べれば、漏れた経路が分かる。
「それで?」
「3つとも、外へ流れました」
「全部じゃん!」
「ですから、困っているのです」
「3人とも犯人?」
「あるいは――」
ライオネルが口を挟んだ。
「3人に共通する報告先があるのかもしれません」
「報告先?」
「受け取った情報を、仕事として上げる相手です。そこでまとめて漏れたなら、3人自身が横流しに関わっているとは限りません」
アルフォードとエレノアが顔を上げた。
「……軍務卿」
2人の声が重なる。
ルークは眉をひそめた。
「軍務卿って、そんなに偉いの?」
「ああ。王国軍の運営に大きな権限を持っている」
「父さんが、いきなりその人を犯人だって言ったら?」
「証拠がなければ、無謀な告発だと思われるな」
アルフォードは苦い顔をした。
「俺の味方も、庇いきれなくなる」
「それなら、7割も離れる理由になるかも……」
ルークは石卓へ手をついた。
「未来の父さん、軍務卿を告発したんじゃない?」
「待て。まだ決まったわけじゃない」
「でも、ありそうでしょ?」
「……可能性はある」
そこでルークの頭に、もう1つの顔が浮かんだ。
「最初の事件」
「何が?」
「北方の魔力脈を壊そうとしてた人」
アルフォードの表情が変わる。
「ゼインか」
「軍務卿補佐官だったよね?」
「ああ」
北方で魔力を集めていた装置。その中心にいた、軍務卿の補佐官。
そして今回の軍用物資の横流し。漏れた情報も、軍務省へ集まっている。
「同じ人たちなのかな」
「調べる価値はあります」
ライオネルが頷いた。
「ゼインは、北方で得た魔力を魔導兵器の研究へ使うと話していたのでしょう?」
「うん」
「ならば、横流しされた物資も、その研究へ送られている可能性があります」
アルフォードが顎に手を当てた。
「北方の装置は止めた。だが、その裏にいた者までは突き止められなかった」
「だから、まだ動いてる?」
「そうかもしれない」
ルークは少しぞっとした。
父の7つの失敗は、別々の事件だと思っていた。けれど、いくつかはつながっているのかもしれない。
「父さん」
「何だ」
「7回全部、同じ相手だったりしないよね」
「やめろ」
「怖くなった?」
「同じ相手に7回もやられていたら、俺は少し立ち直れないぞ」
「父さん、気になるのそこ?」
エレノアが話を戻した。
「軍務卿が関わっているとしても、今のままでは告発できません」
「なら、証拠を作る」
ルークが即座に父の服を引いた。
「父さん」
「何だ」
「今の言い方、悪い人みたい」
「偽造するという意味じゃない!」
「じゃあ?」
「犯人に動いてもらって、現場を押さえる」
アルフォードはエレノアへ向き直った。
「婚約破棄の作戦は、そのためだったんだろ?」
「はい」
「なら、その狙いは生かせる」
エレノアが眉をひそめる。
「ですが、王太子殿下が本気になってしまって……」
「敵はまだ、それが演技か本気かを疑っているかもしれない」
アルフォードは石卓へ指を置いた。
「兄上が本気なら、王家と公爵家の関係が悪くなったと信じさせやすい」
「偽装に、本当の対立が混じったということですね」
ライオネルが言うと、父は頷いた。
ルークはエレノアを見た。
「でも、エレノアさんはどうなるの?」
アルフォードも彼女へ目を向ける。
「婚約破棄を発表すれば、演技だったとは簡単に言えなくなる。それでも作戦を続けるかは、エレノア嬢の意思を聞かなければならない」
「父さんは、止めないの?」
「俺が反対し続けたところで、2人の気持ちは変えられないだろ」
アルフォードは苦笑した。
「婚約を続けるかどうかと、裏切り者を捕まえることは、分けて考えたほうがよさそうだ」
ルークは少し驚いて父を見た。
さっきまで王太子へ正面から反対していた父が、今はエレノアの返事を待っている。
「父さん、成長した?」
「失礼だな。元から立派だ」
「最初の口論だけで、支持者を12%失ったけど」
「そこは忘れてくれ!」
エレノアはしばらく考えたあと、静かに口を開いた。
「私は、婚約破棄を受け入れる覚悟はしています。作戦のためでなくても」
アルフォードは頷いた。
「分かった。なら、発表を利用する準備をしよう」
「具体的には?」
「婚約破棄の発表に合わせて、軍用物資の輸送計画を変える」
父は石卓の上へ、指で道を描くように動かした。
「王家と公爵家が対立したため、公爵領にある軍用備蓄を王都へ移すことになった――そういう情報を流すんだ」
ライオネルが頷く。
「大量の物資が移動することになりますね」
「ああ。横流しをしている者にとっては、混乱に紛れて荷を奪う好機だ」
「そこを捕まえるの?」
ルークが尋ねる。
「そうだ」
「じゃあ、3人の候補には、また別々の情報を渡したら?」
アルフォードが笑った。
「輸送路を変えるんだな」
「うん。誰にどの道を教えたか、分かるようにする」
北街道、東街道、河川輸送。
3つの経路を用意し、候補者にはそれぞれ異なる経路を知らせる。
「敵がどこに現れるかで、使われた情報が分かる」
「でも、3つ全部に来たら?」
「そのときは、3人の誰が漏らしたと決めつけず、現場に来た者を捕まえて調べる」
アルフォードはライオネルを見る。
「本当の報告先までたどれる証拠が必要だ」
「承知しました」
「父さん、嬉しそう」
ルークが言うと、アルフォードは口元を緩めた。
「やることが見えてきたからな」
「人間関係より、犯人を捕まえるほうが得意なんだね」
「剣士だからな」
エレノアも小さく笑った。
「では、父へ相談し、準備を進めます」
「待って」
ルークが言った。
「まだ1つある」
「何だ?」
「リナさん」
全員が黙った。
「今まで、リナさん本人から話を聞いてないよね」
エレノアの表情がわずかに変わる。
「それは……」
「王太子がリナさんを好きなのは分かった。でも、リナさんが王太子を好きかどうかは、誰か聞いた?」
「……確かに」
アルフォードが呟いた。
「兄上だけが、その気になっている可能性もあるな」
「そうなの?」
「まだ聞いていない以上、分からん」
ライオネルも頷いた。
「ご本人に確かめるべきでしょう」
ルークは立ち上がった。
「じゃあ、会いに行こう」
「今から?」
「うん」
「どこにいるか分かるのか?」
「王太子の近くじゃない?」
「それも、決めつけでは――」
ライオネルが言いかけた、そのときだった。
「私なら、ここにおります」
4人が振り返る。
生垣の切れ目から、桃色の髪が見えた。
リナが、ひどく気まずそうな顔で立っている。
「……いつから?」
アルフォードが尋ねた。
「軍務卿という言葉が出たあたりからです」
「かなり前じゃないか!」
「申し訳ありません!」
リナは勢いよく頭を下げた。
「エレノア様を探していたら、お声が聞こえて……。お話の内容に驚いて、声をかける機会を逃してしまいました」
「つまり、ほとんど聞いていた?」
「……はい」
ルークたちは顔を見合わせた。
アルフォードが庭を見回し、小さく呟く。
「王宮は本当に秘密を守れないな」
「庭で大きな声で話してるからでしょ!」
「それはそうだ」
ライオネルは周囲を確かめてから、リナを東屋へ招いた。
「今のお話は、ほかの方へ伝えないでください」
「もちろんです」
リナは頷き、エレノアへ目を向ける。
「あの……その前に、1つ訂正してもよろしいでしょうか」
「何を?」
ルークが尋ねる。
リナは両手を握りしめ、真剣な顔で言った。
「私、王太子殿下と結婚するつもりはありません」
東屋が静まり返った。
「……え?」
4人の声が重なる。
リナは困ったように眉を下げた。
「ですから、私と結婚するために婚約を破棄されても、困るのです」
エレノアが大きく目を見開いた。
「では、殿下へのお気持ちは?」
「尊敬しております」
「恋愛感情は……?」
「ありません」
ルークは額に手を当てた。
「王太子だけが、結婚するつもりになってた……!」
「ああ、兄上……」
アルフォードが遠い目をする。
ライオネルは無言で空を見上げた。
エレノアはリナを見つめたまま、しばらく動かなかった。それから、張り詰めていたものが緩んだように、小さく息を漏らす。
「そうでしたの……」
その口元には、困惑したような笑みが浮かんでいた。
ルークの目の前に文字が現れる。
《第2の失敗に変化が発生》
《王宮内支持者喪失率――15%》
「あ」
「何だ?」
「減った」
「何が?」
ルークは父へ顔を寄せ、声を落とした。
「失う支持者の割合。18%から15%になった」
「俺、今は何もしてないぞ?」
ルークは表示を見つめた。
リナの気持ちを確かめたことで、これから起きることが変わったのかもしれない。
今回の失敗は、正しいと思ったことを言い続けるだけでは防げない。相手の気持ちを聞き、分からないことを決めつけずに確かめる必要があるのだ。
するとリナが、恐る恐る付け加えた。
「それと……」
「まだあるの?」
「王太子殿下には、すでに何度かお断りしております」
アルフォードの顔が引きつった。
「何度?」
「4回です」
「兄上ぇ……」
「ですが、遠慮しているだけだと受け取られてしまうようで……」
リナは本当に困っている顔だった。
ルークは椅子へ座り直し、深いため息をつく。
「父さん」
「何だ」
「犯人を捕まえるより、王太子にリナさんの話を聞いてもらうほうが難しいかもしれない」
アルフォードはしばらく黙っていた。
それから、心の底から疲れたように頷いた。
「俺も、そう思う……」




