全てを使うための緋色
「お前がいなければ……! 私は何も間違ってないことになるはずなんです……! 私達は道具で、造り物で、どうしようもないはずなんです……!」
«第六視臣»によって攻撃が視えていようとも対処不能な刃の猛攻。拒絶。
「俺を殺してどうするんだ? お前の欲しいものが手に入るのか? 言いなりになって自分を押し殺して、ただインクを垂らし乾いていくのは死んでるのと何が違う……!」
グレンは自らを突き動かす意志をもって、少女の拒絶を否定した。
身体を突き動かす筋肉が雷撃と斬撃によってズタズタに刻まれながらも力を失うことはない。飛び散る碧血が雷電に焦がされようとも介することない。
«蒼輝刀»によって加速し続け、眼の前の剣戟を打ち流し、斬られ、削られながら距離を縮めていく。
「ッ……酷い無茶をするものだな君ぃ……!! いくらその身体が再生すると言っても、電気は無限のエネルギーじゃないんだぞ!?」
アズレアは激昂し、声を引き攣らせながら青い炎となってグレンの周囲を燃やした。
«第六視臣»をもってしても不可避かつ致命的な剣戟を真っ向から受け止める。斬られ、削られ、焼かれながらもとまることなく肉薄していく青い怪物が進む道を斬り拓いていく。
「悪いが方法は……! これしか選べない。俺は強くはないから」
五歩、四歩と距離を縮めるほど《別ち刃》は鋭さを増して肉体を斬り裂いた。グレンと、【剣威】の身体自身を削ぎ合い、命を剥き出しにしていく。
「ただ生きようとすることがおかしい!? 死に場所を目指すみたいに逃げるだけのお前達だって死んでるのと何が違う!?」
剣戟が臓器にまで達しようとも、腕が断ち切られようとも、互いに雷鳴を迸らせて再生し続けていた。瓦礫の下に押しつぶされた同胞達のエーテルが身体に取り込まれていっている。
「道具だったくせに自分から不良品になって、処理されるだけの存在なのに……ッ! ハァー……! ハァ……!! お前さえいなければ私は何も思わずに済んだのに――!」
嗚咽の混じった吐息がすぐ目の前で重く響き渡った。
「そう思うなら――――!」
研ぎ澄まされた刃の渦の中心へ腕を伸ばした。《別ち刃》を振るう手を掴み、握り締めたが、断ち切られることはなかった。
「どうして力を行使しない。《別ち刃》で距離を取ればいい。引き寄せて、アズレアが庇いようのない状況に追い込めばいい。けどしなかった!! できなかった! ナドゥルを殺すことすらできなかった!」
――ただ苦しんでいることを、悲しんでいることを、分かってほしくて暴れていた。どうしたらいいかわからなくなって叫んでいた。
痛いほど叫びが共鳴していた。この痛みだけは理解できた。自分が彼女と違うのは偶然に過ぎない。
同じ境遇のなか、手を伸ばされたか、否か。
だからグレンは斬れなかった。斬らなかった。
無防備に泣きじゃくり近づく全てを斬りつけるだけの彼女はもはや、エインのお人形でも【剣威】でもなかったから。
インクに綴られた人格だけが露わになって、目的も名前も喪い泣いている同胞だった。
「同類だと思っていたのにお前は私とは違う。不公平だ……! ……死より眩しい希望も持っている。友を持っている……!」
手を振り払おうとする力は弱々しい。
すぐに刃の嵐さえも維持できなくなった。《別ち刃》の長い刀身を支え持つこともできずに、切っ先が瓦礫に触れていく。
「違うのは、当たり前だ。俺と同じ奴なんていない。俺はヴェルディオでもないし、俺と同じ人格がいて、そいつが道具だったとしても俺はもう道具じゃない」
僅かに手を捻ると《別ち刃》が容易く足元に転がり落ちる。
一転して夜の闇と静謐が満たした。
「お前もそうだ。こうやって殺し合ったお前はお前だけだ。自分が【剣威】じゃないことに気づいて、名前を欲したお前はお前だけだ」
蛍のようにエーテル粒子は力なく漂って、荒々しい呼気だけが空気を震わせていた。
「何が言い――――」
「だから、俺がお前だけの名前を考える!」
なんて、無責任な言葉だろう。
少女は顔を歪め俯いた。
――私にとってその言葉がどれほどの意味を持つかを分かってはいないだろう。なのに、……時が止まるみたいに動けなかった。
「俺が友達になってやる! ……お前を道具じゃなくしてやる!」
青い。……なんて青い。
現実を見れていない? 否、同じ碧の血が流れている以上理解しているはずだ。だから彼はアレキサンダーに背中を任せた。だから逃げることしかできなかった。
理解した上で――。
「……無茶苦茶です」
「普通のままじゃ色付きには敵わない。無茶苦茶でいい。青くたっていい。死ぬのが怖いなら命より大切なものが見つかるまで一緒に探してやる。だから――自分を斬りつけるな」
少女は息もできなくなった。頭が真っ白になって動けなくなった。現実は誰よりもみえていたはずだったから。
だから【碧靂】の命令に従う。だから愚かなグレン・ディオウルフを始末する。――しなければならないはずなのに。
「……無謀なんです。色付きに抗うことはできません…………。……バカだ。あなたは蝋燭の火に過ぎない。自分を燃やし溶けているだけ」
か細い声で絶望を突きつけて、グレンの手を振り払ってたじろいだ。
よろめきながら、足元に転がる《別ち刃》を拾い直す。
「…………名前、今ください。もう聞きそびれたくはない」
グレンは手を翳した。
彼女の双眸を覆い隠す碧の雷光を吸収し、自分のものへと変えることで彼女が持っていた本来の瞳の色を露わにしていく。
雷撃が弾け続けた。皮膚を裂いて青い炎さえも塗り潰そうとするから、鋭い痛みごと握り潰して歯を軋ませる。
やがて、――彼女の緋色の瞳がグレンを映し出した。
安堵するようにグレンはゆっくりと頷きながら、深く陰る表情を隠し笑みを浮かべて見せる。
「カーディア(緋色の)・エスタ(剣)。……ってのはどうだ? もう碧の人形でいる必要はないし、青色に染まれっていうつもりもない。昔いた緋色の色付きがそんな感じの名前だったんだ。似合ってると思う」
【剣威】だった少女は、カーディアはどんな表情を浮かべればいいかもわからなくなって、引き攣った頬を赤らめた。剣を握る手が震える。
「…………バカじゃないですか。あんな勇敢な戦士に助けてもらえた命を無駄にするだけ……友達だとか、なんだとか……勝手な……ッーー。……保留に、する。どのみち……今の状態じゃお前を殺すこともできません」
《別ち刃》が共鳴すると距離を離した。カーディアの姿が見えなくなると、彼女の友人達の雷光も解けるように消えて、闇の中、青色だけが残された。
「ッーー…………」
酷い虚脱感が全身を満たし、倒れそうになるとアズレアが咄嗟に支えてくれた。
体の重さを委ねると、ギィと軋む音が響く。
酷く視界が朦朧とした。
異界道具の行使に伴う心身の摩耗。身体への急速なダメージと再生。碧の稲妻を吸収したことによる副作用。どれも正しいが、全て違う。
「ッーーー……俺は、彼女とおなじだった。……だから、殺さなかった。何が欲しいか理解ったから。…………ああすれば、きっとカーディアは【碧靂】の敵になる。俺の……友達として。カーディアとして」
――誰を犠牲にしたって後悔はしねえんだろう? なら、全てを使え。
――誰が死のうがお前が死のうが! 絶対に、二度と手を離すんじゃねえ!!
脳裏に過る二人の言葉で、必死になって自分自身を正当化していく。
アズレアのために、カーディアが望むたった一つのものを与え、利用する醜悪さをなんとか呑み込もうとしたとき、決壊するみたいに嗚咽が溢れた。目頭に涙が滲む。
手の震えがとまらずにいると、ぎゅっと強く握られた。指と指の隙間からこぼれていく青い灯火が仄かに闇を照らしていく。
「それは我の業だ。元より、何を利用してでも成し得ようとしたのは我だ。グレンのことを騙し、アレキサンダーを体よく従え、君を強くするためにちょうどいい程度の暗殺者とストーカーとぶつけた。全ての始まりは我にある」
決然とした青い眼差しが目と鼻の距離で向かい合った。アズレアはふんと笑って見せる。
「だから気にするな……とは言えんが。……その痛みを少しでも我に欲しい。我のために、君がしたいことをしてくれた痛みを」
慰めの言葉が深く胸の奥にまで突き刺さる。途端に、倒れかけた自分に嫌気が差した。踏み込む足に力が籠もる。
「痛みを分かち合うより、逃げ切った後のご褒美だとか、見返りだとか。そういう話をしたいな……。そんな余裕もないけどさ」
「……君がしたいようにしてもいいぞ?」
アズレアは視線を逸らし顔も俯けると、小さな声でそう耳打ちした。それだけで幾らでも空元気を振り絞ることができた。
「どんな手段を使っても、逃げ出した場所が少しでも明るければ俺はいいんだ。さっきのは……ちょっと共鳴し過ぎた。もう問題はない」
「……見せつけやがって。…………アズレア様、着いてきてください。少しでも貴方様に逃げ切っていただくための幾つかの手段が……ありますので」
血の痕を深く残しながらナドゥルは毅然として立ち上がった。
「場所を指示してください。そんな血だらけで歩き回れば死にますよ」
ムギは険しい表情で訴えると、有無を言わさず彼を背負った。
そうでもしなければアズレア様のためなら死ねるだのなんだのと、のたまうのはわかりきっていた。
「……地下だ。そこの瓦礫をどかせば――」
«蒼輝刀»で消し飛ばし、地下階段を降りていく。




