雷昂
(…………だったらどうすればいい。危機感だけ煽って、それだけか?)
八つ当たりみたいに自分のなかで罵ったが。立ち止まれないのは事実だった。眩む視界で前を向き直す。
「……ちょっと、疲れてるだけだ。問題ない。急ごう」
「異界道具を使いすぎているんだ。……はぁ、君に堂々と無理をするな。我を頼ってくれとも言えないのは情けないな」
ギギギと、軋む人形の身体。小さな手から、安価ではないレーションを握らされる。
「……余裕はないが。最低限は何か食べたほうが力は出るだろう?」
むふんと、少しばかりのしたり顔。アレキサンダーとムギにも投げ渡していった。
「まぁ、受け取っておきます。グレン様、私の分食べますか?」
「これおいしいのぽ」
「……おかげで気力だけは戻れそうだ」
応えるように飲み込んだとき、再びヴェルディオの声が胸のうちを灯した。
(誰を犠牲にしたって後悔はしねえんだろう? なら、全てを使え。«青き番犬の禁章»はわかるか? お前を灯している青い炎も同じだ。オレの眼が異界道具なのと同じでな。オレの魂も、お前は使うことができるはずだ)
(使ったらあんたはどうなるんだ)
(そう簡単に消えるつもりはねえよ。オレを誰だと思ってやがる。それよりてめえの心配をしたほうがいいんじゃねえか。臭うぜ。この辺よ)
長い路地を抜け切ると、老朽化したビル群が立ち並ぶ三等区画にまで出た。
スラムよりも薄い潮の臭いに混ざる血生臭さが鼻腔を撫でた。
眩い碧の雷光に照らされ、エーテルに分解されていくコードウォーカー達の亡骸が視界に入る。
夥しい血痕はナドゥルとの合流地点であるビルにまで伸びていた。
「……っクソ」
悪態をつくほかなかった。奥へ進むほど夜の闇が深く黒くなって、同胞たちの亡骸からこぼれ出たエーテルの粒子光がゆらり、ゆらりと空気中を揺蕩っていたから。
赤と碧の血が床一面、凄惨なまでに広がっていた。肌にひりつく微弱な電気と緊張。アズレアはぎゅっとグレンの手を握ったまま、グレンより一歩前へ出た。
「……酷い状況だな。グレン、我から離れるでないぞ」
「分かってる。守れなくなるからな」
「たわけめ。……グレンを、我が守るんだ。異界道具を使いすぎるなよ。あれは感情を、魂を燃やして動くものだからな。人格インクは魂そのものなんだぞ」
そうは言われたが。――出し惜しむことはできない。
剣を握らないといけないから、そっと手が離れた。アズレアと隣り合ったまま、«蒼輝刀»を目の前の敵へ構え向ける。
闇のなかで、銀の髪が力なく揺れた。反して、鋭く光輝する碧が双眸の緋色を塗り潰している。
ナドゥルは血まみれのまま倒れ動かなくなっていたが。まだ息はあるようだった。弱弱しい喘鳴。手当しなければ長くはない。
【剣威】は死に体のナドゥルへ《別ち刃》の切っ先を向けたまま、ゆっくりとグレン・ディオウルフを睥睨した。
「……ッー。……フーーー……!」
静寂のなか、少女の痛々しい嗚咽が耳につく。周囲に漂う大量のエーテルと、エーテルから生み出された発光生物達が頬を濡らす涙を照らしていた。
「ゴめ、んナさい。ごメん、なサい。名前あゲられ、ナかっタ」
彼らの声を聞くことができたのは同類であるグレンと【剣威】だけだった。
コードウォーカーの死体を乗っ取った雷光と人格インクが作り出した微弱な電気信号は、そんな言葉を何度か繰り返すうちに掠れ聞こえなくなっていく。
(同情するなよ。お前にできるのはケリを着けることだけだ)
(……わかっている。そもそも、躊躇ってどうにかなる奴じゃない)
涙に潤んだ碧の視線。頬を引き攣らせて、半ば錯乱した様子で【剣威】は自身の相貌を鷲掴んだ。肌に食い込む指、皮膚が千切れ、蛍光する血が滴っていく。
理性はなく隙だらけに見えた。……だが、踏み込めない。
不安定な激情が際限なく異界道具と共鳴し続け、≪別ち刃≫から振るわれることすらなく斬撃が生じていた。
制御不能な剣の間合いが、【剣威】自身さえもズタズタに切り裂いて、血と傷を刻みつけていく。
「私が手にした友人は偽物です……。彼が持っていたものを上書きしたに過ぎない。だから失った。道具風情が何かを手にしようとしたから……! けれど、それでも、……唯一だった。名前を……貰えることを期待していた。名前を渡すことを考えていた」
ゆらりと、緊張もなく向かう刀身。段々と、暴走する力が刀身に収斂していった。脱力しきった身体から滲む殺意。溢れるエーテルの鮮血。
「けどグレン、お前はずっと無くならない。お前だけが特別なのか? お前だけが道具から逸脱できるのか? それとも私達が変われるのか? わからない……訳がわからない。あの戦士の言葉がずっと頭から離れない。友人たちの言葉が離れない。彼がお前に向けた言葉すら苦痛です」
白い吐息に混ざる雷光。異界道具に深く共鳴するほど、双眸は光輝し、闇のなかで鋭く揺れていく。
「……ここで彼を切り捨て、お前の友を損なわせることは容易です。そうすれば、一層お前は、私と同じになる」
「ナドゥルは別に友人ではないが。……そう思うなら、なぜ殺し切らずに俺達を待っていた」
「……わからない。ただ、殺したら私達が何も変われないと認めているような気がした。……でもダメだ。お前は素通りさせられない。命令だから。……命令だけは従わないと、インクがなくなる。そしたら私は私じゃなくなる。私の物語を綴れない…………!」
呪うように【剣威】は張り叫んだ。闇の中、慨然として輝く雷光が相貌に深く影を刻んだ。血走る瞳孔。震える呼気。
怒りではなかった。悲哀とも違う。ただどうすればいいかもわからずに怯えて、慟哭と共に、武も技もなく感情任せに斬撃が振るわれる。
だというのに――――。
「ッ……!」
刃はあまりに鋭い。




