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アンチ・テーゼ

 重苦しき暗雲の天幕ひた隠す、漁業区の(かす)かな街並み。手探りで進む切田くん達は、ここで一旦建物の影に隠れて『ガラス玉』を作ることにする。(投げちゃったのでナイヨ)しかも爆発。


 (いま)だ推定戦闘領域。見えない追手がいてもいなくとも、ここで(うれ)いを()っておくのが良いだろう。――闇に(まぎ)れた夜間飛行を追うことなど、何者にも出来るものではない。


「…そうね。それが良いと思う」夜陰(やいん)(ひそ)ほそらかな影が、コクリと(うなず)く。


 闇に沈めど不思議と目を引く、スラリとした光の輪郭(りんかく)。(…雰囲気、というか。見えないオーラが出ているみたいな…)細やかな修練の積み重なりが、なにげない動作や姿勢に(あらわ)()ているのかもしれない。(…ニワカの僕には絶対無理…)


 魔法の光に薄暮(はくぼ)と化す建物裏。『飛ばないマジックボルト』を結晶化させながらも、慎重に後方の様子をうかがう。……何も見えない。見えるわけがない。


 かといって、他に索敵手段など無い。暗闇からの奇襲があるという前提は心構えを強くしてはくれるが、神経をすり減らす。(それでも敵の射線は限定出来るし、…(おのれ)の無警戒が作る空白からも、意識して遠ざかることが出来る…)



「じゃあ、行きましょう」


「おねがい」――『ガラス玉』を(かか)げた切田くんに対し、断固として()()しがみつく東堂さん。なんか熱い。「…あの」


「何?」


「いえ」


 ツンとしている。確かに『猫目』を背負った時とは違い、背中に荷物があるので仕方がない。


「……仕方がない、とか思ってないよね?」耳元に、ねっとり(ささや)き声。


「え」


「準備いいよ。飛んで」


「は、はい」柔らかい(強い)締め付けを感じながらも、暗夜行路をゆっくりと飛び立つ。


 東堂さんは落ちないようにギュッと抱きついている。感触や体温は感じるし、彼女自体はスマートではあるのだが、なにせ荷物がたくさんあるので重い。(……フギギギ……)ガラス玉にぶら下がる両腕が、限界に悲鳴を上げている。重いなどとは口が裂けても言えない。意地と『精神力回復』を全力で(まわ)し、肉体的な必死さを(おお)(かく)す。


「…類くん?…大丈夫?」両腕で抱き片足をも絡める東堂さんが、怪訝(けげん)そうに問い掛けてくる。


「…す、すみません!ドキドキしてしまっていて!」


「…してるね?」ドキドキのほとんどは無酸素運動のせいだ。苦しい。……細腕(豪腕)に()()()と力が籠もった。これで剥がれ落ちる心配はないだろうが、潰れたカエルにでもなった気分だ。グエー。(…おかしい。空中で抱き合うドキドキシチュエーションのはずなんですけど?)ドキドキするシチュエーションで合っている。問題ない。


 繁華街や王城の灯火(ともしび)は遠く、周囲眼下は真っ暗だ。(おぼろ)げな街の輪郭(りんかく)、月夜を隠す重き曇天。――じきに、雨が降り出すかもしれない。(このまま宵闇に(まぎ)れて、空路からこの街を脱出すれば良いんだろうけど…)


(…今は重量がキツイし、『精神力回復』や『生命力回復』では疲労を回復できない。…どうする?切田類)()()、誰かの言葉が脳裏をかすめた。……『橋の下やスラムの木賃宿なんぞに泊まったら、身ぐるみ剥ぎに来た奴と問題を起こすだろう。お前たち』



 河を(つた)って巡航(じゅんこう)し、手頃な橋の下へと潜り込む。


 川幅の広い下流域、(汽水域、かな?)大きくて立派な橋が掛かっている。野営の屋根としては十分だろう。そしてこの経路(空路)ならば、身ぐるみ剥ぎに目星をつけられることもない。治安は大事だ。


 ゆっくりと河原に着地すると、東堂さんが躊躇(ちゅうちょ)せず()()と離れてしまった。……周囲の確認をしている。切田くんはこっそり息を整えつつも、ちょっと(さみ)しい。


「『弱くて飛ばないマジックボルト』」


 指をペチンと鳴らす。豆電球ほどの心許(こころもと)ない光が(ほたる)の様に舞い上がり、ぼんやりと周囲を照らし出した。――丸石だらけの河原縁(かわらべり)。草むらが土塁を覆って堤防を作っている。街の治水はしっかりしているようだ。ここで一晩明かす事は可能だろう。


 増水の危険はあれど、水も(ひら)けた場所もある。(…釣具がほしいな…)野営にはうってつけの様にも見えるが、先客は見当たらない。(ダンボール小屋みたいな施設は無し…)極めて治安が良いか、その逆なのだろう。


 藻や水草の生えた、(わず)かにゲオスミン臭を感じる水面(みなも)。(都市部下流域の水なんて、衛生的にろくでもないんだろうけど…)ただでさえ大都市の河川である。上流にも、人の営みや生態系があるはずだ。……幸いそこまで逼迫(ひっぱく)していない。飲料水にするのはやめておいたほうが良いだろう。


「危険な兆候は無さそうね」見回りを終えた東堂さんが()()ってくる。近い。「…そうね。類くんの矢避けの魔法は、夜間飛行の冷たい風も(ふせ)いでくれたのだし」


「きっと、テントの代わりもしてくれるのでしょう?だったら野営は、ここで十分」


 言われてみれば今回の飛行時、身体を凍えさせようとする相対的な強風を感じなかった。【ミサイルプロテクショ(飛翔体防護)ン】が風防となってくれたのだろう。――『精神力回復』による魔力回復は、かなりの水準だ。回復量が魔力消費を超えているし、維持に集中が必要な魔法でもない。ならば確かにテントの代わりになって、夜風からふたりの体温を守ってくれるはずだ。


「だったら、地面に奪われる体温の側を気にしましょう」そう言い、荷物を広げ始める。……彼女の背負い袋(バックパック)はパンパンだ。邪魔な金目のもの、食料袋などを引っ張り出して、奥に詰め込んだ防水布や毛布を取り出す。「類くんのも出して」


「はい」(…フギギギ…)無理に引っ張り出した防水布や毛布を渡すと、彼女は二重に敷き始めた。テキパキしている。(…無駄のない動きというのは、それだけで見入っちゃうな…)


 ……何も出来ずにただ眺めるだけの切田くんは、なんだか野営というよりも和気藹々(わきあいあい)とした河原キャンプの気分になってくる。(…ヤベ)皆が陽気に(いそが)しく立ち回る中、自分だけがポツンと身の置きどころのない河原キャンプだ。とてもつらい。(…いけない。僕もなにか手伝わねば)「僕は食器を用意します」


「…え?…ええ。おねがい」不思議そうに首をひねったが、気を取り直して食料袋から缶詰を取り出し、いろいろな角度で眺めて、また首をひねる。不思議。


 切田くんはスカスカになった背負い袋に手を突っ込んだ。ズボ。(…何のことはない。『マジックボルト』の結晶化を成形して、食器を作り出せばいい)光が漏れないよう蓋をして、『スキル』の力を凝縮させる。――結晶化。延伸形成。


 ()()()と手品みたいに取り出したるは、一本の透明な棒だ。


「『マジックはし』です」


「……マジックはし」東堂さんはオウム返しをする。


 正確な円柱を(かたど)った細長い棒だ。ちゃんと箸としては使えそうだが、食器というより工業用マテリアルである。


「……食器ね?」


「食器ですとも」


「……そうかも」


 怪訝(けげん)ながらも興味を持った彼女は、缶詰を両手に(つか)んだまま毛布に座り込み、隣をポスポスポスと叩く。


「はい」素直に腰掛ける。くっつかないよう遠慮したつもりだったが、向こうから寄ってきたので超近い。それに期待する顔でめっちゃ見られている。(『なにか面白いことやって!』の視線…!?)緊張する。(…無理ですぅ…)ボケスレイヤー地獄だ。


 合計四本の棒状マテリアルを()()()()()と用意してみせ、そして、次の食器を生成する。


「それと、『ガラスの皿』」


「スレートプレートね」


「…?」(スレ…なんて?)……ちょっとよくわからなかったので、切田くんは黙ってうなずいておいた。一見クールだ。


 丸盆状の薄い板だ。出来れば皿の凹凸をつけたかったが、残念ながら平面である。ちゃんと皿として使えそうだが、汁物には対応していない。(…なんだか【シールド()】の魔法に似ているな。咄嗟(とっさ)に出せれば強いんだろうけど…)思い出すのはプリーチャーの割れる防壁。生成スピードに差は有るが、ひょっとしたら原理は同じなのかもしれない。


 東堂さんは缶詰をひとりきり観察した後、(ふち)をつまんでメリリと開く。……きっとプルタブがあったのだろう。(…現代的だな〜)そして中身を見せてくれる。「魚の水煮ね」


 茹でた魚の身がみっちりつまっている。白く濁った汁は加工時に煮沸したものだろう。缶詰自体も非常に大きく、トマト缶より一回り大きいアメリカンサイズだ。とても食いでがありそうだ。


 スンスンと匂いを嗅ぎ、東堂さんが言う。「塩を取って」「はい」初回攻撃時にあえなくブロックされ、出番のなかった塩の小瓶が、満を持して日の目を見る時が来た。おめでとう塩の小瓶。……名誉挽回とばかりに魚缶へと襲いかかる。ドーンドーン。ワーワー。


 石を敷き詰め平たくした場所に缶を置き、【ヒート・ウェポン(武器灼熱)】で加熱する。もはや武器(ウェポン)でも何でもないが、出来てしまったものは仕方がない。


 煮立った所にチーズの欠片(かけら)が放り込まれる。きっと、今朝食べたベーコンピザパンの様に、上部にチーズの層が出来上がってピザ状になるに違いない。ピザ的なチーズはかっこいいチーズだ。


 ……みるみるうちにチーズの欠片(かけら)は小さくなって、溶けて消えてしまった。切田くんはなんだかしょんぼりする。


 平皿の上に魚を取り分け、食料袋から出したバゲットを『回復』させて割り、添える。フレッパーズ風キャンプ飯の完成だ。



 東堂さんが上品に手を合わせ、切田くんはさっそく箸をつけながら言う。


「いただきます」


「いただきま」


「帽子」


 覆面を外し、バゲットに魚を乗せてかぶりついてみる。(…美味いな。ちゃんと食える。異世界の缶詰も侮れない…)「意外においしいですね。これ」「そうね。うん、ちゃんと美味しい」


 ニシンのような独特の風味を持った白身魚だ。適度に塩味のある熱々の煮魚に、チーズの脂分と風味が効いている。臭み消しにもなっているのだろう。――ご飯が欲しいが、意外とパンにも良く合う。なかなか充実したキャンプ飯となった。


 (いま)だ熱を発する缶から煮魚をすくい上げながら、切田くんは思う。(これで、バゲットを(すべ)て食べきってしまったな。今日中に手頃な主食を手に入れないと。…ラノベでよくある保存用堅焼きパンとか、船乗りが食べる地獄のビスケットみたいなものが欲しい)歯が折れたり(うじ)が湧いたり。それでいいのだろうか。


 缶詰のある世界ならば、保存食も充実しているに違いない。(MREとか無いものかな?)『マジックボルト』を使えば魚や鳥、獣も狩れはするだろうが、切田くんたちは(さば)き方もろくに知らない素人なのだ。(魚ぐらいかな…)夜が明けたら加工品を買い込むのが良いだろう。



 ふたりが現在までに通ってきた経路だが、――王立研究所のある西部郊外、そこから南回りでグラシスの港湾地区へと向かい、海沿いに東部の漁業区を通り抜けて、……現在はやや北寄り、海へと流れ込む大型河川の河口付近に(とど)まっている。中央の王城を大きく迂回するルートだ。『敵』は王城を中心に活動しているはず。脱出経路はこのまま遠ざかる、北側へと抜けるルートが良いだろう。


 河の上流には、遠く山地が広がっていたはずだ。人目を忍んで(けわ)しい地形を踏破(とうは)せずとも、今日のように夜間飛行で空域を突破すれば、人目はばからず脱出するのは容易である。(…持ち味が生きたな…)


 山間部は野営に厳しい環境なのだろうが、テント代わりになる【ミサイルプロテクショ(飛翔体防護)ン】、さらに東堂さんの【プロテクション(防護)】は虫よけにもなる。キャンプギア魔法で野営力の強化は進んでいる。問題ない。


 眼前に広がる非飲料水の代わりに、水袋からワのつく飲み物を飲む。(…渋くて酸っぱい。…顔がしわしわするぅ…)相変わらずの味だ。(美味すぎると飲んじゃいますからね)明日はこれの補給も必要だろう。



 ◇



 食事を終えて、人心地がつく。切田くんは一旦陣地から追い出されてしまう。――毛布を二重に大きく敷き直し、端に寝そべった彼女は、……じっと見つめて、誘うように両手を広げた。


「……ん。来て」


(…あわわわわわわ…)なんだか(つや)の有る仕草だ。もちろん行くし、行くしかないが、急にそんなことを言われてもあたふたしてしまう。


 変に慌てる挙動を眺め、『聖女』は言い含めるように続ける。「状況がそうしろと言っているの。野営に一番必要なのは体温を保つことでしょう」少しのため息。「…あのね、類くん。いくら私だって、この状況で()()()しようだなんて思っていないから。類くんにとっては残念かもしれないけれど」


「残念です」残念である。切田くんは落胆した。


 口をつぐんだ東堂さんが、頬を染めて眉を釣りあげる。


「…慌てるのか口説(くど)くのか、どっちかにして」


 口説(くど)いたつもりなどなかったが、余計なことを言うべきではないだろう。――両腕を広げたまま、透明な声が語りかけてくる。


「今はとにかく、冷えて体を壊さないこと。『生命力回復』で傷は治せても、病気や消耗(しょうもう)を治す力があるとは言い切れない。……類くん。状況も私も、これが良いって言っているの」


「……腕が疲れるから早くして」急かされてしまった。「はい」覚悟を決めておずおずと座り込み、……そして、遠慮がちに倒れ込んでみる。


 すると、彼女の片腕の上、「…フフ…」満足そうにグイグイと(……んんー?)抱き枕みたいに引き寄せられてしまう。


(…あったかい…)ふたりとも、厚く着込んで()()()()している。奥の体温は感じるし、もちろん気分は良いのだが、とにかく何だか緊張する。――()()()と締め付ける圧力。服越しのやわらかな箇所(かしょ)が、密着を通してはっきりと主張している。


 間近にて覗き込む、少し年上の美少女。周囲(すべ)てを吸い込む引力を持った、望まぬ傾国美貌の主。――長い睫毛(まつげ)の陰に(ひそ)む、親密な視線。


 固まる彼の首元に、顔を近づけてスンスンとする。「…少し、汗臭いね」


 グサッ。「…す、すみま」「?いいけど」やんわりと切られる。……心なしか、以前より濃く感じる良い香り。そこには汗の気配も強いが、そんなもの男の情欲を掻き立てるだけである。(…これ以上はダメ、ダメッ…!)ただでさえ『スキル』で無理に抑え込んでいるのだ。切田くんの『精神力回復』が、ギシギシと(きし)みを上げている。


 彼女は静かに目を閉じ、朗々(ろうろう)と詠唱を始めた。



「『世にあまねく聖なるものよ、(よど)みを(はら)う清浄さよ』」


「『ここに清らかなる風となり、水となり、光となり、力となりて満ち(あふ)れ、我等に()もりし(けが)れを(はら)う、永遠(とわ)にたゆとう(めぐ)りとなれ』。【ピュリフィケーション・サンク(浄化聖域)チュアリ】」



 穏やかな風が巻き起こり、澄んだ空気が力場内を埋め尽くした。美しくも細やかな光が、スノードームみたいに(あた)りに満ちて、二人の身体を(いたわ)る様にゆったりと(めぐ)る。(……綺麗だな……)荷物や体を通り抜けながら、光の粒子は静やかに消えていく。


 スンスンと顔を近づけた東堂さんが、ジトッとした目で微笑んだ。「ほら、良い匂い」


 切田くんは恥じ入って、(あなたのほうが良い匂いですよ!)と逆ギレしたくなった。しかしながら、彼女の(まと)う空気、……真剣さと緊張、触れ合う距離でじっと覗き込む、流麗で高い印象値を持つ美少女の放つ、――高い熱が入り混じった()()()()()()に、切田くんは(すく)む。


 目を()らせない雰囲気の中、彼女は言った。




「類くん。キスしたことある?」




(……ぐうっ…!?)予感は預言へと姿を変える。これから確実に起こるであろう()()()への期待と後ろめたさに、思わずしどろもどろになった。「あ、ありませんけど」声がうわずる。


「私もない」接触距離で覗き込み、東堂さんはこともなげに言った。「じゃあ、しましょう」


「え」


「キスをしましょう」神託の如き宣告に、今、預言は成就されようとしている。切田くんの脳内は、とにかく真っ白になってぐるぐる回る。まるでバットを(ひたい)に当てて三拾回転(さんじゅっかいてん)だ。


「…あの、(はがね)さん…」裏返って()(よど)む様子に、……いつかの台本を読み上げる様な、淡々とした口調が問いかける。


「変なことではないでしょう?今までの道筋の、証明としてのキス。…嫌?」


「嫌なわけないですよ。でも…」「待って」煮えきらない彼の機先を制し、()(つの)った。「言いたいこと、何となくわかるよ。…でもね、類くん」


()()、どうでもいい。そんなのはどうでも良いことなの」


 ()るがぬ断言に、(……そ、そんなことは)細々と反論する。「…どうでも良くはありませんよ。(はがね)さんの今の気持ちには、間違いなく『スキル』の力が働いているはずです。インチキ要素です」


「もっと名前を呼んで」「…うぇ?…」突然の内角球。()()りそう。「は、(はがね)さん?」目の前の綺麗な造形が、()()()…となる。心の中がシェイクされる。(…炭酸抜きコーラになるぅ…)


「…そ、そういうの、(はがね)さんは嫌じゃないんですか?」切田くんの持つ『精神力回復』は、恒常の力となって今も彼女の中へと流れ込んでいる。……頭の回らぬ咄嗟(とっさ)のことで、ずるい聞き方になってしまった。唇を噛む。


 歌い上げる様な、透明な声が答えた。「悪意や欲望ではないんでしょう?類くんはずっと、私を助けてくれている。()()()()()としてくれている」


()()()()わかるよ?……他の誰にも伝わらなくても、……()()()()は、ちゃんと伝わってる」



「――だからそれは、ただの切っ掛け」



 彼女は、真剣な瞳で、言い含めるように続ける。



「あれからずっと、きみと私の()()()(つむ)がれているの。…だからこれは、(つむ)がれた糸が膨らんだだけのこと…」


 ふたりの顔が、徐々に近づく。「……つまり、『ガタガタうるさい』」「え、すみま」「……フフ……」熱を持って覗き込む、そこにいるだけで人を緊張させる流麗なる美貌が、今、甘苦しい欲を(ふく)んで、自身と深く触れ合おうとしている。


(……)切田くんは硬直したまま、なすがままに、ほんの少しだけ唇を開いた。



 (ひたい)がコツンと当たった。


 照れくさそうに彼女は()()()()、しどろもどろに言う。「あのね、その、…類くん。こういうの、ほんとはね?」


「……その、キスだとか、男性とのこういった事。……以前は、良い事だなんてとても思えなかったの。……『気持ちが悪い』って……」しおらしき懺悔(ざんげ)の告白。切田くんはキス的な行為に幻想のあるほうだったので、黙って聞く。


「それにね、こうも思ってた。本当に頼れる人なんていない。だから私は、ひとりで良いって」



「……でもね。私、知っちゃった……」(ひたい)が離れ、唇が近づく。



 ふたりの鼓動が高まる。



「教えてくれたのは、類くんだよ」



 あっけなく()しつけられる、柔らかくて()()()()した感触。素肌の感触とは()()違う、わずかに開いた隙間より感じる吐息。……ほんの少しの、アルコールの臭い。


 もう一度、離れた唇が()しつけられる。――下唇を(ついば)まれた。


 軽く引っ張られ、離れる。……上気した顔が、そのまま間近に(とど)まっている。



 熱に浮かされた彼女は、(うわ)ずった声で(つぶや)いた。



「……許し合ってる感じがする」




『嘘つき』




 ――刹那の思考が牢獄の如く取り囲み、頭の中が真っ白に感光する。ストロボライトの焼き付き越しに、閃光パルスが(またた)いて、スライドショーが物凄い勢いで加速する。……(まわ)る。(まわ)る。




「嘘をつくなよ、切田類」


『みんな嘘ばっかり!』


「ニセモノが」


『インチキをしたな』


「ビビリのくせに」


『調子に乗るなよガキが』


「良いわけ無いだろ」


『釣り合ってないよ』


「ご都合主義」


『また、騙したのか』


「催眠チートが」


『見ろぉっ!このザマを!』


「もう、引き返せない」


『ずっと苦しむことになるわ』




「…類くん?」




 ……怪訝(けげん)そうな、臆した様な。心配そうな声。――『精神力回復』が、嫌な(きし)みを上げている。


 切田くんは、歯車で作られた機械のように()()()()()と動き、目の前の人影を抱きしめた。


「…あ…」陶然(とうぜん)と、その声の甘さに恥じ入って、彼女は真っ赤になってうつむく。そして穏やかな顔で、嬉しそうに微笑んだ。




 ……心が冷たく、固くなっているのが分かる。

 ゲシュタルト崩壊を起こした様に、光景や行為が意味を失っている。




 安心して拘束を緩めた東堂さんが、硬化した胸を()()()()とさする。「謝らないといけないことが、ひとつあるの。聞いてくれる?」


 深刻な気配はない。切田くんは返答する機械となって、気軽な(てい)で答える。「なんです?」


「憶えてる?私があの子と言い争ったとき。黒衣の勇者から逃げてきて、大広間で」(『猫目』さんとバチバチにやりあったときの話?)


「……『生命力回復』の力を、当てにしないでって言ったこと。……信じることの出来ないものに、必死に祈らなくてはいけないからって」


(言った。確かにそう言っていた。……ごもっともな話だ。東堂さんの『生命力回復』は、そこにあるだけで心強いんだから。頼りすぎて負担をかけないようにしないとな)


「あれ、嘘」


(……んぇ?)切田くんは困惑した。(……どういう意味(みーん)?)固まった意識がねじねじする。(ツイスト意識だ!)空気を読まずに突っ込みたい。……突然の告解。言葉の意味が、まるで脳内に入ってこない。


 抱き合ったままの、腕の中の彼女は動かない。――触れているのに、触れてはいけない。そんな(おそ)れを(ともな)った空気が、……腕の中にある温度が、(うやうや)しくも高価な人形であるかの様に錯覚(さっかく)させる。


 余韻を()()す、奇妙で不吉な雰囲気。毛布を通してなお伝わる、冷えきった地面の感触と温度。


「…何ですって?」


「出来て当然だって思ってる。『私には出来る』って信じているし、類くんに頼りにして欲しいとも思ってる」滔々(とうとう)と歌う彼女は、重ねて()()()()()()を言い出した。「――それに、(るい)くんが喜ぶかと思って」


(…弱音を吐いた事が?)「…(はがね)さんが僕に、弱々しい所を見せることがですか?」


「いいえ」重みが離れ、()()()、覗き込まれる。……深淵の双眸(そうぼう)。曇天の橋の下、(うつ)ろを宿して(あで)やかに笑う、――月蝕みたいに空虚(からっぽ)な、透明な美貌。




「……そんな嘘をついて(わら)う、私を見て」




「ずっと見てるよ?切田類(きるた るい)くん」


「類くんは、私のそういう、ちょっと、黒いところが好き」


 ――(からだ)が強く(から)みついた。(つや)やかで、しっとりとした(くちびる)が、――地を這う蛇の舌みたいに、耳の穴に直接(ささや)きかけてくる。




「…私も好き…」




 ……(ささや)きが、鼓膜を通って脳幹を揺らす。


「私が嘘の猫を(かぶ)っても」


「……あなただけには、そっと、教えてあげるね?」


 顔を上げて、じっとりと笑いかけられる。「私を選んでくれたこと、後悔なんてさせないから」


「おやすみ、類くん」


「…え、ええ。おやすみ、(はがね)さん」切田くんもねじねじしたまま、固く、笑い返した。


 二人の毛布が折りたたまれ、寝袋状になる。


 ()()()()、グイと抱き寄せられて、……もぞもぞと、収まりの良い位置を(さぐ)っている。



 ――彼女の固く、深い吐息は、しばらくすると、静かで浅い寝息へと変わった。



 切田くんは身を固くしたまま、ふたりを取り巻く夜の向こうをじっと見つめていた。――体中(からだじゅう)(ひど)く混乱している。…ぐるぐる、…ぐるぐると、意識が回っている。


 まるで、異世界に迷い込んでしまったみたいだった。



(……ここは、どこだ……?)



 やがて、答えのなさに辟易(へきえき)し、『弱くて飛ばないマジックボルト』を消滅させて、……暗闇の中。すべてを振り払うように目をつぶった。



 遠くで白いフクロウが、強く鋭い羽音を立て、飛んだ。

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[一言] スキルが軋む…高嶺の花と認識してて尚且つ男として肉体労働も出来ない…吊り合うのはスキルだけ…?うーん違う気がする。ただパッシブ系のスキル、特に精神系のはオーバーフローする可能性があるのかな……
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