囚われの『聖女』
「ヒャハハハハ！！弱い弱い弱い！弱いぞ女ァッ！！」トガリ隊長は、同調と共感を持って心の底から我に追従せよと、周囲に強く一言要求した。
「……笑えぇぃ！！！」
ドウと巻き起こる爆笑が冷や水となって、硬直する戦場を埋める。聳え立つのは勝利の鉄量。すえた腐臭を暴虐に彩る、重層の権威織りなす悪意のモザイク。弱者を斜に見る優越と、――腹の底よりブクブク溢れ出る、今日も楽しい加虐の愉悦。
……研究所正門前。『聖女』の進撃は、ついに止まった。
「ふぅん。敵わぬ暴力をその身に刻む事こそが、公序良俗に求められる社会性と言うものなのだろぉ？いやぁ良かったぁ。今日はひとつ成長出来たなぁ〜。やっぱりしつけは大事だぁ」やはり暴力。暴力は全てを解決する。
「ヒャハハ。これで貴様は籠の鳥だなぁ。無駄吠えのうるさい魔獣兵器の躾に使う、超弾性ウィップなんだよ！」衛兵隊駐屯部隊長、トガリ隊長が、彼女の様子をせせら笑う。
あられもない格好の『聖女』が、片腕を鞭で拘束されていた。
鞭は金属とも革ともつかない材質で出来ており、渾身の『聖女』が引きちぎろうにも、しなやかに伸びてちぎれることはない。
怒りと狂気に歪んでなお美しい風貌は、今は焦りの影を湛えている。……躍動を潜めたその姿は、どこか扇情的だ。
血塗れブレザーの袖はボロボロで、抵抗に揺れるスカートの陰、スラリとした黒いストッキングは残骸の様になり、吸い込まれそうな生の素肌が露出している。……不思議なことに、その白くなめらかな柔肌には、戦闘の傷らしきものはまったくない。
そして彼女は今、ニヤニヤ笑う兵士たちの壁によって、完全に包囲されていた。
特殊な方盾を掲げる兵士たちが幾つもの壁を作り、遠巻きに取り囲んでいる。――分厚い金属隔壁をへし折った『聖女』の力でも、眼前を隔つ練度の高い盾壁は、今も突破出来ないでいた。……その足は、完全に止められている。
強襲を仕掛けた側が受けに回る。それはほとんどの場合、敗北を意味する。
空を切り、もう一条の超弾性ウィップが飛んでくる。唸る『聖女』は打ち払おうと、豪と大気を裂くほど腕を振った。……しかし、鞭は空中で複雑に動き、同様に細腕を絡め取ってしまった。
唸り声を上げ、彼女はもがく。その様子は、両腕を捕まれいやいやをしている少女にしか見えなかった。
「避け方が上手だなぁ〜。そうやって、やる事なす事凡庸だから、既定の罠にもずっぽしハマるんだよ。普段の生活だってそうだろ？」パシパシと剣をもてあそび、トガリ隊長は得意げにのたまう。
「どうしたぁ？……ほ〜ら、みんなが見ているぞぉ？良い子のみんなは、不出来で駄目な子をからかう遊びが大好きだもんなぁ。……なぁ貴様らっ！！」『はい、隊長！！』奇麗に声が出揃った。「ヨォ〜シ……」
「まあ折角だ。今日はわざわざ遠くからありがとう。お前の敗因を詳しく教えてやろう」
「我が国の戦闘教義である召喚勇者ドクトリンとはなぁ、召喚勇者の性能運用だけでなく、我々自身が他国の勇者を圧倒するということなんだよ。よって、高価な魔獣兵器である勇者を潰す演習は、日々練り上げられておるのだ。…まあつまり？教本があるんだよ」
「まさかそれを自国の勇者に使う事になるとはなぁ〜？」必死に足掻く少女をジロジロ眺め、涎を垂らさんばかりに嗤う。「ハハッ…悔しいかぁ？化け物女ぁ〜」
「残念っ！これからのお前は、死ぬまでずうっと、悔しいまんまで過ごすんだよぉ〜。…分かってたろ？」
「正しく社会に参加出来るんだ。喜んでいいんだぞ？……ゆっくりといたぶって、ご奉仕奴隷になるまで調教しつくしてやる。【ショック】を使えっ！！」
鞭を持った魔術兵が、短い呪文を唱える。……鞭を放電が走った。
『ギャッ！！』衝撃に苦悶の悲鳴を上げて、『聖女』は思わず膝をついた。電撃が筋肉を引き攣らせ、電熱がその経路を焼く。
「…這いつくばってぇー？」放電は両側から交互に襲いかかる。細みの躰が、ビクン、ビクンと激しく痙攣する。……彼女は耐えきれずに、その場で四つん這いになってしまった。「立場をわきまえろ、メス犬気取りがっ！！」
無様に這いつくばってしまった『聖女』を見下ろし、せせら笑いのトガリはキャッキャとはしゃいだ。「ヒャハハハ！どういう艶本だぁ？…いいねぇ〜。実にそそる光景だなぁオイ。社会教育も真っ青だぁ」実に楽しそうだ。
「…しかしなんだ、ギャアはないだろギャアは。もう少し色っぽく鳴いてくれんもんかなぁ。それが電撃刑の良いところってもんだろう。……なあ、貴様ら！？」馬鹿笑いがドッと響く。よく訓練された嘲笑。
それを拝する少女の体からは、電熱による白い煙が上がっている。体内が焼かれているのだ。
荒い息をつき、立ち上がろうともがく。ギラギラした獣の瞳が憎しみに歪む。歯を食いしめて片膝を立てるも、襲い来る【ショック】にまた、崩れる。……新たな馬鹿笑いが響いた。
ギリ、と歯を軋ませて、それでも『聖女』はもがき、足掻いた。
「……あぁ、……いいなぁ……」
掠れ声でうっとりと眺め、トガリ隊長はヘラヘラ周囲を煽り立てる。「そら見ろっ！再生型、『聖女』であるならば治癒型『スキル』か？すごいパワーじゃないか…」
「……よぉぉし、待たせたなぁ。良い子、良い子だ……」粘つく眼光ギラつかせ、胸より湧き出る甲高き衝動に猛り、吠えた。
「調教再開だっ！……再生切れまで、続けろぉっ！！！」
◇
ゴウ、と空気が震えた。
空を穿き飛来した光の球が、取り囲む盾兵士の一人にブチ当たった。――水音混じりの破裂音。背部装甲ごと勢いのままに爆散し、血と破片とエネルギーを撒き散らして、即死した身体がもんどり打って地面を跳ねる。
「…狙撃だっ！！」衝撃と動揺に、姿勢を低くし盾を並べる。狙撃どころかこれでは砲撃だ。……ゆらりと『聖女』が立ち上がるのを見て、魔術兵たちは慌てて鞭を引き絞った。「クソッタレっっ！！」状況不利。トガリ隊長が鋭く叫んだ。「魔術兵っ！どこからだ！」
「あそこです！距離１００！射程外からの強化【マジックボルト】。…手練です！」
「外部の手引きだとぉ！？」遠い建物の陰に垣間見える、白ローブ姿。――敵の魔術師が短いタクトを構えている。その頭部は奇妙な被り物によって覆われ、隠されている。
覆面の魔術師。奴が狙撃手だ。
◇
（…いぇーい…）ピースピース。食料の麻袋を脇に置き、建物の陰よりシャープペンシルを構える。（…危なそうだったし、とりあえず仕掛けては見たけれども。…行けるか？これ…）
（宰相さんの頭を吹き飛ばした時、力が籠もってしまった。そうしたら威力が上がったのだから、こういう事も出来るよな。砲弾の『マジックボルト』だ）
切田くんの攻撃スキル『マジックボルト』によって発射される光弾は、敵の魔術兵が使った【マジックボルト】と同等のものだ。その威力は拳銃弾程度で、人体を木っ端微塵に破壊する力はない。
だが、練度の高い魔術師は術式を改変し、魔力を込めて威力を高めたりする事が出来る。――同様に、力を溜めて撃つ感覚で出力を上げ、通常弾を遥かに超える威力と射程が実現できていた。
そして『マジックボルト』は目視できる標的に対し、狙いを外すことがない。
（…踏みつけ奴らが集まって、女の子を捕まえてゲヘゲへしてたんだから。そりゃ、背中から撃たれたって仕方ないって事でしょ…）ふむぅとなる。（…取り囲んで電気ビリビリ攻撃とか、特に良くないよな。エッチじゃんってなるし）
時刻は昼前。人通りは少ないものの、遠巻きにする野次馬がチラホラ見える。幾人かは、おっかなびっくりこちらを見ているようだ。
「こんにちわー」覆面少年の挨拶に、ビクビクしながらも怪訝な顔を向けてくる。顔を見合わせ、ニヤニヤ笑うものもいる。
（…何なんだ、この人たち。…非戦闘員、民間人ではあるんだろうけど…）眉根を寄せた切田くんは、試しにシャープペンシルを向けてみた。（サッ）
「ひっ」
「いやあああ！」
野次馬たちは、一目散に逃げ出した。
◇
「この程度の横槍で逃がすものかよっ！！強化弾とて【マジックボルト】程度、最新の抗魔コーティングを施された盾は抜けん！！二番三番、防御陣形で詰めろっ！抜かるなよ！！」「了解！」
気炎を吐く鋭い指示に、「ゴーゴーゴーッ！」小隊がふたつ、即座に狙撃方向へと走った。跳ね上がる戦場のボルテージ。……遠方より閃光。光の砲弾が空を穿ち、ゴウと飛来した。
「きたぞー！」高速で飛来した光球弾が、唸りを上げて兵士の間をすり抜ける。
――それは『聖女』の手元で鞭をえぐり、切り飛ばした。
「…あっ」誰かが間抜けな声を上げた。
盾の壁はもうない。『聖女』は怒りの形相で、もうひとりの鞭使いへと躍りかかった。
『ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ！！』
「うわああああああ！！」打撃を頭に受けた魔術兵は、スプリングのようにボヨヨンと跳ね、不自然に折り曲がった状態で地に伏せる。
「なんでそうなるっ！！」トガリ隊長が毒づく。「…ああ、くそっ…！」
そのまま『聖女』は鞭を振りほどき、狙撃手の側へと駆け出していく。途中で盾持ちの兵士にタックルして吹き飛ばし（「うわあああっ！？」）、激しく地面にバウンドさせて、……そして彼女は、常人には追いつけない速度で駆けていった。
「…追うな！」トガリ隊長は部下を制す。「ここまでだ」
「隊長っ！！あのアマっ子はあいつらの仇なんですよ！？目の前で仲間を殺されてっ！！黙って…」
「落ち着けぇいっ！！！」据わった目で、歯向かう兵士へと詰める。
「……俺達の任務の範疇では、追えんだろうがよ。分かるだろ？」
「ひっ！…はい！！」
任務より情を優先する。そんな些事よりも、軍においては上官に歯向かう行動そのものが問題である。――権威の乱れによる命令系統の乱れは、部隊全員の命に直結する。
……などと、尤もらしいお題目を掲げることもできるが、まあ要は下っ端が言うことを聞かないとムカつくし殺したくなるからだ。指揮側に無駄にストレスを掛けないでほしい。トガリは部下の怯える様子に、一旦溜飲を下げる。
横槍をくれた覆面魔術師の元へと、『聖女』が駆け寄っていくのが見える。……不本意ではあるが、奴の手出しは完全なる不意打ちであった。仕方のない面も大きい。「…かけがえなき、正義のための犠牲である。仇討ちの機会は必ず作ってやる！今は耐えろっ！！」
「くうっ…」お題目に感じ入り、悔しげに顔を伏せる部下を尻目に、トガリ隊長は不敵な顔で口角を釣り上げた。
（ふん、今はせいぜい逃がしてやるさ。…だがこの事は決して、我が身を立てる汚点とするものか。これだけの被害を出した相手だぞ？捕縛の手柄でお釣りが出るわ）
（第一そんな目立つ風体で、逃げ切れるものかよ。追い込んで、追い詰めて、かならず見つけ出して…）
（…ヒヒッ…）脳裏に映るのは、――あの躍動する美獣を追い詰め、慄かせて、思うがままに嬲る光景。一度は上手くいっているのだ。邪魔なゴミがひとつ増えたところでどうという事はない。
身震いするほどに天を仰ぎ、トガリ隊長は息を荒げてうっとりとほくそ笑んだ。
（あぁー…あぁー！…実に良いわ化け物女ァ！！…ヒャハ！）
その時。遠目に見える『聖女』が覆面へと飛びかかり、うち伏せた。
覆面の魔術師は吹き飛んで倒れた。
「…あ？」
トガリ隊長は妄想から引き戻され、目を疑った。
「えっ？」
「なんだ？」兵士たちも目を疑い、どよめいた。
◇
（追って来ない？深追いを嫌った？…野犬らしく、涎垂らして噛みに来てくれれば都合が良いものを…）
（……ここまでだな。終了）追撃の動きは無い。切田くんは建物の影に隠れたまま、シャープペンシルを下ろして肩の力を抜く。即日閉店店じまいだ。（ホタルライツ！）J-POP調だ。
（ぶっつけ本番でも上手くいってくれた。『せっかく救える力があるのに誰も救えませんでした』なんて、恥ずかしいを通り越してトラウマレベルなんだよなあ…）
（さて、彼女と合流したら、すぐに逃げないと…）足を止める兵士たちを眺めるうちに、ギラリ、と昏い感情がよぎる。……目の前にいる奴らは、自分たちを拉致した組織の一員であり、『聖女』を思うがままにいたぶって喜んでいた、明確な敵である。
とはいえ此処で足止めを食らっては、射撃魔法を使う杖持ちや、同様の能力使いが増援に来る可能性が高い。（…キリが無いよな…）敵の余力は膨大。逃げるのならば、今しかないだろう。（そうだよ。逃げることがカッコ悪いだの、どうにもならないだの。言いたがる人たちに見せてやりたいよ。……死んじゃうだろ、逃げないと）
（気分で奴らをどうこうしている暇なんてない。今はとにかく距離をとって身を隠さないと）辺りを見回す。現在地は都市部郊外。寂れた風景が広がっている。
雑木林、畑や建物。少ない人通り。ここの研究施設が目立つ程度の閑静な街外れの風景だ。街を囲う城壁などは存在しない。近代的な作りの都市であると感じる。
おそらくこの世界には、銃砲火器、飛行機、あるいはそれに類する魔法があるのだろう（少なくともエネルギーの銃砲弾は広まっている。…電気もだ）。あるいは別の、何か街を囲ってはいけない理由があるのかもしれない。
そう思うと『マジックボルト』だけでは少し頼りない。そう感じた。（紛争地帯に投げ込まれて、銃を持っているだけマシと思わなきゃな）
（……さあ、逃げると決めたら全力だ）決意と共にすっくと前を向く。シャープペンシルをしまい、食料入りの麻袋を拾い上げる。
そして、どうやら無事に『聖女』は逃げ延びて、切田くんのほうへと駆け寄って来ている。（あれ？）
（……いや、違う？）
『聖女』は殺気をみなぎらせていた。獣の眼光がギラギラと獲物を捉え、豪と大気を引き裂き散らして、――常人にはなし得ぬ速度で突進してきた。
（な、なにかマズイっ！？）切田くんは焦って覆面を剥ぎ取り、叫んだ。「待ってください！僕です！牢屋で隣の…」
『ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ！！』
叫びを掻き消す程に吠え猛りながら、『聖女』は飛びかかってきた。切田くんは落ち着いて答えた。
「ですよねー」
躍動する鉄槌が、大気を引き裂き斧か鉈のように振り下ろされた。――その一撃はメキメキと、切田くんの鎖骨ごと肋骨を砕いた。
「あがぼっ…！！」爆発的な衝撃。身を引き裂かれる激痛。体内でパクンと、なにかが破裂した感覚があった。
――激突。中空。そのまま轢き飛ばされ、地面にぶち当たってもみくちゃに何度も跳ねる。
脳が揺れ、意識が遠く曖昧だ。ぐらぐらと焦点が合わない。
もはやどこかもわからぬほどに、全身が痛む。
呼吸が苦しくなり、腹腔の中に何か溜まっていくのを感じる。（あっ、終わった）
ヒュー、ヒューという呼吸音が、他人事のように聞こえる。……やがてゴボゴボと、血の泡が、呼吸の気道を塞いだ。
薄れゆく意識の中、切田くんは思った。
（残念。僕の冒険は、ここで終わってしまった）
（……えっ……終わり？……ここで……？）
（…えっ…マジか？……いや、待って…？待っ……）
◇
「……なんだってんだ、くそっ」暴力がすべてを解決した。
「……んん！まあ、敵も一枚岩ではないということだな！」
トガリ隊長は気まずそうに咳払いをする。……なぜ、敵の勝手で自分がこんな思いをしなくてはならないのか。激しい苛立ちが胸をかき乱す。腹の奥底で、強い怒りを抑え込む。
「さすがはトガリ隊長ですな」部下が追従した。
……憤怒が吹き出した。
「……今！！俺を馬鹿にしたか貴様ァ！！！」
「い、いえ！すいません！」
倒れた覆面の魔術師の身体を、『聖女』がひっつかんで走り去るのが見える。……奴の持ち物でも奪う気なのか、それとも。
「…まあ良い。任務の縛りがあるのなら、お偉方に許可を出させてから追えばいい！」トガリ隊長は姿勢を正して喚き散らし、部下たちへと檄を飛ばした。
「そこで存分に、我らが一致団結の力を見せてやれ！！…俺達の力を合わせて！！好き放題にっ！！…嬲り殺しにしてやるぞっ！！！」
「『応！』」
兵士たちも一斉に、答礼を揃えた。
