切田くん、召喚される②
スイッチが音を立てて切り替わる感覚。カリカリと脳内で何かが噛み合い、廻る。沸き立つ血液の熱さと、冷たい怖気が入り交じる。
翻弄する潮流の只中で、自分には、すでに新しい力が宿っていることを、切田くんはふと理解する。(そうか、僕には『三つも』不思議な力が宿っているのか?)
知識の流れが体を駆け巡る。いまや切田くんは、力の使い方を完全に理解できていた。(この力が目的か。この力を宿らせるために僕たちは拉致され、改造されて、今、檻に並べて値踏みをされているんだ)
(…ペットショップの犬猫のように)
宿った力のひとつは『異世界言語』。異界の言葉を理解し、話すことが出来る力らしい。彼らの言葉が日本語に聞こえるのは、これのおかげだろう。――心の底からホッとして、大きく息を吐く。(これが無ければ間違いなく、何も出来ずに棒立ちで終わっていた。…今は、感謝しておきますよ)
ふたつめは『精神力回復』。
(これだ。この力が、僕への洗脳を打ち消したんだ。先程から感じる奇妙な落ち着きもだ。動揺や混乱を回復し、消してしまったんだろう)
精神力の損耗や状態異常を回復し、平静へと寄せる力。(…便利すぎィ!)他にも精神の力と密接に繋がる、『魔力』と呼ばれる内在エネルギーを回復させる力があるらしい。(…魔法ください)……本来ならば、そちらの効果が主眼となるものだったのだろうが、今はまったく重要ではない。(……魔法……)
そしてこの『精神力回復』は、体を通して他人にも効果を与えることが出来る。
(ならば、チャンスを見て『勇者』くんと『聖女』さんの精神を回復し、洗脳を打ち消すことが出来るかもしれない。この力ならばふたりを助けられる)
そして最後の、第三の力。
切田くんは何の高揚も抵抗もなく、これからなすべきことを思う。
そして鉄格子の向こうの人々を、なにかモノを見る目で眺めた。
(…背水の陣なんてのは、頭のおかしい指揮官が、逆らえない兵士を追い立ててやらせるものだろ。…兵士とは、必ず逃げ出すものであり、自陣においては決して逃さぬ様に扱わねばならない。だったかな?へーホー。…まあ、僕は死にたくなどないので、まずは脱出路を確保する…)
(だから、今は辛抱する。この鉄格子が開くのを待つんだ。…洗脳が解けている事は気づかれていない。いずれ必ず、移送のために鉄格子を開けるはず)
(この第三の力ならば)
(…きっと彼らを皆殺しに出来る)
切田くんの内心を、昏い想いが渦巻いている。
(殺ったところで鉄格子があっては逃げられない。気取られないよう、息を潜めてチャンスを待つんだ…)
(……そら、紛れはあっただろ。必ず、脱出の機会は作れるはずだ……)
◇
闇の訪れを待つ切田くんは、その時ふと気づく。……今、この場で異変が起こりつつある。ふたつ横にいる『聖女』の様子がおかしい。
彼女の微かだったうめき声が、徐々に大きく、……どんどん、どんどん膨れ上がっていく。――やがてそれは、凄まじい叫び声へと変わった。
『ぁあああああああ』
広い部屋の中に彼女の叫びが満ちる。
『ああああああああああああああああああ』
あふれる。
『あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!』
そして飽和した。
――絶叫が部屋中を轟々、轟々と反響する。壁が共振してビリビリ震えている。
『聖女』と呼ばれた彼女の整った顔が、今は、酷く醜く歪んでいた。細身の全身に衝動が漲り、憎しみの波動を揺らめかせている。――可憐な唇を伝って、よだれがポタポタと落ちる。
太った男が「ひゃぁ!」と、小さな悲鳴を上げて身を縮めた。白い老人も厳しい顔で一歩下がった。両側兵士が剣を抜き、前に出て老人をかばう。他の兵士たちも武器を構えた。
切田くんも驚きのあまり、その場で身をすくませる。
怒れる『聖女』はギラついた、獣の様な眼光で周囲を睨みつける。――放たれる圧力。
そして即座に踵を返し、瞬時にその躰を跳躍、躍動させた。
豪と空気を引き裂いて、背面にて引き絞った躰を解き放ち、しなった両碗をおもいきり壁に叩きつけた。
『うわああああああああああああああああああああああああああああああっ!!』
轟音。
破砕音。
壁が大きくへこんだ。
部屋中が大きく振動する。音を立てて跳ね回る破片。――分厚い壁はその一撃に、丸く大きく刳られていた。
反動で跳ね返り着地した『聖女』は、ドンと激しく床を震わせて踏み込み、更に強弓の如く躰を引き絞る。……足元のローファーがギュギュと嫌な音を立て、靴底から白煙が上がる。
そして絶叫と共に、振りかぶった右腕をハンマーにして叩きつけた。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!』
通った。
轟音。壁が裏側へと爆発した。――分厚い壁の向こう側は通路だ。崩壊にぶち撒けられた大小の破片に混じり、勢いのままに『聖女』の躰が飛び込んでいく。
『アアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ…』
『聖女』の雄叫びが遠ざかる。
大きく開いた穴の向こうから聞こえてくる、たくさんの悲鳴と破砕音。――そして、何かが潰れるような音が、かすかに聞こえた。
「……わお」切田くんは硬直したまま、呆然とつぶやいた。
◇
誰もがあっけにとられていた。
いち早く立ち直った老人が、眼光鋭く指示を出す。「何をしている、追えっ!手配しろ!」泡を食った兵士の一人が「はっ!」と鋭く答え、背後のドアへと向かうのが見えた。
「あっ」――切田くんはその時、自分が重要な分岐点に立っていることを自覚した。
(彼を行かせれば、もう僕には手がつけられなくなる。…そうなればこの事態は収束し、僕らも彼女も結局の所、彼らのいいように扱われてしまうことになる)
(つまり、ここが阻止限界点だ)
(駄目だ。行かせてはいけない)
(……)
(彼を殺さなくては)扉に向かう兵士へと、機械的に右手のシャープペンシルを向けた。
切田くんは、その身に刻み込まれし第三の力、『マジックボルト』を発動した。――ペン先から光がほとばしり、兵士の頚椎へと吸い込まれる。
そのままの勢いで光条は貫通し、頑丈そうな扉にコツンと小さな穴を開けた。……兵士は、糸が切れた様に崩れ落ちる。
光景を見て、静かに思った。(段取りは狂ったけど…)
(…脱出するならばどうせ、目撃者は殺すしかないんだよ。…仕掛けてきたのはあなたがたの方だ。悪く思わないでくださいね)
(…次っ!)そして、次の撃つべき対象へとペン先を向ける。
◇
「……う、撃ってきたぞぉっ!!」檻の向こうは一気に騒然とした。「【ブレインウォッシュ】が効いていない!!」「誰のミスだあっ!経路調べろ!!」「閣下を守れ!閣下を!はやく!!」慌てふためくローブ姿。必死に老人へと駆け寄る兵士。
「ひいぃ…」とへたり込む太った男を一瞥し、老人が鋭く叫んだ。「魔術兵、撃ち殺せ!」
「…はっ!!」杖持ちの兵士たちが焦点を向け、小声で何かをつぶやき始める。
(…向こうも撃ってくる気だな。攻撃手段持ちを先に殺せれば、こっちだってずっと楽になるんだ!)
(遅い!!)ペン先から『マジックボルト』を放った。目にも留まらぬ速さで光条がほとばしり、――それは、魔術兵の眉間の前、見えない壁に当たって、弾けた。
(……あれ?)
魔術兵がニヤァと、歪んだ笑みを浮かべた。『こいつ、わざわざ異世界から呼ばれた勇者様のくせに、そんな事も知らないのか』。そんな顔だった。……無力を認める弱者に、加害者が向ける様な、そんな嫌な、嫌な笑みだ。
そして三人の魔術兵は、同時に短い詠唱を終えた。
「『魔力よ、礫となりて敵を撃て』、【マジックボルト】!!」
杖から三条の光弾が放たれる。――彼らにはわかる。この子供は魔術師の持つ魔法防御、『障壁』を使っていない。
魔術兵たちは、切田くんの死を確信した。
その時、虚空から放たれた三条の光弾が、魔術兵が放った光弾たちと正確に衝突した。――それらはバチッと激しい放電音を立てて、眩しく光って消滅する。
「えっ…?」「なにっ!!」「馬鹿な……」魔術兵たちは慄き、よろめく。
「相殺?そんな事出来るはずが……そんなこと……」同時に発動した魔術が、着弾までに空中でぶつかりあう。しかも三発。高速で飛翔する【マジックボルト】でそれを行うなど、ほぼ不可能である。――銃弾を銃弾で撃ち落とすのと同じ事だ。
「…出来るわけがないだろ!!なんで…!?」さらなる異常事態に気づく。自分たちの『障壁』が光り、バシン、バシンと弛まぬ音をたてている。――連続で飛来する無数の光弾が、何度も激しく揺らしているのだ。
切田くんはすでに、シャープペンシルを構えていなかった。
光弾は数限りなく生み出されている。それは、機関銃のように絶え間なく、斉射式ロケットランチャーのように整然と放たれていた。
――美しい軌跡を描く、絶え間なき光条。
「ハハ…」
切田くんは笑った。――鉄格子を掠めた火花にふと気を取り直し、愉悦の衝動を『精神力回復』で抑え込む。(…浮かれて死んだら、恥ずかしいな。…多連装『マジックボルト』だ)
恐怖に染まる顔で、魔術兵の一人が叫んだ。
「や、やめろーーーー!!」
最初に光弾を受けた魔術兵の『障壁』が、砕けて消える。眉間に数発。次の瞬間には残りの二人も『障壁』を砕かれ、額から顔面に何発も光弾を受け、倒れる。
死体たちの頭部から、ピュッピュッと血が吹き出した。
大きな部屋に、静寂が満ちる。
誰かが口々に叫んだ。
「…うわあああああああぁっっっ!!」
「嫌だ、嫌だぁっ!死にたくなぁい!!」
「助けて!助けてぇっ!!母さん!!」無様に逃げ惑う、礼服やローブ姿、兵士たち。
切田くんは真顔のまま、扉に向かったものから順々に『マジックボルト』で貫いた。次にうずくまるもの、立ち竦むもの達へとシャープペンシルを向ける。――リズミカルかつ丁寧に、ライン作業のように『マジックボルト』で貫いていく。(…心臓、頚椎、脳幹。…心臓、頚椎、脳幹…)
「……うぁあ……ああっ……」体液を垂れ流しへたり込む所長が、肥えた体と抜けた腰を引きずって、白い老人へとすがりつこうとする。
「ああーっ!!おたっ、お助け!お助けください閣下ぁ!!」
老人は顔をしかめ、身を翻してそれをかわした。
「…君が私を助けたまえ。出来るものならな」
「…ひぃっ!?そ、そんな物言い!!それが一国の宰相のとる態度かっ!!この人でなしっ!!」へたり込む男は宰相を睨み、声を裏返して口汚く罵った。
「今までワシはしっぽを振ってやったんだぞ!!恥を忍んで振ってやったのにっ!!…その恩を!恩を仇で返すのですか!!この冷血漢!恩知らずめっ!!」
そして、向けられるシャープペンシルの先端に、息を呑んで取り乱した。「……ひっ、だっ…だから今すぐワシを助けて恩を、ああっ…恩を!閣下!?早く!!…なんで無視するのぉ!?こんなに媚びてあげんだからっ!そこはありがとうでしょっ!!んもうっ!!」
埒が明かぬと矛先を変え、憤懣やるかたなしに激昂する。「お前だってそうだぞっ!そんなの無礼で失礼なんだぞ!それが分からないだなんて恥を知れっ、恥をっ!!…あああ、もう、駄目だコイツっ!!サイアクっ!!…ねえ閣下ぁっ!!なにしてるのバカっ!!早く、早くしてえぇっ!!!」
「ぴぎゃっ!!」
太った男のこめかみを貫き、切田くんは攻撃を止めた。
◇
いつしか牢屋の位置は、鉄格子を境にさかさまになっていた。
閉じ込められるのは豪奢な服装を纏う、白髪の老人。――威厳を込めた佇まいのまま、厳しい瞳でこちらを睨みつけている。
……部屋に血の匂いが充満している。
(…背後の穴が換気してくれるだろう)ふと、そう思った。
彼を遠く睨む老人も、血煙の中ふと、足元の肉塊へとひとりごちる。「…名誉職に無能を据えるつまらん横やりは、やはり後顧の憂いとなったか。実務の者を置くことさえ出来ていれば、少年の挙動を詰めることも出来たろうにな…」
「無能なればこその易き傀儡など、余計な邪魔にしか使えんだろうに。……邪魔を武勲と言い張るものが、あまりに多すぎるのだ。だから正しく従う『スキル』持ちが必要だと言うのに……」
「…あの〜、宰相閣下でしたっけ?総理大臣の」
おずおずとした切り出しに、短く答える。
「そうだ」総理大臣という言葉はわからなかったが、言葉の意味的には正しいと考えたのだ。――少しの沈黙の後、宰相は、落ち着き払って続けた。
「君の要求はなにかね?」
「ああ、いえ」切田くんは所在なさげに答える。
「ありません」
……その答えに、宰相は眉をひそめた。
「…ならば何故、私を生かしたのだね?」
「あなたがちょっとまともそうに見えたからですかね。殺していいものか、ためらったんですよ」困り顔で苦笑する。
「今、殺します」
老人は黙り込み、眉根を寄せて鼻から深く息を吐く。……困った相手だ。どうしたものか。(奪い合った末の敵対でも、程度というものはあるのだ。被害を抑えねばならんという時に…)
(……馬鹿が余計な先入観を植え付けるから、こんなおかしな事になる!)そして、考え深げな眼差しで、重々しく口を開いた。
「…これだけのことをしておいて、君に後があると思うのかね。君が相手取ったのは私ではない。この国だ。…国は君の所業を許しはしないし、決して逃がすこともない」
「ああ、そうですね」あっけらかんと答える。
「ちょっと長くなるけどいいですか?」
「…いいとも」
切田くんは淡々と、そして長々と語り始めた。
「司法は無差別の報復合戦を防ぐためのものと、僕は聞いたことはあります。そうして支えられるのが社会ですよね。人が安心して暮らすために必要なものです。人が安心するから文明が、文化が育つ。それをなすのが国です。…逆に言えばですね、司法や社会が守らない人というのは、原始時代の住人と同じということですよ」
「そんな原始人である僕が、あなたがたに対してちょっと変わった雄叫びをいくら上げたところで、あなたがたはただせせら笑うだけ。国が僕を救うことはないし、対話が通じ合うこともない。ウホ、ウホ」棒読みでおどけた少年は言葉を切り、気まずい顔で表情を探り、続ける。
「…そんな僕らを、あなたたちは攫った。檻に入れて取り囲んで、舌なめずりをした。僕は察して、あがらうために手に持った石斧を投げた。…今ここで行われたのはそういうことです。後先の話は関係ありません。これが僕にとっての、取りうる最善の動きです」
「勘違いでしたか?」真顔で切田くんは問う。
「…いや、合っている。君の認識は正しい」
苦虫を噛み潰した顔で、宰相は答えた。
うなずき、少年は肩をすくめる。
「ありがとうございます。…ですが宰相さん。これはあなたの国で起こったことです。…あなたがやったんですよね」
「後も先もなかろうと、降りかかった理不尽とは戦います。怒ってるんです。…僕も残念ですよ」
シャープペンシルが僅かに動き、宰相の額を指す。
それを一瞥し、宰相は落ち着き払って提案した。
「待ちたまえ。私にはまだやることがある」
切田くんは黙り込み、そして怪訝そうに答えた。
「…命乞いですか?」
「そう受け取ってもらってもかまわん」慎重に目を配りながらも、ため息混じりに続ける。「この国を良き方向に導くために、私はまだ尽力せねばならん。…己が利権のために不正と外患を呼び込む、内憂の輩どもが多すぎるのだよ。奴らにこの国を好き勝手させるわけにはいかんのだ」
太った死体をちらりと見て、真面目くさって提案してきた。「何とか私の命は、まけてもらえんものかね?」
片眉を上げ、うなずいて問い返す。
「いくら出します?」
「まず君、いや、君達の命と立場は保証しよう。今まで呼ばれた召喚勇者すべての待遇を調査し、改善する。君達三人や召喚勇者たちに向けられた不正や理不尽に対しては、厳しく処罰し見せしめにしよう」
「いいですね」
「この国に残るならば十分な地位と報酬を約束する。…だが、君の不信を払拭は出来まい。十分な詫び金、身分保障とともに、望む隣国への脱出を支援しよう。…この国は決して一枚岩ではないからな」
「なかなかいいですね。それらが確実に行われる保証は?」
「重大な取引に使われる【ギアス】のマジックスクロールがある。国から見てもたいへん高価なもので、効力は絶大だ。魂に制約を刻み込む強力な魔法で、あらゆる解除を受け付けない。君が私に使うといい」
「すごそうですね」
「そしてこれから君達に向けられる、心無きあまたの暴力に対しては、私が権力のすべてを動員し、その盾となろう。【ギアス】の項目に盛り込むといい」
◇
切田くんは、宰相の口調や言葉の内容、表情や様子をじっと眺め、うなずく。
「…あなたの誠意は感じました、宰相さん」
「わかりました。提案を受け入れます。僕だって後がないのは嫌ですから。…ただし、その【ギアス】のスクロールは二枚用意し、僕の目の前でテストを行わせてください。それが演技かどうかはこちらが気分で判断します。不信を感じた場合、証拠の必要なく断じます」
「ふむ、もっともだ」宰相も頷く。
「段取りはすべて宰相さん、あなた個人が出来る限り直接行ってください。あなたの誠意は感じましたが、あなたに関わる人はそうではない。絶対によからぬ企みをくわだてることでしょう。…周囲への不信は、あなたがおっしゃったことですね」
「…ふむ」
「そして準備が出来るまでの間、僕はすべての攻撃に対して、先制攻撃を行います」
切田くんは、高らかに断じた。
「僕に対して威嚇したり、攻撃の構えを取ったり、それを命令した、そう思わせる疑念を抱かせた存在に対し、僕は攻撃の意思ありと断じ、即座に攻撃を行います」
「…相手が誰だって遠慮はしませんよ。僕にはこの世界の攻撃手段がまだ理解できていない。これは自衛のための安全マージンだと思ってください」
「ふむ」
「どうです?」
「君の言うことは、筋が通っている」宰相は落ち着いて答え、そして、彼の要求を受け入れた場合の、これから起こる光景を想像した。
――まなじりを決して、静かに目をつぶった。
宰相は、一言だけ言った。
「殺したまえ」
「すみません」
切田くんのシャープペンシルから放たれた光弾は、宰相の頭を吹き飛ばした。
◇
首の無い死体が転がっている。鉄格子の向こう側には、もう、動くものは何も無い。
(…まともに話しの出来る人だからって、僕らを地獄に突き落とそうとした張本人なんだ。譲歩してしまえば、酷いことになるのは分かりきっている。引くわけにはいかなかった)
(……僕は、落ち着いている)
そういえば、ずっと棒立ちで、ここに来てから動くのは初である。足裏がくっついているわけではなさそうだ。(エコノミー症候群になっちゃいますからね)
かつて牢屋だった、白皙かつ壁穴の魔法陣部屋。大小の破片が散らばり、足跡が薄っすらとついている(今もつけてやった)程度で、鉄格子の向こう程には汚れてはいない。まるで別世界みたい。(戦場より汚部屋。向こうよりまし理論だ)片づけてください。
切田くんのすぐ側にはブレザーを着た男子高校生がひとり、今も超然と立っている。……すべて思い通りとはいかなかったものの、少なくとも彼のことだけは救えたようだ。女の子のほうがよかった。
ポンと肩を叩くと、彼はハッとしてこちらを見る。そして部屋や格子の向こうの様子を、呆然と眺めた。
気安い声をかけてみる。「さあ勇者くん、さっさと脱出しましょう。同じ被害にあったよしみもあるし、ひとまず力を合わせるというのはどうです?」
……『勇者』はその場でうつむき、わななき、そして、ボソリと言った。
「…なんで殺した」
切田くんは困ってしまった。「なんでて」
「何故こんな真似をしたっ!」部屋を見回し手で示して、彼は強く睨みつける。
「血の海だ!」
怪訝な顔で、指し示した鉄格子の向こうを眺めた。
「そうですね?」
「…何故か今までぼうっとしていたが、全部見ていたぞっ!!なぜ彼らを一方的に殺した!?」
「…ああ」
今気づいたかのようにぼうっと返答し、彼をたしなめる様に言う。
「あのね、勇者くん。あなたも学校で考えたことがあるでしょ?」
「何を!」
「授業中に銃を持ったテロリストが乱入してきたら自分はどうするか。教室のみんなは人質に取られ、なすすべもなく泣いている。好きなあの子も、仲悪いやつも。みんな鼻をグズグズさせて、震えながら泣いている」
「…はぁ!?」
切田くんは片手を斜めに振り上げて、腹の底から力強く、凛と宣言する。
「そこまでだテロリスト共!」
顎に手を当て、冷たく不敵な表情を作る。
「…残像だ」
「バシュンバシュン!デュクシデュクシ!」シュッ、シュッとシャドーボクシングの真似事をする。
切田くんはスンとして、スッと『勇者』に向き直った。
「今でしょ」
「…ふざけるなっ!!」
『勇者』は怒りと悲しみを込めて叫んだ。
「ふざけている場合だと思っているのか!!なにがデュクシだ、今でしょだっ!!」
黙り込む少年に向かって、『勇者』は高らかにその衝動を、己が気高き想いを吹き散らかす。
「お前にはわからないのかっ!助けを求めていたんだろ、この人たちは!だから俺たちがここに呼ばれたんじゃないか!!その話を今からするところだったのを……お前が台無しにしたんだ!!お前のせいで、めちゃくちゃにして!!」湧き上がる正義の衝動。突き動かす力のままに、激しく向こうを指し示す。
「このざまだ!!どうするんだよこれからっ!!」
「…敵の増援が来る前に脱出?」
「違う!こんなの人間のやることじゃない!!俺たちはこの人たちと冷静に、落ち着いて話し合うべきだった!」
悪い少年を手酷く睨みつけ、彼は崇高なる想いを込めて、力強く辺りの惨状を指し示した。
「これは…これは人がやっちゃいけないことなんだよ!!」
息を切らせて睨む『勇者』を、切田くんは困った顔で眺めた。
「……」
「…あー」
目をそらし、片手で軽く頭をくしゃくしゃとする。
「わかった勇者くん。あなたの言いたいことはわかりました」
「じゃあお互い、ここからは関わり合いにならないようにしましょう」
「…何っ!」鼻白む『勇者』に対し、興味なさげに答える。
「僕には僕の都合があるし、あなたにはあなたの都合がある。歩み寄れない、腹が立つだけ。もう一切関わらないようにしましょう」
「何を勝手なことをっ!!」
「じゃあさよなら。できれば去り際を攻撃してこないでほしいな」
「おい、待て!ちゃんと俺の話を聞けっ!!…逃げるのか卑怯者!?」
切田くんはなにも答えずに、ゆっくりと壁の穴へと後ずさっていく。……『勇者』からは目線を切らさない。彼が攻撃をしてくる可能性は、十二分にあるのだ。
(おどけ損した時というのは、なんでこれほど疲れた気分になるんだろうな)
切田くんは心底がっかりして、うんざりしていた。
同時に呼ばれた三人ならば、きっと仲間になれる。
突然追い込まれた、この窮地に。
誰かを倒せば終わるということの無い、姿の見えない敵。
勝てるとも思えないほど大きな、悪意ある仕組み。
それらを敵に回してしまったのだとしても。
仲間と力を合わせて戦っていけるのならば、本当に心強い。
どこかそう思っていたのだ。
少し、目頭が熱くなる。
分かりきったことだった。見も知らぬ他人など、元々このようなものだ。
この場は彼を殺すのが正解なのだろう。――だが、間違いなく彼も、同様に複数の力を保持している。力が知られているこちらには、かなり分が悪い。
(…ここまでやって情報の遮断が出来ないなんて。…ああ、もう)切田くんは再度、落胆した。これだけ気をもんで目撃者を消したところで、彼経由で手配がかかる可能性を消すことは、もはや不可能だろう。
これからは、敵の手配が回る前提で考えたほうが良さそうだ。(画竜点睛を欠いたってやつだ。ほんとグダグダじゃないか…)
しょんもり気分で壁穴に潜り込もうとする悪い少年に対し、『勇者』は挑みかかるように怒鳴りつける。
「お前が俺から逃げたとしてとも、俺は決して、お前を逃しはしないぞっ!俺はお前の罪を忘れない!!必ず俺がお前に、自分の間違いを認めさせてやる…いや、認めさせてみせるっ!!」
「いや、寄ってこないでくれます?」
「お前は人の心を失ったんだ、人の道を外れたんだよ!…哀れだよ。本当に哀れなやつ。ハッ、本当に可哀想なやつだな、お前はっ!!そのことをずっと胸に刻めよ!よく刻み込んでおけよ!!」
勝ち誇った顔で胸を張り、『勇者』は高らかに宣言した。
これ以上、接点を持つべきではない。無駄な消耗である。切田くんはもう何も答えなかった。(…僕はまだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。…謝りませんよ)
用心深く『聖女』の開けた穴をくぐり抜け、黙って目線を切って、穴の縁を盾にして背を向けた。
……そのまま彼は、通路の向こうへと去っていった。少年は『勇者』の視界から消えた。
無様なものを見下げるように、「ハッ…!」と、『勇者』はその姿をせせら笑った。
◇
切田くんが通路の向こうへと消えると、『勇者』は我慢がならなくなったかのように「くそが…くそっ!」と強く毒づく。
「突入!!」
鉄格子の向こうの扉が乱暴に開け放たれ、重武装の兵士たちがなだれ込んでくる。分厚い盾や槍、クロスボウなどで武装している。杖持ちの兵士も多い。
部屋の光景に息を呑み、毒づいたり、小さく悲鳴を上げる。――そして彼らは、鉄格子の向こうにいる青年の姿を睨みつけた。
「待ってくれ!俺は違う。俺はあなたたちの敵じゃあない!」
『勇者』は声高らかに笑いかけた。誤解は正さねばなるまい。間違いは誰にでもある。
「これをやった奴は、自分の罪から目を背けて逃げた!そいつこそ、あなたたちが戦うべき本当の敵なんだ!!」
兵士が壁のレバーを引くと、壁裏からの鎖を巻き上げる音と共に、鉄格子は軋みを上げてゆっくりとせり上がっていく。
「俺は最後まで、正義の心を信じて説得しようとしたんだ。だが…そいつは耳をかそうとしなかった。これほどの行いを、当然のことのように思っていたんだ!!そいつはまさしく悪だ、外道だ、人非人だった!!…くそっ。あなたがたにはここで起こった、俺の見たすべてを話そう。聞いてくれ!」
『勇者』は開いた鉄格子から歩み出て、拍手喝采で迎え入れるべき人々へと笑顔を向けながら、誇りを胸に高らかに宣言する。
「殺せー!!」
兵士の一人が、声を裏返して叫んだ。
「やめろ!!」
『勇者』は叫んだ。