ふざけた真剣
「とどめを刺してくる。任せきりだものね」
凍えるほどに冷え切った瞳の東堂さんが、地上の様子を閲覧している。
人造美術を眼下に眺め下ろす、商会建物の屋根の上。――高所を流れる穏やかな風の中、肌寒くも晴れた光に照らされる、重装の死体織りなす、風刺戯画めく地上絵の惨憺。
彼女は腰の短刀へと手を当てて、屋根の縁から身を乗り出す。残った敵はひとりきり。
切田くんはその姿を見て、ふと、もやもやした感情が浮かんだ。(東堂さんが、自分を痛ぶった相手に怒っているのはわかる。…でも…)
(…何か、嫌だ)
今にも飛び出そうとする冷たい目の少女を、彼は咄嗟に押し止めた。「待ってください」
「…なに?」
不機嫌さに怯むも、(…なに?と言われても。なんだろ)それらしい実直な声を返しておく。「彼から少し話を聞きたいです」
「……わかった。つかまって」
「は、はい。…ひゃっ!?」躊躇なく背と膝裏を抱え上げられて(お姫様抱っこだ)、東堂さんは屋根からスタンと地上へと降り立つ。「何を聞くの?」
(……)
(何を聞くんだ?切田類)
(…思いつかない。僕はこの敵に聞きたいことなんてない)
◇
力無く横たわる、勇壮たる衛兵隊重装兵士群。真価を発揮する事なく乱雑に崩れた、『抗魔盾兵圧殺陣』。――破壊されども貫通特化の一撃により、流出する血液の量は意外なほど少ない。
誰もが目を覆う惨状ではあるものの、装備が統一され損壊の少ない死体模様は、フォークリフト等で蹴飛ばされたマグロ市場を思わせる。片付けてほしい。(パラリラパラリラ…)
(マグロなんて赤身しか食べたことがないからな……中トロだの大トロだの、僕の貧乏舌には合わなそうだ)負け惜しみを思う。(…ネギトロは好きだ)
(……ネギトロって、本物のトロの部分が入っているんだっけ?中落ち?……ああ、回らないお寿司屋さんのには入っているのか。僕の口に入るのは、せいぜい植物油を混ぜたやつかな?)
(……ネギトロには夢がある。……人工イクラにイクラの夢があるみたいに……)
座売りみたいにへたり込む、壮年の男。――眼前に立ちはだかるは、今や立場を逆転させた、ふたつの若き影。(たくあんの入ってるやつも好きだ。トロたく)
(…普通の鉄火巻きとか、納豆巻きもいいよね…)トガリ隊長は血のよだれを拭うこともせず、疲れた目でぼんやりと人影を見上げ、呟く。「…化け物どもめ。…はやく殺せ」
鎧を貫く『マジックボルト』の杭はトガリの腹部を貫通し、行きがかりに消化器官を穿孔して、内容物が腹腔を侵している。即死せずとも致命傷だろう。
(…ガチギレ東堂さんの不機嫌さも、一旦は引っ込んだみたいだな)スン…としている。興味が怒りを上回ったのだろう。
(…この人って、電気ビリビリ攻撃で遊んでた人でしょ。衆人監視で痛ぶって、晒しものにして。…こっちだって、そんな奴に容赦をする必要なんてないんだろうけど…)尚も憎々しげな男の姿に、……切田くんの胸の奥、昏い感情が渦巻いた。(……聞きたいことか。そうだな。なんだっていいか……)
「隊長さん。僕はその怪我を治すことが出来ます」切田くんは、いけしゃあしゃあと嘘をついた。
「……何?」「切田くん!?」
「彼女に肩を砕かれても、ピンピンしているのがその証拠です。ほら、どうです?」砕かれたはずの肩をぐるぐる回してみせる。……トガリは、少年の意図が読めずに当惑する。
(…治せるとしても、隣の化け物『聖女』だろうが。…薄っぺらいハッタリ効かせて何のつもりだ?)「…何が望みだ…」
切田くんは、弱々しく見上げる男を正面に見据え、こう言った。
「教えて下さい」
「僕たちは、これからどうすればいいですか?」
「……」トガリ隊長は絶句する。
東堂さんも信じられないものを見るように、唖然として声をかけた。「切田くん…何を言って…」
「真剣ですよ。教えてくれたのならば、あなたの命は助けます。そのまま国に報告する使者になってくれればいい」
「……お前は何を言ってるんだ」こみ上げる血反吐を吐き捨てて、トガリは少年を睨みつけた。頭が可哀想なのだろうか。
ギラギラした殺意に臆すること無く、切田くんは平然と語りだした。「僕たちは日常から突然、この世界に放り込まれ、尊厳のない立場に追いやられるところでした。今もそうしようと企む敵と戦いながら、ここにいます。あなたはそういう敵の一員です」
「しかしあなたは、人を指導する立場で、自分の見識に自信のある人だ。そうですよね?……しかも今は、自分の命が賭かっている」
「あなたは今、逃げることも戦うこともできないんだ」熱砂の如く睨みつけるトガリの表情が、陽炎の様に揺らめく。
「取り引きできる状態でもない。材料もない。だったら真剣にならざるを得ないはず」虫籠みたいに感情の籠もらない、説明口調の言葉が続く。
「僕たちは今、どうすれば良いのかを見失っています。他人の思いつきや思惑に流されながら、逃げ惑っているだけの存在です。迷っているんです」
「…僕たちのほうだって、こうなってしまって。背筋を伸ばして誇れないことをしているという自覚はあります。……そう思いますよね?」
「だから、あなたが教えてくれるのなら。僕たちの思いを理解し、導いてくれるのならば。僕たちも尊敬と信頼をもって、あなたに答えます」
「…たとえ、あなたの答えが、僕たちの問題を解決する力がなかったり、あるいは的を外れたり。そういった不完全なものだったとしても」
切田くんは言葉を切り、じっと、見つめながら言う。「本当に、あなたの心の底から発せられた真剣な言葉ならば、それは必ず、僕たちのささえになってくれます。…真剣な気持ちで助けてくださるんだ。あなたのことも、僕は必ず助けます」
「隊長さん。僕たちは、これからどうすればいいですか?」
トガリ隊長は慈悲を乞うように顔を歪め、口を開こうとして、またすぼめる。そして、また口を開こうと、暗い目でギョロギョロ視線を彷徨わせる。
(…善人気取りの甘ちゃんが。自分探しのガキみたいなことを言いやがって。…ちょっとでも俺が優しいふりをすれば、そのご褒美に助けてやりますよってか?胸糞悪い…)
(腹に一物抱えていようが、それでもにこやかで馴れ馴れしくするのが、大人同士が仲良くするってことだろうが。何が真剣だ、尊敬と信頼だ。笑わせやがって。…そんなものを声高に叫ぶのは、世の中に揉まれていないガキだからだ。ちょっとでも人波に揉まれれば、そんなものは掃いて捨てる戯言だ)
(本気で言ってそうなあたりが始末に負えない。…だが、そんな世間知らずの甘ったれなど、まくし立てて言いくるめてしまえば…)
(……この場を逃れさえすれば……)
『必ず成し遂げなさい。…無様を晒したのなら…わかるわね?』
……息が乱れる。空気を求めてあえぐ。吹き出した汗が滴り、血とよだれに混ざる。
トガリははっきりと自覚する。もはや自分には、後も先も無いのだ。
衝動が吹き出した。(…!クソが!!くそがくそがクソがぁっ!!)「…ふざっけるな!!」トガリ隊長は血のつばを吐き散らし、激昂した。
「お前らが悪いんだろうが!!」
「話し合えばよかったろうが!!」
「『スキル』で殺さなければよかったろうが!!」
「そうだろ!悪いのはお前だよな!!」
「だから俺が出動して!捕まえるんだろうが!」
「わざわざ殺さず捕まえようとしてやっただろうが!!なのに何だお前その口の聞き方は!!」猛りのままに吠えたてる。
「他人様を嬲ってなにが楽しい!?ガキが!戦士の誇りがないのか貴様はっ!!ガキにはわからんかぁ!?お前らの道なんぞ無様に踊った末の破滅以外あるかぁ!クズがっ!!売女がっ!!今に見ていろ?必ず俺の仲間たちが、国が貴様らを捕まえる!正義だ!!そうなれば貴様らなんぞ死より恐ろしい末路だ!!一生冒涜され続けろっ!!ゲッ、ゲボァ!!」
こみ上げた血反吐を吐き散らし、溜まった分を吐き捨てる。
「…お、俺は文字通りっ、…血反吐を吐きながら今まで研鑽を重ねて来たのだぞっ…お前らなんぞと違い…国のために…国に仇なすクソ共を退治するためにっ!!…なのに貴様は拾っただけの力で…何が勇者だっ!ポッと出の改造魔獣ごときがつけ上がってっ!…くたばれっ!…俺をこんな目に合わせて…馬鹿にして…何が楽しい…」
「……くたばれ……」そしてトガリ隊長は、弱々しく、力尽きたかのように息浅くうなだれた。
「…切田くん、もう殺すよ?」げんなり顔の東堂さんが問う。
「…僕の責任です。僕に殺らせてください」「…わかった」氷の瞳で睥睨しながら、彼女は一歩下がる。
切田くんはシャープペンシルを、隊長の額へと向けた。
「…や、やめろ…」トガリ隊長は顔を上げ、憔悴しきって戦慄く。
「答えを、隊長さん」
「やめろ…やめろっ!」
「答えが無ければ、とどめを刺します」
「…そ、そうだ!呪ってやる!呪われろ!末代まで呪われろっ!!」
切田くんは無言で、男の額を光弾で貫いた。
◇
「…どうしてあんなことを聞いたの?」
(『何か、嫌だったから』)返答の違和感に、とても口に出す気になれない。(…押しつけがましいな、これ。『分からないけど何か嫌だったんですよっ!!』って?…うへぇ、カッコイー)「…最初の牢屋には、まともな人もいたんです」言葉に困り、咄嗟に誤魔化す。
「…そう…」東堂さんはため息を付き、たしなめるように続けた。
「…でも、あんな人に聞くべきじゃなかったわ。まともな答えが出来ない相手だって、はっきり分かるもの」「……すみません」
(からかってやったんですよ。もちろん)
目を伏せた切田くんは、心のなかで笑った。(そうですね。彼に答えられるわけがない。……本能でのしかかるだけの思考停止のヤカラに、答えられる道理などあるものかっ!!)
(いやいやいや、言った事自体は本物さ。嘘じゃない。……でもさあ、期待できない相手に期待したって、ほら。憂さが溜まるばかりじゃないか?)
(しかも、殺られることが憂さ晴らしになる様な奴らなんだろ?稼ぎになるために、雁首揃えてわざわざ追ってきてくれたってこと?…こういうの、ご都合主義って言うんじゃないかなぁ。お疲れさん)
(だから、まあ。つまり?彼の怒りは正しいんですよ!東堂さん。…ハハッ)
ふと、胸の中に引っかかりを感じた。……汲めど尽きせぬ愉悦の泉をぶった切り、無理やり『精神力回復』でねじ伏せる。
そしてひとり、頭を振った。(…何を考えているんだ、僕は。…そうだ。答えてくれるわけはなかった。東堂さんの言うことは正しい…)
(別に、殊勝ぶるつもりはない。ざまあないと思う僕のことは否定しないさ)理不尽な暴力を暴力によって跳ね除ける。そうすることで生じる愉悦の感情をもっともらしく否定して、自分が『良い人間』であると喧伝する必要性を、今の切田くんは感じなかった。――以前はそうしないと、同調圧力が煩わしい面もあった。(悪意の人に嫌がらせで返すことだって、別に良い。……けど)
しかし引っかかるのは、問題はそこではない。
(……でも僕は、ふざけてしまった……)
(……馬鹿なことをした。真剣を問いながらも真剣じゃなかった……)
胸の奥が、ものすごく重くなる。……頭で考えるよりも、ずっと重大な失敗であると感じられた。それは彼にも把握しきれない、広がる何処かに繋がっている気がしたのだ。
(……他人に真剣さを問うこと自体が、ふざけた行為ではあるんだろうけど……)
(……そういえば僕は、何が『何か嫌』だったんだろう)
意気消沈する少年の姿を、東堂さんはどこか遠い目で、じっと見つめる。
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『いいから来なさい』『恥をかくのは私なんだぞ、いい加減に…』『将来が楽しみだねぇ…』『そんな顔をして、お行儀が悪い』『出来る人は違うわぁ』『返事ぐらいしてあげないの?可哀想じゃない』『そうやって、気持ちを踏みにじってさぁ』『他校にまで知られてるって』『いいでしょ連絡先ぐらい』『絶対連れてこいって言われてるんだけど』『追いかけられたって』『人のせいにしないで』『自業自得』『なんなのあれ』『付き合い悪すぎ』『お高く止まってんだ』『人を馬鹿にして』『他人を見下してるんでしょ』『……酷い目に合って、死ねば良かったのに』
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「……代わりに殺してくれたの?」真顔で、そう呟く。
(…『嫉妬』だったのかな、…って)考え込んでいた切田くんは、咄嗟の問いを聞き逃してしまい、慌てた。「…すみません、なんでした?」
東堂さんは逆にハッとし、目をそらした。「いいえ。…そろそろ行きましょう。私達はいつまでも、こんな場所にいるべきじゃない。…そうでしょう?」含む様な言い方に、戸惑う。「……はぁ。……はい」
「兵士たちに止められていた通行人の人達も、すぐに来るはずよ」
「ええ。…そういえば」見渡す限りの死体には、しっかりと重装備が施されている。見るからに価値がありそうだ。「何か拾っていきますか?」
「さすがに兵士の装備は目立つと思う」
「はい」
◇
「東堂さんって、大トロ好きですか?マグロの」
「……?脂っこいのは好みじゃないけど。何?」
「じゃあ赤身党の仲間ですね」
「……そうなるね。……どういう繋がり?」
足早にふたりが去った後。凄惨な場に、一人の黒い影が現れる。
「無様な男」
女の声が一言呟く。そして黒い影はまた、溶けるように消えてしまった。