↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/80

ホットひと息

 ふたりは(ふたた)び歓楽街まで(もど)ってきた。時刻はそろそろ夕方だ。


 ――()んでいる。(グェー…)


 以前にも()して喧騒(けんそう)()し、笑いや嬌声(きょうせい)(あふ)れている。


 様々(さまざま)な酒の(にお)い。食欲を(さそ)う料理の(にお)い。――そこはかとなく(ただよ)う、()()()(にお)い。


 その多くは仕事の終わり、暗くなる前の一時(ひととき)を過ごす人々であろう。無事な終日への安堵(あんど)に、羽目(はめ)をはずす者も多そうだ。


 切田くんの(となり)には、フードを(ふか)(かぶ)る女性がいる。


(…(ほっそ)いからなぁ、この人…)(あつ)い人波に()って(はい)ると、流れに持っていかれそうで心配になる。


(…こういうのは、()()()()なのか、普遍(ふへん)なのか…)(にぎ)った手を引き寄せ、少し先行すると、……熱と気配。(うで)(から)まり、(からだ)()せられるのが()かる。(き、緊張〜…)



 歓楽の人混(ひとご)みを()()()()()()けて、やっとの事で古着屋にたどり着く。看板(かんばん)には、(たし)かに『ローカス商店』と書かれている。(…ぐへぇ…)超()んでた。お祭りか。


(ホテル()らしなんて出来ないんだから、野営の装備は絶対に必要なんだ。さっきの店主さんに相談して、…って、…あれっ?)


 手を(つな)()うふたりは、店の前にて足を止めた。……ものの、



「……」



 兵隊たちとの()()()()よりずっと、東堂さんは(うわ)(そら)だ。フードの(かげ)でうつむいている。


 ふたりの間に、特に会話もない。


 切田くんも雑談が得意な(たち)ではないので(だま)っていたが、――手のひらに熱を感じていたし、気まずい感じもなかったので、(こういうものか)と気にはしていなかった。


 しかし、目的地であるローカス商店にはたどり着いてしまった。


()()に呼びつけられてこのかた、理不尽な干渉(かんしょう)が連続している)


(……(つか)れているんだ……)声をかけて()()()とさせる事に、切田くんは(とげ)を感じる。


(心の負荷(ふか)だって大きい。奥底の疲弊(ひへい)は、上辺(うわべ)の『精神力回復』で(おさ)えられるものじゃない。……とにかく、休める場所を(さが)さないと……)


 切田くんは言葉を飲み込み、(にぎ)っている彼女の手を()()()()()む。(…無いかなー…)ナイ。


 ――彼女は怪訝(けげん)な顔になり、顔を赤らめてムッとした。(…ヤベ)


 刺々(とげとげ)しくなにかを言いかけ、()()()気づく。


「ごめん。ぼうっとしてた」


「考え事ですか?」


「……うん。……そう」


 端切(はぎ)れの悪い答え。「……」無言でこちらを見つめ、目をそらす。


(なんだろ)奇妙な熱に、戸惑(とまど)う。(…じめっとした、梅雨(つゆ)湿気(しっけ)みたいな…)


「気を使ってくれてありがと。さあ、行きましょう?」


 カラッと(すず)やかに、覗き込む様に笑いかけてきた。


「はい」気のせいだったろうか。(…ほな気のせいかぁ…)


 フードを取り、おずおずと入っていく。


 すると早速(さっそく)、店主がため息()じりに見咎(みとが)めた。


「なんだ、何故(もど)ってきた?来るなと言うのが聞こえなかったのか。…まったく」


 情に(さお)差し流された、みたいな言い方に、切田くんは流石(さすが)(もう)(わけ)ない。


「…すみません。事情があって」


「串焼き屋さんに聞いたの。ローカス商店のホッパーさんのところに行けって」


 店主は頭をグリグリと()きむしり、毒づく。


「……こんなヤバそうな案件(あんけん)を取り込む気か。しかも子供だぞ。見境(みさか)なしにも(ほど)がある……」


「えっ」


「まあ、いいだろう。何が必要なんだ?」



 ◇



 大きめの背負い袋(バックパック)、飲み口のついた水袋、火口箱、薄い毛布、地味なローブ、蝋引(ろうび)きの防水布。


 ホッパーは要望に合わせ、それぞれ2セット取り出してくる。


「飲み口がついていない水袋も、追加で一袋お願いします」


 その要望に、東堂さんが(まゆ)をひそめた。「かぶる気なの?」


 交換用水袋を奥から取り出し、ホッパーがやれやれと気がかりを()ける。


「必要最低限、と言ったところだな。簡易的な野営ならば十分だろうが…」


「それと、見てほしいものがあるんですが」


 魔術師から(うば)ったショルダーバッグを見せる。――小奇麗(こぎれい)な本が三冊入っている。店主は一瞥(いちべつ)くれて即座に答えた。


「魔法書か。使わんのなら高値で買い取るぞ」


 切田くんのテンションが少し上がった。(魔法を習得(しゅうとく)するためのアイテムかな?)


「…どういうものなんです?」


「読めば魔法が使えるようになる」(よし)心の中でガッツポーズ。


 (おぼ)えられる保証は無いものの、(この流れからすると、絶対『異世界言語』で読めるやつ。僕は(くわ)しいんだ)魔法はぜひ使ってみたい。流れとか言うな。


「詠唱と魔力は必要だが、擬似的(ぎじてき)な『スキル』が手に入るようなものだな。店に置けば金貨百枚からでも(さば)ける品だ。良いものは天井知らずだな」


「どうやって魔法をおぼえるんです?」


「適正があり、古代語を読める者ならば、目を(とお)すだけで習得できるはずだ。ただし一度使うと力を(うしな)う、使い捨てのアイテムだな。読んだこと無いのか?」


「はい」


「…つまり、お前らは『スキルホルダー』か。ろくに戦う(すべ)も持たずに、『スキル』の力だけで戦ってきたのか?…よく生きていたものだ…」


「……」


 ふたりは口をつぐむ。図星(ずぼし)()()だが、余計な情報を言うべきではない。(だいぶ(さっ)してそうだけど…)


 ホッパーは眉間(みけん)にしわを寄せ、「ああ。いや、(ちが)う。そいつは俺の仕事じゃあない」仕方なさそうに続ける。


「お前たち、今晩から野営をするつもりか」


「……わかりません」


「野営は(つら)いぞ。こんな軽装備なら()()()()だ。街の外はもちろん、(なか)でさえな。今までしたこともないんだろう?」


 顔を見合わせるふたりに、やれやれと肩をすくめる。


「今日は裏手の酒場に()まっていけ。余計な詮索(せんさく)なぞされん宿だ。……橋の下だのスラムの木賃宿(きちんやど)なんぞに()まったら、()ぐるみ()ぎに来た奴らと『問題』を()こすだろう。お前たち」


「酒場の主人には俺の紹介だと言え。ちゃんと宿代は(はら)えよ」


 ありがたい話だが、ずいぶんと美味(うま)い話だ。それに、先程(さきほど)聞こえた『取り込む気か?』という言葉が気になってもいた。(ここに来るよう、港の串焼き屋さんに誘導された?)


(何のために?…裏社会の人間が、僕らの力に興味を持っているの?)


(…だったらホッパーさんだって、僕らを誘導して、手の(とど)く位置に(とど)()きたがっている、という事になる。…寝ている間に裏社会の人間を引き込むつもりなのか。…罠なのか?これ…)


「……そうしなければ、どうなります?」


「別にどうもせんよ。好きなほうを(えら)べばいい」


 剣呑(けんのん)詰問(きつもん)だったが、気にもとめずに店主は答える。(…あれっ?…)肩透(かたす)かしされた気分。ホッパーは、裏の意図(いと)(かく)すつもりさえ無いようだ。


(…僕が肩肘(かたひじ)張り過ぎなのか。…(ふく)むところはあるようだけど、この人は僕らに、親切にもしてくれた…)「…ホッパーさんはどっちが良いと?」


「さあな。お前たちがしばらくこの街に滞在(たいざい)するならば、()まっていったほうが都合の良いこともあるだろうな。一切(かか)わりたくないと思ったのならば、…悪いことは言わん。さっさと街を(はな)れることだ」


 気のない返事に、ぐりぐりと頭を()きむしる。


後悔(こうかい)の無いよう決めることだな。俺は知らん」


 (となち)にちらりと目を()けると、東堂さんは不安げにうつむき、ためらいがちに答えた。


「……ベッドは、……あったほうがいいかな……」


 切田くんはうなずき、答えた。


()まっていきます。ありがとうございます」


 店主はふんと鼻を鳴らし、(すわ)ってそっぽを()いてしまった。


 一礼し、外に出ようと背を()ける。「酒場でも()まれるんですね」「そうね」


「…()()宿(やど)だぞ」


「え」


 ピタリと止まったふたりに、片眉(かたまゆ)上げて一瞥(いちべつ)をくれる。


「別に(かま)わんだろう?」


「別に(かま)わないわ」東堂さんが即答する。


 切田くんは何か言おうと()()()()したが、結局口をつぐんだ。


 彼女はツンとした態度でフードを(かぶ)ると、少年の腕を引き、ドアを開けた。



 ◇



 裏通りは(せま)く、薄暗(うすぐら)く、(きたな)い。そして猛烈(もうれつ)()()っている。(ほぎゃあぁぁ…!)お祭りワッショイだ。


 小さな酒場や食堂、()()みのあばら家、(あや)しい屋台や露店などがひしめき合って(「蟻のミートボールだよ!」「食べてみます?」「…本気で言ってるの?」)、表通りにも引けを取らぬ混雑具合だ。……喧騒(けんそう)と笑い声。(あい)()わらぬ()()()(にお)い。


 紹介された宿は、周囲とは一線を(かく)す大きな酒場だ。二階建てで奥行きがあり、ずいぶんと羽振(はぶ)りが良さそうである。――それでも門構(もんがま)えはボロボロで、雑然(ざつぜん)とした裏通りに()()んでいる。


 店内では、ガラの悪い男たちが歓声を上げている。扇情的(せんじょうてき)な格好(へそ出しすぎ)の女給たちが(いそが)しそうに(はたら)いており、客にしなだれかかっている様子も見える。娼婦(しょうふ)()ねているのかもしれない。


 東堂さんが、そっけなく言う。


「切田くん、興味があるの?ああいう人に」


「え」


「前もデレデレしていたでしょう。道で声を掛けられて」


「め、面食(めんく)らっただけですよ」


 ()(こえ)に、なんだか(けん)がある。別に興味は無くなどないが、決してそう答えるわけにはいくまい。


 喧騒(けんそう)のテーブルに()()る、場にそぐわぬ空気の二人組。客の幾人(いくにん)かが見咎(みとが)め、()()()()と相談を始める。……店内に、剣呑(けんのん)な気配が()ちる。


 カウンターでは酒場のマスターが、気にもとめずに皿を(みが)いている。カウンター()しに声をかけてみる。


「すみません」


 年若(としわか)い声に、()()()と眼光。フード姿のふたりに(まゆ)をひそめた。


「ガキの来るところじゃねえぞ。さっさと出ていけ」


 一触即発(いっしょくそくはつ)の空気。切田くんはクールに答えた。


「ホットミルク」


「切田くん?」


 東堂さんが()()()(とが)める。真剣(ガチ)めの剣幕(けんまく)にヒェッとなった。西部劇ごっこでふざけている場合ではない。


「…ホッパーさんの紹介で」


「ふん」


 酒場のマスターは客席を見渡すと、かるく手を()ってみせる。客たちは一斉に興味を無くし、(さわ)ぎの(うず)へと(もど)っていった。


 マスターは銀色のミルクタンクを取り出して、(なべ)(そそ)ぎ、かまどにかける。……牛乳の(にお)いがする。(あるんだ。ホットミルク)


「…私にも一杯お(ねが)い」納得のいかなそうな東堂さんに、マスターは無言で牛乳を()()す。


 沸騰(ふっとう)する前に(なべ)を持ち上げ、木彫(きぼ)りのジョッキに(そそ)いでいく。――()()()みたいに鍵を取り出し、コトリと横に置いた。


「そら、銀貨二枚の銅貨二枚だ。二階の一番奥の部屋を使ってくれ」


「どうも」「ありがと。上で飲んでもいい?」


「コップは後でちゃんと返せよ」



 ◇



 夕暮れ時。周囲は暗くなり始めている。壁掛けのランタンには火が入っておらず、木窓の光は(すで)(たよ)りない。


 酒場の二階は(せま)間隔(かんかく)で、お(とま)り部屋のドアが(なら)んでいる。


(他の客はいないみたいだ。…気まずいどころじゃないしな…)


 下から遠く、喧騒(けんそう)が聞こえる。


 一番奥の、殺風景(さっぷうけい)な部屋。――部屋の中は薄暗(うすぐら)いを通り越し、暗い。


 部屋の(すみ)には燭台(しょくだい)があり、()けた蝋燭(ろうそく)が受け皿に()っている。本来ならばランタンから火を(うつ)すのだろう。


「…暗いね。明かり、どうしよっか」


「僕、出来ますよ。東堂さん」パチンと指を鳴らすと、燭台(しょくだい)に光球が(あらわ)れた。


 光球は煌々(こうこう)と部屋中を()らし、その場にフワフワ()いている。


「明るくなった。また別の力?」


「同じやつですよ」


「ふぅん」


 興味深げな彼女の横、切田くんは心の中、得意気(とくいげ)に種明かしをする。


(『飛ばないマジックボルト』だ。…決して強い力ではないけれど、なかなか融通(ゆうずう)の聞く力だな。『スキル』と言っていたっけ)


「……いつまでポーズを取ってるの?」


「はい」指パチした腕を引っ込める。


 粗末(そまつ)なベッドが一台。袋状の麻マットが()いてあり、一応は清潔なシーツが(かぶ)せてある。めくってみても南京虫(なんきんむし)の気配はない。


 他には(つくえ)が一つ。椅子(いす)は見当たらない。


(結構(せま)いな。ベッドは東堂さんに使ってもらうとして、…椅子(いす)を使う必要のない部屋。僕は(ゆか)でいいか…)体育座りだ。


 考え込む少年を尻目に、東堂さんが()()と進み出る。てきぱきと鍵や牛乳ジョッキを置き、(つくえ)を持ち上げてベッド横に配置する。


 早々(そうそう)にベッドの(はし)へと腰掛けた。ぎし、と音が鳴る。


「切田くん」


 ()(すく)む少年を見つめて、自分の横をポスポス(たた)いた。


「はい」


 切田くんは素直に(したが)った。ハイハイBOT(ボット)だ。


 ジョッキや荷物を置き、東堂さんの横へと(遠慮がちに、ギクシャクと、少し隙間(すきま)()けて)(すわ)る。


 体重をかけると、ギシリと不安な音が鳴った。だいぶ()()()()()ベッドだ。



 これで部屋には二人きり。



 彼女の体温と、こちらを意識している気配が(つた)わってくる。自分と同様に少し緊張もしているようだ。


「……じゃあ、()ごっか、切田くん」


「うぇ、…は、はい?」


 横目で見ると、東堂さんはいそいそと外套(がいとう)や装備を(はず)している。


(…なぁんだ…)


 切田くんはホッとする。と同時に、()()()()もする。(…別に全部()ぐわけじゃないだろ。何を考えているんだ僕は…)


(ちょっと期待したって?)


(……)懊悩(おうのう)の横、『聖女』はローブを足元からまくり上げていく。――(あらわ)になる、スラリとした曲線。扇情的(せんじょうてき)な、ボロボロのストッキング。


(……こんな綺麗な先輩が、すぐ横で着替えをしているだなんて……)


(正直めちゃめちゃモヤモヤする。しかも連れ込み宿(ラブホ)で)


(…やばいでしょ、これ…)動揺(どうよう)もしていたし、変態っぽい思考にもなっていた。


 だが『精神力回復』で落ち着きを取り戻し、自分も外套(がいとう)や荷物を置いていく。一見クールだ。(有能スキルすぎる。普段ならば絶対にキョドっていたはず)


 彼女は白ローブを、ベッド上の(たた)んだ外套(がいとう)(かさ)ねる。


 膝上丈(ひざうえたけ)のスカートから()びる、スラリとした脚のライン。穴だらけのストッキングと生足が作る隙間(すきま)が、動作に合わせて(なま)めかしくよじれている。チラチラ見てしまう。


(…見まいとは思ってるんですよ。…こんなに意識していたら、すぐ気づかれて嫌がられてしまうな。…どうしよう…)


 ブレザーのネクタイを(ゆる)め、外す。(えり)(ととの)え、肩までの黒髪が()()げられて、吸い込まれそうな白いうなじが垣間見(かいまみ)えた。


(ヤバーイ!!)切田くんは悶絶(もんぜつ)した。(ヒャァー!!)


(だめよダメダメ。意識しすぎて苦しい。東堂さんが無防備すぎるのも悪いんですよ。わざとやってる(わけ)じゃないんだろうけど…)



 ……カリカリと幻聴が聞こえる。



(まあ、それどころじゃないか。非常時だものな)スン…となる。


 ジョッキをふたつ手に取り、机の上の(ほこり)をフッと強く()()らかす。


 牛乳ジョッキを(もど)し、串焼き肉の(つつ)みやドライフルーツの袋を(つくえ)に置いていく。


 東堂さんはうつむいて、ブレザーのボタンを丁寧に(はず)す。血の(かたまり)()がれ()ちないよう、慎重に()ぐ。…ブレザーはもはやボロボロだ。これはそっと床に置いた。


 中のブラウスはほとんど(よご)れていない。ボロボロの(そで)(たた)んでまくりあげ、彼女は人心地(ひとごこち)が付いたように、「ふう」と息をついた。


「今日は大変でしたね」


 なんの気なしの言葉に、破顔(はがん)する。「ふふ」くすくすと()れくさそうに笑った。


「大変だったね」



 初めて見る、東堂さんの笑顔だ。



 いつもの凛々(りり)しく硬質な印象は(うす)れ、(ととの)った美貌は、今は(やわ)らかさをたたえている。――そして、その(やわ)らかさは、()()()()()こちらに()けられている。


 切田くんは(あたた)かくてソワソワした気持ちになった。食料袋へと手を伸ばす。


「…食事にしますか。バゲット食べます?」


「食べる」


 取り出した丸いバゲットは固く、かさかさだ。盗賊の短刀で切り分けようと思ったが、そのまま洗ってもいないことを思い出す。……流石(さすが)に使える気分ではない。


「貸して」


 東堂さんはバゲットを受け取ると、(ふた)をする様に手のひらを(かさ)ねた。…すると、カラカラのバゲットが、心持ち瑞々(みずみず)しくなった様に見えた。真ん中からふたつにちぎる。


(『スキル』を使った怪力だろうか。…いや、バゲットが(やわら)らかくなったのかな?)「バゲットを(やわら)らかくする『スキル』ですね」


「ふふ。なぁに?それ」


 クスクス笑いながらバゲットの半分を差し出し、言った。




「『生命力回復』よ」




「…なるほど」(わからん)


 ペコリと受け取り、内心首を(かし)げる。


(生命力を回復するスキル。それはわかる。僕の傷を(なお)したスキルだよな。()(ふち)からでさえ回復させる、強力な『スキル』だ)


(…それで、どうして固いバゲットが(やわ)らかくなるんだ…)


(…バゲットの生命力を回復したのか?…バゲットの生命力って、なんだ…?)


 不条理(ふじょうり)さはともかくとして、『スキル』を()かす程度には信頼を()たことはわかった。


(ならば、こっちも答えるべきだろう)「僕のスキルは『精神力回復』です」


「落ち着くスキル?」


「そうです」


「そっか。最初から私とセットなのかもしれないね」


 手に持つバゲットの片割れを、軽く(もてあそ)びながら言う。


「私のスキルでヒットポイントを回復して、きみのスキルでマジックポイントを回復する。よくあるゲームみたいに。…どう思う?」


「僕らは同時に召喚されたわけですし、何らかのシナジーが設定されていても不思議ではないと思います。偶然と考えるよりは自然だと思いますよ」


「……そうじゃなくて……」


 東堂さんは、少し()()()()


(……ん?)切田くんは当惑(とうわく)する。(…あれ、どこを間違えたんだろう…)


 不条理(ふじょうり)さを感じる。(むずか)しい。



 ◇



「いただきます」「いただきます」


 ふたりはバゲットにかぶりついた。


(本当に(やわら)らかくなってるな。食料庫の(たな)の時よりも)


 固いながらも、しっとりとしたやわらかさがある。小麦とバターの風味(ふうみ)を感じる。おいしい。(ウメェ)


 東堂さんはジョッキを取り、そっと(あたた)かいミルクに口をつける。そして、人心地(ひとごこち)ついた様にフウと息をついた。


「でも、落ち着くスキルとして使っちゃうの、おもしろいね」


 切田くんはもぐもぐしながら答える。「パンを(やわ)らかくするのも」


「ふふ。ちゃんとおいしい」


 彼女は()()れと笑い、串焼きに()()ばして一口食べる。


「お醤油の味。不思議ね。…()こうじゃないのに」


 (くも)った声に、片手を差し出す。


 手のひらを見て、彼女は(やわら)らかく微笑(ほほえ)んだ。


「それじゃご飯が食べられないでしょう?」


 東堂さんは()じろぎして、少し(となり)へと()った。



 そのまま、切田くんにもたれかかった。



「…ちゃんと落ち着く…」



 切田くんはあまりの事に、ギチリと固まってしまった。(あわわわわわ…)



 彼女の体温を感じる。肩と腕越しに、鼓動(こどう)(つた)わってくる。……そして、ゆったりとした、呼吸の動きも。


 ふうーっ、と、(ふか)く息を吐く。――安堵(あんど)し、こちらに身を(まか)せている。


「…ふふ」と、小さく満足げな笑い声が聞こえた。(…なんでぇ…?)不思議でいっぱい。


(…か、勘違(かんちが)いするなよ、切田類。言ってたじゃないか、片手が(ふさ)がると食べにくいって。…これは便宜上(べんぎじょう)の問題だ。効率の問題…)


 硬直(こうちょく)したまま、ホットミルクを飲む。


 まだ熱いミルクが胃に流れ込み、体を(あたた)める。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。