14.重なる世界
今日は、小坂先輩のカメラを触らせてもらえることになった。
いつも先輩が大切そうに扱っているカメラ。
オレの相棒であるミノルタくんよりも古そうで、でもどこかカッコいいカメラ。
初めて見たときから、ちょっと気になってたんだよね。
どうやって撮るんだろう?
オレのとは何が違うの?
先輩は……どう見えてるんだろ?
先輩がいつもあんなに真剣な顔で覗き込んでいるファインダーの向こうには、どんな世界が広がっているのか、興味があった。
「……」
ワクワクしながら覗き込んだファインダーからの景色を見た瞬間、オレは思わず声が漏れた。
「え?なんで?」
ファインダーの真ん中だけが、ぼんやりと霞んで見える。
何度瞬きをしても、見える景色は変わらない。
オレの相棒であるミノルタのαSweetSとは全然違う見え方に、だんだん不安になってくる。
「……これ、壊れてんの?」
オレは思わず顔を上げて、小坂先輩を不安げな顔で見てしまう。
「先輩……壊れたカメラでいつも撮ってんの?」
オレがおずおず尋ねると、小坂先輩はちょっと呆れ顔で「違う」と否定してきた。
「こいつは、ここのピントリングをゆっくり回しながら合わせるんだ」
小坂先輩の手がオレの手に重なり、カメラのレンズに付いたリングを先輩と一緒にゆっくりと回していく。
最初は、何が変わっているのかわからなかった。
でも、リングを動かしていくと、ぼんやりと霞んでいたものの輪郭が、少しずつはっきりとしていく。
葉っぱの一枚一枚。
木漏れ日の光の形。
ボヤけてよくわからなかった赤い実の存在。
さっきまで薄い膜がかかったみたいに見えていた景色が、急に目を覚ましたみたいに鮮明になっていく。
そして——
ぴたり。
ファインダーの中の世界が、ひとつに重なった。
「うわぁ……」
思わず声が出てしまう。
びっくりするくらい、綺麗だった。
リングを動かして、ただ覗いているだけなのに……今まで見ていた景色とは違って見えた。
「ちゃんと見えたか?」
先輩に問われ、オレはファインダーから顔を外し、何度もこくこくと頷く。
先輩はどこか自慢げな表情を浮かべ、「それがピントだよ」と教えてくれた。
「すっげぇ!なんか魔法みたいだ!」
被写体を変えると、また真ん中がボヤけてしまう。
でも、さっき教えてくれた通りにすると、また世界が重なり合ってくる。
「銀二のカメラはオートフォーカスだからな。俺のは全部、毎回自分で合わせなきゃいけないんだ」
この言葉を聞いて、オレは初めて先輩が一枚を撮るのに時間をかけていた理由がわかった。
構図とか明るさの調整はオレのカメラでもやるけど、ピントを合わせるってのは基本的に勝手にやってくれる。
まぁ、勝手にやってくれるはずなのに、それでも初めて撮った写真はピンボケしてるのがいっぱいあったんだけどね。
「一枚撮っていいぞ」
先輩の言葉に、オレは一瞬固まってしまった。
「……え?」
思わず聞き返してしまう。
だって、フィルムカメラを撮るようになって、この一枚がどれだけ大切なのかをオレは最近知った。
しかも、憧れの先輩のカメラで撮らせてもらえるなんて思ってもいなかった。
何を撮ろう。
あっこに咲いてる花?
それとも窓から見える景色?
あ、前に先輩が撮ってた白い壁とか?
でも、いざ許可をもらっても、何を撮るのか迷ってしまう。
「……えっと、小坂先輩を撮ってみてもいい?」
恐る恐る尋ねてみる。
先輩は、オレのお願いごとに一瞬だけ驚いた顔をしていた。
その顔は、自分が被写体になるなんて考えていなかったみたいだった。
眉間に皺が寄り、何かを考えるように黙り込む。
でも、視線を逸らしたあと、小さな声が聞こえた。
「……いいよ」
短い返事だったけど、その声はオレの耳にはっきりと聞こえた。
先輩はカメラを向けられることに慣れていないのか、どこか落ち着かない様子だった。
いつも、写真を撮る側だから……
今だけは、逆なんだけど……
視線をどこに向ければいいのかわからないのか、窓の方を眩しそうに見つめている。
でも——
その横顔が、やっぱり綺麗だと思った。
いつも真剣にカメラを覗いているときの顔。
何かを考えているときの、少し難しそうな表情。
オレがこっそり撮ったときの横顔。
どの先輩もカッコよかった。
オレはさっき教えてもらったとおり、ゆっくりとピントを合わせる。
ファインダーの中で、先輩の輪郭が少しずつ鮮明になっていく。
あぁ……これが、写真を撮るってことなんだ。
不思議と、この瞬間、そう思った。
自分が見た世界の【今】を、切り取る感覚。
ギュッとシャッターボタンを押すと、ポシュッという上品な音が聞こえた。
オレのミノルタ君とは違う、少し低くて、落ち着いた音だった。
「撮れたか?」
どこかぶっきらぼうな言い方の先輩がドシドシと寄ってきて、確認してくる。
「終わったらこれ。ここのレバーを親指で右にカチッて音がするまで回すんだ」
オレは言われた通り、レバーを回す。
ガチャッ……ジリジリジリ……と、独特な音とともに指先にフィルムが巻かれる感触が伝わってくる。
カチッという音が聞こえると、右上にある小さな窓の数字がひとつ増えた。
「それで次に撮るときにスムーズにできるんだよ」
先輩は抑揚なく言ってくるけれど、その声はどことなく優しかった。




