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# 『春の歌に戻れた日』 ## 第一話 「35歳の春、そして戻る日」



# 『春の歌に戻れた日』


## 第一話 「35歳の春、そして戻る日」


35歳。


春日 陽太は、静かな部屋の中で目を開けたまま天井を見ていた。


電気はついていないのに、天井だけがやけに白く見える。


仕事はある。生活も崩れてはいない。

それでも、胸の奥にはずっと抜けない空洞があった。


「……なんで、こうなったんだろうな」


誰に言うわけでもなく、呟く。


答えは、もう何度も考えた。


けれど、そのたびに同じ場面に戻る。


---


小学校6年の春。


あの公園。


夕方の光。

少しだけ冷たい風。

ブランコのきしむ音。


そして——声。


「陽太、好き」


牧原りさ。


友達の妹で、まだ四年生だった小さな女の子。


その隣には、同級生の少女もいた。

彼女もまた、視線を逸らさずに立っていた。


冗談のようで、でも本気の匂いがする時間だった。


あの瞬間、陽太は——


逃げた。


---


「そういうの、わからないから」


それが、彼の答えだった。


正確には違う。


“わからない”ではなく、“受け取れなかった”。


理由は、母親だった。


精神的に不安定な母と暮らしていた日々。


怒っているわけでも、優しいわけでもない、揺れる毎日。


その中で陽太はいつの間にか思っていた。


——自分みたいな人間は、誰かを好きになってはいけない。


——誰かを幸せにする資格なんてない。


小学生の思考じゃない。

でも、当時の彼にはそれが“正しいルール”だった。


---


結果。


中学も、高校も、大学も、社会人も。


何かを選ぶたびに、いつも一歩引いた。


気づけば、35歳。


何も失敗していないのに、何も残っていない人生。


「……バカだな、ほんと」


ようやく出た言葉は、自分への呆れだった。


---


その夜。


時計の音が、妙に大きくなる。


カチ、カチ、カチ。


一定だったはずの音が、少しずつズレていく。


テレビはついていない。

部屋は静かすぎる。


「……なんだ?」


胸の奥が、急に熱くなる。


息が浅くなる。


視界の端が白く滲む。


立ち上がろうとした瞬間——


床が、遠のいた。


---


意識が落ちる。


その直前。


誰かの声がした。


「もう一度だけ、選べるよ」


---


## 第二話 「春の公園」


目を開けた瞬間、風の匂いが違った。


土の匂い。

草の匂い。

遠くで笑う子どもの声。


「陽太ー!遅いってば!」


声が高い。


視線が低い。


手を見る。


小さい。


細い。


ランドセルの感触。


「……は?」


混乱する前に、名前が呼ばれる。


「陽太くん!」


振り向くと、公園だった。


ブランコ。

滑り台。

夕方の光。


そして——彼女たち。


牧原りさ。


そして、もう一人の少女。


椎名さくら。


全員がそこにいる。


あの日と同じ場所。


あの日と同じ時間。


違うのは——


陽太だけが“未来の記憶”を持っていることだった。


---


りさが笑う。


「今日さ、ちょっと話あるんだよね」


その一言で、心臓が跳ねる。


——来た。


あの日だ。


人生が一度決まった日。


断れば、何も始まらない人生。


受ければ、知らない未来。


でも、35歳の陽太は知っている。


“あの選択の先”を。


---


さくらが静かにこちらを見る。


「陽太は、どうしたいの?」


その一言が、さらに重い。


ただの子どもの質問じゃない。


まるで——全部を見透かしているようだった。


---


そのとき、遠くで風が吹いた。


一瞬だけ、音が消える。


そしてまた、あの声。


「選び直していい。でも、代償はある」


---


陽太は気づく。


これは“やり直し”じゃない。


これは——選び直しの試験だ。


---


## 第一話 終


---


# 次回予告


第二話「告白」


公園で告げられる、たった一言の未来。


受けるか、断るか。


それだけで人生は変わるはずだった。


——しかし陽太は、“35歳の記憶”を持っている。


そしてもう一人、

この時間に“違和感を持つ少女”が動き始める。


「ねえ陽太。あの時と、違うよね?」


過去は本当に変えられるのか。

それとも、変えてはいけないのか。


春の公園で、最初の選択が始まる

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