奪還、そして落胆
――わたしは、怒っていた。
ふざけた髑髏マークの旗が翻る、泡鳴区の南外れ。闇ギルド《黒瓶商会》の臨時拠点に、クラリスとミスティアを連れて突撃していた。
「行くわよ、伊吹!」
「ええ、もう我慢できません!」
先陣を切るクラリスの剣が、闇ギルドの護衛たちを蹴散らしていく。
背後ではミスティアの泡沫魔法が放たれ、炭酸の盾となって敵の攻撃を弾いた。
わたしは――怒りに震える手で、腰の瓢箪を掴んだ。
「酒は育てるもの」ってノアが言ってた。
だったらそれを――盗むなんて、育ての親を奪うってことだろうが!
「……《光輝襲来・ルミナフォーム》、発動」
わたしの声と共に《酔楽の酒葬》から放たれた森彩の涙を勢いよく飲む。
黄金色の粒子が金棒にまとわりつき、眩い光となって刃を包む。
聖なるバフの輝きは魔除けのように空気を揺らし、闇ギルドの一人が「ぎゃっ」と叫んで目を逸らす。
「うおらぁぁぁっ!!」
振り抜いた一撃が、敵の盾ごと吹き飛ばす。
ルミナフォームの効果は、ただの光属性じゃない。
武器そのものが“正義”の意味を帯び、暗き者たちを怯ませる。
「ば、化け物か! ひとりで数人相手に!」
「これが……酒バフだ!」
叫びながら突っ込んでくる敵をクラリスが蹴り倒す。
その隙にミスティアの泡沫魔法が炸裂し、床に滑り膜を広げて転倒を誘った。
「《泡沫魔法・滑層:スリップフォーム》!」
「助かるわ、ミスティア!」
「これで戦闘不能者は十二名。残り三名です!」
闇ギルドの連中は、完全に士気を失っていた。
最後の一人が「た、宝酒庫は奥だ! もう勘弁してくれぇ!」と叫びながら尻餅をつく。
「……言ったな?」
わたしは金棒を肩に担ぎ、ギルド拠点の奥――樽と瓶が並ぶ冷暗室へと踏み込んだ。
◆
あった。見覚えのある、ガラス瓶の残り。
夕梅珠を漬けた、わたしたちの梅酒だった。
その隣には同じラベルを模した偽装品がずらりと並ぶ。許せない。手間暇かけた“育ちかけ”の子を、こいつらは売り物にしようとしていたのか。
「……クラリス、ミスティア。持って帰るぞ」
「了解」
「急ぎましょう、温度管理もなにもされてません」
搬出した梅酒を、泡鳴区のアジトに戻して並べる。
わたしたちは椅子を囲んで、回収した瓶のひとつを開けた。
甘い香りがふわりと広がる。――確かに、いい香りだ。黄金の液体は澄んでいて、見た目も悪くない。
だけど。
「……飲んでみるか」
グラスに注いだそれを、わたしはひと口含んだ。
「…………」
「どうですか、伊吹さん」
わたしはグラスを置いた。
「美味い。美味いけど……違う」
言葉に詰まる。だが、それしか言えなかった。
たしかに甘みも香りもある。熟成は進んでる。
でも――なにかが決定的に違う。“表面だけ整えたような味”だった。
「エルミナさん?」
ミスティアが問うと、彼女はゆっくりと首を振った。
「違います。祖父の味じゃない。もっとこう……奥に、熱みたいなものがあったんです」
「熱……?」
ノアが小さくうなずいた。
「たぶん、それは……魂のようなものだな。丁寧に育てられた酒だけが持つ、芯の部分」
そう言って、ノアは瓶の内側を指差した。
「見てみろ。酒の表面、微細な濁りがある」
「これって……?」
「たぶん、揺らされた。運搬中に振動が加わったんだろう。温度変化もある。もしかしたら直射日光まで浴びたかもしれん」
ノアは目を閉じて言った。
「酒は生きてる。精妙なバランスの上に成り立ってるんだ。だから……ちょっとしたことで、魂が抜けてしまう」
「そんな……せっかく、漬けたのに」
ミスティアが小さく漏らす。クラリスも唇を噛んでいた。
わたしは、視線を落としたまま、もう一口だけ飲んでみた。
……たしかに、美味い。だけど“響かない”。
「手間はかかるけど……雑にしたら、味も雑になるんだな」
ぽつりと漏らした言葉が、部屋に静かに落ちた。
◆
酒は戻ってこない。
でも――もう一度作ればいい。
そんな覚悟を、わたしは静かに握った。




