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わがまま娘はやんごとない!~夢幻の暗殺者と虚空の双姫~  作者: 八山たかを
第2章「堕つ双月、啼くは絶花の狂い咲き」
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第8話「藤の狼煙と落ちた月」

──


 その死体を見た壱子は、さすがに表情を固くした。

 そしておもむろに傍らに腰を下ろし、死体の袖をまくり、手を握る。


「……なるほど」


 死体との握手を済ませた壱子は短く言うと、勝手に何かに納得したらしく、立ち上がる。

 そして、周囲の人間に向けて言った。


「門を閉じよ。誰一人として屋敷から出してはならぬ。まあ……猫の子はその限りではないが」


──


 死体の生前についていた名前は「射月(いづき)」といった。

 首には絞められたような痕があったから、死因はおそらく窒息死と見て間違いない。

 ただ、首を絞めた紐状のものは見つからなかった。

 おそらく犯人が持ち去ったのだろう。


 平間が壱子に命じられて行った情報収集の結果は、次のようになる。


 殺された射月は、水臥小路詩織に仕える侍女だという。

 正確な歳は不明だが、周囲の侍女たちは二十(はたち)かそこらだと思っていたらしい。

 屋敷内で最も古株である朝霧の談によれば、射月はかなり長いこと詩織の傍にいた。

 具体的に言えば、詩織が七つほどの幼子だった頃からの付き合いなのだという。

 平間が彼女に見覚えがあったのも、射月が先日の(うたげ)で詩織の(そば)に控えていたからだ。


 それに気付いた時、平間は射月の言葉を思い出す。


『羨ましいですわ』


 処刑される罪人たちを見て、射月は確かにそう言った。

 しかし、これが何かの手掛かりになるとは、平間には思えなかった。


 ところで、平間が話を聞いた侍女は十名程度だったが、彼女たちは異口同音に「射月は気さくな性格で親しみやすかった」と話した。

 そのうえ仕事ぶりは真面目そのもので、おごった所もなく、人に恨まれるような人物ではなかったらしい。

 顔立ちも美しく、何処かの貴公子から縁談の誘いが来ているのでは、という噂もあった。

 

 一通り話を聞いた平間は、大いに(いぶか)しんだ。

 射月には欠点らしい欠点が見当たらない。

 彼女を知る人物は皆その死を悼んでいる。

 つまり、完璧なのだ。


 しかし平間からしてみれば、「完璧であること」ほど胡散臭いものは無い。

 なぜなら、何かで満たされた人間は、満たされるがゆえに別の何かを失うからだ。

 例えば家柄に恵まれた人間は、その恵まれた家柄ゆえに人格を損なうことがある。

 酒色にふけり、身持ちを崩すこともある。

 ゆえに平間は、完璧な人間というものの存在を信じていなかった。


 ゆえに、射月には胡散臭さを感じる。

 ともあれ、考えられる可能性は二つしかない。

 外見を完璧に取り繕うことが出来た可能性と、本当に完璧な人間だった可能性だ。


「そういえば」

 

 平間はふと、紬のことを思い出す。

 情報に通じている彼女なら、射月について何かしらの情報を得られるかもしれない。

 ただ問題があるとすれば、ふらっと現れていつの間にかいなくなるから、話を聞こうと思っても叶わないことだ。

 今も、紬がどこにいるか平間は知らない。


「……まあ、興味を持ったら向こうから出てくるか」


 平間が独り言を漏らすと、壱子が口を開いた。


「さて、各方 (おのおのがた)。今から、どうしようかの?」


 壱子は神妙な面持ちだが、爛々とした光を宿した瞳からは、内なる興奮を隠しきれていない。

 凄まじく不謹慎だが、言ってどうなることでもないだろう。

 

 平間や壱子たちがいるのは、双子姫の屋敷の中央部に設けられた応接間である。

 普段は誰も使っていないらしいこの部屋は、いかなる高貴な人物でも迎えることが出来るようにと、かなり豪華な内装が施されていた。

 部屋にいるのは平間と壱子の他に、依織とその母親、屋敷に仕える侍女の全員だ。


 逆に、詩織は姿を見せていない。

 侍女の一人が詩織の居室に話を伝えに行ったが、射月の亡骸を目にするや気絶し、()せってしまったのだという。


 ところで、射月の死体が発見された際、その場にいたのは平間と壱子、依織に、数名の侍女と依織の母親だった。


『お座敷の掃除が終わったので、次は中庭を、と思って障子を開けたら、射月さんが欄干(らんかん)に覆いかぶさるようにしているのが見えたんです。私はびっくりしてしまって、つい叫び声を……』


 そう語るのは、第一発見者である入鶴(いりづる)という名の老齢の侍女だ。

 彼女の話には特に矛盾したり、疑わしい部分は無かった。

 壱子も同じ感想だったようで、「何も知らぬな」と早々に入鶴に注意を向けるのをやめている。


「やはり、近衛府に連絡するべきでしょう」


 と、常識的な意見を述べるのは、依織の母親だ。

 壱子もうなずく。


「妥当な判断じゃな。ここは左(※)のほうが良いじゃろう。顔を立ててやらねば」

「ですがその前に、貴女を拘束しなければなりません、壱子さん」

「は?」


(※:左近衛府のこと。)


 依織の母親の言葉に、壱子は片方の眉を下げる。

 それは「まるで理解できない」といった表情だったが、壱子は相手へ配慮して、あえて平坦な声で尋ねた。


「はて、まるで心当たりが無いが、理由を伺っても?」

「とぼけないで下さい。私は見たのです」

「何を?」

「中庭で、あの侍女と貴女が言い争っているのを、です」

「……何の罠かな、これは」


 壱子は険しい表情で、あたりを見回した。

 母親の話では、要するに壱子が射月を殺したということなのだろうか。

 思えば、確かに壱子は一度、依織との対局の合間に席を立ったことがあった。

 その時に依織を殺害したと言うのならば、まああり得ないことはない。


 しかし平間には、その可能性は全く無いと思われた。

 その理由は『彼女がそんなことをするはずがない』というもの以外にも、少なくとも三つはある。


 まず第一に、壱子は射月を殺す動機が無い。

 壱子は基本的に出不精(でぶしょう)だから、射月と言葉を交わしたことがあるかすら怪しい。


 第二に、壱子はあまりにも非力だということだ。

 平間の知る限り、壱子ほど身体能力が低い人間はいない。

 もっぱら屋敷に引きこもって本を読んでいる壱子の身体には、筋肉と呼べるものが必要最低限しか無く、少し走っただけでもすぐに息切れする。

 貴族を揶揄(やゆ)する言葉に「箸より重いものを持ったことがない」というものがあるが、壱子の場合は冗談でもなくそんな人間の一人だ。

 そんな彼女のことだから、仮に不意を衝いたとしても、体格で勝る射月を手に掛けることは不可能に近い。

 射月も極端に痩せてはいないようだったから、壱子程度ならば容易に返り討ちにできたはずだ。


 そして第三に、壱子ならば「もっと上手くやる」ということだ。

 これには明確な根拠がなく、平間の直感に近い。

 しかしどんな理由よりも、強い自信を持って言うことが出来る。


 周囲の反応は、様々だった。

 壱子をよく知らないであろう侍女たちは、壱子に対して困惑と疑念の目を向けていた。

 逆に依織は、己の母親を訝しげに見つめている。

 そして当の母親は、自分の発言に対し、絶対の自信を持っているように見えた。


「違うな。罠ですら無いのか」


 壱子は何かに納得したように(うなず)く。

 そして母親に視線を向けて、言った。


「よし、私を縛りたければ縛るが良い」

「では──」

「しかし覚悟めされよ。妾腹(めかけばら)とはいえ、私は右大臣・佐田玄風(さだのくろかぜ)の娘じゃ。いざ私の無実が証明された時に『間違えました』では済まされぬぞ」

「構いません。縄を、とびきり太い縄を持って来なさい! 私の屋敷での狼藉は、絶対に許しません」


 母親は高らかに命じるが、侍女たちは動こうとしない。

 当然だ。

 貴族でない者にとって、貴族は絶大な力を持つ怪物に等しい。

 普通の感性を持っていれば、あやふやな理由で貴族の自由を縛る気にはなれないはずだ。


 が、命令する母親も貴族である。

 侍女の一人が、気まずそうに部屋の外に消えた。

 両者を天秤にかければ、やや母親の方に傾いたのだろう。

 その侍女はすぐに、縄を手にして戻ってきた。


「ふむ。まあ、そこまで言うのなら」


 壱子は肩をすくめて、おとなしく両手を前に出す。

「自分は絶対に無実だから、いま縛られても何の問題もない」と考えているらしい。

 むしろその態度が威圧感を与えたらしく、縄を持った侍女は表情をこわばらせた。

 彼女は震える手で、壱子の手首に縄を添える。


 と、その時。


「待て! やめよやめよ!」


 そう言って二人の間に割って入ったのは、依織である。

 その手に大黒丸を抱えながら、依織は必死の剣幕で叫ぶ。


「いちこは我が友人だ。人を殺すなど、ありえぬ!」

「依織、ですが私は見たのです。下がりなさい」

「は、母上はそう言うが、みみみ見間違えかも知れぬではないか!」

「あり得ません。下がりなさい」

「やだ!」

「下がりなさい」

「やだったら、やだ!」


 子供っぽくわめく依織は、肩を怒らせて母親を威嚇する。

 その口上はお世辞にも見事とは言えないが、必死さは確かに伝わってくる。

 以前はあれだけ母親にべったりだったのに、ずいぶんと様変わりしたものだ。


 依織と母親は、睨み合ったまま動かない。


「……で、どうするのかな?」


 膠着した場を見かねて、壱子はため息混じりに尋ねる。


「私はどちらでも構わぬぞ。どうせ無実じゃ。ああは言ったが、別に捕らえられても仕返しなどはせぬ。むしろ新しい経験が出来て、楽しいかも知れぬな。ふふ」

「うん。とりあえず一旦落ち着こうか、壱子」


 好奇心が変な方向に向かっている壱子を、平間が苦笑いでたしなめる。

 壱子はどこか不満気だったが、鼻を鳴らして再び口を開く。


「では、異論がなければ近衛府に使いを送ろう。よろしいかな、お母上殿」

「……」

「お母上殿、あなたに話しかけているのじゃが」

「はい。そうですね」

「……? まあ良いか。では、使いに出たい者はいるか?」


 壱子は首をかしげつつ、周囲を見回す。

 しかし名乗り出る者はいない。


「さすがに掛からぬか(※)。では依織、お主の侍女らとこの平間とで、くじ引きをさせよう。選ばれた者を使いに出す」

「構わぬが、どうしてくじ引きを?」

「仮に犯人が共犯だった場合、使者を恣意的(しいてき)に選ぶかも知れぬ。私も含めてな」

「よく分からぬが、公平なのは良いことだ。朝霧、頼んだぞ」

「かしこまりました」


(※:壱子は、犯人が逃げるために使者に立候補するかも知れない、と踏んでいた。つまり簡単なカマかけをしたわけです。)


 朝霧がお辞儀したその時、部屋に飛び込んできた人影が一つ。

 それが詩織だと平間が気付くのと同時に、詩織が依織に近付き、その頬をしたたかに(はた)いた。

 一瞬にして空気が凍りつく。

 依織は混乱しているのか、紅調した左頬を抑えて固まっている。


「この阿婆擦(あばずれ)女! よくも射月を……よくも!!」


 詩織は叫びながら、依織を引き倒して馬乗りになった。

 驚いた大黒丸が、短く悲鳴を上げて逃げていく。


「惚けるな平間、止めるぞ!」

「あ、ああ!」


 壱子は詩織を止めようと突撃し、一瞬で弾き飛ばされる。

 それを横目に、平間は詩織を後ろから羽交い締めにした。

 依織から引き離された詩織はなおも暴れ、声を荒らげる。


「離せ下人! 離せ!」

「落ち着いて下さい! 依織さまが何をしたっていうんですか!?」

「射月を殺したのはこの女に決まっている! よくも、よくも……っ!!」

「あり得ません! 依織様は今日、ずっとご自身の部屋にいました」

「だったらお前も共犯か!?」

「はぁ? 違いますって!」


 この段になってようやく、他の侍女たちが動き出す。

 壱子もけろりと起き上がり、平間に抑えられたままの詩織に話しかける。


「詩織どの、なぜ依織が犯人だと?」

「あいつは私を憎んでいる! だから腹いせに射月を、私の侍女を殺したんだ!」

「私が求めているのは推測ではなく、根拠じゃ」

「他に殺す人間などいない!!」

「話にならぬな。確かに、あらゆる可能性は考慮されるべきではあるが……」

「さてはお前も共犯か? 私が蘭宮(らんぐう)さまに嫁ぐから、嫉妬しているんだな!?」

「蘭宮……第二皇子か。それは初耳じゃ。だから嫉妬ではないよ」

「違うのか?」

「無論じゃ。嫉妬で無関係な人間を殺すか」


 壱子が淡々と答えると、詩織は次第に落ち着きを取り戻した。

 それを見て、壱子は平間に「離してやれ」と目配せした。

 平間がうなずくと、詩織は力なく座り込む。


「分かりました。では、早く近衛府へ知らせましょう」

「そのつもりじゃ」

「では早速──」

「というより、そのつもり()()()と言ったほうが正しいかな」

「……どういう意味です?」


 聞き返す詩織に、壱子は無感情に言う。


「近衛府では不適なのじゃ。今回の事件で、取り調べの対象には、左大臣の妻に娘が二人、右大臣の娘が含まれている」

「それに何の問題が?」

「これでは自白を得ることは出来ないじゃろう。拷問が出来ぬからな。すると最悪の場合、無実の侍女や従者が真犯人としてでっち上げられる可能性だってある」

「それは否定できませんが、だからと言って近衛府以外に捜査が出来るわけ……まさか」


 ハッとして目を見開いた詩織に、壱子は邪悪な笑みを浮かべる。


「事件を解決するためには、憶測や思い込みなどの()()()()な要素を可能な限り排除しなければならぬ」

「許しません! あのような汚らわしい者どもに、射月を──」

「これも全て、死んだ侍女のためじゃ」

「ふざけるな! 絶対に認めない!!」


 青ざめた顔で詩織は壱子に掴みかかろうとするが、周囲の侍女がこれを抑える。

 いつの間にか、壱子は彼女たちの心も掌握してたらしい。

 壱子は平然と踵を返し、平間に向けて言う。


「今晩のうちに射月の亡骸を引き渡す。手配してくれ」

「いいけど、どこに?」

忌部(いんべ)省じゃ。近衛府にいたお主なら、関わったことがあったと思うが」


 その名を聞いた平間は、思わず頬をひきつらせる。

 つまり壱子は、射月の亡骸を解体して調べようというのだ。


(いむ)」の字を充てられたその官庁は、文字通り皇国の禁忌である。

 その役割を一言で言えば、死にまつわる一切の業務を取り仕切ること。

 それは野垂れ死んだ獣の死骸処理のみならず、貧民や罪人の埋葬も含む。

 また、噂では死人の臓腑を加工して秘薬とし、影で売りさばいているとも言われている。


 そんな彼らはいわば「死の象徴」であり、(けが)れを嫌う貴族はもちろん、市井の人々も眉をひそめ、その存在を語りたがらなかった。

 ゆえに、忌部省の名が壱子から出てきたことに、平間はひどく驚いた。

 美しいものだけ見て育ってきた彼女は、ある意味で最も忌部省を嫌っていそうな人種だったからだ。


 そんな平間の思いをよそに、壱子は詩織に向けて言う。


「私の記憶では……そう、確か『手段を選んではならぬ』のであったな?」

「覚えていなさい。絶対に許しません」

「下々の者らを守るのも貴族の義務であろ? その点は問題ない。(したい)餅屋(いんべ)じゃ、徹底的に調べて……百舌鳥鍋(もずなべ)を食べよう」


 薄く笑う壱子の目には、ひどく冷たい色の光が宿っていた。


──


(蛇足ですが、モズを食べるという話は聞いたことがありません。あまり美味しくないようです。)

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