玄関での攻防。天然モノは養殖より強い。
私は期待してたんだろうか。
もちろん、飛び出した私を会長が追いかけてくるとか、引き止めてくれるだなんて毛頭思っていない、思っていないはずだけど、何だろう。
清々しく晴れた青空の下、気だるそうに歩く大学生、和やかに過ごす老夫婦、うたた寝している商店街のおじさん。エコバッグを持つ奥さん、時々見かける外回りの営業さん。誰もが待つ人がいて、目的があって、楽しくこの現実であって、現実を疑うような世界に生きている。
「・・・・・・寂しい」
心にある感情に名前を付けるとしたら最も近いであろう言葉を発すると、ますますその感情は輪郭を持って膨れた。要は、自分の生きる世界が乙女ゲームの中だと分かったけれど、そのテーマを果たすことも出来ず、中途半端にこの世界って作られたもんなのか仕組まれたもんなのか私の行動も無意識に意図されたプログラムなのか、っていう不安の渦に放り込まれた訳だ。厨二病再発乙。そして、そんな不安を感じないでいられる心強い奥さんだったり夫だったり家族や友人がいる人が羨ましくなって、そんな人が全く思い浮かばない自分が寂しくなっただけ。ぼっち乙。その不安定さを解消して救ってくれるヒーロー性みたいなのを攻略キャラで完全無欠な会長に一瞬でも求めてしまっただけ。NTR願望乙。
悲劇のヒロインでも何でもない。そんな柄じゃないし、ヒロインって役割じゃないし、これまでと一緒だ。知っているか、知らなかったかということの差違。けど、相談できる人もいなければ、誰にも相談できる内容ではなくて、それが、苦しい。
(・・・・・・暗っ!私、知ってたけど暗いっ!これはドン引きもんだわー)
ため息をつくと同時に、電話が鳴った。
画面を見るが、未登録の番号だったようで名前は出てこない。無視するか否か。
私は少し躊躇ったが応答ボタンを押してしまった。
やっぱり、寂しい。一人ぼっちは寂しいもんな。
『もしもしっ?!りんごちゃん?!』
「愛美、さん?」
『ほんっとうに、ごめんね!恭輔ったら、りんごちゃんに男の人紹介するって言っておきながら、新入社員の面接なんかさせたんでしょ?!信じられないよね!ちょっと、恭輔!ほら!』
『・・・悪かったな、佐藤』
電話口でごそごそという音が聞こえて、女の声が男の声に変わる。
『お前のためを思ったつもりだったんだ。男紹介するっつっても、周りの男は相手がいるしな・・・いや、言い訳じゃないって!愛美!・・・・・・ごめんな』
「はい・・・」
『良い男見つかったらすぐ紹介するから!今日はお前の愚痴聞いてやるから!なっ!お前、今どこ?』
緩慢な動きで辺りを見ると、自分のマンションが目に入った。
どうやらひどくショックを受けながらも、帰巣本能で家に帰る最中だったらしい。犬か。
ついでに主人の言葉に素直に反応する犬よろしく、何も考えずに素直に答えてしまった。
「家の近くですが・・・・・・」
『じゃあ、仕事終わったら迎えに行く。家で待ってろ。飲みに行くぞ』
「はい・・・・・・」
私はイエスマンかよ。電話が切れても携帯電話を握りしめていた私は、しばらくして動き始めた。
家帰って着替えよう。化粧と髪型はセットしてもらった今のままでいいから。終業時間まで時間はあるから新しい服を買いに出かけても――・・・・・・って、デートじゃないんだから。したことないけど。新しい服で気合入れるとか会長ラブかよ。違うわアホか。愛美さんっていう彼女も来るだろうし、デートじゃないよ。
そうだ、家に帰ろう。
・・・・・・まぁ、あの会長が飲みに行くって言ったら、お高そうなレストランとかだろうし、小奇麗な格好はするべきかな。タンスの中にちょっとお高めなセーターがあったはずだ。むしゃくしゃして最近買ったものの、着ていく場所も人もいないから上等なタンスの肥やしになっていたもの。ふんわりした肌触りに寸胴体型をうまいこと隠しながら女性らしいシルエットを演出する理想のセーターで、綺麗な淡い緑が特に気に入った。あれにしよう。下はタイトなジーンズに私のボディをねじこんで、靴はムートンブーツでいっか。
マンション前でひたすら行ったり来たりした私はようやく我が家に足を向けたのだった。
ピンポーン
チャイムは1回だった。何だか安心する。しかし、午後5時だぞ。終業時間ぴったりとか、仕事してんのか。あのカップル。してなさそうだな、バカップル。
玄関先で靴をはいて、ちらっと靴箱横の鏡を見るとわずかに頬を上気させた佐藤苹果の姿が目に入り、ますます照れくさくなって勢い良くドアを開けた。
「・・・・・佐藤、お前、誰が来たか確認くらいしろよ。女なんだから用心しないと危ねぇだろ」
「会長・・・・・・?」
ドア前に堂々と立っている人は一人である。その人は「会長って呼ぶことにしたのか?随分懐かしい呼び方だな」とのたまっている。マイペースなものだ。
「まぁ、いいか。行くぞ」
「あの」
手に持っていたカバンの持ち手を引かれてはっとする。
「あ?何だ?」
「あの、・・・愛美さんは?」
車の中か。しかし、N極とS極の磁石並にくっついているイメージの二人が離れているのは不自然な気がする。会長はしかめ面をした。
「あー、ちょっと色々あってな・・・来れなくなった。ほら、手離せよ」
何だ。ごまかそうとはしているが、明らかに不本意で焦りが感じられる顔である。愛美さんの元に行きたいという思いがありありと出ているが。それよりも手を離せとは?
「こういうのは男が持つんだっての。しかし、何入れてんだ?・・・・・・傘とかDSとか要るか?」
「・・・・・・会長、自分で持ちますよ」
会長は私の言葉など意にも介さず、勝手にカバンを奪って手を突っ込んでいる。
折りたたみ傘はもし雨が降ったら要るし、DSはすれちがい通信で便利な道具が手に入るかもしれないじゃないですか。外に出るとか、『ちょうほうかつどう』する良い機会ですもの。珍しいポケモンがトローゼしやすくなります。というか、カバンチェックするのは男としてどうなんですか。「化粧直しの道具くらい入れてこいよ」と言いながらまさぐらないで下さいってば。
そんなこと言えない。代りに物言いたげな目でじとっと会長を見ていると、会長も何故かこちらをじとっと見てきた。うおう、何ですか。
見ていると固まってしまいそうなので目を見ず、急いで会長の鼻頭に視線を移す。鼻頭も美しい。会長の鼻に角栓って存在しないのかな。
「佐藤」
さんざん脳内でしゃべっていた私は「何でしょうか」とおざなりに返事をした。会長の小鼻が少し膨れてすぼまる。あ、ため息ついたな。
「お前、言いたいことは言え」
何のことでしょう。
「お前、黙っていること多いだろ?今だって無礼なことしてんのに、止めずに見てるだけだ」
無礼なことをしているという自覚はあったんですか。
私は会長の手元に目を移した。カバンはすっかり会長が持っていたが、それだけで既に中から手は抜かれている。
そりゃ、私にはトーク力が不足していることは承知している。けど、面白い話なんて出来ない。あなたの周りみたいにはちゃめちゃな力があったり、純粋無垢だったり、他人に自慢できる経験があるような、そんな人間じゃないんですよ、私。
と、言いたいところだがどう言えばいいのやらとやっぱり無言でいると会長の手が動いた。動きを目で追っていくとその手で自分の目元に触れる。視線が再度ぶつかった。会長がこっちを見て「やっと目が合ったな」と笑った。しまったと思ったのが先か、心臓が不規則にはねたのが先か。判断はつかないが、少なくとも目をひっぺがすよりも会長が口を開くのが先だった。
「黙ってたら、お前の魅力伝わらないだろ?」
「・・・・・・!」
思考回路が一挙に熱くなって焼き切れた。呼吸や唾液の嚥下すら意識しなければ出来なくなる。
(い、息吸って、吐いて、うわ、よだれ出る!飲み込んでぇえええ)
「・・・・・・ここまで言って黙るなよ。難しいなら思っていることをそのまま言ったら良い。待ってるから何か言ってみ?」
(つ、追撃ぃ・・・!)
「・・・・・・か、会長って」
からからになった口を必死に動かした。
「天然ですよね・・・・・・」
天然タラシ。
「・・・・・・どこが」
「て、天然さんは、その、自覚がないものなのです」
私が口を開くと嬉しそうな顔して、天然って言われるとぽかんとあどけない表情浮かべちゃったりして、それで私に可愛いって思わせておいて、それが無自覚って、あなた本当に天然ですよ。
「・・・・・・あー、もう天然でもなんでもいいから、その調子で話せ。行くぞ」
自分でも訳分からないこと言ったと思っているのに、そのままで良いらしい。
「はい・・・・・・」
「あと、敬語はよせ。同い年だろうが」
同い年ですが、敬語で話すには理由があるんです。
「はい・・・・・・」
「おい、分かってねぇだろ」
返事で精一杯です。それに、
「また自分の中だけで考えてる。口に出せ。声を出せ」
「あー、その、えー」
あのー。
「・・・・・・ためらわず素直に言え」
「どうしても会長と一緒にお出かけしなければなりませんか。行かないっていうのは」
一緒に出かけるという意味を、この人は分かっているのでしょうか。
「却下」
どうして!そこだけ俺様なんですか!さっきまでは私のために色々言ってくれたくせに。
「愛美が今日は絶対謝罪のためにおごってこい、って言ってたからな。お前の意見は聞いてねぇ。どうせ今夜予定ないんだろ」
「・・・・・・」
俺様じゃなくて、愛美様、でしたか。失礼しました。
「黙るな」
会長は愛美さん至上の人だなんてはっきり分かっていたはずだけど、何だかつまらない思いがします。なんて素直に言わない。黙ることは止めるけど、思っていることそのままは言わないですよ。
「『ないんだろ』って何で疑問形じゃないんですか」
「じゃあ、あるのか?俺の誘いよりも優先する予定。それに敬語使うな」
「・・・・・・会長って」
黙ることは止めるけど、敬語を止めることはしないよ。心の中は敬語禁止令にしっかり従ってるけれど。
「俺様キャラ似合いますよね」
「・・・・・・お前こそ天然じゃねぇの?」
「失礼な。私はわざとズレた話をして、わざと敬語にしているのです」
「タチが悪い」
会長はキリがないとも思ったらしく、私のカバンを持ったまま歩き始めた。モノ質を取られた私は大和撫子よろしく、静々と後を着いていく。命令口調と他者が自分の後を付いてくると信じきっている様は本当に俺様だ。
それでいい。
愛美さんを優先するとキャラがブレてる気がして、何だか嫌だな、という思いがする。
「会長、今日はどこに連れて行ってもらえるんですか」
「お前が足を踏み込むことすら躊躇うような高級レストラン」
「意地が悪い」
会長には俺様キャラが一番似合うから、そのままでいてほしいんです。とまでは言わない。言えなかった。