第2話 冥府の王
ふ、と意識が浮上する。ぼやけていた視界が少しずつクリアになる。ラビアは緩慢なしぐさで体を起こしたが、目の前に「何か」がいるのが分かると素早く態勢を整えて腰に手を伸ばした。だがそこにナイフはない。それどころか彼女がいま身に着けている服はあの豪奢な婚礼衣装だった。周囲に視線を巡らせれば、公爵令嬢にはそこが死の神クジャト神の祭祀場の洞窟であることがすぐにわかった。彼女が横たわっていた大きな祭壇の前には豪奢な花嫁道具に宝飾品、溢れんばかりの花々やカゴに盛られた果実に絹布、細工も見事な楽器が置かれている。
(私は結局、長兄殿たちの思い通りになってしまったのか……!)
意識が途切れた時のことを思い出し、事情を理解した生贄の乙女は顔をゆがめて左手を握り、奥歯を強く噛みしめた。青い瞳から大粒の涙がこぼれる。だがそれをそっとぬぐう大きな手があった。目の前にいた「何か」の手だ。
「どこか痛いか? 怪我などは無いと思うのだが……」
頭上から声が降りかかる。ラビアはゆっくりと顔を上げ、目を見張った。そこにいるのは明らかに人間ではない男だった。何せ身の丈はラビアの倍ほどもあり、4本の腕が生えている。そのうえ目の部分の本来白くあるべきところは黒く、瞳は黄金色をしている。烏の濡れ羽色をした髪は腰に届くほど長く、身にまとうのは黒い装束。そして、絵にかいたような美男だった。
初めて見る男、否、存在だ。だが、ラビアはその名を知っている。
「御身は冥府の主、死の神、クジャト神であらせられるか?」
「うむ、この俺こそ冥府の主、生死の境の番人、死の神、古き神々の子にして古き神々を屠りし者、大海神の弟、そしてそなたの夫となるクジャトである」
震える声で紡がれる問いかけに、巨漢は実に堂々と答えてニコリと笑った。無邪気さすら感じさせるその笑みに、ラビアは泣くことも言うべき言葉も忘れてしまう。そもそも神などという存在と対面するとは思っていなかったのだ。否、大前提として……。
「あの、私、死にました?」
いかにも間抜けな問いだった。だが当人にとっては重大な問題だった。死の神クジャトの花嫁になるとは要するに死ぬことだったはずだ。少なくとも母国ではそう認識されている。だが、今のラビアには意識がある。こぼれ落ちた涙の熱さも、それをぬぐう手の温みも感じていた。
戸惑う彼女に反して、当のクジャト神はあっけらかんと答えた。
「うむ、既に死んでおる。冥界的には死者のカウントだ、現世には戻れぬ。この祭壇に捧げられた時には既に毒で死んでおったのでな。俺の権能で蘇生させて加護を与え、俺と共に過ごせるようにしたぞ」
「死者扱いでもう現世に戻れなくて、でも蘇生をした?!」
何でもアリにもほどがある、という言葉をラビアはぐっと飲み込んだ。議論するだけ無駄、だからこそ神。
毒気を抜かれた人の子は4本腕の巨漢を見つめて途方に暮れた。だがそんな彼女に構わず、死の神はあの無邪気な笑みを浮かべて朗々とした声で言い放った。
「祭祀を執り行った神官が言っておった、そなたの名はラビア、俺の花嫁だと。己の妻を見殺しにする阿呆がどこにいる!」
そのまま4本の腕で豪奢な婚礼衣装に身を包んだ赤茶の髪の乙女を抱き上げる。その勢いに公爵令嬢らしからぬ素っ頓狂な声が出たが、人の埒外にいる巨漢はそんな彼女の反応にすら嬉しそうに目を細め、大きな手で花嫁の傷のある頬をそっと撫でた。これには気丈な乙女も赤面し、それをごまかすように口を開いた。
「ですがクジャト神、とつぜん花嫁をやるだなんて言われてはお困りでしょう。人々が性悪女を持て余してあなたに押し付けたのかもしれませんよ?」
「それを自分から言う者を性悪と呼ぶのは難しかろう!」
「……ええと、自分で言うのもなんですけど、私が持って生まれた魔法は攻撃的で危険なものです。クジャト神にご迷惑をおかけするかもしれません」
「なに、この神の前では些事であることよ!」
歯切れの悪い言葉に神は呵々大笑し、祭壇に腰かけた自身の膝にラビアを乗せた。
「なあラビアよ、この冥府には他の神が立ち入れないことは知っているか?」
公爵家の末娘は黙って首を縦に振った。死者の魂を洗い清め、生死の境界線を守り、死した者たちの世界であるこの冥府に立ち入ることができるのは、死の神とその加護を受けた者、そして死者のみであるという。
「ここには俺の使い魔たちこそいるが、神であり冥府の王である俺と対等に話せる相手はいない。だから俺と対等な、冥府の女王としてそなたが一緒にいてくれると嬉しいし心強い。……一人は寒いからな」
そう言って、冥府の神は大きな手でラビアの手をそっと握って苦笑した。くしゃりと歪んだ美しい顔と、金の瞳の僅かな潤みを見つめながら彼女は思い出す。ある日突然住まうことになった国一番の大貴族の屋敷の不安になるほどの広さ。穏やかだが傲慢な長兄の物言い、苛立つ長女の金切声。一人きりの食卓。「卑しい踊り子の娘」と仲良くしてやろう、だなんて親切な貴族はいなかった。衆目を浴びながら、嘲笑を受けながら、彼女はただ独り立っていた。その時の薄ら寒さを彼女は良く知っている。
(でも、母さんやリパ姉様が一緒の時だけは温かかった)
ラビアは顔を上げてじっと死の神を見つめる。胸の奥がじわりと熱を持つ。だがその熱の正体を探るよりも、この超存在が人間と似た情感を持つ事実を噛みしめることで精いっぱいだった。
不意にクジャト神はラビアを4本腕で抱えたまま立ち上がった。その大きな影から使い魔の黒い犬やカラスたちが這いずり出て、周囲に置かれていた捧げ物や花嫁道具を器用に持ち上げた。
「とはいえ、突然こんなことになって混乱している者に結婚を強要するのは道理に反するというものだ。花嫁だ結婚だという話はひとまず忘れてくれ、現世に心残りもあるだろう」
すまんな、という謝罪にどう答えるべきか少し悩んでラビアは苦笑する。
「父と、一番歳の近い姉のことだけは気になりますが、その程度です」
「……なあ、そなたさえ良ければ冥府の客将として俺の仕事を手伝ってはくれまいか? 攻撃的な魔法を使うならなおのこと頼みたい」
「客将とはまた身に余る光栄ではありますが……私の魔法が役に立つと?」
「この俺が言うのだから間違いない!」
子供のようなあどけない表情で首をひねるラビアに、黒と金の目の神は顔いっぱいに自信と確信をみなぎらせて首を縦に振った。その表情を見つめながら、公爵家の妾腹の娘は数年前のことを思い出す。あの時、豪奢な部屋の中で、床に額をこすりつけたラビアの母は、ラビアが長女ティエナと次兄に怪我をさせた責任を問われて第二夫人に鞭打たれていた。父と母とリパ以外の誰もが彼女の魔法を「人殺しの魔法」とさげすんだものだ。
ラビアの左手が無意識に拳を作る。触れ合った皮膚が白くなる。だがそれを見逃さず、冥府の神は大きな手で小さな拳にそっと触れてその強張りをほどかせ、囁くような声で言った。
「そう力を入れては痛かろう」
その響きというと泣き出す前のそれで、自分のことでもないのに、とラビアは口元に微笑をひらめかせた。クジャト神が人間よりも人間臭いのがおかしかったのもある。だから、その言葉は自然と彼女の口から発せられた。
「ではクジャト神、このラビア、我が“刃の魔法”を以って最大限クジャト神にお力添えいたしましょう」
清々しい声で紡がれたその言葉に、冥府の神はありがとう、とひとつ笑うと祭壇に刻まれた文様に手をかざした。祭壇全体が光を放ったかと思うと、次の瞬間、目の前には広大な草原が広がっていた。だが孔雀色の草原の上、頭上を覆う空は淡いピンクと紫の交ざったような色で、星の群れに混ざって水色の月が3つも浮かんでいる。冥府の王は向こうの地平に建つ白い大きな神殿のようなものを指さした。
「あそこが俺の居城だ。……我が客将殿、その恰好では動き辛かろう。ひとまず動きやすい服に着替えるのが良いか」
言われて、豪奢な絹布の花嫁衣装に身を包んだ乙女は大人しく首を縦に振った。
死の神クジャトの居城は、その主の巨体に合わせて調度品も何もかもがラビアの想定よりも一回り大きい。中から現れた犬の顔をした背の高いメイドに驚く間もなく、彼女は大きな鏡台のある部屋に通された。
クジャト神の使い魔の一種、と自己紹介した陽気な女中に差し出された服に着替える公爵令嬢の身体は凄まじいものだった。頬はもちろんだが、胸や腹、肩や二の腕には様々な傷痕が刻まれていた。だがそれとは対照的に、背中にはかすり傷ひとつもない。
屋敷を逃げ出す時に着けていた宝飾品を外し、着替えの中にあった背中の大きく開いたキャミソールを着て、ラビアは苦笑する。
(死んで生き返っても古傷はそのままか)
思い返してみれば、国一番の大貴族の末娘などという大層な肩書を持ったラビアが貴族社会にうまく馴染めないどころか年を経るごとにそこから疎外されていたのはこの傷のせいでもあった。とはいえ、傷の原因の半分は彼女自身なのだが。
(でも、あの時の私は間違ってなかった。私の人生は誰かに馬鹿にされるためにあったわけじゃないし、怒らないといけないときに怒れないんじゃ生きてる甲斐が無い。……大丈夫、この傷は忌むべきものじゃない)
自分に言い聞かせて、さっきクジャト神がそうしたように、また無意識に握りこんでいた自身の左手を右手で撫でる。いつまでそうしていたか、部屋の外からあの犬のメイドの伸びやかな声が聞こえてきた。
「ラビア様、お渡ししたお召し物の具合はいかがでしょうか。大きさや材質に問題ございますか?」
「あっ、着替え終わりました。サイズもぴったり、動きやすいです」
シンプルながら丁寧な刺繍の施された半袖のシャツと、揃いのデザインのスカート、それから足首で紐を結んで固定する革製のサンダル。一式を身に着けたラビアの姿を確認すると、黒い毛の女中は三角の耳を前後にぴくぴくと動かしながら笑みを浮かべて後ろに控えている主人に声をかけた。ひょこりと顔をのぞかせた4本腕の神の視線を受けて、ラビアは上衣の袖から覗く右腕の火傷痕をさすった。恥じることは無いと言い聞かせていても、緊張が彼女の全身を強張らせる。だがクジャト神は鷹揚に笑い、廊下に置かれたソファに腰かけて立ち尽くす少女を手招きする。ラビアが視線をさ迷わせながらそれに応えると、クジャト神は彼女の肩にケープを乗せて何でもないように言った。
「少し冷えるかもしれん、これを着ておくと良い。あり合わせの服ですまんな、ひとまず今はそれで我慢してくれ。好みもあるだろうから、そなたの服はまた後で作らせよう」
大きな手がケープの首元のボタンを器用に留めた。
しばしの沈黙の後、サンダルを履いた自分の足を見つめた公爵令嬢の末娘は小さな声で苦笑交じりに問うた。
「気持ち悪くはありませんか? 私、腕以外もあちこち傷だらけなんです。姉たちと争った時にできたものなんですけど」
「そうか、では俺とお揃いだな!」
返事は間髪入れず、そのうえ神らしからぬ無邪気さと元気さで発せられた。冥府の主、死の神などと大層な肩書を持つ巨漢は脇腹のあたりから伸びるもう一対の腕をぱたぱたと忙しなく動かした。
「俺のこっちの腕はな、生み親である旧き神を殺した時に彼らから受けた呪いだ。それもなぜか兄弟姉妹の中で俺だけ! いやまあ俺が古き神殺しの主犯だからだろうが」
冥府の神クジャトは拗ねたように頬を膨らませる。
「たまに虫のよう、などと嫌味を言われるが、そもそも虫の腕は6本だ。虫に失礼だと思わんか?」
ラビアはその横顔に、「そうですね」と顔をほころばせる。初めて彼女が見せる安らいだような穏やかな笑みに、冥府の神は弾かれたように黙って目を丸くする。しかしそれには気づかないで、ラビアは誰に聞かせるという風でもなく呟いた。
「……クジャト神の腕は、魔法のようです」
何せ、神話に曰く怪力無双の4本の腕でラビアを抱えて傷一つ付けなかったし、大きな手で器用にケープのボタンを留め、ラビアの強張る手をそっと撫でて緊張を解いた。器用な腕だ、と素直に思う。
「この腕はな、俺の誇りだ」
神話にいわく、古き神々を屠った冥府神が穏やかに、けれどきっぱりと断言した。
「俺たちを生んだ古き神々は、まだ何もできない幼子だった俺たちを牢獄に閉じ込めて言ったんだ。『お前たちの強さはいずれ我らの玉座を脅かすに違いない。故に閉じ込めておく』とな。とんだ理不尽だ、古き神々が許せなかった。だが一番許せないのは、自分がそんな理不尽に屈して大人しくそれを受け入れることだった。この腕はその俺の反抗の証左なのだ」
誇らしげに清廉なクジャト神のその横顔を見つめて、今度はラビアが昔のことについて喋る番だった。
「私は兄妹たちとはあまりそりが合いませんでした。長兄はそもそも私に関心が無かったようでしたが、その妹である長女は私が気に食わなかったみたいです」
ある日突然公爵家に住み始めたラビアを真っ先に目の敵にしたのは長女ティエナとその弟だった。公爵家当主の座を狙うにあたって、障害になると判断したのだろう。幼いラビアは何かと突っかかる野心家の姉たちに苛立ちを募らせながらも、彼女らのしたいようにさせていた。彼女らの母である第二夫人が自身の母に向ける敵意がエスカレートすることを恐れていたのだ。だが2年も経つ頃に、そんなラビアの我慢は限界を超えた。決定打は母を侮辱されたことだった。
元は王都の片隅のスラム街に住み、「やられたらやり返す」を徹底し、周囲の子供らと協力して自慢の「刃の魔法」を用いて我が身と美しい踊り子の母を守ってきたラビアである。暴力の権化というべき魔法を振るって相手を脅す行為に躊躇は無かった。だが長女と次男の手痛い反撃を食らった挙句、屋敷は一部損壊。この一件で公爵家全体が貴族街の嘲笑の的になった。長女や次男も怪我を負ったが、一番の被害を受けたのはラビアの母だった。たまたま当主不在だったのを良いことに、子供の躾がなっていないと第二夫人に責められ、ひどく鞭打たれることになった。
父の帰宅で事態は収まり双方の母が接触しないように配慮されたが、ラビアと長女ティエナ一派にはわだかまりが残った。母親たちが亡くなるとティエナ一派は公爵家次期当主の座の奪取に本腰を入れラビアには見向きもしなくなったが、それまでの数年間は親たちの目を盗んで末の妹を完膚なきまでに叩きのめそうと苦心していた。
そんなラビアのとつとつとした語りを聞き終えると、四本腕の巨漢は彼女の左頬の傷を撫でながらカラリとした声で総括した。
「つまり、この傷もまた反抗の証左であり、そなたの武勇の誉れというわけだ」
そう言った顔があまりに清々しい笑みを浮かべていたので、一瞬ポカンとしたラビアもつられて声を上げて笑った。偉大な反逆者が腰を上げて脇腹のあたりから生えた手を差し伸べたので、小さな抵抗者はその手を取って歩き出す。白い大理石でできたエントランスの外には孔雀色の草の海が広がっている。
「それにしても、私でも着られる大きさの服があるとは思いませんでした。その、クジャト神は大きくておいでなので」
ラビアが言うと、冥府の王は「そうだなぁ」とのんびりした口調で返事して握った手にわずかに力をこめた。そのままクジャト神に誘い出されて、彼女の脚は背の高い草原をかき分ける。どうやら居城の裏手を案内してくれるらしい。
「その服は、大昔に俺へ花嫁として祭壇に捧げられた乙女たちが嫁入り道具のひとつとして持参していた服だ」
語り出しはやや唐突だった。するりと手を離して振り返りもせず少し前を歩く死の神クジャトの言葉を一言も聞き漏らすまいと、生贄の乙女は口をつぐんで目の前の大きな背中を大股で追いかける。
「もうずいぶん昔のことだが、そなたがそうであったように、俺に対して花嫁が捧げられたことが何度かあった。その彼女たちが、いらないからと置いて行った」
「……置いて行った?」
吹き付けた風に煽られて孔雀色の草たちがざわめいたが、人ならざる者の耳は傍を歩く小さな生き物が零した声を拾い上げた。
「これまで捧げられた乙女たちは皆、半死半生だった。俺は生死の境を守る者であって、生ある者を死に引きずり込む者ではない。それ故、まだ命のあった彼女たちを介抱し、現世に送り戻した。愛の神や幸運の神が探し出した、彼女らが快く住める場所にな」
また風が吹いて、死んだ状態で祭壇に捧げられた乙女の服のすそをはためかせる。火傷痕のある二の腕を抱擁して通り過ぎる冥府の風は不思議と温かく心地よい。
「彼女らは皆例外なく、家族や仲間内に排除されて俺の元に贈られてきていたようだったからな。元居た場所とは違う場所に送り出したが、その時に本人たちがもう必要ないから好きにしてくれとここに置いて行ったのがその服だ。……情けないだろう、花嫁になってくれるはずだった者たちの物をまだ捨てられないでいる」
冥府の神は泣きそうな顔で苦笑する。人間よりもよほど人間臭い、寂しがりな子供の顔だった。それが、あの公爵家の自室の鏡で毎朝見る自分と同じ顔で、ラビアは無性に胸が痛くなって、クジャト神の脇腹の方から生えた腕にそっと触れる。
「……私は」
言葉を探しながらラビアの手は腕をそっとなぞりながら滑り落ちて、大きな手のひらに触れる。
「もうずっと、ここにいることになりましたから」
その切実な響きに、風の行方を追うように遠い場所を眺めていたクジャト神は、新たに贈られた花嫁を見下ろす。身長差がありすぎるせいで彼女の表情は分からなかったが、クジャトは自身の手に触れた彼女の手をそっと握った。しばしの無言があって、左頬の刀傷をそよ風に晒しながら、今や半人半神となった赤茶の髪の花嫁は話題を変える。
「それにしても、クジャト神への花嫁としてささげられた人間の中で、完全に死んでいたのは私だなんて、長兄殿はよっぽどだ」
返事を求める類の言葉ではなかったらしい。ラビアは軽蔑を込めて「見事な度胸だこと」と嘲笑してからクジャト神を見上げ、視線が合うと茶化すように肩をすくめた。
「それで、私に頼みたい仕事があるんでしたよね」
その青い瞳も声も、力強く澄んで迷いがない。それはどちらかというと、売り言葉に買い言葉の一種で、もうどうにでもなれという投げやりな覚悟も含まれてはいたが。けれど少なくとも、目を白黒させて行き場を失ったように戸惑っているよりもずっと良い。死の神はラビアを導きながら、向こうの方をを指さした。
「あの大地の亀裂が見えるか? あの下が死した者たちの魂の通り道になっている。知っての通り、死者たちの魂はあの路を通り、その奥にある冥府の川で生前の記憶と罪を洗い流し、その後、現世に送られて新たな生命として転生する。だが厄介なことに、全ての魂が大人しく洗われてくれるわけではない。生前に築いた地位や富、現世の快楽に執着し、現世に戻ろうと大暴れする者もいてな」
「つまり……私の役目は、現世に戻ろうとする魂を取り押さえること?」
察しの良い客将の言葉に、冥府の王は満足そうに一つうなずく。
「俺は基本的に魂への裁きの判定や川の見回りにかかりっきりでな、どうにも手が足りん」
ほら、とクジャト神が大地の裂け目に出来た巨大な渓谷を指さした。壁面に生えた水晶のような石がぼんやりと光を放ち、暗い渓谷を照らしている。その一番底を、人型をした半透明のものが列をなしてがふわふわと前進している。時折列を外れようとする者がいれば、黒い犬が吠えて列に戻させる。
「あのちょっと透けてる人たちが魂ですか?」
「その通り。生前に重い罪を重ねた者はこの冥府でしばしのあいだ罰を受け、それが終わり次第、他の魂に混ざって川で洗われる。……ほら、あれがこれから現世に転生する魂だ」
地の底を指していた指が上に向かって滑り、遠くにある火山のような山を示した。その頂からぽこぽことシャボン玉のような丸く透き通ったものが噴き出ている。ふわふわと漂う魂たちは風に乗って遊ぶように空にある月のひとつに吸い込まれていく。その景色にラビアは立ち尽くして見惚れた。
(母さんもあんな綺麗なものになって転生したんだ……)
青い瞳を輝かせたその横顔を見つめて、クジャト神が微笑む。さわさわと足元で草が揺れてラビアは気持ちよさそうに目を閉じる。だがその穏やかさは一瞬で打ち破られた。居城の方から何やら黒い犬が駆けてきてクジャト神の前でぬるりと立ち上がり、犬面の男に変化して息を切らせて報告した。
「クジャト様、大変です! 先ほどこちらに到着した魂たちが暴れ出して、手のつけようがありません!




