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ファイル3  『河童』の怪 【④】

□◆□◆



 この村の河童伝説――。溝淵が語った言い伝えに出てきた河童こそ、桜香たちを襲おうとした河童であった。


 馬を川へ引きずり込んで溺れさせたり、村人相手に無理やり相撲を取って自分の力を誇示したり、女性のお尻を触っては驚くさまを楽しんでいた河童。村長にらしめられてからは、〝二度と悪さをしない〟という約束を守りつつ、その誓いの証として始めた〝村長の家に川魚をとどける〟という行為を続けていた。

 そのかいあってか、河童は少しずつ村長の一族と仲良くなっていったらしい。


「――でも最近、光男のやつと言い争いをしちまって……」


 正座をしながら話をする河童の目が、悲しそうに細くなる。


 光男というのは、河童を懲らしめた村長の子孫で、今年で十八歳になる高校三年生の男の子だそうだ。


「思春期っていうんですかね、気難しい年ごろだそうで……。小さい頃はね、俺が川魚を届けに行くたびに“緑色のおじちゃんが来た”って駆け寄ってきたもんなんだがな~」


 当時を思い出しているのだろう。河童の口もとが嬉しそうに緩んだ。


「本当は、光男くんと仲が良いんですね」


 桜香の言葉に、河童は顔を上げる。


「光男と俺は友達だ。……まあ、妖怪と人間が友達だなんて言っても、あんたには到底信じられないだろうけどな」


「そんなことありませんよ。私が子供だった頃にも、仲良しだった『からかさお化け』っていう妖怪がいましたもん」


「からかさお化け……。たしか、古い道具なんかに宿る『付喪神』の一種だな」


「ええ。田舎のおじいちゃんの家にいた、古い傘が化けたっていう妖怪なんですけどね。見た目は普通の傘だから、おじいちゃんは妖怪だって知らずに、その傘を愛用していたんですよ」


「そうかい。ちょっと変わった〝気〟を持っている人間だとは思ったが、あんたも光男と同じで、妖怪が見える人なのか……。それで? その『からかさお化け』は元気でいるのかい?」


 その問いに、桜香の表情が少しだけ曇る。


「もう――いないんです」


「いない? どこかに行っちまったのかい?」


「いえ、私たちを助けてくれた時に――」


 桜香はその時のことを語りだす。



 子供の頃、桜香が母と田舎へ遊びに行くと、祖父と『からかさお化け』が笑顔で迎えてくれた。とはいっても、『からかさお化け』は玄関横の雨どいに引っ掛けられており、普通の茶色い傘のフリを続けているのだが。

 母たちに気付かれないようにウインクする『からかさお化け』に、まだ祖父は愛用の傘の正体に気付いていないのだろうと、桜香は友達との秘密を楽しんでいた。

 桜香が祖父と山の中へ出かけると、その帰りには必ず雨が降る。それが『からかさお化け』がしている事なのかはわからないが、桜香は祖父に背負われながら聞く『からかさお化け』の子守歌が大好きだった。その歌は祖父の耳には届いていない。意識さえしていれば、『からかさお化け』の声は祖父には聞こえないのだという。

 ある年――。いつも通りの雨の中、山道で祖父に背負われている桜香たちの前に小さな子熊が転がり出てきた。まだ乳離れもしていないであろうというその子熊を見た祖父が「こりゃまずいっ!」と声を強張らせる。ウトウトしていた桜香が目を擦ると、前にいたのは子熊と大きなヒグマだった。

 出てきた子熊の母親なのだろう。興奮しながら我が子を守るように威嚇してきたヒグマが、そのまま桜香たちに襲いかかってきた。とても逃げられるような間合いではないし、桜香を背負っている祖父では避けることもできない。息を飲む祖父の声を聞きながら、桜香も恐怖で身を固くした。

 ヒグマの突進が目の前まで迫った時――。


  「やめてくれっ、この人たちは敵じゃない!」


 そう叫んだ『からかさお化け』が祖父の手から離れた。

 興奮から殺気立つヒグマの前に行くと、『からかさお化け』は素早く開いて閉じてをくり返して注意を引き、自分を盾にして桜香たちを守ってくれる。

 応戦してくるヒグマに引っ掻かれたり噛みつかれたり……。その身がどんなにボロボロになろうとも、『からかさお化け』は必死で桜香たちを守り続けた。

 やがて、怯えていた子熊が茂みの奥へと逃げ出すと、ヒグマもその後を追って山の中へと走り去っていった。

 桜香は祖父の背中から飛び下りると、ボロボロになってしまった『からかさお化け』を胸に抱く。その目には大粒の涙が溜まっていた。ヒグマに襲われた恐怖ではない。大切な『友達』が傷だらけになってしまったことが悲しかった。

 声を上げて泣き出しそうになった時、『からかさお化け』の優しい声が耳に入ってくる。その言葉を聞いた桜香は、出そうになった声をグッと我慢した。

 傘を持ち帰って修理したのだが、どれだけ修理をしても、二度と『からかさお化け』に会う事は出来なかった――。



「余計なこと訊いちまったみたいだな。すまねえ、あんたに悲しい思い出を掘り起こさせちまった……」


 頭を下げる河童に、桜香はぎこちない微笑みで首を振る。


「いいんです。あの子と遊んだ日々は良い思い出ですし、それに――」


「桜香ちゃ~ん!」


 先を続けようとした桜香にタマモが抱きついてきた。


「そんな辛いことがあったなんて知らなかったよ。泣きたいのを我慢しなくてもいいんだよ」


 私の胸で泣くがよい。そう言いたげに腕を広げたタマモに苦笑い。


「大丈夫だよタマモちゃん。泣かないって、そう約束したから」


 桜香が聞いた『からかさお化け』の最後の言葉――。


  「泣かないで桜香。ボクは消えてしまうけど、そのことを悲しいなんて

  思わないでほしいんだ。約束して。ボクを思い出す時には、一緒に楽し

  く遊んだことを思い出すって。だってね、ボクは笑っている桜香が大好

  きなんだから――」


 からかさお化けの声は明るかった。桜香という友達を守り切ったという満足感に満ちている笑顔――。桜香は友達との約束に頷いた。


 だから桜香は、タマモと河童に笑顔を返す。


「私は、妖怪と人間が友達でもおかしいとは思いません。むしろ、友達になれないって思っている人間や妖怪がいるなら、そっちの方がおかしいと思います」


 言い切った桜香に、河童とタマモは目を丸くした。


「お 桜香ちゃんが本当にそう思っているならさ――」


 タマモが桜香を見上げる。指をモジモジさせ、その瞳は照れ臭さと不安が入り混じった色をしていた。


「わたしと桜香ちゃんも、いずれは『友達』になれるってことなのかな?」


 その言葉に、桜香は鈍器で殴られたような衝撃を受ける。


「ええ!? 私とタマモちゃんって、まだ『友達』じゃなかったの!?」


 タマモとは毎日のように昼食を共にしている。休憩時に雑談をする時だって、どちらからともなく話しかけては楽しい時間を過ごす。まだ一度しかないが、非番が重なった日には一緒に買い物にだって出かけた。それに、特殊事件広域捜査室に配属になった時、一番に桜香へ話しかけてくれたのがタマモだった。不安と緊張を抱えていた桜香にとって、タマモの笑顔がどれほどの救いになったのかは計り知れない。

 タマモとはとっくに『友達』だと思っていた桜香には、とてもショックの大きいひと言だったのだ。


「うそうそ、今のなし! 友達だよ! 桜香ちゃんはわたしの大切な友達だよ!」


 慌てたタマモの声。しかし桜香は真っ白な抜け殻となっている。


「桜香ちゃんごめんなさい! お願いだから戻ってきて~!」


 タマモは桜香を揺らすが、抜け殻のような彼女からは乾いた呻き声しか出てこない。


 そんな二人の様子を見ていた安那が指で目じりを拭う。


「あらやだ。私ったら、桜香さんの話に感動しちゃったみたい」


 軽く微笑んだ彼女からもう一粒、気付かぬうちに溜まっていた涙がこぼれた。


「俺もちょっと心打たれたかも……。そういえば、桜香ちゃんの過去の話って初めて聞いたわけ」


 ぽんっと手を叩いた住吉に、安那は呆れた目を向ける。


「あんたたち……。もしかして桜香さんのこと何も知らないんじゃないの? まったく、これだから『妖怪』は自分にしか興味のない気分屋とか言われちゃうのよ」


「ちがうって。桜香ちゃんにはいつもタマモがべったりくっついてるからさ、俺たちが世間話を振るタイミングがないわけ。それに、何気に俺たちだっていろいろと忙しいしさ。『あの方』のことを調べてるのは、安那たちだけじゃないわけ」


 ふくれた住吉が口をとがらせた。


「みんな。それぞれ楽しそうなところ悪いんだが、そろそろ本題に戻らないか」


 そう切り出したのは、黒い翼を消して地面に立っている山森。


「とりあえず、その光男ってやつがなんで河童の皿を盗んだのか、妖力を使って何をしようとしているのかを聞いてみようや」


 そう続けた彼は、まるで自分の息子や娘たちをたしなめるような目で桜香たちを

見ている。

 その言葉に反応した桜香が我に返った。


「そうでした! 話を脱線させてしまって、すみませんでした河童さん」


「とんでもねえ。どうか、頭を上げて下さい刑事さん」


 深々と頭を下げられた河童も、戸惑いながら頭を下げ返す。




「それで? なんでその光男くんって子は、あなたのお皿を取ったの?」


 安那が、ふたりが頭を上げたタイミングで河童へと訊く。


「それが、光男のやつ……俺の妖力を使って、ある人間を懲らしめたいと言ってきまして――」


 その時のことを思い出す河童。その顔は呆れているような困っているような、何とも言えない複雑な表情をしている。



 河童は今でも、週に一度は数匹の川魚を持って元村長の家を訪れている。

 屋敷と呼ぶにふさわしいその広い邸宅は、集落のはずれにあるので他の村人に見つかる心配はほとんどない。だから、河童としても訪れやすかったらしい。

 昔、イタズラをとがめられたことで始まった人間との本格的な交流。それを気に入った河童は、様々な災害から村を守っている。川の氾濫を押さえたり、土砂崩れの前兆をそれとなく知らせたりして村人の命を救ってきた。人間に害をなす妖怪を退しりぞけたこともある。

 それを知る元村長の一族は河童に感謝し、今まで良好な関係を続けてきたのだ。


 光男が「ある奴らを懲らしめるために、その皿を貸してほしい」と言ってきたのは先週の事だった。

 河童のお皿は妖力の源――それを使えば、人間でも神がかり的な力を得ることが出来るのだが――。今まで光男がそんなことを言ってきたことはない。“人間同士のいざこざに、妖怪が介入するべきではない”というのが共通した認識だったからだ。

 彼が二ヵ月ほど前から妙な苛立ちを抱えているのは知っている。直接的な介入は出来ないが相談に乗ることは出来ると、河童は頼みを断ったのだが、それに光男が逆上した。“誰を・なぜ”というのを訊いても答えようとしない彼は、「いいからその皿を貸してくれ」の一点張り。

 言い争いとなった末、その場では引き下がったかにみえた光男だったが――



「皿の水を換えている時を、光男に狙われちまって――」


 河童は迂闊だった自分を悔やむ顔で平らな頭を掻いた。



 定期的にお皿の水を交換するのが河童の習慣らしい。時間が経って水が濁ってくると、妖力の生成に支障をきたすそうだ。頭からお皿を外すと、まずはきれいに洗って水垢を取る。日陰干した後に清めの儀式を行い、特別な場所の湧水を入れて交換は終了する。

 光男が皿を狙ったのは、河童が水の交換を終えたその時だった。彼は河童へ声をかけると、かごに入った大量のキュウリを差し出してきた。仲直りのしるしかと喜んだ河童は、皿を平らな石の上に置いて好物であるキュウリをかじりだす――そして気がついたときには光男の姿はなく、石の上の皿もなくなっていた――。

 代わりに置いてあったのが一枚の手紙。


――おい、このバカッパ! 皿は借りていくからな!

  用が済んだら返すから、おとなしく待っとけ!

  邪魔なんてしやがったら、別の妖怪けしかけて村から追い出してやるぞ!――



 手紙の内容を語った後、河童は重い溜息を吐いた。


「俺はよぉ、思わずキュウリを落とすくらいのショックでな……。まさか、光男が俺に騙し討ちをするなんて……」


「それで、その光男ってやつはどこへ向かったわけ?」


 住吉が肩を落とす河童へ訊ねる。


「それがわからないから、光男が行きそうな場所を村人に訊こうかと思って……。でもよ、俺は人間には化けられないし、この姿で出て行ってじいさんばあさんたちをショック死させるわけにもいかねえしよ……」


 河童は、まだ気絶している溝淵を見ながら苦笑った。


「なるほどね、尻子玉を抜けば視界がかすむ。脱力状態にはなってしまうけど驚く気力もなくなるから、少なくともショック死させることはないわね」


 安那に言われて頷く河童。


「で? 光男くんが居そうな所を何か所まわったの?」


 とタマモ。


「いや、それが――まだ聞き出せていなくて……」


 皆の冷ややかな視線を受けた河童が先を続ける。


「か 考えたら俺。光男やその家族としか話をした事がなかったし、尻子玉は上手く抜けねえし、そもそも他の人間と話をするのは恥ずかしいし……」


「もしかして……シャイ なんですか?」


 桜香に言われて、河童は顔を赤くしながら頭を下げた。


 皆のため息が漏れるなか、桜香も予想外の展開になってしまったと腕を組む。


 代田室長に言われた『河童のイタズラ』捜査。それが『痴漢』の捜査になったかと思えば、今は『光男を救う』ための捜索に代わろうとしている――。


 桜香はあらためて河童へ向き直る。


「河童さん教えてください。光男くんがお皿を使って妖力を使った場合、どんな恐ろしいことが起きてしまうんですか?」


 顔を上げた河童がそれを語りだす。


 聞き終えた住吉と山森がひと言――


「それは なんて恐ろしいんだ……」


 同時につぶやかれたその言葉。


 桜香たち女性陣は、真剣な表情で顔面蒼白になっているふたりに、どう声をかければよいのかわからなかった。



□◆□◆

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