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ファイル7  『鬼女紅葉』の怪 【⑦】

□◆□◆




 それは、小吉にとって思いもよらないことだった――。



 突如現れた兵士たちが、理由も言わずに火を放ち村人たちをも殺し始めた。

 友人や親を殺され、引きずりだされた村長までも目の前で殺された。

 そこに紅葉が現れ、旅人もらしい若者も加わった。彼が紅葉の仲間らしいということはわかったのだが、たったひとりの若者でこの状況を打破できるわけがない。

 小吉はそう思い、自分はいつ殺されてしまうのかと震えていた。

 しかし小吉の予想に反し、若者は強かった。たった一人ではあるけれど、武器を持った兵士たちを一撃で倒していく姿に興奮した。他に生き残っていた数人の大人たちは、その姿に驚いて逃げることを忘れているようであったが、小吉にとってそれは都合の良いことであった。

 あの若者が兵士たちを倒していく姿を見ていたかったのだ。

 親を殺し、友人を殺した兵士たちがなす術なく倒されていく姿が楽しくて仕方がない。それに、兵士たちがこちらに来る事はないだろうと思っていた。それほどまでに若者は強く、兵士たちも彼に集中していたのだ。

 だから――――。駆けつけた紅葉がこの場を離れようといった時、小吉はすごい剣幕で抵抗した。



「姉ちゃん! 紅葉姉ちゃん! おいらが悪かったよ! すぐに逃げるから、ここから離れるから、お願いだから目を開けておくれよ!」


 小吉は泣きながら紅葉を揺らす。

 そのたびに、紅葉の着物に赤い染みが広がっていく――。



 こんなことになるとは思わなかったのだ。

 紅葉が来て我に返った大人たちは一目散に逃げだしたが、小吉はその場を動こうとしなかった。村を襲ってきた奴らが逃げ出していく様をその目で見たかった。

 しかし小吉が紅葉の手を振り払った時、それが目に入った。こちらに向かって飛んでくるたくさんの弓矢だった。

 目を見開いた小吉に気付いた紅葉もそれに気が付いたようだ。だが、逃げるだけの時間はもうない。だから紅葉は――小吉を抱きしめた。自らを盾にして小吉を護ったのである。

 背中に数本の矢を受けて倒れる紅葉と一緒に尻餅をついた小吉は、手を真っ赤に染めながら紅葉を揺らしている。



 泣き叫ぶ小吉と紅葉に影が差す。


「これは――背中から心の臓や肺に届いているな……。運命は変えられないということなのか……」


 ジンの静かなつぶやきに小吉は顔を上げた。


「お願いしますっ、紅葉姉ちゃんを助けてくだ――ひぃぃぃッ!」


 助けを求めた小吉だが、ジンの顔を見るなり恐怖の顔で強張る。震えながら後ずさりした小吉は立ち上がり、そのまま悲鳴をあげて逃げ出した。





 ジンは小吉の背中には目もくれず、その場に片膝をついて紅葉の身体を抱きかかえた。


「ジン――様?」


 うっすらと目を開けた紅葉がジンを見る。


「ジン様、あの少年は? 小吉という少年は無事ですか?」


 擦れ声の紅葉に、ジンは黙って頷く。


「そうですか――よかった……」


 呼吸の弱い紅葉が微笑むと、ジンはグッと奥歯を噛みしめた。


「なぜだ……。なぜお前はそうまでして他人に尽くすんだ……」


「なぜ? そんなの決まっております。私は愛おしいのですよ。この世が、この世に生きる人々が……愛おしいのです」


「愛しいだと? あの小僧は逃げ出したぞ。お前に救われておきながら、お前を置いて逃げたしたのだ。それでも、お前はあんな小僧ですら愛おしいというのか?」


「ふふ。小吉が逃げ出したのは、ジン様がそんなに怖い顔をしていらっしゃるからではなくて?」


 ジンの言葉に紅葉は弱々しく笑う。


「俺は憎いな。この世も、この世に生きる人間は特に憎い。見ていると心の底から憎悪が湧き上がってくる」


「あら。それはきっと、この世のすべてを愛おしいと思っていらっしゃるからですわね」


「どんな解釈をすればそうなるのだ。ちゃんと話を聞くクセをつけろと言ったはずだが?」


「ジン様はお優しいので、この世のすべてを、特に人間を気にかけておられるだけですわ。だからこそ、人間の行いにいきどおってしまうのでしょう」


「お前は絶望した事はないのか? 都では望まぬ側室となり、追放までされた。そして、今度は身に覚えのない罪を着せられたのだぞ」


 力が入るジンの手に、紅葉はそっと手を重ねる。


「この世にも人にも絶望したことはありませんわ。だって、私も人間なのですから――そして……」


 微笑む紅葉が微かに開いていた目を閉じると、その全身からから力が抜けた。


「おい、言いかけたままにするな。紅葉、目を開けろ」


 ジンは落ちていく紅葉の手を握る。するとまぶたをピクリと動かし、紅葉はゆっくりと虚ろな目を開いた。


「ジン様。やっと、私の名を口にしてくださいましたね……」


 それだけ言うと紅葉の目は再び閉ざされ、二度と開くことはなかった――。





「紅葉は死んだか? 死んだのならあんたの戦う理由はもうないはずだ。正直言って降参だよ。こっちはあんたみたいなバケモノと戦いたくはねぇんだ。だからよ、その女の亡骸と一緒にどこかへ行ってくんねぇか? どこか静かなところで弔ってやんな」


 無防備なジンの背中へ、雅吉はそう話しかけた。

 雅吉の性格を考えれば、後ろからジンへ矢を放ったり斬りかかっていたとしても不思議ではない。しかし雅吉は用心深い男でもある。矢を外してしまえば、斬り込みを読まれてしまえば、余計な刺激を与えかねない。まともにやり合っても勝てない相手だということは重々承知していた。


 雅吉の言葉が耳に入ったのか、ジンが立ち上がる。

 振り返ったジンは、その両腕で紅葉を抱えていた。目は虚ろで、心ここにあらずといった様子である。


 ゆっくりと歩き出したジンに、雅吉は道を開ける。同時に、兵士たちも左右に分かれて道を作った。

 進んでいる方向には維茂らがいるのだが、その先には村の出口もある。


 少しの間を保ちつつジンとすれ違った雅吉は、その背中を見据えながら腰に手をやり二振りあるうちの一振りの刀を音もなく抜く。そして、戦意の欠片もないジンへ向かって駆けだした。


「本当に紅葉を連れていくとはバカな奴だ! 両手が塞がっていてはこの刀を受けることは出来まいッ! 殺せるときに俺たちを殺さなかった自分の甘さを呪いながら死ねッ!」


 完全な死角。真後ろからジンへと斬りかかる。しかし斬ったのは空のみでジンを捉えることは出来なかった。


「ちぃッ!」


 半身を引いて躱したジンへ、返す刀で再び斬り込むがそれも躱される。それだけでなく、ジンの蹴った石が額に当たるという反撃まで受けてしまった。

 雅吉はさらなる反撃を警戒して後ろに下がる。しかし、ジンが追撃をかける事はなかった。


「なかなかやるじゃねぇか、まさかあの間合いで躱されるとは思わなかったぜ。だが……こいつならどうかな?」


 額に血を滲ませながら、雅吉はもう一振りの刀も抜く。


「俺のとっておき、阿修羅って技を見せてやるよ。こいつはな、剣技があまりに速すぎて俺の腕と刀が六本あるように見えるって技だ。紅葉を抱えたままのあんたにいつまで躱せるかな?」


 不敵な笑み。

 雅吉にとって勝負は勝つことが全てであった。どんな手を使ってでも勝つことに意味がある。例え卑怯だと思われても死人に口なし。気に入らない人間は殺してきたし、今までもこれからもそうやって生きていくつもりである。

 そして、雅吉にはジンを討ち取っておかなければならない理由があった。それはジンやその強さが気に入らないというのもあるが、重要なのは権力であった。

 紅葉討伐に協力することで、雅吉は維茂と共に都へ行き引き立ててもらえることになっている。紅葉討伐は裏仕事に近い事はわかっていた。だからこそ、それなりの報酬や権力が与えられることを期待していた。しかし、紅葉を討つことには成功したものの、ジンを生かしておけば維茂に足下をみられかねない。「たった一人の男に、お前は手も足も出なかったではないか」と言われかねないのだ。最悪、貰えるはずだった報酬や権力が流れてしまうかもしれない……。

 都で権力を持てば、衣食住だけでなく女にも困らない。そして戦場に出れば、大義の名のもとに好きなだけ敵兵を殺すことも出来る。その功績が認められれば、さらなる権力が与えられることになるだろう。それを失うわけにはいかなかった。


「行くぜバケモノッ!」


 雅吉が二刀を振りかざして駆けだす。

 自慢するだけあってその速さは常人を超えており、あっという間にジンの間合いへと入り込んだ。


「くらえッ、これが阿修羅だッ!」


 雅吉が刀を振るった。

 この時それを見ていた維茂や兵士の目には、雅吉の腕と刀が六本あるように見えている。

 誰もがジンを討ち取った――――そう思った。しかし、雅吉とすれ違ったジンは紅葉を抱いたままで倒れる事はない。そればかりか……


「おいおい、阿修羅まで躱すっていうのかよ……」


 雅吉はジンへと振り向き、その背中へ舌を打つ。まだ自分の身に起きたことに気付いていないようだ。


「どうやって躱したのかが見えないとは……あんた、やっぱりとんでもないバケモノだな。だが、紅葉を抱いたままでいつまで――ん? あんた、何を持っているんだ?」


 ここで雅吉はジンの変化に気付く。

 斬りかかった時は両腕で紅葉を抱いていたのだが、今は左腕だけで抱いている。そして、下がっている右手に刀を持っていた。いや、正確には刀を握りしめた腕を持っていたのだ。


「ま、まさか……それは俺の……俺の腕なのかぁぁぁ!?」


 その刀に見覚えがあった雅吉は、ようやく自分の左腕の肘から下が無いことに気付いた。


「――これが……真の怒りというものなのか?」


 つぶやいたジンが雅吉へと振り返る。


「まるで胸に穴が開いたかのような消失感。そこから湧き出てくる禍々しい何かが暴れ狂っている……」


 ジンの右腕が輝きだした。と同時に、握っている雅吉の左腕が塵となって崩壊していく。

 目も眩むほどのまばゆい光を発したジンの右腕。その光が収縮すると、その腕は一振りの刀身となっていた。


「返せ……俺の腕を返せよぉぉぉッ!」


 錯乱した雅吉がジンへ刀を振り上げる。しかしその刃は届くことなく、ジンによって袈裟斬りにされた。


「がふッ! な、なんだ!? なんで火が出てくるんだ!?」


 斬られた雅吉の傷から出てきたのは血液ではなく、灼熱の炎だった。


「お前たちは欠片も残さん。この場ですべて者を塵としてくれる……」


 ジンは雅吉を一瞥すると、今度は維茂らに向かって歩き出す。

 その後ろでは雅吉が絶叫をあげ、炎に包まれながら塵となっていった。



□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。

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