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ファイル7  『鬼女紅葉』の怪 【⑧】

□◆□◆




 紅葉を抱きながら一歩ずつ向かってくるジンに、これもりたちは逃げだせずにいる。

 その理由は恐怖と圧倒的な威圧感であった。足を出すごとにジンの身体から黒い気が放出され、それを身にまとうかのように漂わせている。その様子に、維茂らは蛇に睨まれた蛙のように声もでなければ身動きをすることも出来ない。


 ジンが刃となった右腕を振るった。

 すると、離れた場所にいるにもかかわらず数名の兵士たちが塵となった。叫び声も上げず、塵が消えればまるで初めからそこにはいなかったかのように人間が消えたのだ。

 それを見た維茂の腰が抜けて尻餅をつく。その途端、維茂の傍にいた兵士が震える声を上げて逃げ出した。それをきっかけとして兵士全員が動き出す。我先にと村の出口に向かって逃げだしたのだ。


「ま、待て! 待つのだっ! 誰か儂に手を貸せっ!」


 腰を抜かす維茂が声を荒げるが、その声は誰の耳にも届いていない。皆、自分が助かることに精一杯なのだ。


 腕を使って後ずさりする維茂に影が差す。それは紅葉を抱いたジンである。


「お前が来なければ、紅葉が死ぬ事はなかった――」


 ジンの低い声に、維茂はガタガタと震えた。


「そ、それは違うぞっ。雅吉は前々から紅葉を邪魔と思っておったそうだ。儂らが来ずとも……そ、それに、紅葉を殺したのは雅吉ではないかっ。仇は討ったのだからもうよいであろう。儂は悪くない、悪くはないのだっ」


 手を合わせて命乞いをする維茂に、ジンの怒りはさらに高まる。


「――紅葉よ。これが人間だ。そしてこの世は、こんな醜い奴らをのさばらせておく入れ物に過ぎないのだぞ……」


 眩い輝きを放っていた右腕の刀身が赤黒く変色した。


「た、頼むっ見逃してくれ! 金ならいくらでもやる……そうだ、雅吉の代わりに都で引き立ててやってもよいっ。権力も女もくれてやろう。だから、い、命だけは助けてくれっ!」


 懇願する維茂に、ジンは刃を振り上げた。

 そして振り下ろすその瞬間、ジンの脳裏に紅葉の言葉がよぎった。



  「あの方たちには生きて都へ戻ってもらわねばなりません」


  「この世にも人にも絶望したことはありませんわ。

   だって、私も人間なのですから――」


 そしてもう一言――。


 我に返ったジンは右腕の刃を止めようとするが止まらない。

 怒りに支配されている心に理性など通用しなかった。


「くッ、ならば――」


 ある決断をしたジンは即座に実行に移した――。

 するとジンから禍々しい気が消え、その右腕も人間のものへと戻る。


「ぐがッ!」


 結果としてジンに殴られた維茂の命は助かった。

 その維茂の襟元を引き上げたジン。


「都へ戻ったら、役目は果たしたと言え。そして、二度とこの地へ踏み込むな。もしまたお前の姿を見かけたり、お前が兵を差し向けてきたと知ったその時は――」


「わ、わかっておる。二度とこの地には来ぬし、お主への復讐も考えぬ。勿論、探そうとなども思わん」


 ジンが手を離すと、維茂は震えて立てない足を支えるように逃げていった――。



 その村にはもう維茂らも村人も誰もいない。


 ジンは流れた紅葉の髪をそっと直した。

 紅葉の顔は穏やかで、まるで眠っているように見える。


「紅葉……」


 ジンは囁くような声でその名を出した。もしかしたら、また紅葉が目を開けるのではないかと思ったのだ。

 しかし、死した人間が再び目を開ける事はない。


 滅びた村のなか、しばしの間ジンは紅葉の顔を見つめていた――。





 山中で紅葉を手厚く葬った。

 そこは紅葉と出会った小川の傍である。


 墓標の代わりに立てた石を見つめるジン。その背後に男が立つ。


くだんか……今度はなんだ? 紅葉の運命を変えられなかった俺を笑いに来たのか」


 ジンが振り向くと、そこにはやはり頭に牛の角があるくだんがいる。


「笑うなど、そんなことをするつもりは毛頭ない。紅葉は死する運命だったのだ。例え村から連れ出したとしても、あの娘は村人を見捨てたと自害をする。または都へ行って経基の正妻と決着をつけに行くが殺される……。一番多いのは、天之尾羽張が戻らずに維茂らに殺されるという展開なのだがな」


 含み笑いをする件に、ジンは眉を寄せた。


「そう怖い顔をするな。俺はな、あめばり、お前を褒めに来たのだぞ」


「俺を褒めにだと?」


 にやけ口が変わらない件にジンは不快感を示すが、件は腕を組んでそれを受け流す。


「紅葉が殺された後、お前は維茂らを殺す。それでも怒りが収まらないお前はこの世の全てを破壊する――。お前が紅葉のもとへ戻った時の一番多い展開だ。だが、この世界の天之尾羽張はそれをしなかった。この世の全てだけではなく、維茂をも殺さなかった。あれだけ怒りに支配されておきながら、よく踏み止まったものだと感心したのだ。そんな世界は決して多くはないからな――紅葉の運命はお前に大きな影響を与えたはずだ」


 近場の石に座った件が指を立てた。


「そこで一つ教えてほしい。天之尾羽張にとって紅葉という人間はどのような存在であったのか。そして、なぜお前は維茂を殺さなかったのか――」


「それだと質問は二つになっているぞ」


 厳しい表情を崩さないジンに、件はふぅっと息を吐く。


「これは失敬。では紅葉がどのような存在だったのかは忘れてくれ。もう一つに対する答えをぜひ聞いてみたいのでな。お前は怒れる自分を封印してまで維茂を殺さなかった。こればかりはお前の心に関することなのでな、俺にも知りようがないのだよ」


「全部見ていやがったのか……。まったく、お前の覗き趣味には呆れるな……」


 ジンは寝癖のような頭を掻いて息を吐く。


「して、答えは如何に」


 そう訊ねる件の目は真剣だった。

 本当にその答えを知りたがっている様子に、ジンは目を細める。


「なぜそんなことを知りたがる。数多の世界を行き来できるのであれば、お前は全てを知っているのではないのか?」


 そう言われた件が自虐的な笑みを見せた。


「いくら俺とはいえ、全てを知るのは不可能だ。だからこそ、俺はただの探究者にすぎん」


「探究者か――お前は何を探している?」


「ふっ、質問した相手に質問を返すとは無礼な奴だ。だが、せっかくだから俺が先に答えてやろう――」


 件が立ち上がった。


「俺は知りたいのだ。なぜ自分は別世界へと行き来できるのか。別世界を渡り歩かなければならないという本能が備わっているのはなぜなのか……。俺はその答えが知りたい。数多の世界のなかにはここと似た世界も多く在るがすべてが同じではない。些細なことではあるがどこかが違っており、一つとして同じ世界は存在していないのだ。しかし、いくつかの共通点はある――」


 件はジンの目を見据える。


「此度のように、何をしても後世に『鬼女紅葉』と呼ばれてしまう女が出てきてしまうこと。仮にこの世界の紅葉が皇族である源経基と出会わないようにしたとしても、別の女が紅葉と名付けられる。そしてその女が経基と出会い、追放されたあげく死に至るのだ。その『紅葉』の運命は、神の力を得ているお前をもってしても覆すことは出来ない――。そんな共通点にこそ、俺が探し求めている答えがあるように思えてならないのだ……」


 いつの間にか拳を固めていることに気がついた件は力を弛め、小さな深呼吸をして自らを落ち着けた。


「さて、次はお前が答えてくれるのだろうな。なぜ自分を封印してまで維茂を殺さなかったのだ」


 眉を上げた件にジンも目は細める。


「それは――俺にもわからん。だがあの男を殺す瞬間、紅葉が殺すなと言っていたのを思い出した……。なぜそうしたのか、こっちが知りたいくらいだ」


 この時、ジンは初めて件に笑みを見せた。一瞬の苦笑いではあるが、それは件への警戒を解いた瞬間でもある。

 おそらく、ジンは自分が笑ったことに気付いてはいないだろう……。


「……なるほど、この世界は興味深いな。天之尾羽張が問いに答えたのはこの世界が初めてだ――」


 件はジンに背を向けて肩越しに振り向く。


「天之尾羽張が自身を封印したその怒り。それが解放されることがあるならば、その時お前はどうなってしまうのか――その興味も尽きん。……また会おう、天之尾羽張よ――」


 件の姿が風に溶けるように消えていく。


「俺は二度と会いたくない」


 そう答えたジンに、件は高笑いをしながら姿を消した――。



 ジンは紅葉の墓標へ振り向いた。

 維茂を殺さなかった理由について、ジンはわからないと答えた。しかし思い当たる節はあった。


  「私は愛おしいのですよ。

   この世が、この世に生きる人々が……愛おしいのです」


 弱々しくも紅葉はそう言って微笑んだ。

 不遇の目に遭いながらも怨み言一つ口にせず、全てが愛おしいと口にした。胸の内では逆のことも思ったであろうが、その言葉も紅葉の本心に違いない。

 ジンにはその『全て』に維茂らが含まれているとは思えない。しかしその言葉がよぎった時、ジンの心の一部が反応した。その僅かな心が、怒れる心を封印したのである。

 件の言った通り、ジンは自らを封印した。それは怒りと共にチカラの大部分を閉じ込めたということである。この先戦うことがあるのならば、ジンは本来持っているチカラの一部しか発揮することは出来ないであろう。

 ジンはこの封印を解くつもりはない。なぜならば、封印を解いてしまえば今度こそ怒りに支配されてしまうかもしれない。抑圧された怒りが噴き出すことで我を忘れ、この世のすべてを破壊してしまうかもしれないからである。


「紅葉……なぜだ? なぜ俺は、こんなにもお前が気にかかるのだ……」


 たかが人間の娘。ジンにとっては取るに足らない存在のはずである。しかも紅葉とは出会ったばかり。そんな娘に自分の真名を明かしてしまったことも腑に落ちない。

 ジンの疑問は尽きないが、紅葉はそれに答えることはない。



 小川のせせらぎが静かに響く山中に優しい風が吹く。頬を撫でるその風に、紅葉のくすくすとした笑い声が聞こえた気がした。

 ジンはその声に耳を傾けるように目を閉じ、しばらくその場を動くことはなかった――。




 東都の賑わいは、警視庁の屋上からも見て取れる。

 行き交う車や人々。紅葉がこの現代を見ることが出来るならば、その様変わりに驚くことだろう。

 青空広がるその下で、ジンはあの時と似た風を感じた。


「――何か用か?」


 振り向くことなく発した言葉に、後ろの気配は足を止めた。


「こんなところで何をしているんですか?」


 その気配――崎守桜香がジンに声をかける。


「まったく。訊きたいことがあるなら、まずはこちらの問いに答えてからにしろ」


 寝癖のような頭を掻きながら、ジンは面倒そうに振り返った。

 ボブカットにクリっとした瞳。姿も性格も似てはいないが、桜香は紅葉と似た雰囲気を持っている。

 ジンは桜香と出会った時、姿を消しているはずの土蜘蛛を姿が見えていることに驚いた。だが、もっと驚いたのが紅葉と似た何かを感じたことである。だからこそジンは、桜香に冷たい態度をとっているし一線を引いている。自分と関わることで桜香の身の危険が増すと思っているのだ。

 しかし今となっては桜香の身を護らなければならない。『あの方』に関することに巻き込まれてしまった以上、それが自分の役目であると思い始めていた。

 だからこそ、最近は桜香に対する態度を緩和させているのだが――。口をとがらせる彼女はそう思ってはいないのかもしれない。


「もう、なんでそんな言い方しかできないんですか。最近様子がいつもと違うから心配して来たのに……けっこう探したんですよ」


 ふてくされる桜香の横を、ジンは「余計なお世話だ」と言って通り過ぎた。


「そんなこと言って……。川霧さん、この際だから言わせてもらいますけど、勤務中に黙っていなくなるなんて非常識ですよ。せめてどこに行くかの連絡はしておくべきです。報告・連絡・相談の『報・連・相』って聞いた事ありませんか?」


 小走りで寄った桜香がジンと並んでその顔を見上げる。


「ほうれんそう――野菜だろ」


「そうそう、緑色の葉をした……って、違いますっ! 仕事をするうえで大切な要素で――」


 声が大きくなってきた桜香の口を、立ち止まったジンは手で覆った。


「あのな――――うるさい」


 しれっとしたジンの言葉に桜香は抗議の声を上げるが、それは「フゴフゴ」というこもった声にしかならなかった――。



□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。

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