ファイル7 『鬼女紅葉』の怪 【④】
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ジンが紅葉と話をしていたころ。
静かだった山のなか。その小さな砦で剣戟の音が鳴り響いていた。
至る所で幾つもの剣戟が繰り返される。そして次々と屈強な男たちが倒され、その命の灯が消えていく――。
権左の顔色は悪く動きも鈍い。それでも兵士が突き出してくる槍を躱し、刀でその槍ごと兵士を斬り捨てる。
兵士たちは、自分たちよりも一回りも二回りも大きな権左の力に思わず動きを止めた。
「て、てめぇ……雅吉ッ! これは一体どういうことだッ!」
呼吸の荒い権左は雅吉へ怒りの眼光を走らせる。
そこには百数十名の兵士を伴ってやってきた役人。そして雅吉が薄ら笑いを浮かべている。
雅吉が勧めた酒盛りの最中、権左たちは突如兵士たちからの襲撃を受けた。
権左たちは、元とはいえ名の知られた盗賊団だった。普段ならば多少の酔いなどものともせずに応戦していたことだろう。しかし酒に薬でも盛られていたのか、身体が痺れて思うように動けない。
その結果仲間たちは次々と倒され、残るは権左ひとりとなってしまっていた。
権左の怒りは雅吉へと向けられている。なぜならば、兵士たちのなかから役人らしき者が現れ、その隣には雅吉がいたからだった。その様子を見た権左は、雅吉がこの襲撃の企みと協力をした張本人だということを知る――。
「その隣にいる奴はどこのどいつだ。この辺りの役人じゃねぇな」
権左は雅吉を視界に収めながら役人へ目を向ける。
烏帽子を被った狩装束の役人。その狩衣はこの辺りではまず目にすることのないほど良い生地である。その身だしなみから、地元の貧乏領主よりもはるかに良い暮らしをしているに違いない。
雅吉はうやうやしく役人へ手を向ける。
「こちらはな。都から鬼退治にいらっしゃった平維茂様よ」
「鬼退治だと? 俺の悪行は都にまで広まっていたということか……」
権左は舌を打つ。
紅葉と出会う前の権左は盗賊行為の荒々しさから鬼と呼ばれており、近隣の村々だけでなく他の盗賊たちからも恐れられていた。
しかし、それは今の仕事に大いに役立っている。村々を襲った盗賊から物資を取り返す時、権左の名前を出せばほとんどの盗賊たちが物資を返してくれるほどである。
今は足を洗っているが、都に伝わったのが盗賊だった権左の荒々しさならば討伐隊を差し向けられても不思議ではない。
険しい顔をする権左を、維茂は嘲笑う。
「お前のような下賤の者のために朝廷が動くわけあるまい。我が討伐に来たのは、〝鬼女紅葉〟のほうよ」
「も、紅葉? ばかなッ、紅葉が鬼女だと!?」
維茂の思わぬ言葉に権左は目を見張る。
紅葉は盗賊行為などしたことがない。むしろ、盗賊に被害に遭った村々のために働いてきた。それは物資を取り戻すことだけではなく、その後も村を訪れては都で学んだという知識を活かしたり伝えたりしてきた。それは村人たちから感謝されこそすれ、鬼女よばわりされるようなことではない。
「皇族のあるお方がな、生きているだけならばまだしも、都にまで名声が伝わるようになると困るそうなのだ。追放されたのだから大人しくしておればよいものを、余計なことをするから鬼女と呼ばれることになるのだよ」
「ぬかせッ! 名声が届いてなぜ鬼女になるのか!」
「これは失言であったな。名声が届くようになったからこそ紅葉は鬼女でなければならないそうだ。都へ戻ってこられては迷惑するからの」
「それはまさか……源経基、その正妻のことか!?」
「さて、どうであろうのぉ」
維茂の含み笑いに権左はギリッと奥歯を鳴らす。
源経基の正妻が紅葉討伐の命を出した、または出させたのは間違いないだろう。その理由は一つしかない。自分の保身のためだ。
紅葉はその正妻に毒を盛ったとして都を追放されたが、心優しい紅葉にそんなことが出来るはずがないと、権左はそんな罪状を信じていなかった。
では、紅葉はなぜそんな冤罪を受けることになってしまったのか――。権左はその察しがついていた。
紅葉は心清らかで美しい娘である。おそらく、源経基は側室となった紅葉のもとへしか通わなくなったのだろう。貴族であれば数人の側室を持っているのはあたり前ではあるが、顔立ちも心も美しい紅葉に関しては正妻も危機感を覚えたに違いない。このままでは正妻の座を奪われてしまうのではないかという不安と、紅葉に対する嫉妬が渦巻き、彼女を亡き者にしようとした――そんなところであろうと。
「維茂といったな。紅葉はその正妻を呪ってなどいないし毒も盛っていない。お前はそれを承知で紅葉を討ちに来たというのだな?」
「ふん、上からの命があれば我はそれに従うだけよ。此度の討伐をするにあたり、我は信濃守に任命された。真実などどうでもよい、手柄さえ立てることができるのならな」
「小者が……紅葉を出世に利用しようってか――」
権左は刀を構える。
「紅葉には命を救われた。俺が流行病で死にかけていた時、紅葉は持参していた薬で助けてくれた。こんな盗賊の頭なんて放っておけばいいものを、あの娘は懸命に看病してくれた――。お前たちが紅葉を討ちに来たというのなら、そんなことは俺がさせんッ! この権左、命の恩は命をもって返そうッ!」
権左の気迫に維茂はたじろぎ、雅吉は歓喜の顔で震えた。
「それだ! その目だよ権左ッ、俺はその目が見たかったんだよッ! 血に飢えた獣のようなその目がなぁッ!」
興奮し、飛び上がりながら手を叩く雅吉。
そんな彼に、権左は奥歯を鳴らす。
「わけわかんねえこと言いやがって……。てめぇのせいで仲間は皆殺しにされちまったんだぞ! この落とし前をどうつけるつもりだ裏切り者ッ!」
後ろから切りかかってくる兵士をなんとか躱した権左は、その背中から切り伏せて再び雅吉を睨みつけた。
「裏切り者だぁ……?」
雅吉の顔から笑顔が消えた。そして徐々に怒りで顔を赤くする。
「裏切り者はどっちだッ! この辺りの盗賊をまとめて、領主にも手出しできない一大勢力にするって言ってた権左は、鬼と恐れられていた権左はどこに行っちまったんだッ!」
その気迫は権左にもひけはとらないものがある。
「あの娘――紅葉と出会ってから権左は変わっちまった。身包み剥いで慰み者にすりゃあいいものを、紅葉が都に呼び戻されることなんてねえと覚ったお前は俺たちの頭にまでしちまいやがった。皇族の側室だった紅葉が手柄を立てて戻れば、それについていく俺たちにも恩恵があるに違いないって嘘までついてなッ!」
チッ、気付いていやがったのか……
権左は胸の内で舌を打つ。
紅葉が犯したとされる罪は、源経基の正妻を呪って毒を盛ったことであった。
皇族に毒を盛ったのならば間違いなく死罪である。しかし紅葉に下された処分は追放であった。その理由についてはいくつか考えられるが、大きく分けて二つのことが考えられた。
その一つは源経基の覚えが善かったことが挙げられるのかもしれない。経基も、紅葉が正妻に毒を盛るなど信じられなかったのではないだろうか。
そしてもう一つ。これこそただの憶測でしかないが、毒を盛られたはずの正妻が健やかでありすぎたのかもしれない。初めは毒を盛られたような演技をしていたのだが、紅葉の処分に渋る経基に憤り、何度も訴え出たのではないだろうか。毒を盛られたはずなのに歩き回る正妻に経基は疑いの目を向けていたに違いない。
もしかすると、紅葉は自ら追放を願い出たのかもしれない。権左はそうも思っている。瘴気漂う貴族の世界に嫌気がさしたのだろう。
雅吉は鼻で笑う。
「はっ、そんな言葉を真に受けるほど俺はバカじゃないんだよ。都を追われた女が戻されるなんてあるわけないだろ。そんな理由をつけてまで紅葉を守りたかったのか? そこまで惚れちまったんならてめぇの女にすればいいだけじゃねぇか。あの女と出会う前までは鬼と呼ばれていた権左が……情けないったらないぜ」
「……雅吉にはわからねぇか。紅葉はな、特別なんだ。どこがどうとかは説明できねぇが、あの娘は俺たちとはどこか違う。決して汚しちゃいけねぇ尊い存在なんだよ」
頭に紅葉が過った影響か。厳しかった権左の目が少しだけ柔らかくなった。
「だったらよ――」
雅吉が卑下た笑みを浮かべる。
「俺が尊い存在なのかどうか確かめてやるよ。紅葉の身包み剥いで慰み者にして、思うがままに汚してみればわかるだろ? 本当に汚しちゃいけなかったのかどうかがよ」
馬鹿笑いする雅吉に、権左は刀を握る手に力を込めた。
「ふざけるなッ! この身がどうなろうと、紅葉に手出しなどさせはせんぞッ!」
まさに鬼のような気迫。それは権左の周りを囲む兵士たちを二、三歩下がらせるほど凄まじいものである。
体のあちこちに切り傷があるたった一人の男。圧倒的に有利な状況にもかかわらず、兵士たちは権左に恐れを抱き始めていた。
だが、雅吉は権左へと二歩前へ出た。
「バカでかい声出しやがって、もうてめぇは用済みなんだよッ! 紅葉を差し出せば、維茂様は俺を取り立ててくださるそうだ。もうこんなところで汚ねぇ暮らしをすることもねぇや。だがその前に、紅葉討伐の邪魔になりそうな権左とその忠実な手下たちには死んでもらわなきゃな……」
腰から二振りの刀を抜く雅吉。
権左も刀を構え直す。
「雅吉の腕で俺を殺れるのか? 剣技の速さは認めるが、お前の太刀筋には重みがない。何度やっても同じだぞ」
不敵な権左の笑みに、雅吉は苦笑いを返す。
「俺の盗賊団が権左の傘下に入った時、どちらが頭をやるかでやりあったけな。たしかに、俺は盤上で戦っていたつもりなのに、あんたは力だけで盤そのものをひっくり返しやがった。あの荒々しさと力強さに、俺は恐怖を抱きながら本気であんたに惚れたんだ。まともに殺り合っても勝てる気はしねぇが――」
雅吉は維茂に目配せし、維茂は手を上げてそれに応える。
すると、権左に向かって幾本もの弓矢が放たれた。
足に、胸に、腹に、矢を受けた権左はその巨体の膝をつく。
「――権左。勝負ってのはな、勝てばいいんだよ」
「ぐぬぬ……。ま、雅吉ぃぃぃ、汚ねぇまねしやがって……」
権左は刀を支えにして立ち上がろうとするが、その足に力が入らない。
その様子に、一人の兵士が気合いの声と共に権左の後ろから斬りかかる。
「なめるなぁぁぁッ!」
振り向きざまに刀を振るう権左。その太刀は兵士の体を上下に分断した。
「バカが、功を焦りやがって……。数本の矢で権左の動きを止められるなら、とっくに俺が頭になってんだよ――」
舌打ちした雅吉が左右の手にする刀を構えた。
「権左、止めは俺が刺してやる。紅葉も散々可愛がってからあの世へ送ってやるからよ、先にむこうへ逝ってくれや」
言葉が終わると同時に雅吉が動く。その瞬発力は脅威的で、あっという間に権左の顔前まで迫った。
「そう簡単にッ」
なんとか立ち上がった権左は応戦するものの、傷つき弱った身体では雅吉の速さと剣技についていくことができない。
それでも権左は防戦にまわる事はない。権左の目的は紅葉を護る事。そのためには雅吉を斬り伏せ、この場から脱出しなければならないからである。しかし、その目的を達成することは出来そうにない……。
「これでお終いだ権左ッ。お前のために編み出した技、阿修羅で葬ってやるッ!」
雅吉の二刀の剣技が速度を増す。
刀を叩き落とされた権左は首を刎ねられるその瞬間、雅吉の腕と刀が六本あるように見えていた――――。
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