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ファイル3  『河童』の怪 【⑥】

□◆□◆



 山森が放ったのは一陣の風。その強い風は見えない渦となり、興奮する光男を宙へと舞い上げる。


「ひけキョぉぉぉ……ッ!」


 驚きと混乱が入り混じったような奇声を上げ、光男は頭上にある水の塊へと突っ込まれた。手足をバタつかせて脱出しようとするのだが、錯乱状態になっているため泳ぎになっておらず、水のなかでもがくだけとなっている。


「うボ ぉぉぉ…… ゴバ   ぼ……」


 しばらくもしないうちに、言葉にならない気泡を吐き続けた光男は目を回しながら動きを止めた――次の瞬間、妖力の支えを失った水の塊が崩壊する。


「あ 危ないッ!」


 河童が落下してくる光男へ駆けるが、それよりも速く駆けつけた安那の式神が彼を受け止めていた。

 額に五芒星が描かれている熊の姿をした式神はしゃがみ込み、背中で受け止めた光男をゆっくりと地面へと滑り下ろす。


「大丈夫か光男、しっかりしろっ!」


 河童は光男を抱き上げ、肩を揺らしながら頬をペチペチと叩く。

 口を半開きにして目を回している光男はとても愉快な表情で気絶をしていた。怪我はなく命に別状もないのはあきらかなのだが、河童は涙声で光男を呼び続ける。



「ちょっと大げさなわけ。光男が無事なのは、河童にも解っているだろうに……」


 住吉が肩をすくめた。


「河童さんの心配のなかに、自己嫌悪も混ざっているからじゃないかな?」


 桜香に声をかけられた住吉は首をかしげる。


「河童の自己嫌悪って……なんでそう思うわけ?」


「この数日間の光男くんに何があったのかはわからないけど、自分の妖力のせいで苦しむことになったのかもって思ったら……。やっぱり、取り乱しちゃうものなんじゃないかな?」


「そんなこと言ってもさ、河童を裏切って〝お皿〟を盗むからこうなったわけ。これは自業自得としか言えないと、俺は思うわけ」


「知らない他人に盗まれてしまったのならそう思うかもしれない。けど、光男くんが〝お皿〟に執着しているのをわかっていたのに注意をおこたってしまったっていう気持ちもあると思うんだ。もちろん責める気持ちもあると思うけど――」


 視線を河童へ向けた桜香は先を続ける。


「それでも、河童さんは本気で光男くんを心配している。裏切られた怒りもかなわない気持ちっていうのかな……そんな『友情』を光男くんにいだいているんだと思う」


「……そんなふうに思えるのかね~。今回の事でそんな『友情』も壊れちゃうかもしれないわけだけど~」


「そうだね。光男くんが〝お皿〟を盗った理由によってはそうなっちゃうかも」


 住吉は、――決してそんなことにはならない――そう断言しているような微笑みで答えた桜香から離れる。


「ま、アイツらの今後がどうなろうと、俺には関係ないわけ」


近場の木にもたれて腕を組んだ。



「う  ん。 あれ?……ミド?」


 朝の目覚めのように、光男は意識を取り戻す。


「大丈夫か光男。どこも痛くないか?」


 涙目で心配する河童。

 その姿に気まずくなった光男が深々と頭を下げた。


「ミド、ごめん。俺 俺は……」


 光男のピカピカの頭頂部に映る河童は「うんうん」と頷きながら微笑んでいる。言いたいことはたくさんあるに違いない。しかし今は、正気に戻った友達の無事が嬉しくて言葉が出てこないのだろう。



「光男くん、改めましてだけどこんにちは。私は崎守桜香といいます。警察の者なんだけど……なぜキミに会いにきたのか解るよね?」


 桜香の優しい声に顔を上げた光男は「はい……」と言って再び頭を下げた。



 高校三年生の光男は受験生である。週に三日は村から商店街へ行き、バスに乗って町の学習塾へと通っていた。そこで光男は、違う高校のある女学生に恋をしてしまう。

 その女の子はメガネをかけた優等生タイプ。人付き合いが苦手なのか、彼女は前髪で顔を隠すのが癖らしい。同じ高校の生徒ともあまり話をしていなかったのだが、光男のすぐ後ろが席だったというのが縁で少しだけ話をする仲になった。

 髪の毛を指に巻き、恥じらうように話をする彼女に惹かれていった光男。勉強ではなく、その女の子に会いたいがために塾へ行くようになったある日のこと。光男は彼女からある悩みを聞かされた。

 毎晩のように、数台のバイクが爆音を響かせて近所を走り回るらしい。そのせいで勉強に集中できないどころか、彼女は睡眠不足にもなってしまっているのだという。


 光男はそのバイクの集団に心当たりがあった。ソレは商店街の方にもやって来る悪名高い三人組の若者で間違いないだろう。その爆音は離れている村にまで聞こえるほどなのだ。何度かパトカーと追いかけっこをしている音を聞いているが、彼らが暴走を止める気配はない。


 商店街に住んでいる人達も迷惑しているのだが、警察に訴える事しか出来ずに悩んでいるようだ。

 そんな〝悪ガキ〟たちを、周りの大人が注意したり叱ったり、時にはゲンコツを喰らわせたりした時代もあったらしいが、現代でそんなことをしようものなら〝注意した方〟が〝悪者〟として処理されてしまうことも少なくない。結局、本腰を入れてくれない警察に頼る以外に手の出しようがないのだ。


 光男にとっては遠くに聞こえる爆音であるが、好きな女の子が困っているのならなんとかしてあげたいと思うのが男の心意気である。警察はバイクの三人組を中途半端に追い回すことしかしてくれないが、光男は確実に彼らを懲らしめることが出来る手段を知っている。

 それが、河童の〝妖力〟を借り受けることだった。



 「すまねえ。もう悪さはしないから、俺の腕を返してくれ」


 妖怪から見れば人間とはひ弱な生き物であるが、河童はそんな大昔の約束を守り続けている。

 仮に、理由を話して頼み込めば渋々協力してくれるのかもしれない。だが、河童に直接人間へ危害を加えるようなことはさせたくない。それでも自分の力でだけではどうしようもない。光男にとってお皿を盗むいうのは、浅はかながらも苦渋の選択だったようだ。


 河童の頭は平たいので、光男はてっきり〝お皿〟だと思っていたのだが、ソレは麦わら帽子の〝つば〟だけを残したような、真ん中に穴のある円盤だった。

 河童が洗っていたその円盤から、まるで髪の毛のような細い水草が生えている。一本一本念入りに洗っていただけあって、いつもは茶色が混ざっている水草はきれいな緑色。根元の水も新しく交換しているので、水草はとても活き活きしているようにみえた。


 光男がやって来たのは、商店街近くを流れている川の橋の下の河川敷。バイクで騒音を撒き散らす三人組が必ず通る橋である。


「これを着ければ、俺にも妖力が使えるようになるんだな!」


 光男は意気揚々と〝お皿〟を装着する。密着するためなのか、吸盤で吸われているような感じはするが締め付けられているような痛みはない。それよりも――


「これが 妖力か……」


 全身に行き渡る妖力の感じに感動した。今なら誰にも負ける気がしない。まるで世界最強の男になったかのような気分だ。


「た 試してみよう」


 光男は、河童が見せてくれたことのある〝水寄みずよせ〟という術をやってみることにした。


 以前、竹蔵というお爺さんがタバコの火を消し忘れて納屋が小火になった時に、河童が小川から水の塊を呼んで消化してくれた。光男はそれをイメージして川へと手をかざす。すると、川からレンガブロックくらいの水の塊がやって来て、光男の目の前で止まった。


「おおっ! すっげぇ!……ん?」


 宙に浮かぶ水の塊に、さらなる感動を覚えた光男であったが、それと同時に頭頂部に違和感を感じる。

 橋の下を通り抜ける風がやけに涼しい。


「ん? なんだ? なんだ?」


 不思議に思う光男が頭を触ってみると、その感触は『ペタ』。


「……」


 言い表し様のない不安から、おそるおそる川をのぞき込む。


「な!? なんじゃこりゃあああッ!」


 水面に映る自分に驚愕。かぶったお皿から出ている頭頂部には、髪の毛が一本もなかったのだ。


  ピカリン!


 そんな擬音が聞こえそうなほど、光男の頭頂部はきれいサッパリつるっとペタっとハゲている。


  “人間が皿を使うと、おそろしい副作用があるんだ”


 口論した時に河童はそう言っていた。光男はそれを、お皿を貸さない口実だと思っていたのだが――


「なんてこったい……」


 あまりのショックに力なく座り込んだ光男。それに追い打ちをかけるように、集中が切れて妖力の支えを失った水の塊が頭に落ちて来た。

 ひんやりとした感覚に驚く気力はなく、光男はしばらく呆然としていた――。


 その日の晩。商店街近くを流れている川の橋のたもとで、


 “おい、あれ見ろよ。シャンプーハットをかぶったてっぺんハゲがいるぞ”


光男は三人組に指を差されて笑われた。

 その言葉に、沸点が低くなっている光男の怒りが爆発する。


「こんな頭になったのも、元をいえばお前らのせいだろぉぉぉッ!」


 川から大きな水の塊を呼び寄せて三人組の手前に投げつけた。


 予想だにしない展開に、驚きで動けない三人組はバイクにまたがったまま数メートル流される。


「お前らの髪の毛をむしり取ってやろうかぁぁぁ!」


 うるさい・迷惑・髪の毛が無くなった・二度と来るな……。次々と浴びせられる光男の叫びに恐怖した三人組は、「すいません! もう二度と来ませんからッ!」と叫びながら、バイクを置いて逃げていった。


 ――次の日、光男はまたも殴られたようなショックを受ける。

 学習塾の傍にある、入り口が見える電柱に隠れて、光男は好きになった女の子を待っていた。ゆで卵のようにツルツルな頭頂部が恥ずかしく、みんなの前に出て行くことは出来ないが、爆音で悩んでいた彼女には、


  “もう勉強や睡眠を邪魔されることはないから安心して”


と伝えたかったのだ。

 『好き』になった女の子のために、頑張った自分をアピールしたいという欲もあるのだが、そんな光男の前に現れたのは、『彼氏』と手をつないで楽しそうに歩いて来る彼女だった。


「なんか、踏んだり蹴ったりだ……」


 笑顔の彼女を見送って、電柱にもたれた光男は頭を抱える。どんなに引っ張っても取れない〝お皿〟が邪魔になっているのだが、今はそれも気にならない。

 親友の河童を裏切り、頭頂部がツルピカになり、そして『失恋』――。自分が情けなくて、恥ずかしくて、心が重い……。


 河童に合わせる顔がなく、こんな頭では家に帰ることもできない。慣れ親しんだ山の中を歩き回った光男がたどり着いたのが、昔マタギが使っていたというこの小屋だった――。



「なんか……大変だったんだね~。でも、キミなりに頑張ったと思うよ」


 光男の話を聞き終えたタマモの言葉。うなだれる光男を気遣うような言い方ではあるが、その口もとはあきらかにニヤついている。住吉にいたっては――


「やっぱり自業自得だったわけ」


と山森の背中に隠れ、声を押し殺して笑っていた。



「ミド。ごめんな……」


 再び謝った光男に河童が触れる。


「光男、俺は怒っちゃいないぞ。皿を取ってやるから、顔を上げてくれ」


 光男の頭から簡単に〝お皿〟を外すと、河童は自分の頭へと戻した。その姿こそイメージ通り、正真正銘の『河童』だ。


「なんで? 全然取れなかったのに……」


 驚く光男に河童は微笑んだ。


 この〝お皿〟は、装着すると妖気で固定されるのだという。外す時は妖力を調整するそうなのだが、これにはちょっとしたコツがいるらしい。

 例えるならば、『知恵の輪』というおもちゃがある。一般的には二つで一組になっているものなのだが、複雑に絡み合っているようにしか見えないソレを力で外すのは難しい。しかし、外すコツさえわかっていれば難なく外すことが出来るのだ。

 満足に妖力の調整が出来ない光男が、どんなにお皿を強く引っ張っても外すことが出来なかったのは仕方がないことなのだろう。


 難はあったが、お皿がとれた光男は安堵する。そして――


「崎守さんでしたよね。お騒がせしてすみませんでした」


桜香に向かって両手を出した。


「俺を逮捕しにきたんですよね。もう抵抗はしませんから安心してください」


「それを言うなら俺もだな。あんたたちは俺がやった〝イタズラ〟を調べに来たんだもんな……」


 申し訳なさそうな光男と河童に、桜香は首を振る。


「逮捕ってなに? 私たちは〝行方不明者〟の捜索に来ただけよ」


「え? で でも……」


 桜香はそう声を漏らした光男の腕を取って立ち上がらせる。


「田所さんっていうお巡りさんに確認してもらったの。たしかに、三人組の男性が警察に来たっていう記録はあったけど、彼らには擦り傷ひとつないし、バイクも水に濡れているだけで壊れていなかった。傷害や器物損害は認められず、警察は事件として受理していなかったわ。河童さんのイタズラに関しては、被害届も出ていないしね」


「かすり傷ひとつない?」


「水の上を滑るように転がったのが幸いだったわけ。三人ともずぶ濡れになっていただけでピンピンしてるってわけ」


 光男の疑問に住吉が答えた。


「そもそも、人間の法律は妖力や超能力に対応したものではないですしね」


「お尻を触られたおじいさんたちも、話のネタになるって気にしてなかったみたいだし、おばあさんたちなんか“あたしゃ尻触られたのなんて、若い時にじい様が触ってきた時以来だよ。アハハハ!”って言ってたみたい」


「そうでしたわね。きっと、この辺りのお年寄りの方々は心がおおらかなんでしょう」


 付け加えながら笑う安那とタマモの言葉に桜香も微笑む。


  「商店街で買い物をした帰りに派出所へ寄ってくれるのは構わ

   ないんですがね、そんな話に付き合う方も大変なんですよ」


 そんなことを言っていた田処と溝淵の顔を思い出すと、さらに笑いがこみ上げてくる。


「俺たちの仕事は、犯罪を犯した妖怪を『改心』させるか『滅する』か。この二択しかないのさ。河童に悪意があったわけではなく、被害者もそれを笑い飛ばしているのなら、今回の件に俺たちの出る幕はないってことだ」


 山森の言葉に頷いた桜香は、河童と光男の手を下げさせた。


「なんだかよくわからなかったけど、これにて一件落着です!」


 オレンジ色の空の下。木々に囲まれた山の中に、気分の良い桜香のさわやかな声

がこだました――。




 この日のうちに帰ることも出来たのだが、光男の強い勧めもあり、桜香たちは村で泊まることになった。もちろん、室長の代田に許可はもらってある。宿泊するのは、家族だけで小さな旅館を営んでいる光男の家。


 光男は数日ぶりに帰るわけで、心配しながらも激しく怒っているだろう家族へのフォローを桜香たちにお願いしてきたのだが、そんな心配は無用だった。

 なんの連絡もせずに姿を消していた光男を、やはり家族の皆は心配し、多少は怒っていたようだが、彼の頭を見るなり家族は大爆笑。


「わ 笑うなぁぁぁッ!」


 怒鳴る光男の真っ赤な顔が、笑いにさらなる拍車をかけた。



 光男の家族は桜香たちを歓迎してくれた。タマモや安那たちが人間ではないことに薄々勘づいているようだが、何も言わずに笑顔で迎えてくれる。河童と長年関わっている一族なだけに、そのあたりの許容が深いのだろう。


 桜香たちの夕食には河童も同席している。家族は河童に光男の捜索をお願いしていたらしい。今回の事は自分の落ち度でもあると遠慮していた河童だが、家族だけでなく桜香たちにも勧められては断れない。今は好物のキュウリをおいしそうに食べている。


「へ~。河童のお皿ってこうなってるんだ」


 興味津々のタマモが河童にお皿を見せてもらっていた。


「崎守さんも見てみるか?」


 桜香の視線に気付いた河童が頭を向ける。

 ソレは麦わら帽子のつばだけを残したような形をしており、想像していたモノとはずいぶん違う。〝お皿〟に興味はあるものの、桜香はタマモのように「見せて見せて!」とは言えず、覗き込むような姿勢になっていたのだ。


「す すみません。そんなつもりじゃ……」


 顔を赤くする桜香に河童は手招きをする。


「いいんだ。あんたの後学のためにも、俺たち『河童』のことも知っておいてほしいから」


「そうだよ、桜香ちゃんもおいで。こんな近くでなんてめったに見れないよ」


 タマモにも促され、桜香は河童へと向かった。


「で では、失礼します」


 桜香は河童のお皿へと手を伸ばす。「せっかくだから触ってみろ」と河童が言ってくれたのだ。


「あ これってほんとに水草なんですね」


 表面にある髪の毛のようなモノからは、湿った感触と草の香りがした。


「珍しいだろ? これはな、『河童草』って言って俺たち河童からしか生えてこない草なんだ。人間の髪の毛のように自然と伸びてくるから、たまには手入れしないとボサボサ頭になっちまうんだけどな――」


 そう言った河童は、腰にぶら下げている袋からふたのついたつぼを取り出す。


「――これがなんだかわかるか?」


 蓋を取った壺の中にはドロっとした液体が入っている。


「もしかして、これが〝河童の膏薬こうやく〟ですか?」


「正解だ。聞いたことはあるみたいだな」


 桜香の答えに、河童は満足そうに微笑んだ。


「伸びすぎた『河童草』を切った後、乾燥させて石臼いしうすで粉状にする。そこに俺たちの〝粘液ねんえき〟を混ぜ合わせて十年寝かせると、〝河童の膏薬〟になるんだ」


「粘液ってなに?」


 タマモの問いに、口を開いた河童が中を指差す。


「げ、ヨダレってこと!? なんだかバッチイな~……」


「コレはな、大抵の火傷やケガなら一瞬で治す優れものだぞ。昔、切り落とされた腕だってコレでくっつけたんだからな」


 怪訝な顔をされた河童が少し口を曲げた。


 河童の膏薬――膏薬とは、一般的に動物などのあぶらで練り合わせた外傷用の塗り薬のことである。昔、河童は光男の先祖を通して人間でも作れる膏薬を教えたことがあり、大変感謝された。河童オリジナルの膏薬はそれとは比べ物にならないくらいの効能があるらしい。


 賑やかな宴は夜中まで続いた。


  こんなに楽しくなるなんて思わなかった。

  川霧さんも来られれば良かったのに――


 そう思った桜香がクスリと笑う。

 いつも面倒くさそうで眠そうな顔をしている川霧刃のことである。


  「仕事が終わったのならさっさと帰るぞ。俺は眠いんだ……」


 きっとそう言うだろう。ジンが来ていたのなら、この楽しい時間はなかったに違いない。



 翌日。まだ外が暗いなか、桜香は支払いを済ませてタマモたちが待つ外へ出た。

 光男やその家族からは「お代はけっこうです」と言われたがそういうわけにはいかない。何とも言えない立場ではあるがれっきとした公務員なのだ。ちゃんとした金額を支払った。


 手を振る光男の頭頂部がまぶしく輝いている。その隣で手を振る河童の話では、妖力で毛根にダメージを受けているけれど、十年もすればまた生えてくるようになるのだとか……。

 光男には長い十年になるだろう。それでも彼の笑顔を見ていると、きっと乗り越えられると思えるから不思議である。



 帰りの途中、派出所の前では田処と溝淵が待ってくれていた。


「早くにつと聞いていたので。駅にいくにはここを通ることになりますから」


 敬礼する溝淵。

 あのあと彼は、田処からいろいろな昔話を聞いたらしい。


「妖怪って、本当にいるんですね」


 まだ少しビクビクしているように見えるが、そう言った溝淵のはにかむような笑顔にタマモたちは微笑んだ。

 『妖怪』という存在を認めてくれたのが嬉しかったらしい。



 警視庁の庁舎。


「たっだいま~!」


 タマモが特殊事件広域捜査室のドアを勢いよく開いた。


「おや、早かったですね。お昼は過ぎると思っていたのですが」


 代田が仏の様な笑顔で迎えてくれる。


「子ぎつねがもう帰ってきたのか……」


 椅子にもたれていたジンが目を覚まし、うるさそうに耳を掻いた。その仕草にタマモが頬を膨らます。


「なんだ~? そんなこと言うなら、ジンにはお土産あげないんだからね!」


 少々ご立腹なタマモの横を通り過ぎた安那。


「それなら、子ぎつねじゃないきつねならお邪魔じゃないのかしら?」


 彼女はジンの膝に座り、首に腕を回しながら耳元でささやく。だがジンはため息を吐いただけで微動だにしない。


「うわ~。ジンさんいいな~……」


 住吉が指をくわえてつぶやいた。


 安那の行動に驚きながらも、あれは彼女のクセのようなものであると桜香は納得し始めている。

 同じ女性としてうらやましく感じる色気を使って、安那は相手の反応を楽しんでいる。その証拠に、悪ノリしてきそうな住吉や、冷静に対応してきそうな山森には決して色気を使ってからかったりしない。


 桜香の視線に気付いたジンが目を細めた。


「崎守。頼んでおいたモノは買ってきただろうな」


 ジンが立ち上がったことで、バランスを失った安那が彼から離れる。


「んも~。久しぶりなのに、あいかわらずつれないのね」


 安那がジンの背中を見送りながら微笑む。自慢のからかいも、どうやらジンには通用しないらしい。


「安那。ジンにべたべたしすぎるの、どうかと思うよ」


 タマモが口をとがらせている。


「やきもちですか? ご安心ください。昨日も言った通り、安那はお姉さま一筋ですわよ!」


 新しい獲物を見つけた目で、安那はタマモを抱きしめた。


「それはもういいから! は~な~せ~!」


 それは、昨日も見たような光景であった。



 近づいてきたジンに、桜香は紙袋を差し出す。


「そんな目をしなくても、ちゃんと買ってきましたよ」


「そんな目って、どんな目だ?」


「こ~んな目です」


 疑っているように細めている目を、桜香はそのままマネしてみた。


「俺はそんなブサイクじゃないぞ」


 紙袋を受け取ったジンは、呆れた声を出して背を向ける。


「ブサイクって……」


 あいかわらずのデリカシーがない言葉に、桜香はふうっと息を吐く。しかし、川霧刃はこういう態度する男であるのだと桜香は受け入れ始めていた。


「川霧さん! そんな言い方をするなら、お土産は没収ですよ!」


 桜香は気を取り直し、ジンの背中を追って行った――。



「崎守くんとの初仕事はどうでしたか?」


 代田が山森に声をかけた。


「思っていたよりも肝が据わっている。まあ、邪魔にはならないんだろうが……これでいいんですか?」


「なにがです?」


「なにがって――」


 山森は楽しそうにジンにからむ桜香へと視線を動かす。


「ここにいたら、間違いなく『あの方』に目をつけられることになりますよ?」


「それは仕方がないですね。もう目をつけられているかもしれない以上、彼女にとって一番安全なのがここなのですから」


「そういう事でしたか。あのお嬢ちゃんも大変だ……」


 山森の目が桜香に対する同情の目に変わった。



 住吉は皆の様子を眺めている。

 代田と山森で話をしており、タマモは安那とじゃれ合っている。桜香もジンと楽しそうに紙袋の取り合いをしている。


「誰も  俺にはからんでくれないわけ?」


 おいてけぼりになってしまった住吉。

 彼の寂しそうな声は――――誰の耳にも届いていなかった。


□◆□◆

 読んでくださり ありがとうございました。


 作者も驚いているくらい長かった『河童』の怪はいかがでしたでしょうか。

 いろいろと今後への伏線を張ってありますが、基本的には"バカバカしくて笑えるものを"と思って書いていましたので、笑ってもらえたならうれしいです(*^^)



 次回予告を少しだけ……。


 警察の交通課に勤務しながら『刑事』に憧れている崎守桜香。コンビニ強盗を追跡してやって来たのは、何年も前に稼働を停止している廃工場。そこで彼女は、恐ろしくて凶悪な妖怪と遭遇してしまう……。

 これは、崎守桜香が『特殊事件広域捜査室』に配属されるキッカケとなった事件である――。


 投稿が少し遅くなるとは思いますが、また読みに来てくれると嬉しいです。

 よろしくお願いしますm(__)m

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