バスに揺られて
今日お邪魔する先に失礼のないよう、一応最低限の格好はしてきたつもりだけれど……。
いつもは気にしてない前髪も、こういう時に限って変に感じてしまう。
ちらちらと鏡を見ながら、指で梳いたりずらしたりして、自分が納得のいく状態に仕上げていく。
……よし。
しばらくしてから心の中で頷いて、鏡を閉じる。
まだ使う可能性があるかもしれないから、一応上着のポケットに忍ばせておく。
16年以上生きてきた私の人生で、こうして身なりを気にすることなんて滅多になかった。
前髪ももちろんそうだけど、ワンピースやベレー帽の組み合わせは一昨日の夜から試行錯誤してできた私なりのもの。
未来ならもっと可愛い服を選んで、紗理奈なら更にメイクをするんだろうけど、不器用な私はそのぐらいしかできることがない。
だからせめて、隣を歩いても恥ずかしくないような格好を。
その程度で十分だと、私は思っている。
過ぎてゆく窓の外の景色を眺める。
朝日に照らされた田んぼが静かに流れていき、見慣れた町並みも少しずつ遠ざかっていく。
何度も乗ってきたこの路線も、今日はどこか落ち着かない。
『景色より先に、彼が目に入るから』
……なんて考えるのは言い訳よね。
意識は離そうと思うほど、かえって強くなってしまうから。
私は一度視線を伏せ、肩の力を抜くように息をついて心を鎮めた。
窓際に肘を預けた天野は、流れていく景色をぼんやり眺めている。
朝日に照らされた田畑も、追い越していく軽トラも、すべて視界には入っているはずなのに、どこか別のことを考えているようにも見える。
この街へ来てから、もうすぐ二週間ほど。
見慣れない景色にも少しは慣れたのか、それともただ時間を持て余しているだけなのか。
そんなことを考えているうちに、不思議と口が先に動いていた。
「……退屈してる?」
不意に掛けた声に、天野は窓からゆっくりと視線を外す。
「ん? ああいや、そういうわけじゃない」
そう言ってもう一度窓の外へ目を向ける。
「俺の知らないだけで、日本にはこんなところがあるんだなって」
「……そう」
心の隅でほんの少し安堵する。
退屈か、なんて聞く予定はなかったけど、否定されるとそれはそれで嬉しい。
車窓の外では田畑の間を一本の道が伸び、その脇をゆっくりとバスが走っていく。
信号よりも田んぼの方が多い景色は、この街では当たり前でも、彼には珍しく映るのだろう。
「この路線、結構長いのか?」
窓の外を眺めたまま、天野が尋ねる。
「えぇ。この辺では一番長い路線ね」
そう答えながら、私も同じように窓の外へ目を向ける。
「今日降りるのは終点だから、言ってもまだ一時間ちょっとはあるわ」
「じゃあ結構遠いんだな」
「そうね」
それだけ言うと、また車内は静けさを取り戻した。
一定の速さで景色が流れていく。
田畑を抜け、小さな集落を過ぎ、また田畑へ戻る。その繰り返しが、この路線では当たり前だった。
途中の停留所で数人が降りていき、車内は来た時よりもさらに空いていく。
発車するたびに小さく揺れる車体も、しばらく乗っていると心地良いくらいだった。
隣を見ても、天野はさっきと変わらない。
知らない景色を見ているだけなのか、それとも別のことを考えているのか。
その横顔からは相変わらず読み取れないけど。
無理に言葉を探す必要も……ないわよね。
そう思いながら、私も窓の外へ視線を戻した。
静かな車内に、またエンジンの音だけが流れていく。
▽
それからしばらく、俺たちは特に会話をすることもなく、流れていく景色を眺めていた。
聞こえてくるのはエンジンの低い音と、道路の継ぎ目を越えるたびに伝わる微かな振動。
バスに乗ること自体は珍しくない。
けれど走る場所が違うだけで、感じる雰囲気は随分と変わるものだと思う。
窓の外は、依然として朝日に照らされた田畑が広がっていた。
進めば集落が見え、抜ければまた一面の緑が続いていく。
停車してる軽トラは見えるものの、動いている車は少ない。トラクターの音が時折聞こえてきていた。
そんな時、バスが少し大きめの揺れを拾った。
普段なら気にも留めない程度のものだったが、隣からわずかに重みを感じる。
何かと思って視線を向けると、次女が俺の肩へ静かに身を預けていた。
……
彼女は下の方を向きながら、規則正しい寝息をたてている。
さっきまで俺と話していた彼女の意識はもう夢の中だった。
起こした方がいいのか一瞬だけ迷ったが、朝早かったことを考えれば無理もないよな。
俺はそのまま視線を前へ戻す。
進んでいく景色を眺めながら、肩にかかる小さな重みをそのままにして、俺はらしくないそんな一面に口元を緩ませた。
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