リスペクトかな? それとも?
今年に入ってから、図書館から借りた小説に、『夫よ、死んでくれないか』(丸山正樹 双葉社)、『ヒロイン』(桜木紫乃 毎日新聞出版)の二冊があって、それぞれ作品の展開の中で、こんな小説があったっけと、言及される箇所があった。それって桐野夏生の『OUT』(講談社)じゃないのかな? と思った。
実はその時点で桐野夏生の『OUT』は読んでいなかったし、映画やテレビドラマの映像化作品は観ていなかった。『東京島』(新潮社)や『燕は戻ってこない』(集英社)は読んでいたし、発表された数々の作品が話題になったり映像化されたりして、桐野夏生は全く知らない小説家ではなかった。
『OUT』は海外にも紹介され、評価された桐野夏生の代表作。『夫よ、死んでくれないか』と『ヒロイン』の中で、夫を殺してその遺体を仲間の女性たちで隠蔽するハナシと登場人物が思い起こしていた。それくらいはわたしも評判の中で聞いていた。弁当の工場で深夜働く女性たちがいて、仲間内の一人が夫を殺してしまったことから、遺体をバラバラにして事件が表面化しないようにする。単純に、殺意にまで変化した家庭内の鬱積とシスターフッドの話なのかしら? と思い込んでいた。疑問を抱き続けるのなら、さっさと読めということで、『OUT』を読んだ。
展開に驚いてしまった。まず女性の友情ものではない。弁当工場で共に働く女性同士の連帯感はある。だがそれぞれ抱える事情が女性たちを同じ方向に向かせない。主人公の香取雅子は夫も息子もいるが、凍り付きそうな孤独と闇を身の内に住まわせている。吾妻ヨシエは未亡人で、寝たきりの姑とまだまだ教育費のかかる二女と暮らしている。城之内邦子は外車に乗り、身なりに金を掛けるのを惜しまない。しかし実情は家計は火の車であり、内縁の夫が有り金持って突然いなくなる。若い山本弥生は幼い二児がおり、子どもが眠り、夫が仕事から帰宅する深夜の時間帯に働きに行かなくてはならない状況。弥生の夫の山本健司は「飲む、打つ、買う」が揃っている。(実時に及ばなくても綺麗な女性のいる店で飲んで、そこのホステスに入れ上げたら「買う」じゃない?)
どの女性も息詰まるような状況にあり、いつ何が起きても不思議ではない。ついに弥生が健司を殺害してしまう。
職場の同僚に相談しないで、警察に自首しなさい、となったら、ロクデナシに泣かされた女性の苦労の果てで終わってしまう。(それはそれで話の作りようはあるけど)相談された雅子はヨシエに声を掛け、次いで自宅に借金を申し込みにきた邦子をも引き込み、遺体をバラバラにして、分散して捨て、隠蔽しようとする。
弥生は夫が帰ってこないと警察に届け、そこから邦子が公園に遺体の一部を捨てたものだから、発見され、死亡したことだけは確認される。
四人の女性たち、誰かしら自分と状況が似通っている、と感じる人がいるかも知れない。もしくは誰にも共感できない人もいるかも知れない。わたしは邦子には共感できなかった。ホラー映画で悲鳴を上げて、真っ先に目立つような逃げ方をしてモンスターやゾンビに襲われて命を落とすようなキャラクターみたい。
殺された健司の行動が探られ、警察は健司が足しげく通ったクラブと地下カジノに目を付ける。クラブと地下カジノのオーナーの佐竹光義が前科もあることから、容疑者として警察に連行される。警察から解放されるものの、前科と逮捕でそれまで築き上げてきた店や信用はおじゃんとなり、佐竹はこうなった原因を探り出そうと動き始める。
邦子が借金返済の為に浅慮としかいいようのない行動をして、街金が目を付け、更なる要求を雅子たちに突き付けてくる。
一体どうなってしまうのだろう? 彼の女たちはこのまま転落し、悪に進むのか? どうしてこうも良くない方向にばかり知恵を働かそうとするのだろう? 人を動かす情念はどこから湧いてくるのだろう?
弁当工場で働く日系ブラジル人の宮森カズオに人を信じる心、善意がまだ残っていると安心するが、雅子が改心に至る訳ではない。
やはり物語は行きつくところまでいかなければ終わらない。もうその道を行くしかないのか、と浄化されない気持ちで読者は思う。
『夫よ、死んでくれないか』と『ヒロイン』で、『OUT』の題名が出てこないが、それらしい言及があるのは、作品へのリスペクトであるのと同時に、どこかで読んだ・見た設定かも知れませんが、展開は違いますよ、との断り書きなのでしょう。




