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小説『哀れなるものたち』

 アラスター・グレイの小説『哀れなるものたち』(高橋和久訳 早川書房刊)は面白い構造をしている。以前に、岡田鯱彦の『源氏物語殺人事件』(『薫大将と匂の宮』)や円地文子の『なまみこ物語』を紹介したが、これはこういった古文書を発見した、或いは昔読んだ記憶がある、と、物語を綴っていく。『哀れなるものたち』も同じように、博物館の職員が道端に出されていた法律事務所の廃棄書類をたまたま拾って(犯罪行為になると後で知ったが、既に一冊家に持ち帰ったため)、著者にどうしたものかと持ち込んだ(てい)で始められる。凝った装幀に有名な画家の挿絵、手書きの手紙が挟み込まれており、どうやらお金に余裕のある人物が趣味に飽かせて作らせた本らしい。本の著者は十九世紀にグラスゴーに実在したアーチボルト・マッキャンドレス。博物館職員のドネリーはマッキャンドレスの書いたフィクションであると思い、著者のグレイは実録だと思った。マッキャンドレスの本を編集し直して出版しようと印刷所とやりとりしているうちに、原本は紛失されてしまった……。


 序文 アラスター・グレイ

 スコットランドの(いち)公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話 医学博士アーチボルト・マッキャンドレス

 上記著作についての孫、または曽孫宛書簡 医学博士”ヴィクトリア”・マッキャンドレス

 批評的歴史的な註 アラスター・グレイ


 以上の順番で、『スコットランドの(いち)公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話』には目次やエッチングの挿絵、マッキャンドレスの手書きの書き込み、妻が書いたらしい手書きの手紙が図版で加えられている。

 アーチボルト・マッキャンドレスは農場で働く女性の私生児として生まれ、苦労してグラスゴー大学医学部に入り、そこで解剖学の教師ゴドウィン・バクスターと出会う。ゴドウィンの家に出入りするようになり、ゴドウィンの怪物的な容姿に驚いたり、家にいる二羽の兎の毛の柄に注目したりする。やがてマッキャンドレスはベラという女性と邂逅を果たす。マッキャンドレスはベラを「ひどい脳損傷の症例」と評するものの、心惹かれる。ベラもまたマッキャンドレスに興味を抱いたよう。バクスターから、身投げして亡くなった妊娠中の女性の遺体から胎児を取り出し、脳を母体に移植して、生き返らせた、それがベラだと教えられる。二羽の兎を切断して縫合、接合して成功し、また元に戻したと聞かさせていると、それもアリなんだろうかと感じてしまう。

 マッキャンドレスはベラに結婚を申し込み、ベラは受け入れる。ゴドウィンはショックを受けつつ、それを受け入れ、法律的にあれこれ整える為に弁護士のダンカン・ウェダバーンを家に呼ぶ。今度はダンカンがベラを気に入り、誘惑して二人で姿を消してしまう。懊悩煩悶、憔悴のマッキャンドレスとゴドウィンの許にはベラからの手紙が送られてくる。ダンカンとヨーロッパを巡ってベラは見聞を広め、成長していく。途中、ベラの成長を認めたくないダンカンと離れ、ほかの人々との出会いと別れがあって、ベラは帰ってくる。ではマッキャンドレスと結婚しようと、式に臨むが、ベラの夫だという軍人と父親が現れる。ベラは元々はヴィクトリアという名前で、ハタズレーなる蒸気機関車会社の人物の娘で、サー・オーブリー・ブレシントン将軍の妻だと告げられる。ヴィクトリアは一度死んでベラとなったから縁は切れたと説明しても、父と夫が引き下がる訳がない。ヴィクトリアは夫を愛する気持ちが強すぎて、年上で戦傷で傷だらけの夫の身に悪いのではと悩んでいたとか、陰核切除の手術を望んでいたとか語られる。

 お上品な(・・・・)ヴィクトリア朝での淑女にあるまじき欲望?

 力ずくでも、と銃まで取り出したブレシントン将軍にベラはとんでもない内容を言い出した。パリの娼館にいた時にあなたと会った、早かった。将軍はどうやらノーマルでない上にお粗末らしい。

 ヴィクトリア朝の淑女にあるまじき言葉! 

 ハタズレーもブレシントンも大いに衝撃を受け、その場を去り、ブレシントンは自殺する。

 障害が無くなったと、ベラとマッキャンドレスは結婚した。

 映画ではここら辺までがアレンジして描かれる。小説の面白い所はこの先にもある。『上記著作についての孫、または曽孫宛書簡 医学博士”ヴィクトリア”・マッキャンドレス』では、マッキャンドレスの妻から反論と、真実が綴られた。夫が書いた内容は嘘ばかり。わたしは一度死んでよみがえった訳じゃない、マッキャンドレスがバクスターを怪物のように描写するのが理解できない。マッキャンドレスと結婚したけれど、わたしが愛したのはゴドウィン・バクスターただ一人。まあ、若くて美しい姿かたちをしていてもフランケンシュタインの怪物みたいな存在で、ほかの男と駆け落ちし、売春の経験のある女性と、性病検査のみでためらいなく結婚できるのは、ハナから嘘八百だから、との気もする。

 アラスター・グレイの註は、はじめなくても差し支えないじゃないかと思っていたが、だんだんこれは小説の注釈というより、十九世紀から二十世紀初頭にかけてのスコットランドおよびグラスゴーを解説しているんだなと読めてくる。ヴィクトリア・マッキャンドレスに関しての註は、それ一つが壮大な人物誌といえる。註の形をした、重要なパートだ。読み飛ばせない。

 で、マッキャンドレスとベラの書はどちらが真実(に近いのか)? 博物館の職員と編者と称する著者の意見のどちらが正しいのか? は考える必要がない。

 これは著者アラスター・グレイの作品、つくりごと、かたりものだから。

 巻末の「訳者あとがき」で翻訳者が胃炎に罹ったとある。翻訳も手書き文字の部分をどうするかも含めて、日本語での刊行での装幀でもご苦労なさったのね。読む方は仕掛け絵本を読むようで、とっても面白かった。

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