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美青年時代を知らない

 昔、NHK教育テレビで『愉快なシーバー家』というアメリカ製のドラマを放映していた。子どもを保育園に迎えに行って帰宅して、片付けやら夕飯の支度やらしている間、子どもを静かにさせる為にテレビはつけっぱなしで、チャンネルはNHK教育テレビだった。『忍たま乱太郎』や『天才てれびくん』のほかに『フルハウス』とか『アルフ』といった海外ドラマがあり、『愉快なシーバー家』はそういった番組の一つだった。海外ドラマだと有名なアーティストのゲスト出演、無名時代のチョイ役出演などが稀にある。『愉快なシーバー家』にはレオナルド・ディカプリオが子役時代に出演していた。

 シーバー家の長男が教師になって、教え子の一人が親が行方不明の上に住まいがなくて学校に内緒で寝泊まりしていたと判明して、しばらく自宅で面倒を見ようと決めて家族に連絡する。シーバー家の母親は、「そんな得体の知れない、不良かも知れない子を家に入れるのは困る」と難色を示す。しかし長男がその子を連れてくると、ミセス・シーバーが「ずっとここにいてちょうだい」と抱き寄せ、思わずデコにキスする美少年ぶり。(今ならNGだけど三十年近く前のドラマだから)この美少年がレオナルド・ディカプリオ。わたしは巷で評判の「レオ様」の映画を一本も観に行けていなかったので、これが噂の「レオ様」かあと画面をつくづく眺めた。この頃『タイタニック』はとっくに上映されていた。ちびーずを抱えて、なかなか一人で遊びに出掛けられなかった時期だった。『愉快なシーバー家』に出てきたレオナルド・ディカプリオは成程綺麗な顔立ちをしていたが、正直あんまり好みではなかった。それよりも無名時代のブラピが出た回を観そびれたと残念な思いだった。

 ということで、わたしはレオナルド・ディカプリオが「レオ様」と呼ばれた時代の映画は観ていない。最近になってやっと(すっかりオジサンになったレオナルド・ディカプリオ主演の)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観た。当然ブラッド・ピットが目当て。『アルマゲドン』や『ディープ・インパクト』のパロディらしい、ディカプリオ出演の『ドント・ルック・アップ』を観に行きたかったけれど映画館で上映中は予定が合わず、NETFLIXに未加入なので未だに観られず。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』も会員登録している映画館で上映していない上に時間が長すぎて、外出の都合がつかないと諦めた。

 ところが、今月に入ってから会員になっている映画館で『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の上映が始まった。我が家はApple TV+にも加入していない。上映スケジュールも平日に日中に設定されているのを確認して、出掛けた。

 映画に三時間半の長さは感じなかった。一番後ろの列だったし混んでいなかったので、軽く坐り直したり、足を組み替えたりしたけれど。

 映画の(ベース)になった本は図書館から借りて読んで、だいたいの話の流れは知っている。でもやはりノンフィクションの書籍とフィクションにふくらませた映画は違う。本には出てこないネイティヴ・アメリカンの生活や言葉、アメリカ合衆国の歴史が映像で語られる。先住民であるはずのインディアン(二十世紀はじめの設定なので劇中こう呼ばれる)は元々暮らしていた土地を奪われ、何もない平原に追いやられる。冒頭先住民のオセージ族が集まり儀式を行う中、土地だけでなくやがて独自の文化も奪われゆく運命にあると語る。ところが何もないはずの平原に石油が湧きだしているのを発見する。石油が一大産業となる頃にはオセージ族にも白人のやり方や法律を学んで、自分たちの有利になるように交渉できるまでになっていた。オセージ族は白人たちに石油開発で土地に立ち入らせるのを許し、その利益をオセージ族に分配させると決めさせた。かくしてオセージ郡では突如裕福になったネイティヴ・アメリカンのオセージ族と、オセージ族の家庭の使用人や油田の労働者、一攫千金を狙う荒くれ者、西部開拓時代そのままの牧場経営者などの働く白人が暮らす街となる。次いで石油の利益を享受しているはずのオセージ族の人々が不審な死に方をするのが映される。明らかにおかしいのに、事件性なしと捜査はされない。オセージ族は法律的に半人前の扱いで、巨額の富を持っていながら、(白人の)後見人の許可がなくては預金を下ろせない。オセージ族の女性のモリーも自分を「生活無能力者」と言って、後見人と生活費の金額やら使い道の話をしなければならない屈辱の日々を送る。無制限に預金を下ろせる者もいて、口八丁のセールスマンに高級車なんぞ泣き落としで売りつけられる姿もある。

 汽車に乗って、レオナルド・ディカプリオ演じるアーネスト・バークハートが駅に着く。駅を降りると油田での労働者を募集する案内人や荒くれ者で溢れている。オセージ族の男性がアーネストに声を掛ける。おじ(・・)のウィリアム・ヘイルに頼まれたと車に乗せた。駅前の街から郊外へと景色が変わり油井や牧場が見える。アーネストは「ここは誰の土地だ」と尋ねると、「全部俺のものだ」と相手は答えた。ヘイルの牧場に到着し、久々におじ甥の再会に喜び、これまでとこれからについて語り合う。アーネストは戦争から帰ってきてまだ職がない、そして戦場での病気で力仕事は無理らしい、ということで、ヘイルは運転手をしろと助言する。

「女は好きか?」

「それが俺の弱味です」

 戦場で病気をもらったりしなかったとか、女の人種についてこだわるかとか、男同士のシモネタ話をして、モリーという女性がいるとヘイルは言う。

「純血の女性だ」

 と、オセージ族を知るようにと本を渡される。

 アーネストはそう言われても、紹介してくれるのかな、くらいである。

 街中で、運転手をしながら、アーネストはオセージ族のモリーと出会う。おじ貴の言ってた女性は彼の女か、いい女じゃないかと親しくなる。モリーも話をしていてアーネストは知性に欠けるが、性格は悪くなさそうと好ましく感じる。

 なんかまあ、アーネストという男、いい歳なわけだけど、あんまり頭を使わないで生きてきたなあと解る。喧嘩や街中での賭けレースなどの騒ぎを目撃すると、それまでのことをそっちのけで目が惹きつけられちゃうし、おじ貴から本を読むかと尋ねられると字は読めますと答え、渡された本を逆からページを繰るし、モリーとの会話も妙にちぐはぐなのだ。モリーが姉妹で自分たちの周囲の男性たちを語る内容がまた辛辣だ。

「お金目当てでしょう」(これは彼の女たち姉妹に言い寄る白人男性みなに共通している認識でもある)

「アーネストは賢くないけど、見た目がいいわ」(モリーのアーネスト評)

「蛇みたいな顔をしているじゃないの」

「うちの(夫)は兎みたい」(顔がカワイイと言っているのではない)

 当人たちにはとても聞かせられない。

 モリーの姉妹のミニーは白人男性と結婚している。ミニーは病を患い、顔色が悪い。アナとモリーとリタは今は独り身だが、アナは派手に遊びまわり、遊び相手の一人にアーネストの弟のバイロン(ブライアン)がいる。母リジー・Qは長く病の床にあり、娘たちの将来を案じている。時代背景からしてたとえ白人であっても女性の立場は弱かった。女性参政権も第一世界大戦後に得られたばかり。連邦最高裁判事だったルース・ベイダー・ギンズバークの活躍を聞くにつけ(映画『ビリーブ 未来への大逆転』は観ていないけど、ドキュメンタリー番組は観た)、アメリカ合衆国でも男女平等は難しかったのだと知ることができる。当時、男性の保護を受けるべき存在とされていた女性で、自分名義の財産をも自由に使えないネイティヴ・アメリカン、彼の女たちの不安と猜疑心は根深い。

 それでもアーネストとモリーは恋に落ち、結婚を決めた。顔だけが取り柄の年齢でもないし、家計の管理面も含めてよくよく考えたのだろう。アーネストはスーツ姿で、モリーとその姉妹たちは肋骨服の軍服姿で着飾る。オセージ族の民族衣装や西洋式のウエディングドレスではないのが印象的。先々の不安はあれどひとときの仕合せが訪れた。

 続きます。

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