十二歳の少年
地元の図書館の新刊コーナーに『地球壮年期の終わり』という本があった。著者の林譲治は初めて知る。表紙のイラストや出版元が早川書房であることからしてSF小説だ。さて、早川書房から出しているアーサー・C・クラークの小説は『幼年期の終り』が邦題で、『地球幼年期の終わり』は東京創元社の題名だったんじゃないかしらん。
題名に目が吸いつけられてしまい、手に取った。
著者略歴を読むと、デビューは三十年以上前。SFに不案内なわたしが知らなかっただけ。
『科学的アイデアと社会学的文明シミュレーションが融合した作品を次々と発表している。』
と紹介されている。
題名からしてアーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』(わたしが読んだのは父の蔵書の創元社文庫だから)と比較されるのを恐れないで付けたのだと思われる。
読んでみて、わたし、社会学的文明シミュレーションにどこまでついていけたか不安になった。本作は書下ろしで、今年の一月に初版で、著者はいつこの作品の構想を得て、どれくらいの時間を掛けて書き上げたのか、知らない。だが、現在の政治状況をある程度踏まえて綴ったのでは、と思わせる。
主な登場人物に紅谷、桐生、藤堂、青沼と日本人を思わせる名前が出てくる。著者が日本人だし、物語で自衛隊がなにやら危うい動きを見せる。日本がどんな役割を追うのだろうか。
第二次大戦後に日本に進駐したダグラス・マッカーサーが、「欧米人が四十五歳くらいの成熟度なら、日本人は十二歳の少年だ」と評した。果たして登場人物たちは成熟した思考と行動を見せてくれるのだろうか?
結論からすればわたしの深読みのし過ぎで、人文科学分野の説の開陳に驚くばかりだった。そして人類が素晴らしい知性と飽くなき向上心の持ち主しか存在しないなら苦労しないと思った。
宇宙人――紅谷祐介の言った言葉による名付け――スカベンジャーは地球人とは比較にならないほどの科学技術を持っている。身の丈三メートルほどで宇宙服をまとい、その実態は窺い知れない。宇宙服に翻訳機が付いているので会話ができるが、翻訳機の音声の所為なのか、訳し方なのか、スカベンジャーたちの口調は呑気な印象だ。人は人を食べないのなんで死体の山を築くのか? 宇宙人に問われてどう答えるか。問う宇宙人側には地球人のいう戦争は存在しないのだ。面子にこだわって損切りできないのも理解のほか。書き忘れたが、物語の舞台は近未来、2034年だ。科学技術は発展しても、人間の性質や理性は高度化したとは言い難い。日本人どころか、ほとんどの地球人が十二歳の精神性しか持ち合わせていないのではと思わせる。現実世界でも、悪い意味で本卦還りしたんじゃないかと言いたくなる為政者がいるし。
アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』では<上主>たちの干渉により地球は平和になり、誰しもが文明の恩恵を受けられるようになり、人類は予想もしなかった進化を始める。
『地球壮年期の終わり』はそこまでの発展はない。そう、プレティーンがティーンとなり大人への一歩を踏み出すように、若さゆえの暴走よりも冷静さと老獪さを選択しようとするように。
本作が本歌取りに成功したか、わたしには評価しかねる。わたしが言えるのは、現在の日本が、世界が、このままでよかろうはずがないと問題提起している点。この点は首肯する。




