第10話 帝国の闇と天使の処刑
──アレスが第13号機で、少年ジンと未来への約束を交わしていたのと同時刻。
マーテェルナビス第9号機、最下層スラム区画。
普段はカビと機械油の臭いが立ち込めるだけの陰鬱なその場所は、今、血と硝煙のむせ返るような臭気に包まれていた。
「撃て! 撃ちまくれ! カルマのバケモノどもに食い殺される前に、第一隔壁を突破するんだ!」
バリケードの陰から、ボロボロの作業着を纏った男が絶叫する。
第9号機の資源配給を絶たれ、泥水をすする生活に耐えかねた下層民たちの暴動。彼らは警備部隊から奪ったアサルトライフルや即席の爆発物を手に、血走った目で抗戦を続けていた。
だが、彼らの決死の抵抗も、たった『一人の怪物』の登場によって、無残な絶望へと変わろうとしていた。
「ギャハハハハッ! なんだぁテメェら、その豆鉄砲で俺に勝てるつもりかァ!?」
鼓膜を破るような哄笑と共に、厚さ数十センチの装甲隔壁が、まるで紙屑のように内側から吹き飛ばされた。
もうもうと舞い上がる粉塵の中から姿を現したのは、身長二メートルを優に超える筋骨隆々の巨漢──ガリックだった。
「死ねやぁぁぁッ!!」
ガリックは、通常なら機動兵器に懸架されるような超重量の『六銃身大型ガトリングガン』を、あろうことか生身の片手で軽々と持ち上げていた。
けたたましいモーター音と共に銃身が回転し、毎秒数十発の猛烈な銃弾の嵐がスラムの通路を蹂躙する。鋼鉄のバリケードが飴細工のように削り飛ばされ、その陰にいた暴徒たちが瞬く間に血の海へと沈んでいく。
「ひぃっ……! ば、バケモノだ……!」
「第1号機から派遣された鎮圧部隊だって!? なんなんだよこいつら、人間じゃねえぞッ!!」
パニックに陥った暴徒たちが、ガリックに向かって一斉に銃弾を浴びせる。
だが、放たれた実弾がガリックの異常に発達した筋骨に命中しても、肉を裂くことはおろか、まるで分厚い鋼鉄の装甲に撃ち込んだかのように甲高い音を立てて弾き返され、空中に虚しく火花を散らすだけだ。
生身の肉体そのものが銃弾を弾くという、常人とはかけ離れたその異様な姿は、到底ただの軍人とは思えない。
「あぁん? 痛くも痒くもねぇぞ! もっと俺を楽しませろ!!」
ガリックは血走った双眸を見開き、巨大なガトリングガンを振り回しながら、次々と暴徒たちをミンチに変えていく。
戦術も何もない、ただの暴力の嵐。まさしく『脳筋バカ』と呼ぶにふさわしい、残虐で大雑把な殺戮だった。
* * *
「……まったく。あの単細胞は、どうしてあんなに弾と労力を無駄にするんでしょうね。見ていて美しくない」
凄惨な殺戮劇が繰り広げられる地上のスラムから遥か頭上。
廃棄された巨大クレーンの頂上に、天使のように無垢で愛らしい顔立ちの少年──ノエルが座っていた。
彼は足をブラブラと揺らしながら、手にした長大なエネルギー・スナイパーライフルのスコープ越しに、眼下の阿鼻叫喚をひどく退屈そうに見下ろしていた。
この得体の知れない特務部隊を率いるリーダー。
彼はガリックのような無骨な真似はしない。彼の仕事は、もっと優雅で、静かで、そして致命的だ。
『おいノエル! さっさと降りてきて俺を手伝え! 雑魚ばっかりで退屈で死にそうだぜ!』
インカムから、ガリックの怒鳴り声が鼓膜を打つ。ノエルは顔をしかめ、通信機のボリュームを少しだけ下げた。
「あのね、ガリック。僕の耳を壊す気ですか? それに、貴方が手当たり次第に暴れ回るから、標的《ターゲット》が瓦礫の下に隠れちゃったじゃないですか」
『あぁ!? うるせぇ! どいつもこいつも俺のガトリングで全部ぶっ潰してやるから、問題ねぇだろ!』
「頭の中まで筋肉でできているんですか、貴方は。……僕たちが第1号機から派遣された目的は、カルマ卿の『生体ドローン部隊』が到着して、この区画の人間を何千人も無差別に虐殺する前に、主犯格の首だけを落として暴動を終わらせることです」
ノエルは冷ややかに、だが楽しそうに言い放つ。
「おとうさまは、貴重なゴミが減りすぎるのを嫌っているんですよ。派手に泥遊びをして時間を無駄にしないで下さい。……それとも、僕が貴方のその空っぽの頭蓋骨を、ここから撃ち抜いてあげましょうか?」
『っ……! チッ、分かったよ! リーダー風吹かせやがって、気味の悪いガキが……』
ガリックは舌打ちをすると、凶悪な銃身の回転を止め、暴れるのをやめた。
部隊の中で最も凶暴な巨漢でさえ、この天使のような少年の持つ底知れない異常性と、狂気的な冷酷さには本能的な恐怖を抱いているのだ。
「ええ、よくできました。そのまま犬のように伏せをして待っていてください」
ノエルは薄く笑うと、再びスナイパーライフルのスコープを覗き込んだ。
高倍率のレンズが、スラムの奥深く、ガリックの破壊から逃れて身を潜めている暴徒たちのリーダーの姿を正確に捉える。
「さて……見つけましたよ、革命家気取りのネズミさん」
レンズの向こう側では、リーダーの男が必死の形相で通信機に怒鳴り、仲間を鼓舞しようとしていた。
『諦めるな! ここで引けば、俺たちは永遠にカルマのモルモットだ! 自由のために、最後まで戦え!!』
熱く、泥臭い、命を懸けた絶叫。
だが、ノエルの琥珀色の瞳には、何の感情も浮かばない。彼にとって、人間の希望や絶望は、ただの「面白い観察対象」でしかないのだ。
「自由、ですか。素晴らしい。その儚い希望の光が、唐突に絶望の闇に塗り潰される瞬間……僕はそれが、たまらなく好きなんですよ」
ノエルは唇の端を吊り上げ、引き金に指をかけた。
少年の手から微かなエネルギーがライフルの機関部へと流れ込み、銃身に青白い光のラインが走る。
「おやすみなさい。ちっぽけな英雄さん」
音もなく。
銃口から撃ち出された一筋の閃光が、スラムの薄暗い空間を一直線に切り裂いた。
光の矢は、ガリックの肩越しをミリ単位の精度で擦り抜け、何重にも積まれた鋼鉄のバリケードの僅かな隙間を通り抜け──暴徒のリーダーの眉間を、寸分の狂いもなく撃ち抜いた。
『え……?』
頭部を光の熱線で蒸発させられたリーダーは、その場に首のない死体となって力なく崩れ落ちた。
一瞬の静寂。
自分たちを鼓舞していたリーダーが、どこから撃たれたのかも分からないまま即死した光景を前に、暴徒たちの心は完全にへし折られた。
彼らが握りしめていた銃が、次々と乾いた音を立てて床に落ちる。戦意の喪失。
暴動は、たった一発の銃弾によって完全に鎮圧された。
「ふふっ、見事なヘッドショットでしょう? ガリック、残りのゴミの武装を解除して、適当に縛り上げておいてください」
『……チッ、いいとこ取りしやがって。つまんねぇ任務だぜ』
「文句を言わない。僕は一足先に第1号機へ戻りますよ」
ノエルはライフルを背中に回し、クレーンの上から軽やかに立ち上がった。
眼下では、絶望に泣き崩れる下層民たちを、ガリックが乱暴に蹴り飛ばしている。その悲惨な光景を見下ろしながら、ノエルはウキウキとした足取りで歩き出した。
「おとうさまに、この退屈な任務の完了報告をしなければなりませんからね。それに……」
ノエルの脳裏に浮かぶのは、レグフォーツが誇る『最高傑作』──アレスとスレアの二人のことだった。
「近々、もっと『面白くて壊れやすい玩具』の相手をさせてもらえるかもしれませんしね」
冷たい人工の風が、少年の金髪を揺らす。
第1号機という中枢から放たれた、得体の知れない猟犬たち。
アレスが人間の少年ジンと共に「希望の光」を見出していたその裏側で、絶対的な「悪意と狂気」に染まったノエルは、血塗られたスラムの空で、次の獲物を待ちわびるように嗤っていた。




