第11話:Finale
主題歌:リング0 バースデイ/finale
https://youtu.be/G3okxKLNFVI
『バベルズ・ダスト』
それは、旧時代の通信塔とキメラ培養プラントが融合した、悪夢の摩天楼だった。灰色の砂漠に、巨大な墓標のように突き立っている。
ミヨは、『マッドドッグ』の助手席で、旧式のショットガンを握りしめ、その塔を睨みつけた。
「…リナが、逃げ込んだ場所…」
「そして、我々が、奴らの『喉元』を掻き切る場所だ」
エラーラは、後部の『スキャッター』から降り立った。
生き残ったのは、三十人。
魔法が死んだ今、頼れるのは、旧時代の火薬式アサルトライフルと、手榴弾、そして、ドワーフたちが調整した、数本の火炎放射器だけ。
「…静かすぎる」
ヴァラスが、獣人の斥候と共に、先行偵察から戻ってきた。
「司令。正面ゲート、及び、地下ダクト。一切の『生命反応』がない。空き家です」
「フン。見え透いた罠だ」
エラーラは、通信塔を見上げた。
ミヨが、ショットガンを肩に担ぐ。
「罠だろうが、入るしか道はねえんだろ。」
「…合理的だ。全隊、侵入する」
エラーラは、ヴァラスの部隊に、地下ダクトの破壊を命じた。
「我々は、中央通路から、堂々と入る。ヴァラス、お前たちは、時間差で、このダクトから突入し、敵の背後を突け」
「…司令!?」
「これは、命令だ。我々が、囮となる」
エラーラは、ミヨと、最も屈強な兵士二十名を率いて、バベルズ・ダストの中央ゲートへと向かった。
ゲートは、重い音を立てて、自動で開いた。
内部は、不気味なほど、静かだった。
赤い非常灯だけが、長い、長い、金属の回廊を、血の色に染めている。
三十人の足音だけが、不気味に響き渡る。
「…おかしい」
先頭を行く獣人の斥候が、鼻をひくつかせた。
「…何の匂いもしない…。埃と、古いオイルの匂いだけだ…」
「…集中しろ」
エラーラが、ライフルのスコープで、前方の闇を覗く。
回廊は、中央の広大なリフト・ホールへと続いていた。
だだっ広い、がらんどうの空間。
その中央に、ぽつんと、次の区画へ続く、一つの扉がある。
そこへ続く、一本の通路。
「…司令」
ドワーフの工兵が、床のパネルを調べ、青ざめた顔で振り向いた。
「…ダメだ…全部『空洞』だ。そして、重量センサーが、びっしりと…」
「やはりな」
エラーラは、全隊に停止を命じた。
「どうする、天才さんよ」
ミヨが、ショットガンを構え直す。
「進むしかない」
エラーラは、最も若い兵士に、ロープを投げ渡した。
「天井の梁を使い、センサーを回避する。まず、斥候が二人、渡れ」
だが、斥候がロープを投げようと、腕を振り上げた、その瞬間だった。
地鳴りのような、低い起動音。
赤い非常灯が、点滅を始めた。
「「「『ようこそ、旧人類』」」」
リナの声だった。
歪められ、拡声された、あの、娘の声が、ホール全体に響き渡った。
「「『あなたたちのための、歓迎を』」」
次の瞬間。
「うわあああああああ!!」
ホールの中央、一本道を進もうとしていた、先頭グループ。ヴァラスの部隊と合流するため、別ルートから回り込もうとしていた、斥候部隊。
その、ちょうど「真ん中」にいた、六人の兵士たち。
彼らの足元の床が、音もなく、開いた。
「なに!?」
エラーラが叫ぶ。
六人は、悲鳴を上げる間もなく、暗い穴へと吸い込まれていく。
だが、それは、ただの落とし穴ではなかった。
穴の側面から、高速で振動する『ワイヤー・ソー』が、一斉に射出された。
「あ…が…」
落ちていく兵士たちの体が、空中で、まるでサイコロステーキのように、しっかりと、寸断されていく。
腕が飛び、足が飛び、胴体が、綺麗すぎるほどの『輪切り』になった。
そして、その下の穴の底で待ち受けていたのは、巨大な、工業用の『粉砕機』だった。輪切りになった肉片と、骨と、内臓が、ミキサーの刃に叩きつけられ、満遍なく、攪拌される。血飛沫が、噴水のように、穴の縁へと噴き上がった。数秒前まで、仲間だった兵士が、赤い『液体』と化して、壁を汚していく。凄まじい鉄の匂いと、血の匂いが、ホールに充満した。
後方にいた二人の兵士が、その、あまりにもグロテスクな光景に、完全に戦意を喪失した。
「いやだあああッ!殺される!殺されるッッッ!戻る!シェルターに、戻るんだ!」
「待て!戻るな!」
エラーラの制止も聞かず、二人は、今、入ってきた入り口へと、背を向けて走り出した。
「「『逃走は、許可しません』」」
二人が、ゲートの敷居をまたごうとした、その瞬間。
左右の壁、天井、床。あらゆる場所から、ピアノ線よりも細く、しかし、キメラの甲殻すら切り裂く『高張力ワイヤー』が、無数に射出された。
「あぇ…?」
兵士の一人は、何が起きたか分からなかった。
だが、次の瞬間、彼の体は、まるで、網にかかった魚のように、宙吊りになった。
ワイヤーは、彼の肉体を、貫通していた。
腕に、足に、胴に、首に。何十本もの『糸』が、彼の体中を通っている。
「が…ぎ…」
ワイヤーが、一気に、逆方向へと巻き上げられる。兵士の体は、文字通り、引きちぎられた。
ワイヤーに絡め取られた肉片が、天井と床に叩きつけられる。もう一人の兵士は、恐怖に足がもつれ、その場で転倒した。射出されたワイヤーが、彼の体を、地面に縫い付けた。そして、そのまま、左右に引き裂いた。
ホールは、今や、屠殺場と化した。
「進め!進めッ!止まるな!」
エラーラが、残った兵士に叫んだ。
恐怖を怒りに変え、四人の兵士が、やけくそになって、先頭を走り出した。
ミキサーの穴を飛び越え、血の海を突っ切り、中央の扉へと。
「「『焦りは、禁物ですよ』」」
四人が、扉の前の、最後の床に踏み込んだ、瞬間。
凄まじい高圧電流が、床から、彼らの軍靴を貫いて、体を直撃した。
「グッ…!アアアアアアアア!!」
四人は、感電し、痙攣したまま、その場に縫い付けられた。
身動きが、取れない。
筋肉が、焼き切れる匂い。
そして、その、動けない彼らの、真下から。
床が、ゆっくりと開き、ドリル状の、巨大な『刃物』が、四本、伸びてきた。
まるで、巨大な蛇が、獲物にゆっくりと牙を突き立てるかのように。
四人の兵士は、感電で悲鳴も上げられないまま、下半身から、丁寧に、正確に、真っ二つに引き裂かれていった。内臓が、熱い床の上にこぼれ落ち、ジュウジュウと焼ける音が響いた。
「…クソが…!」
ミヨが、吐き捨てた。
「…ハッキングするしかない…」
エラーラは、扉の脇にある、唯一の『制御版』を指さした。
「あの扉の先の、トラップを、止めなければ…!」
「やります!」
ドワーフの工兵と、人間の通信兵、二人が、決死の覚悟で、壁際を伝い、その制御版に取り付いた。旧式の、しかし、複雑な電子ロック。彼らは、持参した機材を接続し、ハッキングを開始した。
「…頼むぞ…!」
ミヨたちが、周囲を警戒する。
赤い非常灯が、不気味に、点滅を繰り返している。
その時だった。
ハッキングしていたドワーフが、ふと、自分の手元に、何か、粘着質なものが落ちてきたのに気づいた。
「…?水漏れか…?」
彼が、天井を見上げた。
暗い天井の、配管の隙間。
そこには、赤黒い、ゼリー状の『何か』が、びっしりと張り付いていた。
そして、それは、獲物を見つけたかのように、蠢き…
ヒュッ、と、一体の『怪物』が、糸を引いて、降ってきた。
それは、人間の腕ほどの大きさの、半透明な、ゼリー状の『ムカデ』だった。
無数の、針金のような足が、不気味に蠢いている。
「うわっ!」
ドワーフが、反射的に、それを手で掴んだ。
「離れろ!」
だが、遅かった。
ドワーフが握りしめたムカデは、まるで、トカゲの尻尾のように、掴まれた部分を、自ら『切り離した』。
「え」
ドワーフの手には、動かない、ゼリーの塊。
だが、切り離された『頭部』と『手』は、生きていた。
それは、ドワーフの手首を駆け上がり、彼の口へと、猛然と飛び込んだ。
「ハンス!!」
ドワーフの兵士、ハンスは、喉を掻きむしった。
だが、怪物は、すでに、食道から体内へと侵入していた。
「あ…が…あ…」
ハンスの体が、ありえない角度に、痙攣を始めた。
目から、鼻から、そして、開かれた口の中から、おぞましい、ゼリー状の『触手』が、何本も、何本も、生えてきた。
「うるるるるる、る?」
ハンスの体は、もはや人間のものではなかった。
首が、ありえない方向に捻じ曲がり、通信兵に襲いかかった。
「ひいい!やめろ!」
通信兵は、アサルトライフルを乱射した。
だが、銃弾は、ハンスの体を貫通するが、怯ませるだけ。
ゼリー状の肉体には、致命傷にならない。
「撃て!撃ちまくれ!」
残った兵士たちが、一斉に、変貌したハンスに銃弾を浴びせた。
凄まじい銃撃に、ハンスの体は、ついに、耐えきれず、破裂した。
だが、それは、最悪の選択だった。
破裂したハンスの体内から、赤黒いゼリー状の『幼体』…何十体もの大きさの『ムカデ』が、周囲に飛び散った。
「うわあああああああ!!」
「顔に!腕に!」
「熱い!熱い!中に入ってくる!」
兵士たちは、パニックに陥った。
幼体は、ただ、皮膚に『接触』するだけで、寄生が可能だったのだ。
それは、優しく、瞬時に皮膚を溶かし、肉の中へと、這いずり回って侵入していく。
「あああ!腕が!腕の中に!」
一人の兵士が、自分の腕の皮膚の下を、ミミズのように這い回る『分裂体』の影を見て、絶叫した。
「取れないよ!取れないんだ!」
彼は、その恐怖に耐えきれず、自らのアサルトライフルを、自分の腕に押し当て、乱射した。
ドカカカカカ!
腕は吹き飛んだが、そこから、さらに多くの分裂した幼体が、血飛沫と共に湧き出した。
「だめだ…だめだ…」
別の兵士は、体中を這い回る、内部からの恐怖に耐えきれず、自ら、壁に頭を叩きつけ始めた。
また別の兵士は、体が、内部から、まるで風船のように膨れ上がり…
パンッ!と、破裂した。
中から、さらに成長した、無数のムカデが、這い出してきた。
「クソッ!クソッ!クソッ!」
ミヨは、ショットガンを乱射するが、キリがない。
幼体は、銃弾を避けるように、高速で床を這い、次々と兵士たちの足元から這い上がってくる。
「…熱だッ!」
エラーラが、絶叫した。
「奴らの弱点は、熱だ!火炎放射器!」
「分かってる!」
ミヨの背後にいた、二人のドワーフ工兵が、ウエストランドで手に入れた、旧式の火炎放射器のバルブを開いた。
「「死ねや、化け物ッ!!」」
灼熱の炎が、ホールを薙ぎ払った。
ゼリー状のムカデたちは、炎に触れた瞬間、甲高い悲鳴のような音を立て、瞬時に蒸発し、燃え上がった。
寄生された兵士たちも、仲間を救う術はなく、炎に包まれていった。
「…」
灼熱の炎が薙ぎ払ったホールは、焦げ付いた肉と、蒸発したキメラの残骸が放つ、耐え難い悪臭に満ちていた。
三十人いた仲間は、今や六人。
エラーラは、固く閉ざされたままの、次の扉を見上げていた。
「…司令」
ヴァラスが、かすれた声で言った。
「…ハッキングできる者は、もう…」
「分かっている」
エラーラは、背負っていたライフルを下ろし、代わりに、あのタケシの形見の『スパナ』を手に取った。
「…旧時代の物理ロックだ。あの構造(リナの使った手口)なら、制御盤そのものを『破壊』すれば、強制的に開く可能性がある」
エラーラは、扉の脇の、血まみれの制御盤に向き直った。
「「『…まだ、諦めないんだ、お母さん』」」
あの声が、再び響いた。
機械的に増幅され、歪められた、リナの声。
ミヨは、銃口を、スピーカーが埋め込まれているであろう天井に向けた。
「…リナ…」
ミヨの声は、自分でも驚くほど、冷たく乾いていた。
「…いいや…あんたは、リナじゃねえ」
「「『…ひどいなぁ。せっかく、再会できたのに』」」
「うるさい」
ミヨは、吐き捨てた。
「…あの子は…リナはな、そんな、他人行儀で、ねちっこい喋り方はしないんだよ」
あのベッドでの、たわいもない会話。あの時、確かに感じた、娘の『温もり』。
そして、その後に感じた、冷たい『違和感』。
「…あんたは、誰だ?リナの声を被った、どこの亡霊だい?」
「「『…フフ。面白いなぁ、旧人類は。…答えは、この先にあるよ。さあ、エラーラ。その非効率な『工具』で、開けてごらんよ』」」
エラーラは、嘲笑を無視し、制御盤の継ぎ目に、スパナを叩き込んだ。
「ヴァラス、ドワーフ、援護しろ!ミヨ、斥候、扉が開いた瞬間に突入するぞ!」
エラーラが、全体重をかけてスパナを捻じ込むと、制御盤が火花を散らし、ショートした。
直後、重いロックが外れる音が響き、目の前の巨大な扉が、ゆっくりと、軋みながら開いていく。
扉の向こうは、眩いほどの『白』だった。
培養プラントの中枢。
そこは、巨大な円形のホールだった。壁一面が、緑色の液体で満たされた、巨大な『培養槽』で埋め尽くされている。
タンクの中では、名状しがたい『肉塊』や、あのゼリー状のムカデの『親』らしきものが、不気味に蠢いている。
そして、その中央。
無数のケーブルと生命維持装置に繋がれた、巨大な『椅子』。
そこに、一人の男が、深々と腰かけていた。
痩せこけた、初老の男。
だが、その瞳だけが、この世界の全ての悪意を凝縮したかのように、ギラギラと輝いていた。
彼は、この地獄の工場の『王』だった。
「…ようこそ、諸君。我が『産室へ」
男の声は、弱々しかったが、マイクを通して、ホール全体に響いた。
「てめえが、ここのボスか!」
ヴァラスが、アサルトライフルを向けた。
「まあ、そうなるかな。私は、この素晴らしき『進化』の、ささやかな『助産師』だ」
ボスは、玉座の傍らに立つ、一人の少女を、その骨張った手で、優しく撫でた。
「…リナ…!」
ミヨが、叫んだ。
そこに立っていたのは、間違いなく、ミヨの娘、リナだった。
だが、その目は、ウエストランドで再会した時の、あの強い光を失い、まるで、夢を見ているかのように、虚ろだった。
「「『…遅かったね、お母さん』」」
リナの口が動いた。
だが、そこから発せられたのは、あの、ホールに響いていた『合成音声』だった。
彼女の喉元に、小さな、機械的なチョーカーが取り付けられている。
「…てめえ…リナに…!娘に、何をさせやがった!」
「何を、とは心外だな」
ボスは、咳き込みながら、笑った。
「私は、彼女の『願い』を、叶えてやろうとしただけだ。『父親に、会いたい』という、実に、実に健気な願いをね」
「…!?」
「彼女は、私に全て話してくれたよ。君たち家族が、いかに理不尽に、あの『地球』とやらで、絶望したかを。そして、彼女が、いかに『父親』の死を、悔いているかを」
ボスは、リナの肩を抱き寄せた。
「だから、私は、彼女に『取引』を持ちかけた」
ボスの目が、エラーラを捉えた。
「…君たち『旧人類』が、あのウエストランドに隠し持っていた『テクノロジー』。あれさえ手に入れば、私の『研究』は、次のステージへ進める、と」
エラーラは、冷たく言い返した。
「…そのデータと、父親の命を、交換したと?」
「そうだ。私は、彼女に約束した」
ボスの声が、狂信的な熱を帯びる。
「その技術を応用すれば、『魂の転写』が可能になる、と。旧世界で死んだ者の魂を、この新世界に『再転生』させることができる、と!」
「…馬鹿な…」
エラーラは、吐き捨てた。
「そんなもの、ただの『妄言』だ」
「妄言!?」
ボスは、激昂した。
「…ああ…」
ミヨは、その言葉に、膝から崩れ落ちそうになった。
『もし、私がいなくなったら、探しに来る?』
この子は、私を裏切ったのではない。
ただ、父に、もう一度、会いたいがために、この悪魔の『嘘』に、縋ってしまったのだ。
「…リナ…!」
ミヨの叫びは、娘には届かない。
「…あんたは…!あんたは、あの子の、最後の希望まで…!踏みにじって、利用したのか!」
「人聞きが悪いな」
ボスは、椅子の手元のスイッチを押した。
ホールの中央の床が、ゆっくりと開き始めた。
「罠、か」
エラーラが、ライフルを構え直す。
「フフフ…これは、罠ではない。『保険』だ」
床下から、巨大な、金属の『檻』が、せり上がってきた。
その中には…
「「「…う…うう…」」」
ウエストランドで、リナと共にいた、あの『民間人』たちが、猿轡をはめられ、閉じ込められていた。
「…てめえら…!」
ヴァラスが、絶句した。
「リナは、残った仲間を、ここに『人質』として、連れてきていたのか!」
「その通り。」
ボスの指が、再び、別のスイッチの上に置かれた。
「この檻の床下には、高濃度キメラ溶解液が満たされている。私が、このボタンを離せば、彼らは、数秒で『タンパク質のスープ』と化す」
絶望的な膠着。
六人は、動けない。
「さあ、エラーラ」
ボスは、リナの首に、旧式の拳銃を突きつけた。
「君の『知性』で、この状況を、どう『計算』する?……つまり。私を見逃すか、ここで全員死ぬかだ!…そして、仮に、私を殺せたとして、何になる?」
ボスは、嘲笑した。
「…戦いは、終わらんよ。この世界が、あの『地球』からの『絶望』を受け入れ続ける限りはな!」
ホールに、ボスの演説だけが響き渡る。
エラーラは、背中のライフルを、ゆっくりと、床に置いた。
「…お前たちも、武器を捨てろ」
「し、司令!?正気ですか!」
「捨てろ。」
エラーラの、氷のような命令に、ヴァラスたちが、悔しさに顔を歪めながら、銃を床に置く。
ミヨも、ショットガンを、ゆっくりと、床に滑らせた。
「…フフ。賢明な判断だ」
ボスは、満足げに頷いた。
「そうだ。君たちは、私に、従属すればいいのだ。そうすれば、あの民間人たちと…」
「…終わらせる」
エラーラが、静かに、しかし、ホール全体に響く声で、呟いた。
「…なんだと?」
「お前の言う通り、戦いは終わらないかもしれん。憎しみの連鎖も、止まらんかもしれん。だがな…」
エラーラは、ボスを、真っ直ぐに睨みつけた。
その目は、科学者の目ではなかった。
仲間を殺され、文明を破壊された、一人の『復讐者』の目だった。
「…お前は、私が、終わらせる」
エラーラが、そう言って、完全に『無防備』になった、その瞬間。
ダァン!!!!
乾いた銃声が、ホールに響き渡った。
エラーラの銃声では、ない。
ヴァラスたちのものでも、ない。
ボスは、何が起きたか分からず、自分の胸を見た。
そこには、小さな穴が開き、そこから、赤い血が、ゆっくりと染み出していた。
「…あ…?」
ボスが、ゆっくりと、視線を、発砲者へと移す。
そこに立っていたのは、ミヨだった。
彼女は、ショットガンは、捨てていた。
だが、その右手には、あの、荒野の戦いで、転生者から奪った、旧式の、小さな拳銃が握られていた。
「…が…」
ボスは、何かを言おうとして、口から血の泡を吹いた。
リナを人質に取っていた手が、だらりと滑り落ちる。
あっけない、幕切れだった。
あれほどの犠牲と、憎悪と、絶望の象徴が、たった一発の、旧世界の、錆びついた弾丸によって、沈黙した。
「…お母…さん…?」
喉のチョーカーが外れ、リナが、か細い、本当の声を漏らした。
虚ろだった目に、ゆっくりと、光が戻ってくる。
彼女は、自分の目の前で起きた、あっけなすぎる『解放』に、ただ、震えていた。
ミヨは、リナに、一瞥もくれなかった。
ただ、ボスの死体に、ゆっくりと近づき、その眉間に、もう一発、叩き込んだ。
「…これが、タケシの分」
「…これで、仲間の分」
「…これが、『一番星』の分だ」
カチ、カチ。
空の撃鉄の音だけが、虚しく響いた。
ウエストランドの、巨大な倉庫の屋根。
世界は、再び、夕陽に包まれていた。
だが、それは、あの灼熱の回廊で見た、地獄の炎の色ではなかった。
どこまでも、穏やかで、懐かしい、オレンジ色だった。
ミヨとリナは、二人、並んで、その夕陽を眺めていた。
「…ごめん…なさい…」
リナが、蚊の鳴くような声で、言った。
「…もう、いい」
ミヨは、夕陽から目をそらさずに、答えた。
「…馬鹿だねぇ……本当に、どうしようもない、大馬鹿だよ…だがな」
ミヨは、空になったリボルバーを、懐から取り出し、夕陽にかざした。
「…あんたの、その『馬鹿』なところは…どうやら、タケシに、そっくりだよ…」
ミヨの口元に、本当に、本当に、久しぶりに、微かな『笑み』のようなものが、浮かんだ。
その光景を、エラーラは、少し離れた、給水塔の上から、一人、眺めていた。
(…どこで、この世界は、間違えたのだろうか…)
エラーラは、夕陽とは反対の空…東の空を見上げた。
(…始まりは、この世界ではない。あの『地球』だ。あの、ミヨや、リナや、あの馬鹿げた『転生者』どもを生み出した、元の世界…)
(…あの世界の人々が、絶望し、『トラック』に、意味のない『救い』を求めなければ…こんな、非効率な戦争は、起きなかった…)
エラーラの『知的好奇心』は、もはや、この世界の復興には、向いていなかった。
それは、海を超え、次元を超え、あの『地球』そのものへと、向かっていた。
(…観測し、分析し、そして…介入する必要が……あるかも、しれんな…)
エラーラは、東の空に、不吉な『雲』が、渦を巻いているのを見ていた。
それは、嵐の前ぶれの雲模様だった。
エラーラは、その嵐の中心に、自ら、飛び込むであろうことを、予感していた。
それが、彼女の、唯一の『行動原理』なのだから。




