第2話:知能の檻(2)
時計塔の中層。そこは、歯車と魔導管が剥き出しになった、広大な機械室だった。
だが、最上階へ続く唯一の階段は、鉄格子で塞がれていた。
そして、床一面には、重量感知式のパネルが敷き詰められている。
「……フム。第二関門、か」
エラーラは即座に床のパターンを解析する。
「重量感知トラップだ。特定の『順序』と『人数』で踏まなければ、天井の魔導砲が起動する」
追いついてきたゼップとサイラスが、入り口で足を止める。
「どういうことだ!」
ゼップが叫ぶ。
「……厄介だな。探偵、解けるのか?」
サイラスがナイフを回す。
エラーラは、壁に刻まれた古代ルーンを睨みつけた。
「……解ける。だが、非論理的なことに、このトラップの解除には『三人』必要だ」
「「!?」」
「ルーンが示すのは『正義』『混沌』そして『論理』。三つの異なる属性の者が、指定された三箇所のパネルに『同時』に乗る必要がある」
三人は、互いを見つめ合った。
殺したい刑事(正義)。
守りたい殺人鬼(混沌)。
解きたい探偵(論理)。
完璧なまでの、悪魔的なキャスティングだった。
「……ふッざけるな!」
ゼップが銃を拾い上げ、エラーラに向ける。
「お前さえ殺せば、こんなトラップも……」
「撃てばいいさ。だが、撃った瞬間に重量バランスが崩れ、君も蜂の巣だ。それが…君の『正義』の、結末かね?」
エラーラの冷たい論理が、ゼップの熱を冷ます。
「……くっ」
サイラスは、面白そうに笑った。
「……イカれてる。いいぜ、探偵。乗ってやるよ。俺は『混沌』だろ?」
彼は、エラーラが指差した左奥のパネルに、軽やかに飛び乗った。
ゼップは、葛藤した。だが、彼もまた、このトラップを突破しなければ、自分が死ぬ。
「……俺は……『正義』だ!」
彼は、右奥のパネルに、苦々しく足を踏み入れた。
「フム。私は『論理』だ。」
エラーラは、中央のパネルに乗った。
三人が同時にパネルを踏んだ瞬間、床下から魔力が走り、鉄格子がゆっくりと開いていった。
「……行くぞ」
彼らは、互いに一瞬たりとも背中を見せず、牽制し合いながら、最上階へと続く最後の階段を登った。目的が違うままの、奇妙な「共闘」だった。
時計塔の最上階。そこは、無数の魔導回路が脈動する、巨大な機械室だった。街全体を覆う障壁の動力源であり、エラーラが探し求めた「魔導爆弾」の中枢だ。
「これか!」
エラーラは、激しい息切れと共に制御盤に取り付いた。
その瞬間、ゼップが動いた。
「ここまでだ、エラーラ君!」
彼は、エラーラを背後から羽交い締めにしようとした。
「させるかよ!」
サイラスがゼップに飛びかかり、二人は制御盤のすぐ横で、最後の死闘を始めた。
「エラーラ! やめろ!」
ゼップが叫ぶ。
「君がそれを解除すれば、街は爆発するんだ! 死んでくれ!」
「黙れ刑事!」
サイラスがゼップの腹を浅く切り裂く。
「探偵! そいつを解除させ『つづけ』ろ! 日の出まで、お前は生きろ!」
エラーラは、二人の矛盾した命令をノイズとして処理し、制御盤の解析に全神経を集中させた。
(……術式が複雑すぎる! このままでは日の出に間に合わない!)
だが、その時、彼女は術式の中に、ある「論理的欠陥」を発見した。
(……待て……この術式、エネルギー経路が二重になっている? なぜだ? まるで……囮のようだ)
エラーラの脳が、猛烈な速度で仮説を構築する。
(……どちらにせよ、この『障壁』は、市民の避難を阻害しているのは事実だ。ゼップの言う『私の死=解除』も、サイラスの言う『私の生存=失敗』も、論理的な根拠がない)
(二人の行動原理は、ミスリードによって引き起こされている可能性が極めて高い)
(犯人の目的は何か? もし私が解除に失敗することを望むなら、サイラスは私を殺すはずだ。だが彼は私を守る。……つまり、犯人は私が解除作業に『集中し続けること』を望んでいる…ならば、私の最適解は、犯人の期待を裏切り、大幅に早く解除することだ!)
(障壁さえ消えれば、通信が回復し、王都に救援を要請できる! 市民を避難させられる!)
「……これだ!」
エラーラは、賭けた。
彼女は、術式の中の「ダミー」と見られる『障壁』の発生装置の緊急停止コードを発見した。
「やめろ!」
「続けろ!」
二人の男が叫ぶ中、エラーラは制御盤に魔力を流し込み、カウンター術式を起動させた。
午前3時33分。
日の出より、約3時間も早く。
時計塔の機械室を満たしていた膨大な魔力エネルギーが、急速に沈静化していく。
街を覆っていたドーム状の障壁が、音もなく消え去った。
「……解除、完了だ」
エラーラは、疲労困憊でその場に座り込んだ。
戦闘していたゼップとサイラスが、同時に動きを止める。
障壁が消えたのを感知したのだ。
「……爆発が、止まった……のか?」
ゼップは、エラーラが「解除した」こと、そして「爆発しなかった」ことに気づき、愕然とする。王都からの情報を『誤読』していたと悟り、安堵で膝をついた。
「……チッ。雇い主には悪いが、あんたの勝ちか、探偵」
サイラスは、自らの任務が失敗したことを悟る。彼は、ゼップが脱力した隙を突き、影に紛れてその場を去った。
エラーラは、時計塔を後にした。
街は救われた。人々は何も知らずに、朝を待っている。
完璧な大団円だった。
エラーラは、一刻も早くこの非論理的な街を去るため、夜明け前に唯一動いていた始発の魔導馬車に乗り込み、王都へと向かった。
・・・・・・・・・・
王都へと続く街道。
エラーラが乗った馬車は、クロンヴィットの街から遥か数マイル離れた、朝靄のかかる平原を走っていた。
午前6時ちょうど。
地平線の彼方から、眩しい日の出の光が差し込む。
エラーラは、馬車の中で解析結果のレポートをまとめていた。
その瞬間。
彼女の頭は、ハンマーで殴られたような、凄まじい「衝撃」に襲われた。
それは物理的な痛みではなく、自らの「思考」そのものを直接揺さぶられるような、強烈な不快感だった。
「ぐっ……!? なんだッ……これは…!?」
それは、音も、衝撃波も伴わない、純粋な「指向性の精神攻撃術式」だった。
凄まじい規模の術式が、クロンヴィットの街で起動したのだ。その衝撃が、ここまで届いている。
エラーラは、全身の血の気が引いていくのを悟った。
(……午前6時…爆発予定時刻だ…)
エラーラの脳が、最悪の真実を導き出す。
真の爆弾は、物理的な爆弾ではない。「頭脳」だけを標的にした、『対知識層用』の、目に見えない魔導術式だったのだ!
(しかも……私が『障壁』を解除したことで、街の通信は回復し、いつでも街から脱出できるようになったことで、人々は『救われた』と安堵した。もし障壁が残っていれば、市長や魔術師たちは危険を察知し、日の出までに『自力で』障壁を破ってでも逃げ出そうとしたかもしれない……!)
(私の『早期解除』こそが、知識層たちを街に縛り付け、安心して日の出を迎えさせる、犯人の……狙い通りの『罠』だった?……)
エラーラ自身も、その余波だけで凄まじいダメージを受けていた。
「……フム……計算……ミス、か……」
彼女は、自らの論理が、敵の二重三重の罠に完全にしてやられたことを悟り、激痛の中で青ざめながら、意識を失った。
同日、クロンヴィットの街。
街は、静かなパニックに陥っていた。
魔力を持たない農夫や商人や肉体労働者たちは、何事もなく朝の支度をしていた。
だが、街のあちこちで、無惨な「変死体」が発見されたのだ。
裕福な市長。街の神官長。唯一の魔導具店の研究者。そして、警察署の署長と、内勤の幹部たち……。
『魔術を使えるほどの「知的」な者』だけが、全員、脳を内側から破裂させられて、絶命していた。
古株の現場刑事であるゼップは、違った。
彼は、魔法は使えなかったが、魔力感知程度なら可能だった。
彼も、強烈な術式の余波を浴びて、警察署の廊下で、全身を痙攣させ、激しい頭痛に悶えていた。
ゼップは、朦朧とする意識の中、自分以外の「幹部」が全員死んでいるのを見た。
そして、王都からの指令を思い出した。
「『最上位の魔術師が死ねば、事が終わる』」
彼は、その時、言葉の真の意味を悟った。
それは「ゼップが『最上位の魔術師』のエラーラを殺せば、事が終わる」という意味ではなかった。
「この爆弾によって、街の『最上位の魔術師』、つまり、頭脳労働者たちが全員死ぬことによって、この事件は終わる」という、ただの「予告」だったのだ。
ゼップは、絶句したまま、息絶えた。
そこへ、あの不潔な、精神異常者の男が、にこにこしながら近づいてきた。
「……あのね、けいさつかんさん」
「なんだ!邪魔だ!消えろ!」
「ぼくのばくだんさん、ばくはつしたよ。おりこうさんの、あたまが、と、ぶすごいやつ」
捜査官は、男を追い払った。
男、ギルゴンボは、街角に座り込み、完璧に成功した「実験」に満足し、楽しそうに鼻歌を歌っていた。




