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【5位】異世界探偵エラーラ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
エラーラ・ヴェリタス短編集
22/208

第18話:予言の日記!

私の名はエラーラ。私の知的好奇心は、すでに次の「現象」を求めて、渇き始めていた。


「…退屈だねぇ」


滞在している穏やかな街の、公園のベンチで、私は研究日誌を閉じた。この街は、平和すぎる。何の面白いバグも、観測対象も見当たらない。人々は、予測可能な範囲で、実に凡庸な毎日を送っている。


「あの…お姉さん」


不意に、背後からか細い声がした。振り返ると、銀色の髪を持つ、透き通るような青い瞳の少年が、おずおずと立っていた。


「いつも、その…難しい顔をして、何かたくさん書いているけど、何の研究をしているの?」


「フフフ、君に説明しても、理解できないだろうねぇ。簡単に言えば、この世界の『バグ』を探しているのさ」


私の答えに、少年は怯えるどころか、目をキラキラと輝かせた。


「バグ…!すごい!僕、ミーシャって言います!お姉さんは?」


「エラーラだ。しがない科学者だよ」


ミーシャと名乗った少年は、それから毎日、私の元へやってくるようになった。彼は、私が退屈しのぎに見せる、コインを宙に浮かせるといった初歩の魔術に歓声を上げ、私が語る難解な数式や世界の法則の話を、目を輝かせて聞いた。彼にとって、私は、この退屈な街に現れた、最高にクールな魔法使いに見えたのだろう。私にとっても、彼のその素直で、分かりやすい反応は、悪くない観測データだった。


「エラーラさんは、すごいなぁ。何でも知ってるんだね」


「当然じゃないか。私は、君とは脳の処理能力が違うんでね」


「えへへ。じゃあ、これを見たら、もっと驚くかも!」


そう言って、ある日の午後、ミーシャが得意げに取り出したのは、一冊の古びた革張りの日記帳だった。


「僕の宝物なんだ!ここに書いたことは、本当になるんだよ!」


彼は、日記の一ページを、誇らしげに私に見せた。そこには、子供らしい拙い文字で、こう書かれていた。


『明日は、おやつにイチゴのタルトが食べたいな』


「昨日、これを書いたら、今日、母さんが本当に作ってくれたんだ!」


私は、そのあまりの純粋さに、思わず笑みをこぼした。


「フフフ、可愛いじゃないか、少年。自己暗示による無意識の誘導、あるいは、単なる偶然というやつだねぇ。まあ、君が楽しいなら、それでいいんじゃないか」


私は、その子供らしい空想を、全く相手にしなかった。だが、その翌日。


「エラーラさん!見て!青い鳥が窓辺に止まりますように、って書いたら、本当に来たよ!」


ミーシャの部屋の窓辺で、美しい青い鳥が、確かにさえずっていた。

その次の日も。


「パン屋のおじさんが、おまけをくれますように…ほら!見て!コロネを二つもくれたんだ!」


ミーシャが、嬉しそうにパンを掲げて見せる。


(…フム)


私の眉が、ぴくりと動いた。


(この日記…観測する価値がある、本物の『怪異』だねぇ)


その日、私は、公園でミーシャと彼の親友が、喧嘩するのを目撃した。親友の名はティモ。流行りの魔物カードのことで、言い争いになっているようだった。


「これは僕のだ!」


「ちょっと見せてって言ってるだけだろ!」


もみ合いになった弾みで、ミーシャが大切にしていたレアカードが、ビリ、と音を立てて破けてしまった。

ミーシャの青い瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。ティモは、しまったという顔で、バツが悪そうに走り去ってしまった。ミーシャは、破れたカードを手に、いつまでも泣いていた。


その夜だった。

泣き腫らした顔で、ミーシャが私の部屋に駆け込んできた。


「エラーラさん…!大変なんだ!僕、とんでもないことをしちゃった…!」


彼は、震える手で、日記帳を開いて見せた。そこには、涙で滲んだインクで、こう書きなぐられていた。


『ティモなんて、大嫌いだ!明日の朝、神社の階段で滑って、お尻をぶっちゃえばいいんだ!』


「僕、カッとなって、こんなことを…。でも、本当に、ちょっとだけ、そう思っただけで…!」


彼の言葉の途中で、遠くから、救急馬車のけたたましい鐘の音が聞こえてきた。嫌な予感がする。

やがて、街の噂好きが、血相を変えて宿屋に飛び込んできた。


「大変だ!ティモ坊が、神社の石段から落ちて、骨をめちゃくちゃに折ったらしい!意識もねえって話だ!」


ミーシャの顔から、完全に血の気が引いた。


「僕の…せいだ…。僕が、ティモを…!」


彼は、その場に崩れ落ち、子供のように泣きじゃくった。

私は、ミーシャから日記を受け取り、その魔力を解析した。


「なるほどな」


私は、震えるミーシャの頭に、ぽんと手を置いた。


「泣くんじゃないよ、少年。君の引き起こしたこの厄介なバグは、私が修正してやろう」


私は、日記の法則を即座に見抜いていた。日記は、書かれた「言葉」ではなく、その裏にある書き手の「感情」を現実化させる、悪意の増幅器だ。ミーシャの「ちょっとだけ」という言葉は、その瞬間の強い「憎しみ」の感情によって上書きされ、最悪の結果を招いたのだ。


過去は覆せない。だが、この日記の法則を逆用すれば、書き換えられた現実を、もう一度、上書きすることは可能かもしれない。


私は、ペンを手に取ると、ミーシャが呪いの言葉を書いた、まさにそのページに、新しい文章を書き加えた。それは、この日記の法則そのものをハッキングする、自己言及のパラドックス。

私が書き加えたのは、ただ一文。


「このページに書かれた願いは、書かれなかったことになる」


その瞬間、日記が、まるで悲鳴を上げるかのように、淡い光を放った。


「書かれている」という事実と、「書かれなかったことにしろ」という命令。その絶対的な矛盾を処理できず、日記の魔力は暴走し、自らを打ち消し合ったのだ。

ミーシャが書きなぐった呪いのインクと、私が書き加えた文章が、ページの上から、すぅっと、まるで最初から何も書かれていなかったかのように、消え失せた。

直後、宿屋の扉が勢いよく開き、ティモの母親が、泣き笑いの表情で飛び込んできた。


「ミーシャ君!聞いて!ティモの意識が戻って…!それに、あれだけ酷かった骨折が、ただの軽い打撲になってたの!奇跡だわ…!」


「…!本当かい!?」


ミーシャは、私を振り返り、そして、また泣きながら、何度も「ありがとう」と繰り返した。

私は、今はもうただの古いノートになった日記帳を、興味なさそうに眺めていた。


「結論。因果律を書き換える怪異は、自己言及のパラドックスを記述することで、その事象を局所的に無効化できる。…だが、観測者にとっては、悲劇の方が、データとしては面白いじゃないか」


私は、安堵するミーシャの頭を、やれやれと撫でると、もうすっかり興味を失った様子で、次の面白い「現象」を探しに、街へと出ていくのだった。

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