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【5位】異世界探偵エラーラ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
エラーラ・ヴェリタス短編集
19/208

第15話:料理の天才!

私の名はエラーラ。私の全ての行動原理は、ただ一つ。「知的好奇心」。未知の現象、未知の法則、そして、未知なる人間の狂気。それらは全て、私にとって最高の研究対象に他ならない。


今滞在している古い港町には、実に興味深い噂があった。街外れの、今はもう廃業したはずのレストラン。その主であるエリアスは、何年も人前に姿を見せていない。にも関わらず、毎晩きっかり日没になると、その厨房から、この世のものとは思えないほど、心を蕩かす香りが漂ってくるのだという。


その香りは、まさに芸術だった。

芳醇なバターが森のハーブと共に溶け合う、焦がれるような匂い。じっくりと飴色になるまで炒められた玉ねぎの、甘く、深く、心を落ち着かせる匂い。煮詰められた赤葡萄酒と、仔牛肉の出汁が織りなす、複雑で官能的な匂い。そして、焼きたてのパンが放つ、温かく、慈愛に満ちた、あの幸福な匂い。

その香りは、街の人々の心を掴んで離さなかったが、同時に、えもいわれぬ寂寥感と、不気味さを感じさせた。


「フム…無資源からの複雑な芳香データ出力、か。質量保存の法則を無視した、実に興味深い現象じゃないか」


私は、そのレストランを見渡せる宿の一室を借り、早速、観測を開始した。

夜の帳が下りると、噂通り、レストランの窓に明かりが灯る。厨房に立つエリアスの影が見えた。彼は一人、完璧な、そしてどこか祈るような手つきで調理をしている。やがて、彼は二人分の豪華なディナーをテーブルに並べると、客席の椅子に腰掛けた。しかし、向かいの席は空席のままだ。彼は、その誰もいない席に向かって、愛おしそうに微笑みかける。自らは一切手を付けず、ただ、夜が更けるのを待ち続けていた。


夜明け前、彼は手付かずの料理を全て片付けると、また静寂の中に沈んでいく。そして、次の夜も、またその次の夜も、寸分違わず同じ光景が繰り返された。


「これほどの現象を、間近で観測できないなど、科学者への冒涜だねぇ」


次の夜、私は、容易く裏口の錠を破ると、エリアスのレストランへと侵入した。そして、彼の神聖な儀式を、物陰から観測する。そこで、私はこの怪異の、あまりにも悲しく、美しい真実を目の当たりにした。


エリアスは、完璧な動作で調理をしていたが、黄金色に熱せられた鍋やフライパンの中には、食材など何も入っていなかった。彼は「空っぽの何か」を、まるでそこに最高の食材があるかのように、慈しみながら調理していたのだ。

だが、彼が皿に料理を盛り付けた瞬間、魔法が起きる。見た目も香りも完璧な、最高級のフルコースが、そこに出現するのだ。私の魔導観測器は、それらが質量ゼロの、純粋な魔術的幻影であることを示していた。


彼の瞳は、狂気に満ちてはいなかった。ただ、ひたむきなまでの愛と、一途な想いに満ち溢れていた。彼は、空席に向かって、優しく語りかける。

「待たせたね。今日は、君が好きだった森の茸のポタージュだよ。覚えているかい?初めて君に作った時、とても喜んでくれた…」

その姿は、あまりに切実で、痛々しいほどに一途だった。


私は、室内に残留する強力な魔力を分析し、全てを理解した。エリアスは、かつて、愛する人と「特別なディナー」を共にする約束をしていた。しかし、その約束の日、相手は彼の元に現れることはなく、帰らぬ人となった。その「果たされなかった約束」に対する彼の強すぎる想念と後悔が、「約束の残響」という怪異を生み出し、彼を「約束の直前の時間を永遠に繰り返す」呪いの円環**に閉じ込めてしまったのだ。


「なるほど。これは、完了の命令が入力されない限り、永遠に繰り返される、呪われた魔術儀式か」


ループを終わらせるには、誰かが「ゲスト」の役割を果たし、この儀式を正常に終了させるしかない。


私は、エリアスが幻影の料理をテーブルに並べ、「さあ、召し上がれ」と空席に語りかけた、その瞬間。物陰から姿を現し、その空席に、何事もなかったかのように静かに座った。


エリアスは、突然現れた私を見て、その瞳を困惑に見開く。彼の完璧な世界に、初めて予測不能なバグが発生したのだ。

私は、彼の動揺など意にも介さず、目の前の幻影の料理に向き合った。私はそれを食べはしない。代わりに、ナイフとフォークを手に取り、まるで精密な解剖でもするかのように、その「料理」の分析を始めた。


「フム…このソースの芳香成分は、記憶情報への直接干渉を目的とした魔術構成だねぇ。メインディッシュの構造…なるほど、これは『期待』という感情を核に練り上げられた、実に不安定なエーテル体だ。実に興味深い!」


全ての「料理」のデータ分析を終えた私は、ナイフとフォークを皿の上に静かに置く。そして、エリアスに向かって、はっきりと告げた。

「ご馳走たまえ。実に有意義な食事だった。これで、君の『約束』は果たされたわけだ」


その言葉が、引き金となった。

「約束が果たされた」という事実。ゲストが食事を終えたという完了条件。それらが成立したことで、怪異「約束の残響」は、その存在理由を失い、霧散した。テーブルの上の美しい料理は、淡い光の粒子となって消え、あの心を焦がした香りも、もうどこにもなかった。


エリアスは、何年もの間自分を縛り付けていた呪いの円環から、ついに解放された。彼の目から、一途な執着の色が消え、失われていた正気が戻る。彼は、空っぽになったテーブルと、目の前の私を見て、全てを悟り、その頬を、一筋の涙が静かに伝った。

しかし、ループから解放された彼は、同時に、生きる目的そのものであった「約束」を失ってしまった。彼は、もう厨房に立つことのない、ただの抜け殻…「空っぽの料理人」になってしまったのだ。


私は、その様子を冷静に見届けると、研究日誌に最後の結論を書き込んだ。

「結論。特定の未完了事象に起因する時間的・精神的ループ怪異は、第三者が代理としてトリガー条件を強制的に完了させることで、その存在基盤を消去し、無力化できる。フム…だが、被検体は、生きる目的そのものを失ってしまったか。まあ、私の観測はここまでだ。実に有益なデータだったよ」


私は、虚無に座り込む男には一瞥もくれず、次の興味深い「現象」を求めて、静かになったレストランを、後にするのだった。

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