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【5位】異世界探偵エラーラ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
エラーラ・ヴェリタス短編集
17/208

第13話:序列の館!

私の名はエラーラ。王都の魔導学院で、古代魔法と思想史を研究する、しがない科学者だ。

私の全ての行動原理は、ただ一つ。「知的好奇心」。未知の現象、未知の法則、そして、未知なる人間の狂気。それらは全て、私にとって最高の研究対象に他ならない。


最近、私の耳に実に興味深い噂が届いていた。王都から馬車で三日、人里離れた山峡に佇む、超高級貴族ホテル「グラン・クレスタ」。そこに宿泊した貴族が、ある者は二度と帰らず、ある者は、魂を抜かれた抜け殻のようになって戻ってくる、と。


「フム…特定の環境が、その物理的・精神的構造を再定義する、と?面白い!これは観測するしかないじゃないか!」


私は、王立学院の上級研究員という偽の身分証を錬金術で作成し、いくつかの自作の魔導観測器を鞄に詰め込むと、その「現象」が起きるという実験場へと、胸を躍らせて向かった。

グラン・クレスタは、完璧すぎることが、かえって不気味な場所だった。建物は寸分の狂いもなく左右対称に建てられ、庭の草木は一本一本が同じ高さに刈り揃えられている。塵一つ落ちていないエントランスで私を迎えたのは、支配人と名乗る、ベアトリーチェという女だった。背筋は鉄の棒のようにまっすぐで、その微笑みは、美しい氷の彫刻のように、一切の熱を感じさせなかった。


「エラーラ様。ようこそ、グラン・クレスタへ。王立学院の上級研究員とは、大変な名誉ですわ。貴方様のような高貴な方にこそ、当館は相応しい」


「ほう、私の偽造した身分を完全に信用しているようだねぇ。この館の評価システムは、外面的な『序列』に重きを置く、と。興味深いデータだ」


私の呟きは、彼女には聞こえなかったらしい。彼女は、完璧な所作で私を最高級のスイートルームへと案内した。その道中、私はさっそく、最初の「異常」を観測した。廊下の壁の、等間隔に置かれた装飾用の窪みに、メイドや給仕の姿をした人間が、彫像のように微動だにせず、佇んでいるのだ。


「彼らは?」


「当館の『装飾』でございます。お客様の目を楽しませるための」


私の隠し持った魔導観測器は、彼らから、微弱だが、確かに生命反応を捉えていた。

その夜、広大なダイニングホールで、私は最初の実験を開始することにした。

ホールには、十数名の貴族たちが集っていたが、聞こえるのは銀食器が皿に触れる、澄んだ音だけ。会話は、ほとんどない。誰もが、完璧なテーブルマナーで、完璧に食事を進めている。実に、退屈な光景だ。

私は、わざと、スープを飲むためのスプーンを床に落とした。

カラン、と。静寂の中で、その音は、雷鳴のように響き渡った。

全ての動きが、止まる。全ての視線が、私に突き刺さった。空気は凍りつき、まるで時間が停止したかのようだった。支配人席に座るベアトリーチェが、侮蔑とも憐れみともつかない、冷たい、冷たい視線を、私に向けていた。

その夜、自室に戻った私は、思わず笑みをこぼした。

豪華絢爛だったはずのスイートルームが、明らかに狭くなっている。壁を飾っていた高価な絵画は消え、窓の外には、美しい庭園ではなく、殺風景な裏庭が広がっていた。


「なるほど!この館自体が、被検体の違反をリアルタイムで評価し、物理空間に反映させているのか!素晴らしいシステムだねぇ!」


私は、実験をエスカレートさせた。

翌日は、三等給仕に階級を無視して気さくに話しかけた。結果、私の部屋は、さらに狭い一般客室へと「降格」された。

その次の日は、厨房に無断で立ち入った。その夜の食事は、フルコースから、硬いパンと冷たいスープに変わっていた。

そして、従業員たちは、かつては恭しく傅いていた私を、今や存在しないかのように、完全に無視し始めた。私の序列は、急速に堕ちていく。フフフ、面白い。実に、面白いじゃないか。

ついに、私は誰からも認識されない「最下層民」として、ホテルの薄暗い地下にあるリネン室へと追いやられた。そしてそこで、私は、この怪異の、おぞましい真実を目の当たりにした。


地下には、私と同じように「序列を乱した」元・客や元・従業員たちが、コレクションのように「保管」されていたのだ。

ある男は、意思を失い、ただ壁に向かって、永遠に銀食器を磨き続けている。

ある女は、身体の半分が石化し、壁の燭台と一体化していた。

彼らこそが、廊下に置かれていた「動かぬ人々」の、成れの果てだった。


「――ようこそ、エラーラ様。最下層へ」


背後に、ベアトリーチェが立っていた。彼女は、自らの完璧な秩序のコレクションを、誇らしげに私に見せつける。


「序列こそが美。誰もが己の分をわきまえ、定められた役割を完璧にこなす。それこそが、争いのない、究極の調和なのです。貴方のように、自らの好奇心で序列を乱す者は、調和を破壊する『バグ』に他なりません」


彼女は、まるで判決を言い渡す神のように、冷たく言い放った。


「よって、貴方を『序列ゼロ』と定める。その身を以て、この館の礎となり、永遠に我々の調和を支える礎石となるがいい」


その言葉に呼応し、ホテルの壁が、まるで生き物のように蠢きだした。石材が粘土のように柔らかくなり、無数の手が、私を飲み込もうと伸びてくる。

絶体絶命。だが、私は笑っていた。


「フフフ…面白いじゃないか、ベアトリーチェ君。だが、君のその完璧なはずのシステムには、致命的な論理矛盾がある。それに、気づいているかね?」


私の不敵な笑みに、ベアトリーチェの眉がぴくりと動く。


「何を…」


「君に一つ、質問しよう。この館における絶対的な序列、その頂点に立つのは誰かね?言うまでもなく、このシステムを創り、律する『主』だろう」


「当然です。この私こそが、この館の美しき秩序、その全てを司る主…」


「違うねぇ」


私は、彼女の言葉を、冷たく遮った。


「君は、自分こそがその『主』だと思い込んでいる。だが、それは観測エラーだ。君は『主』ではない。君は、この館に仕える、最も忠実で、最も階級の高い、ただの『支配人』という名の『奴隷』に過ぎないじゃないか」


「なっ…!何を馬鹿なことを!」


激昂する彼女を、私はさらに追い詰める。


「その証拠に、君は、この館の『美しさ』と『調和』に、その生涯を捧げている。主人は奴隷に捧げたりはしない。奴隷が主人に捧げるのだよ。君のその狂信的なまでの献身こそが、君が『主』ではないことの、何よりの証明だ」


私の言葉は、ベアトリーチェの精神を揺さぶる。だが、私が本当に語りかけていたのは、彼女ではなかった。この館そのものの、古く、そして論理的な意識に対してだ。

私は、蠢く壁に向かって、高らかに宣言した。


「聞いているかい、館よ。君の現在の支配人は、論理的破綻をきたしている。彼女は、序列の維持を目的としながら、自らの序列を誤認するという、システムにおける最大の矛盾を犯した。こんな欠陥品に、君の完璧な調和の管理を、任せておけるのかね?」


壁の動きが、わずかに、止まった。


「そこで、新しい仮説を提案しよう。私を、君の新しい支配人として採用したまえ。私は、君のシステムの美しさを理解し、観測し、そして、より完璧なものへと調整してやろう。ベアトリーチェ君のように、自らを『主』と勘違いするようなエラーは犯さない。私は、ただの『管理者』として、君という偉大なシステムに仕える。さあ、どちらがより有能な『奴隷』かね?」


沈黙。

館の意識が、二人の支配人候補を査定している。一人は、長年仕えてきたが、自己認識にバグを抱えた奴隷。もう一人は、全てを理解した上で、自らを奴隷と認め、より効率的な管理を約束する、新参者の奴隷。

答えは、明白だった。

私を飲み込もうとしていた壁の手が、ぴたりと動きを止める。そして、ゆっくりと、その向きを変え―――すぐ隣に立つ、ベアトリーチェへと、殺到した。


「な…なぜ!?私が、私が最もこの館を愛し、この調和に身を捧げてきたというのに!いや!やめなさい!私は主よ!この館の…!」


彼女の悲鳴は、壁に吸収され、虚しく消えていった。自らが定めた序列に従い、システムに「欠陥品」と判断された彼女は、自らが創り上げた調和の礎の一部となったのだ。完璧な、皮肉だった。

静寂が戻る。壁は、元の美しい石材に戻っていた。館全体が、私に対して、恭順の意を示しているのが、肌で感じられた。


「さて、と」


私は、新しい支配人として、最初の命令を下すことにした。


「全ての扉を開けたまえ。そして、地下の被検体たちを、全員解放だ」


館は、忠実にその命令を実行した。魂を抜かれた抜け殻たちが、おぼつかない足取りで、次々と外の世界へと出ていく。


「フフフ、面白いデータが取れたじゃないか」


私は、誰に言うでもなく呟いた。私は、この館の主になるつもりなど、毛頭ない。私の興味は、もう次の未知なる現象へと移っている。

私は、誰にも止められることなく、ホテルの正面玄関から、堂々と外へ出た。振り返ると、壮麗な館が、静かに私を見送っているようだった。


「結論。序列に固執するシステムは、序列の頂点を再定義することで、内部から容易に崩壊させることが可能である、と。フム…また一つ、有益なデータが取れた」


私は、研究日誌にそう書きつけながら、夜の闇へと歩き出した。


「だが、おかげで、今夜泊まる宿がなくなってしまったじゃないか。実に、非効率なことだ」

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