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【5位】異世界探偵エラーラ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
エラーラ・ヴェリタス短編集
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第10話:無敗の男!

私の名はエラーラ。私の興味を引くのは、常に、常識では説明のつかない「現象」だけだ。


王都の社交界で、私は実に興味深い観測対象を見つけた。「無敗の男」ヴィクトル。彼と勝負した者は、賭けに負ければ破産し、口論で負ければ舌を失う。彼の「勝利」は、常に、敗者に不釣り合いな破滅をもたらすのだ。


「フム…特定の一個体を『勝者』として定義し、その因果を補償するために、周囲の被検体を強制的に『敗者』へと変換する、局所的な確率操作フィールドか。これは面白い!」


私は、その怪異を間近で観測するため、ヴィクトルに魔導チェスでの対局を申し込んだ。

対局は、彼の私室で行われた。序盤、私は完璧な論理で彼を追い詰めていく。だが、私が勝利を確定させる一手を指そうとした、その瞬間。ゴウッという音と共に、天井の巨大なシャンデリアが、私の駒の真上に落下し、盤面を粉々にした。


「フフフ、素晴らしい!私の完璧なロジックが、『偶然』という名の非論理的な介入によって妨害された!ヴィクトル君、君のその力…因果律そのものをハッキングする呪いだねぇ。実に興味深い!」


私は、瓦礫の中で、興奮に打ち震えた。


「そこで、提案だ。私と、最後の『実験』をしないかね?」


私は、瓦礫の中から無傷のキングの駒を拾い上げ、彼に微笑みかけた。


「次の勝負は、外部からの『偶然』の一切を遮断した、完全なる密室で行う。そして、賭けるものは、互いの『全存在』。負けた方は、その場で肉体も魂も完全に消滅する。実に、クリーンな実験だろう?」


私の狂気じみた提案に、ヴィクトルは、恍惚とした笑みを浮かべた。


「面白い。実に面白い。君の消滅する様を、特等席で観測させてもらうよ、エラーラ君」


最後の勝負の舞台は、王立魔導学院の地下深くにある、「絶対封印の間」。外部からの物理的、魔術的干渉を完全に遮断する、完璧な密室だ。部屋の中央に置かれた一つのチェス盤を挟み、私とヴィクトルは対峙した。


「では、始めようか。私たちの存在を賭けた、最後のゲームを」


勝負は、序盤から激しい火花を散らした。ヴィクトルの指す手は、定石から外れた、一見すると悪手に見えるものばかり。だが、指された後になって、それが恐るべき罠であったことに気づかされる。彼の呪いが、盤上の確率を捻じ曲げ、悪手を神の一手へと変えているのだ。

ならば、こちらも応じるまで。私は、純粋な論理と計算だけで、彼に対抗した。彼の呪いが盤上の確率を歪めるのなら、私は、その歪みすらも計算に入れ、数手先、数十手先の盤面を予測する。

私は、自らのルークを、囮として彼のクイーンの前に差し出した。


「フフフ、これは面白い。君ほどの打ち手が、そんな初歩的なミスを犯すとは。あるいは、私を誘う罠かね?」


「さあ、どうだろうねぇ?実験してみたまえよ」


ヴィクトルは、数分間、盤面を睨みつけていたが、やがて、その罠のあまりの複雑さに気づいたのか、忌々しげに舌打ちをすると、別の手を指した。

一進一退。だが、確実に、私の駒は削られていく。彼の呪いは、私が予測できない、盤外の法則…私の集中力を削ぐための、室温の微妙な変化や、空気の揺らぎすらも、味方につけていた。


そして、ついに、運命の局面が訪れる。

私のキングは、盤の隅に追い詰められ、守る駒は、クイーンが一つだけ。一方、ヴィクトルの盤上には、クイーン、ルーク、ビショップが、私のキングに牙を剥いていた。

そして今、ヴィクトルが指した一手により、彼のクイーンが、私のキングに王手をかけた。

逃げ場は、ない。

私のクイーンで、彼のクイーンを取る以外に、王手を回避する術はない。だが、そうすれば、次のターン、彼のルークががら空きになった私のキングを取り、勝負は終わる。


「…終わりだねぇ、エラーラ君」


ヴィクトルは、勝利を確信し、椅子に深くもたれかかった。


「君の負けだ。さあ、潔く、その存在を差し出すがいい」


「フフフ、確かに、君の勝ちだねぇ。その一手で、私の負けは確定する。実に、見事なものだ」


私は、自らの敗北を認めるかのように、穏やかに言った。


「だが、一つ、ゲームの開始前に、君が同意した、特殊なルールを忘れてはいないかね?」


「君が私を打ち負かすには、あの言葉を言わなければならない。『チェックメイト』と。さあ、宣言したまえ。君の勝利を」


「?……それがどうした?」


ヴィクトルは、嘲笑いながら、高らかに宣言しようとした。


「だが、君は『チェックメイト』と、言えない!」


私は、悪魔のように囁いた。


「分かるかい……もし君が『チェックメイト』と宣言したら、どうなるか。君の『勝利』が確定し、賭け金として、私の『全存在』は、この場から完全に消滅する」


「それが、どうしたと言っている!」


「だが、そうなれば、君の勝利宣言を聞き、敗北を認めるべき『敗者』が存在しなくなる。君の宣言は、誰にも観測されない、意味のない音になる。それは、ルール上、宣言が『不成立』だったということにならないかね?」


「な…!?それは、ただの詭弁だ!」


「では、こう言い直そう。この勝負、君が勝つ寸前だ。だが、君の呪いは、どうやって『勝利』を確定させる?『チェックメイト』と宣言しなければ、ルール上、君の勝利は永遠に確定しない。だが、宣言した瞬間、敗者である私が消滅し、その宣言は無効となる。つまり、君が勝つための行動が、君の勝利そのものを無効にするという、完璧なパラドックスに陥っているのさ」


ヴィクトルは、盤面を睨みつけ、戦慄した。勝つためには、「チェックメイト」と言わなければならない。だが、言えば、勝利が成立しなくなる。彼の「必ず勝利する」呪いは、出口のない論理の迷宮に囚われてしまったのだ。呪いの力が暴走し、彼のこめかみから、血が、一筋、流れ落ちた。


「…ああ、だが」


私は、楽しそうに続けた。


「君が、この勝負を終わらせる方法が、一つだけ、残っている。このパラドックスを解消し、君が『負けなかった』という事実だけを残す、唯一の方法がね」


それは、「チェックメイト」と宣言することではない。

勝負そのものを、両者の合意の上で、決着をつけずに終わらせること。

すなわち――


「ひ…」


ヴィクトルの唇が、震えた。彼の呪いが、その言葉を言うことを、全力で拒絶している。だが、このままでは、呪いの暴走で自滅する。生き残るためには、言うしかない。


「…ひき…わけ…に…」


「聞こえないねぇ?」


私の追い打ちに、ヴィクトルは、ついに絶叫した。


「――ッ! 引き分けにしてくれ!」


ヴィクトルが、自らの口で「引き分け」という、彼の世界に存在しなかった言葉を叫んだ、その瞬間。

彼が懐に隠し持っていた力の源泉「魔王の駒」が、甲高い悲鳴のような音を立てて、粉々に砕け散った。「必ず勝利する」という絶対法則が、持ち主自身の口によって、内部から破られたのだ。


呪いから解放されたヴィクトルは、「ああ…」と力なく呻くと、椅子から崩れ落ちる。彼は、もはや「無敗の男」ではない。自らが勝利のために他者から奪ってきた、数十人分の「敗北」の重みが、一気に彼の魂に流れ込み、その精神を内側から破壊していた。

私は、研究日誌を取り出すと、満足げに書き記した。


「結論。『必勝』を前提とするシステムは、勝利条件の成立そのものが、勝利を無効化するパラドックスに陥る状況を作り出し、被検体自身に『引き分け』という、システムが許容しない宣言を強制させることで、内部矛盾を引き起こし崩壊させることが可能である。フム…実に有益なデータだ」


私は、廃人となったヴィクトルには一瞥もくれず、封印の解かれた扉を開け、静かにその場を立ち去るのだった。

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