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【5位】異世界探偵エラーラ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
エラーラ・ヴェリタス短編集
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第7話:眠れない夜!

私の名はエラーラ。私の全ての行動原理は、ただ一つ。「知的好奇心」。未知の現象、未知の法則、そして、未知なる人間の狂気。それらは全て、私にとって最高の研究対象に他ならない。


その日、私の研究室の扉を叩いたのは、実に小さな依頼人だった。母親の後ろに隠れるようにして立っている、大きな瞳の少年。名をルカというらしい。


「あの…エラーラ様。この子が、夜、どうしても眠れないと申しますの。あかりを消すと、お部屋に誰かがいるようで、怖いのだと…」


母親が、困り果てたように説明する。私は最初、その子供らしい訴えを、心底どうでもいいものとして聞き流していた。

「フム…ただの暗所恐怖症かねぇ。私の専門外だ。脳の扁桃体が、光情報遮断によって過剰に活性化しているに過ぎんよ。専門の医者にでも見せたまえ」


私が冷たく言い放ち、追い返そうとした、その時。それまで黙っていた少年が、私の白衣の裾を、きゅっと掴んだ。


「ちがうんです!」


彼は、母親の背後から顔を出し、真剣な瞳で私を見上げていた。


「見るんじゃないんです。でも、絶対に『いる』んです…!ベッドの下で、僕が眠るのを、じっと待ってる…!」


その、あまりに真に迫った言葉。その、恐怖に歪みながらも、自らの観測結果を正確に伝えようとする純粋な瞳。それが、私の記憶の奥底にある何かを、予期せず刺激した。


私はふと、自分の研究室の、暗い机の下に目をやる。


「……」


ほんの一瞬、私の表情から、いつもの不遜な笑みが消えた。


(…言われてみれば、確かに。この感覚…何十年も前に、私の脳が完全に論理で構築される前に感じた、あの原始的な…フフフ、面白い!)


私の口元に、いつもの笑みが戻る。だが、その色は、先程までとは全く異なっていた。


「よろしい。実に、興味深いサンプルだ。君のその『病』、この私が直々に観測してやろうじゃないか」


私は、しゃがみこんでルカと視線を合わせると、にやりと笑った。


「いいかい、ルカ君。君を、私の観測サンプルに任命する。光栄に思うんだねぇ」


その夜、私は様々な魔導観測器を携え、ルカの子供部屋を訪れた。部屋は、おもちゃや絵本で溢れた、ごく普通の子供部屋だ。だが、あかりを消した瞬間に、この部屋は私の「実験室」となる。


「さあ、これから、君にはいくつかの実験に協力してもらう。君の報告するデータが、この研究の成否を分ける。いいかい?」


「は、はい…!」


怯えるルカを最高の「生体センサー」と位置付け、私は早速、実験を開始した。


「第一フェーズ。照明を消す。さあ、感覚の変化を、詳細に報告したまえ」


私が壁のスイッチを切ると、部屋は完全な闇に包まれた。ルカの息を飲む音が、やけに大きく聞こえる。


「…います。ベッドのすぐ下に。空気が…冷たくて、重いです。僕を見てる…息をしてるみたいに、くらやみが動いてる…」


「フム!素晴らしい!」


私は、暗闇の中で手元の観測器のパネルを見ながら、歓喜の声を上げた。


「精神エネルギーの局所的な低下と、エントロピーの揺らぎを観測!実に素直な反応だねぇ、君は!」


「え、エラーラさん…!こわいです…!」


「恐怖で震えるな。その振動が、センサーにノイズを与える。さあ、次はクローゼットだ。中に『いる』と感じるかねぇ?」


私は、怖がるルカの手を引いて、部屋の中を歩き回らせた。彼の恐怖に呼応するように、観測器の数値は、面白いように揺れ動く。だが、物理的な実体はどこにも存在しない。仮説は、確信へと変わった。


「なるほどな、少年」


私はあかりをつけると、ベッドの縁に腰掛け、震えるルカに告げた。


「怪異は、ベッドの下に『いる』のではない。君と、そして私の『脳の中』にいるのだよ。暗闇という、情報が欠落した空間を、我々の脳が、本能的な恐怖で埋めようとする。その精神エネルギーを、この怪異は餌にしているわけだ」


「の、脳の中…?」


「ああ。そして、その仮説を証明する、最終実験の時間だ」


私は、鞄から、自ら開発した試作品…一対のゴーグルを取り出した。


「これは、『全領域観測鏡』。暗闇を照らす道具ではない。暗闇そのものを『見る』ための、私の最高傑作だよ」


私は、そのゴーグルをルカの顔に、少し乱暴に装着させた。


「さあ、観測を開始したまえ。君自身の目で、その『未知』を『既知』へと書き換えるんだ」


ルカは、おそるおそる、再び消されたあかりの中、ベッドの下の暗闇を覗き込んだ。


「あっ…」


彼の口から、驚きの声が漏れる。

彼の目には、おぞましい怪物ではなく、床下に流れる微弱な地熱の模様が、川のように見えた。昼間に転がったビー玉の、微かな残留魔力が、星のように瞬いて見えた。窓の隙間から流れ込む空気の対流が、オーロラのように揺らめいて見えた。


「きれい…」


「誰かがいる」と感じていた気配の正体は、彼の脳が、これらの無数の些細な情報を、一つの「未知の存在」として誤認識していただけだった。暗闇が「定義」されたことで、怪異の存在基盤である「未知」が消滅する。

私の観測器が捉えていた精神エネルギーの揺らぎは、嘘のように、ぴたりと停止した。


「エラーラさん!もう、いないよ!何も怖くない!」


ルカは、ゴーグルを外すと、満面の笑みで私に抱きついてきた。

だが、私は彼の感謝など意にも介さず、観測器の完璧なデータを見ながら、恍惚とした表情で研究日誌にペンを走らせていた。


「結論。認識依存型の精神寄生怪異は、観測対象領域の情報を、定義・可視化することで、その存在基盤である『未知』を消去し、無力化できる」


そして、私は、珍しく、個人的な追記を書き加えた。


「追記:被検体ルカの証言をトリガーに、私自身の脳内に残存していた幼少期の非論理的恐怖の残滓データを採取することに成功。人間の精神形成における『未知への畏怖』という脆弱性について、新しい仮説が立てられそうだ。」


私は、一人の少年を救ったことよりも、自らの内に眠っていた「少女の頃の心」という、最高の研究サンプルを手に入れたことに、心からの喜びを感じているのだった。

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