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1 龍の隠れ里

『本日は快晴なり、本日は快晴なり』

 独特のアナウンスが車内に流れる。

「すごい光景だねえ」

 私は友人に話しかけた。

「そうだねえ」

 友人である狐はそのふさふさした四本の尻尾を揺らしながら、窓の外を眺める。下は雲海、山の頂がポツポツ見える。レールにぶら下がっているとはいえ、空の上にいるのは不思議な物だ。本来、地をまっすぐ駆けるしかない猪は文明の利器を痛感する。雲の上に巨大な柱が突き刺さり、それに沿って巨大なレールが車体を運ぶ。雲海の中を出たり入ったりする姿は、まるでトビウオがはねているかのようだ、とガイドブックには書いてあった。実際、乗る側からしたらその光景は見れないので、なんだか少し損した気分になる。

 ともあれ、旅の楽しみはそれを差し引いても十分上回るものだ。

「楽しみだねえ、すごい旅館だってネットのレビューでも書かれていたし」

「うんうん、他では味わえない体験ができるらしいね」

 本音としては、ネット関係の情報は半分くらいしか信じていないが、どうにも旅のテンションが高くなる。私の潰れた鼻はプギプギ動き、短い尻尾がぷるぷる震える。蹄を車体の床にかつかつ打ち付けるものだから、隣の席のおじさんに睨まれてしまった。きっと「貧乏ゆすりがうるせえんだよ、そこの偶蹄目が」とでも思っているに違いない。ちゃんと改める程度に私は賢い猪だ。

 駅のキオスクで買ったお菓子を貪りつつ、外の景色を眺めるだけで時間は過ぎ去る。ジャガイモが材料のスナックは何でこんなにも美味しいのだろうか。気が付けば目的地についていた。

『次はー、『龍の隠れ里』』

 すごい名前の地名だ。確かに雲の海を渡るようにやってきた場所にはふさわしい名前かもしれない。

 私と狐は、うんしょうんしょとキャリーバッグを引っ張る。

「やっぱ車のほうが楽だねえ」

「そうだねえ」

 普段、二匹で旅をするときは車を使うことが多い。主に、狐が運転してくれるのでありがたいが、どうにも今回の場所は車では行けなかった。

 モノレールから降りると、温泉街らしく硫黄のにおいがした。ほかほかとそこら中に湯気が立っていて、もしかして雲海の正体は温泉の湯気だったんじゃないかと考えてしまう。

 ごろごろと石畳の上でキャリーを転がしつつ地図を見る。生憎、電波が悪くスマートフォンの反応が悪い。GPSが使えればもう少し簡単だったろうに。

「ええっと、ここが駅だから」

 地図の向きを変える狐。私は駅周辺を見渡す。

「結構複雑な作りだねえ」

 秘境と聞いていたのでもっと閑散としているかと思いきやそうでもない。人通りは多く、建物もたくさんある。漆喰にナマコ壁、瓦や茅葺の屋根と日本家屋風が多い。ただ、実際の古い家屋にはありえない高層になっていて、どこかしら外国人が見た理想のジャポンに近い。忍者ものの少年漫画の世界に似ている。

「わくわくするね」

「これはわくわくだね」

 異世界に迷い込んだような猪と狐は、旅館を探すことすら楽しくなってくる。

 駅周辺ともあって商店が多い。竹細工に、染め物に、懐かしのタペストリーが売られているお店。

 飲食店も多く、ソフトクリームや温泉卵が至るところで売ってある。

「お肉が名物みたいだね」

 飲食店のショーウインドーには、肉料理がずらっと並んでいる。ちょっと不思議な形をしたステーキやスペアリブが並んでいる。

「これ、何の肉かな?」

 じゅるりと涎の音を立てる狐。

「うん、やばい。その台詞やばい」

 だが、実に美味しそうな肉だ。あれだ、骨付き肉、マンガ肉のような抗えない、一度は食べてみたい肉の形をしている。たとえば空賊の女頭領がナイフに突き刺して、涎の糸を引かせながら食いちぎった肉のような――。

「ごはんはお宿でお宿でね」

「そうだね、入らなくなっちゃうものねえ」

 実は、この狐と猪は胃腸が弱いのだ。弱いけど美味いものが好きなので、全力投球したいのだ。

 予約したお宿には素敵な温泉とともに、美味しそうな食事もついている。移動中にばりぼりお菓子を食べていたが、もちろん抑えており、夜に向けての腹の準備は出来ていた。

「じゃあ、この通りをまっすぐ行けばお宿だねえ」

 横断歩道を渡ろうとしたときだった。

『注意! 注意! 龍馬リュウバが通ります!』

 突如、サイレンとともにアナウンスが流れた。突如、交通整理員のようなおじさんたちが現れて、これ以上前に出ないようにと私たちを制止する。

「なんだろうね?」

「リューバってなんぞや?」

 狐と顔を見合わせた私だが、三秒後に答えがわかる。

 湯煙、砂煙を上げて、遠くから何か近づいてくる。それは、実に珍妙な生き物だった。顔は馬だ。『リューバ』の『バ』は『馬』なのだとわかった。巨大な馬の顔にやたらごつい肩(?)がついている。4WDでも乗っていそうな肩だ。しかしその先にある前足二本はやたら小さい、退化し地面に届いていない。すなわち、二足走行。全力で駆けて行く謎の生き物が目の前を通った。

『……』

 狐と私は向かい合い、互いに首を傾げる。

「あれなんなん?」

「さあ?」

 少なくともガイドブックには載っていなかった。何かの催し物だろうか。ゲームモンスターのコスプレかもしれない。そうだ、そうだろう。

 コミュ力が高い狐は、早速交通整理員のおじさんに話しかける。

「すみません、さっきのあの馬みたいな動物はなんですか?」

「言ったろ。龍馬だよ。どらごんほーす」

 英語で言われて『リューバ』が『竜馬』と翻訳される。いや、ここでいうドラゴンは『竜』ではなく『龍』だろうか。

「動きがなんだかティラノサウルスに似ているって話だ。だから龍だって」

 うん、確かに似ていた。なお、私は本物のティラノサウルスを見たことがないので、せいぜいティラノサウルスの着ぐるみを着た人がフィットネスをする姿を動画で見た記憶しかないのだが言われてみるとよく似ている。

「ええっと日本にあんな生き物っているんですか?」

「そう言われても、今見ただろ」

 おじさんも言われて困っている。

「たまにさっきみたいなはぐれが迷い込んでくるが、基本は無害だから安心しな。おかげでここも『龍の隠れ里』なんて名前で栄えてくれるんだから万々歳だ」

 なんと、名前の伏線がここで解決した。

「ありがとうございます」

 狐がぺこりと頭を下げる。頭が下がる代わりに四本の尻尾が上向く。そういえば、恐竜は頭の重さを尻尾で調整するとかいう学説を聞いたが、狐も同じ原理で動いているのだろうか。

 猪は、自分の貧相なくるんとした尻尾を見て、頭が重くてこけないようにしなくてはなどと考える。

「ところで旅の目的は、観光かい? それとも温泉? もしくはグルメ?」

「どれもです。ここら辺でいいスポットありますか?」

「ならいい場所がある。この道路を渡って右に向かうと大きな滝があるんだ。以前は、マイナスイオンだとか、映えるスポットだとか言われて人だらけだったけど、今はだいぶ落ち着いている。観光客は新しい物が好きだから、新しく出来た牧場のほうに集まっているよ」

「そうなんですね」

 狐と私はぺこりとおじさんに頭を下げると、言われた滝のほうへと向かった。

 大きな赤い鳥居が見えて、立派な神社が建っている。その奥に、白絹を落としたような滝が見える。

 硫黄のにおいが漂う場所だが、鳥居を抜けると不思議なほど空気が澄んでいた。石畳を進む。滝のせいか周りは潤っていて、周りの木の幹や岩にはびっしりと苔が生していた。石畳だけは転ばぬようにしっかり清掃してあるのだろう。

 私はスマホのカメラ画面を起動して写真を撮る。電波状態が良ければその場でSNSに上げたいくらいどきどきする光景だ。

「これはラッキーだねえ」 

 人がいないので写真撮り放題だ。狐も猪も各々好きなように撮っている。

「お稲荷さんだ」

「おお、先輩だ、先輩」

 四本の尻尾の狐は、階級的にはたぶん上だと思うが、それでも先輩らしい。狐らしい基準があるのか、それとも四本の尻尾は実は巨大なエビフライのフェイクなのかもしれない。一本千切って食べてみようか。

「しかし、本当に人いないね。こんだけの場所、他でもそうそうないのに」

 私はもったいないと思いつつ、シャッターを切る。

「牧場ってなんだろうねえ」

 狐も疑問に思いつつ、鈴を鳴らし賽銭箱に小銭を投げる。小銭で思い出したのか、狐が私を見る。

「今回のお宿って本当に一泊一万円でいいの? 二食付きなのに」

「うん、宿に大学時代の先輩がいるの。知猪割りだって」

 すでに説明していたが確認のためにもう一度言っておく。

「ほうほう、狐にも有効ですか?」

「有効ですが、動きやすい恰好で来ることと言われた」

「確かに動きやすい恰好のほうがいいかな」

 旅先でお洒落もいいが、どちらかといえばフィールドワークを楽しむ二匹だ。言われなくても動きやすい毛皮で来ている。

「尻尾邪魔じゃね?」

「ノー!」

 狐は尻尾を千切る気はないらしい。

 時計を確認すると、先輩に指定された時間に近づいていた。

「そろそろ行こうか」

「うん。その先輩へのお土産は、名物ミルク饅頭でよかね?」

「よかよか。甘かもんなら、なんでも食うばい」

 狐はぴょこぴょこと、猪はかつかつと歩きながら宿を目指す。

 新緑荘、という大きな看板が見えてきた。庭木が綺麗に配列され、和風の玄関を彩っている。大きなかりんがたわわに実っているので、氷砂糖で漬けたら美味しそうだ。

 ちりんと呼び鈴を鳴らし、明るくも暗くもない玄関に入る。

「はい、いらっしゃい」

 出てきたのは、懐かしい部活の先輩だ。にこにこと笑いながら、出迎えてくれた。絣のエプロンを付け、髪を後ろで束ねている。昔の記憶からきっちり年齢ぶんの落ち着きを足した姿がそこにあった。

 私は懐かしく思う。

 突如、深夜十一時に電話で起こされたかと思ったら、今からとんこつラーメン食べに行くよと誘われたこと。

 遊びに行くぞ、と言われて深夜の公園で肝試し、ソロでお化け役にされたこと。

 キャンプにいって謎のきのこ食べさせられたこと。

 やばいな、なんか今更怪しい記憶ばかり蘇ってきた。

「すみません。今日はよろしくお願いします」

 とりあえず差しさわりのない挨拶をする」

「はい、こちらこそ。早速だけど、これ引いて」

 先輩はコンビニで七百円以上買うと引けるくじが入ってそうな箱を取り出す。

「一匹一枚」

 蹄と肉球はそれぞれ一枚ずつ紙片を取り出す。

「おー、すごい」

 二匹とも何が書かれてあったのか確かめる。どちらも『石器』と書いてあった。

「石器?」

 ずいぶん原始的なものを引いたけど、くれるのだろうか。基本、来る物は拒まない猪は素直に蹄を出す。

「ほい」

 石剣が置かれた。石鹸ではなく石剣。時代で言えば使われていたのは縄文時代だろうか。まだ青銅が出る前からあった道具だ。

「あとこれ。ドリンクはサービス。荷物は預かっておくから」

 意味が分からないまま、ペットボトルやタオル、ロープなどが入ったリュックサックを貰う。お風呂セットにしてはなんかいらないものまで入っている。

「そして、入口はこっち」

 先輩は私たちを奥の扉へと案内する。今夜、泊まる部屋は旅館の離れで、松尾芭蕉が俳句でも呼んでそうな庵のはずだ。

「……」

 なんだか想像と違う光景が広がっている。下はコンクリート、周りは金網と有刺鉄線。電気柵もある。

「あの、先輩質問が?」

 おずおずと蹄を上げる私。

「なに?」

「お風呂でもお部屋でもない気がします」

「お風呂より先に運動のほうが、体がすっきりしていいと思うの」

「そうですね」

 せっかくお風呂に入っても汗まみれになっては意味がない。

「しかし運動とは?」

 先輩はにこっと笑って、たどり着いた鋼鉄の扉を叩く。そこには、先ほどの龍馬のポスターが張り付けて合った。

「最近は、観光客も増えて養殖した肉だけじゃ足りないの。仕方ないから野生の狩ってきて」

「買ってきて?」

「勝ってきて」

「飼って……」

 言い切る前に、先輩は私と狐の首根っこを掴み、鋼鉄の扉の向こうへと放り投げた。

「一頭でいいから! 大物仕留めてくれたら、デザート追加でサービスしちゃう!」

「むりーーー!!」

 猪の叫びは鋼鉄の扉で閉ざされた。

 そういう人だった、そういう人だった。やはり人間は信じてはいけない。

 憔悴する猪に狐はぽんと肉球をのせる。

「狩ろうか」

「……狩ろう」

 たぶん、獲物を持ってくるまで開けてくれないだろう。

 猪は、潰れた鼻をすすり一言「ごめん」というしかない。

 狐は一言「いつものこと」と返してくれた。

 二匹は、ほぼ切れ味のない石剣を手に霧がかった高原を歩くのだった。


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