十一話 BP発電 MVP決定戦
「港人くん、昨日はごめんね」
朝一番に市華ちゃんから謝られた。
深く下げられた頭に、俺も同じように下げた方がいいかと体が迷う。
だって市華ちゃんがいつもより早い時間に自分の家の庭にいた時、てっきり遊んでいるのかと思っていたから。こんなに改まって謝られるなんて思いもしなかった。
「あのね、お父さんに怒られた後、お母さんともお話ししたの」
頭を上げてから告げた内容は、その時の俺の気持ちとは正反対だった。
「遅くまで港人くんの家にいて、凪さんとの時間をじゃました市華が悪いってお母さんに言われたの。
これからはちゃんとお家に帰る時間も守るし、ワガママも言わない。 だから、また私と仲良くしてくれる?」
市華ちゃんが手を伸ばしてきた。きっと仲直りの握手。けれど俺は手を伸ばせなかった。
出来ることなら俺も、素直に気持ちを伝えたかった。
それは違う、
市華ちゃんには帰って欲しくなかった、
と真っ直ぐに言えればどんなに楽だろう。
けれど頭に浮かぶどの言葉も、本当の気持ちとは程遠く。
「あー」とか
「いや、その……」とか、
かっこ悪い言葉しか出てこない。
「うん」
彼女は俺が放ったたった二文字の言葉にホッと表情をゆるめた。
自分を納得させるために出た言葉なのに、同意と同じ意味にとらえたのだろう。この時ばかりは言葉の行き違いに感謝した。
市華ちゃんがぐっと進んで俺の手を握ってくれた。
そして「おにーちゃーん! 早くしてー!」と声をかける。
いつもより頼もしく感じる芯の強い声。だから朔臣がパンの耳をくわえて出てきた時、思わずブスッと吹き出してしまった。
笑った俺に怒る朔臣はモゴモゴしてなんと言ってるのか分からないし、市華ちゃんが急かす様子はどっちが小四でどっちが小二なのか分からないし。
三人の中で一番背の低い市華ちゃんが、今日は一番大きくみえる。
そんな彼女は、俺とは手を繋いでいるけれど朔臣とは手を繋いでいない。朔臣の手はベタベタしてるから繋ぎたくないそうだ。なんだか、俺だけになついているみたいで気分が良かった。
うれしいから、今朝の悲しかったことがやけに目立つ。それは真っ白な半紙にポツンと落ちた墨汁みたいに――
父さんと母さんの部屋で一人静かに起きた朝。二人がいた温もりがほんの少し残っているせいで余計に悲しくなり、冷蔵庫にはパックのご飯と卵しかなかった。今日ばかりは見送れるかと思っていた自分をバカみたいに思った朝。
そんな記憶を二人の笑顔が吹っ飛ばしてくれる。
ゲラゲラ笑う声にほっとして、俺も同じように笑って。交わした話なんて俺らしか分からない会話だし、誰かに話すような特別な内容は一切ない。
「ずーーーん、って。 ぱしーーって感じだよね! お兄ちゃんっ!」
「ちげーよっ! ズーーーーーン!! パシーー!! だよ」
市華ちゃんはかわいく、朔臣はバカみたいに大声で、二人とも妙な身振り手振りをして。
それを見てるのが楽しくて、俺は腹を抱えて笑って。
最終戦の日まで、俺は普通の小学校四年生だった。
母さんのMVP獲得の条件が、細井大地に勝利すること、かつ新記録を出して勝つこと。父さんから聞いたこの話は、耳にした瞬間から母さんなら勝てると信じた。
最終戦の日。
俺の家の大きなテレビの前。
市華ちゃんと肩がぶつかる距離で座り、手を繋いだ。時々目が合っては互いに笑って、そして話題はもちろん。
「市華ちゃん。 母さん、絶対勝つよね!」
「うん! 凪さんなら勝つ! 絶対に勝つ!」
いつもより弾んでいる俺の声と、彼女の元気な声。二人で母さんに直接伝えたいくらいだ。
テレビではBP発電の前半組が戦闘中だ。前半組、中盤組、後半組と分かれている戦闘は、後半でやっと強い人たちが出てくる。別に見ても面白くないから、チャンネルの主導権は俺。
だけど今日は市華ちゃんにリモコンを持たせている。
不慣れな手つきでリモコンのボタンを押し、「港人くん、どのチャンネルが面白いのー?」と聞いてきた。
ここ押してごらん?と指差したボタンを押すとアニメが流れる。
「あー! これがフォーカシュ?」
「そう、BP発電が舞台のアニメっ!」
朔臣が夢中になってカードゲームを作っていたアニメ。
あいつが作るようになってから観出したけど、その時にはもうアニメにもカードゲームにも飽きていた。そんなアニメを目を輝かせて観ている。
彼女の家には無いテレビ。コマーシャルなんて見飽きた俺に対して、その一つ一つに大きな反応をする。
だから「ねーねー! コマーシャル、もっと観たいっ!」と言われた時には笑う以外の選択肢がなかった。
初めてコマーシャルを観るためにチャンネルを回したが、意外とやっていないものだ。観ている時はうざったいくらいに入るのに。
チャンネルをゆっくり一周回すと、丁度コマーシャルの始まりを告げた番組に当たった。結婚式場のCMで、ウエディングドレスを着た女の人がゆっくりと歩き、タキシードを着た男の人と手を繋いだ。
ただの式場の宣伝が、きっと彼女の目には特別な1シーンに見えたのだろう。目を一層輝かせ、口からは何度も感嘆の声が出ている。
「ねーねー、私あれ着てみたい! あの白いドレス!」
とせがまれた。
言ってる意味分かってる?と思いながら、母さんが聞いたら喜びそうだなとも思いながら。
「いいよ、市華ちゃんが大人になったら着せてあげる」
俺が小指を差し出すと、またいつもの強い指切りをした。
窓が強風によりガタガタ揺れ、テレビに強風注意報が出た。
頭が途端に冷静になった。
そして気付く、家の中の空気。
リビングのテーブルにいる父さんは、貧乏ゆすりをしている。そして隣に座る朔市さんは背筋を伸ばして腕を組んでいるし、酒を飲んでいない。
浮かれていた自分が馬鹿みたいに感じ、その場に正座した。テレビでは陽気なグルメ番組が流れている。俺は黙って、BP発電中継にチャンネルを戻した。
昼食どきになり、朔臣と一葉さんがやってきた。
一葉さんの両手には惣菜屋さんのお弁当が沢山ある。それらをテーブルの上に置いた時、雪崩れを起こした。
朔市さんが「おい何やってんだよ母さん」と苛立ちながら言う。
塾でどんなに先生がピリピリしていても気にしない俺でも、今日のこの家に流れる異様さは、手を何度も握りこみたくなる。
朔臣は家に入った時からウロウロと落ち着きがなく、朔市さんに「じっとしてろ!」と叱られた。けれど改善はみられない。
「だってさー! なんか先生の説教受ける前みてーでソワソワするんだってぇ!」
「凪さんのMVPが掛かってるんだぞ!」
ピシャリと注意され、朔臣はソファーに座らされた。それでも、朔臣はしきりに足を動かし続ける。
「無理だってー、無理無理! 凪さんがいくら強くても無理っ! 俺、こういうの緊張するんだよっ! あー無理! 父さーん、いつものみたいにしてろよー」
とうとう朔臣は朔市さんからゲンコツをくらった。
そんな二人を市華ちゃんは横目で見つつ、どこか気の毒そうな目を向けている。
こんな時でも俺と目が合えば口をニッと開いて笑ってくれる。彼女の存在だけが、この場を和ませてくれていると言っても過言ではないだろう。
緊張してお弁当の味なんてわからなかった。
ヒーローインタビューに答える選手に何度も腹を立てた。この日ほど歓喜あふれる勝利者インタビューがうざったく思えた日はない。
中盤組のやたら勢いだけある戦闘に、インタビューに、時計が壊れたかと思うほど時間が進むのが遅く感じた。
中盤組が終わった時、いっときだけ空気が緩んだ。けれどそんなのはワイプに映った母さんと細井大地により再び静められる。
テレビの実況は、大トリが近づいてきたとアナウンスをしている。
母さんは待機場であぐらを組んで目を閉じて、眉間のシワはいつもより深い。細井大地はウォーミングアップをしながら、ずっと口をパクパクと動かしている。
解説の人が『彼は戦闘前、ずっと自分なら勝てると言い聞かせているそうですよ』と言った。
確かに、母さんから放たれるのはピリピリした空気だが、細井大地からは熱気に似たものを感じる。
戦闘が終わる毎に母さんと細井大地が画面に映ると、いよいよだと実感する。いつもなら見応えのある戦闘が、今日は頭が情報としか受け付けないから、良くも悪くもスパイスだ。
母さんの戦闘が近づいてきてからの時間の流れは、試験の結果発表を待つ時の感覚に近い。自分の一呼吸一呼吸までに意識がいき、手を強く握り込んでいた。
父さんがテレビの前にやってきた。母さんの出番だ。父さんはテレビの真ん前に正座をし、手を組んで何度も天井を見上げている。
お菓子のコマーシャルに、学習ノートのコマーシャルが流れ終えると、テレビがスッと静まり返った。
テロップには、
『BP発電 MVP決定戦』
の文字。
この家にいる全員が息を呑み、シンと張り詰めた空気が流れる。
『さあやって参りました、BP発電、最終戦、最終組。 一凪選手対、細井大地選手。 勝利の女神はどちらに微笑むのか!』
臨場感あふれる対戦前のアナウンスが流れ、原っぱの上に設置されたステージに繋がる階段下で待機している両選手が映し出される。
係の者にVRゴーグルと剣を渡された二人。
細井大地は流れ作業のようにゴーグルを首からぶら下げたが、母さんは瞳を閉じて何か願いをこめるような素ぶりをみせてから首からぶら下げた。
『一凪選手っ! 細井大地選手の入場ですっ!』
テレビからもこの家からも、今にも窓ガラスが割れそうな掛け声が上がる。
「母さーん! 勝てーー!」
「凪ー!! 負けるなーー!!」
俺と父さんは声の限り、ここから光環区へ届くよう、全身全霊で声援を送った。
画面に映る二人が階段を登り、二つ並んだブースに近づくにつれて声援は大きくなる。母さんは真っ直ぐ、細井大地は観客に力強く手を振ってブースに入った。
画面が変わる。
仮想の戦闘空間は辺りをリアルタイムで反映していて、ステージの前方は観客でひしめき合っている。
ステージの上には、まだ青くなっていない剣を構えた母さんと細井大地。
画面の下には二人の名前と、満タンのゲージ。
母さんは眉間により深く皺を寄せ、重い威圧感には執念が感じられる。反対に細井大地は口角を上げ、何かを呟くように口を動かし、この重い状況を吹き飛ばすような自信が見える。
『戦闘開始っ!』
ガツンと重みのある戦闘開始の合図により、戦いの火蓋が切られた。
二人とも瞬く間に剣を青色に染め上げた。それは同時に電気をつけたかの速さだ。
細井大地が半歩後ろに下がる。まるで母さんに圧倒されているように思えた。けれど細井大地はまた間合いの距離を戻す。勝ってみせると顔が語っている。
ジリジリと間合いをとり、攻撃のタイミングを計っている両選手。
テレビからもこの家からも声援が止んだ。ピリリと張り詰めた空気に、俺は手をぐっと握った。
母さんの圧に、応援の声なんて出ないし、体も動かない。画面越しでも感じる母さんの強さ。
しかし細井大地は母さんの圧に負けていない。むしろ烈火の如きスピードでシュッと前に出て、相手の懐に入るよう剣をダンッと突く。が、母さんはそれを読んでいたかのように、バシンっと剣で払った。
そこから激しい打ち合いが始まった。
青い剣がバシバシと激しい音を立てて攻防を繰り広げる。
「凪!いけー! 凪っ! 凪っ!」
父さんが何度も母さんの名前を呼ぶ。まるで一緒に戦っているみたいに。
俺も声を上げて応援に加わると、皆んなが続き、テレビからの音が聞こえなくなるくらいの大きさになった。
大きな声で何度も何度もーー
応援の熱が最高潮に達したその時、突然中継がプツンと切れた。
切り替わった画面には、アナウンサーの風見咲子が映る。
『ただいま中継が乱れております。 電波の不具合です。 繰り返します。 ただいま中継が乱れております。 電波の不具合です。 一旦CMに入ります』
中継が途切れる瞬間、爆発音と、その背景に赤い炎がわずかに見えた。
この家にいる誰もが言葉を失った。
誰も何も話せない中、場違いなテレビのCMが家の中で浮いている。
すぐさま家の電話が張り裂けんばかりに鳴り響く。気持ち悪いコール音。
父さんがドシドシと足音を立てて受話器を取る。
俺は、胸元を手でギュッと握った。
「凪は!? 凪に何が起きた!?」
慌ただしいやりとり、父さんの怒鳴り立てる声。
呆然とした俺は、瞬きを忘れる程に目を見開いていた。頭は完全に思考が停止。
間違いなく悪いことが起きた。
しかしそれは、考えたくもない、頭が推測するのを拒否すること……。
俺は父さんに手を引かれ、家を飛び出した。
まともに靴も履かず、踵を潰し。
外は吹き飛ばされそうなくらい強い風が吹いていた。車に乗るまでの短い間だったのに、肌を刺した冷たい風の感覚が傷のように残った。




