第三十二章 記録者たち
二月中旬から、記録体制が動き始めた。
各班に記録担当が一人。毎日の会議には最低二人の記録者。巡回のシフト変更は口頭ではなく書面で。配給の量は配る側と受け取る側の双方が記録。
面倒な手間だった。紙もペンも貴重品だった。だが、効果は目に見えて現れた。
食い違いの口論が激減した。
「昨日こう言ったろう」「言ってない」の応酬が始まりかけた時、記録ノートが引っ張り出される。黒字の記録が示す事実の前で、両者が黙る。どちらかの記憶が間違っていた。間違っていた方は、少しばつの悪い顔をして、「すまん」と言う。
それだけのことだった。だが、それだけのことが、以前はできなかった。
美咲は記録者たちを取りまとめる役割を担うようになった。十八歳のリーダー。誰も任命していないのに、気づけばそうなっていた。
だが、記録で全てが解決したわけではなかった。
二月二十日。
篠原が美咲を呼んだ。深刻な顔だった。
「食い違いのデータを分析した。永田さんと一緒に」
美咲は篠原の部屋に入った。永田がいた。テーブルの上に、食い違い事例を集計した紙が広がっていた。
「結果を見てくれ」篠原が言った。
紙には、二月一日から二十日までの間に報告された記憶の食い違いが、日付と内容と関係者の名前とともにリスト化されていた。全部で四十七件。
「四十七件の食い違いを分類した。大きく二つに分かれる」
篠原が赤いペンで線を引いた。
「グループA。三十二件。これは**両者の記憶が曖昧で、記録で決着がついたもの**。たぶんこれは、人間の普通の物忘れや思い込みたい。第二ノードの後遺症かもしれんが、正常な範囲の認知エラーとも言える」
「グループB。十五件」
篠原のペンが止まった。
「こっちは、**片方の記憶が非常に鮮明で、しかし記録と明確に矛盾するもの**。当事者は『はっきり覚えている』と主張するのに、記録は全く違うことを示しとう。しかも――」
永田が引き継いだ。
「十五件の全てが、**特定の組み合わせの人間同士**で起きとう。具体的には、福岡の元住民と鹿児島からの合流者。北九州出身者と藤堂の元部下。つまり、**もともと微妙な距離感がある者同士**」
美咲は紙を見つめた。
「偶然にしては……偏りすぎとう」
「うん」篠原が頷いた。「偶然なら、食い違いはランダムに分布するはず。でもこれは、**亀裂が入りやすい線**に沿って、ピンポイントで起きとう」
美咲は窓の外を見た。何も変わらない冬の空。何も検出されない静かな電磁環境。
「やっぱり来とうんですね。ノード3」
篠原は首を振った。
「来とうとは断言できん。データはパターンを示しとうだけ。人間は元々、異なるグループ間で記憶の齟齬が起きやすい。確証バイアスもある。ノード3がおらんでも、この程度の偏りは説明できるかもしれん」
「でも、篠原さんは来とうと思っとうんでしょ」
篠原は長い間、黙っていた。
「……思っとう。直感に過ぎんけど」
永田が言った。
「直感であっても、備えるべきやろ。問題は、**何に備えるか**たい。ノード1はゾンビ。ノード2は脳波干渉。どちらも物理的に検出可能な干渉やった。だが、ノード3がやっとうことが本当に**検出不可能な認知操作**なら、備える手段自体が限られる」
美咲は言った。
「記録体制は効いとう。食い違いが起きても記録で照合できる。でも、もしノード3が**記録者の認知にも干渉できる**としたら……」
三人とも黙った。
記録者が書く記録が正しいという前提が崩れたら、全ての仕組みが崩壊する。
「……そこまで考えたらキリがなか」篠原が言った。「やれることをやるしかなか。記録を分散させて、複数人で照合する。完璧じゃなくても、**何もしないよりはまし**たい」
美咲は頷いた。だが、胸の中の不安は消えなかった。




