第一章 帰還
死者の目覚め 第二部 ― 残されたもの ―
五月三日。
二隻の漁船が博多港に接岸した。
最初に降り立ったのは中村だった。鉈を腰に差し、周囲を見回した。港に動く影はなかった。一年前、岸壁に立ち並んでいた無数のゾンビは、今は地面に横たわっていた。
そして――**臭い**。
中村は思わず口と鼻を手で覆った。後から降りた美咲が、膝から崩れかけた。
一年分の腐敗。
五月の気温は二十度を超えていた。港の岸壁だけで数十体の遺体が転がっていた。すでに白骨化が進んだものもあれば、半ば液状化して地面に溶け込んでいるものもあった。蠅が黒い雲のように群がり、足元では蛆が白く蠢いていた。
「マスクを」原口が布マスクを配った。島を出る前に、篠原が警告していた。腐敗ガスには硫化水素が含まれる。高濃度なら死に至る。密閉空間には絶対に入るな、と。
今回の帰還隊は十五人。残り十八人は島に残った。篠原も島に残っていた。返答データの解読を止めるわけにはいかなかった。
中村が全員に指示した。
「今日の目的は三つ。一、博多駅周辺の状況確認。二、使える物資の調査。三、拠点候補地の選定。遺体には触れるな。素手では絶対に触れるな」
十五人が港を離れ、市街地に向かった。
福岡の街は、一年前の遠征時とは全く違う顔をしていた。
あの時は、ゾンビが通りを埋めていた。恐怖の対象だったが、少なくとも「動いている敵」だった。避ければよかった。戦えばよかった。
今は、何もなかった。何もない代わりに、**全てが腐っていた**。
天神の交差点。一年前、「最初の事例」が起きた場所。今は数百体の遺体が、交差点を埋め尽くしていた。一月に増幅装置で倒したものと、それ以前に蘇生した直後に歩き始め、やがてここに集まったものと。全てが折り重なるように横たわり、腐敗し、異臭を放っていた。
美咲は立ち止まった。
一年前、ここで一人のサラリーマンが倒れた。それが全ての始まりだった。今、その場所には名もない死体が何百と積み重なっている。
「……これ全部、片付けないかんとですか」
美咲の声は小さかった。
中村は黙って交差点を見渡した。天神だけでこの数。福岡市全体では。九州全体では。日本全体では。
「全部は無理たい」中村は正直に言った。「でも、人が住むエリアだけは、やらないかん。衛生の問題がある」
佐々木が横から言った。
「水源も調べんと。御笠川と那珂川に遺体が流れ込んどったら、地下水も汚染されとう可能性がある」
原口が付け加えた。
「それと、夏が来る前にやらんと。気温が上がったら腐敗が加速して、疫病が出る。コレラ、チフス、何が出てもおかしくなか」
美咲は改めて街を見た。
ビルは建っている。道路もある。街の骨格は残っていた。だが、その上に一年分の死と腐敗が堆積していた。この街を「取り戻す」とは、まず**死を片付ける**ことだった。
建物を直すより前に。電気を通すより前に。水道を引くより前に。
まず、死者を弔わなければならなかった。




