第2話 少女の思惑
「......小さき者に、清き神の祝福を」
倒れこんで動かぬ少女は、冷え切った声で神へ祈りを捧げる。
その言葉に呼応し、霧のような淡い光が少女の体を包んでいく。
次第に朧気になっていく光から現れた幼子の体表に傷は見当たらない。
だが体のあちこちに張り付いている生々しい血液がその酷さを物語っている。
ボロついた朱色のローブをアンナは脱ぎ捨てる。そのほつれた端から糸を引っ張り、針を使って穴の空いたリュックへと縫い付けていく。
修復し終えたリュックから替えの黒いローブを引っ張り出して素早く身に纏う。
「これ結構お気に入りだったんだったんだけど...まあいっか」
そう言い自分の血が染みついた土ごと、赤いローブを地面に埋めていく。
「...これでよし、と」
不自然にならない程度に盛り上がった土を見ながら手についた泥を叩き落とし、愛用のローブに別れを告げる。
追手に余計な情報を伝えさせないためだ、仕方ない。
傷が塞がったとはいえ、流れた血液も失われた体力も戻ってくることはない。
痛みはない。けれど体は重い。そんなところかな。
ふと上を見上げる。いま転げ落ちてきた、崖のような斜面はそこまで急なものじゃなかった。強いて言うならば小高い丘、といったうところだろうか。
かなりの勢いで落ちてきた気がしたが、実際はそうでもなかったようだ。
その更に上を見る。
さっきは余裕がなかったから気づかなかったけど、いつの間にかやたら濃い霧が発生していたようだ。
とにかくそのせいで上の状況はわからない。
(流石に追ってきてないか..)
なんて楽観的に考えたらダメだな。
目指すべき場所はいまいち定まらないが、ひとまずは洞窟、もしくはどこか休める場所を探すとしますか。
「汚臭浄化」
彼女がそう言うと体中に付着した血液や泥が瞬く間に消えていく。
アンナは散らばった荷物をまとめ、それを背負って再び歩みだす。
その足取りは数時間前と比べると目に見えて鈍足なものだ。
あれだけの時間走り続けたうえに一度血塗れになるほどの傷を負った。今のアンナに体力なんてものは最早ない。
全身が強い倦怠感に襲われ、節々が軋む。足に至っては痙攣しだしている。
それでもアンナは歩いた。
生きたいだの、まだ死にたくないだのそんなものは彼女の頭に浮かんでいない。
ただの意地だった。
盗人としての意地。裏に生きていた者としての意地。アンナとしての意地。
小さな少女を突き動かすためには、それ以外のものは必要としなかった。
「.........死ぬのか..?」
ポツリ、と彼女の本心が零れる。
アンナ自身でさえ予想しなかった意図のない言葉は虚しくも辺りに響く。
その時だった。
奴が現れたのは。
突如目の前に現れた存在に驚いたアンナだったが、それを必死に心の底へと押し込む。
彼女の前に出てきたもの。それは一言で言えば《骨》だった。いや、単体じゃないから骸骨というべきか。
生気の感じられない白色の頭部がこっちを向く。根源的に恐怖を感じるはずのそれは、心無しか儚く美しいものに思えた。
...こいつは、生ける骸骨...なの??
確かにここらなら幾らでも湧きそうだけど...それよりもいつから..
「............」
生ける骸骨はただじっとアンナを見つめている。
感情を表せるもの―――表情筋―――がないためその表情は読めない。
(これはちょっとヤバいかもね)
そもそも生ける骸骨は蘇生死骸や蘇生害獣と言った代表的な他のアンデッドと違い意思の疎通ができる。実際アンナの客にはそういうのがいる。
気性は比較的温厚で戦いは好まない。
奴らには寿命という概念自体が無い為、大体が何かしらのことに熱中しているか、ちょうど良い暇潰しを探しているかのどちらか。
けど一部は戦闘狂な危険なのもいる。
そいつらは良い暇潰しを戦いや殺しに求め、獲物を見つけ次第―――というか気分次第で無差別に襲い掛かってくる。
生ける骸骨が傷害事件を起こして処刑されたというニュースを見たのはそう昔の話じゃない。
今いるコイツが後者なら非常に不味い。
抵抗はおろか、逃げることすらできずに殺されるぞこれは。
「............」
嫌な汗が滲み出てくる。
何もしてこない..?前者?
わからない。でも何かしないと。でないと..死ぬ。
はぁ...もうなんでまたこんな賭けみたいなことしなきゃいけないんだろ...
「...私を連れてって!!」
角ばった骨の手を握りしめ、いま自分ができる最高の少女を演じ、懇談した。
(どうせ逃げられないんだったらどうこう思われる前に取り入ってやるよ!)
もちろんこんなものが効くかなんてわからない。
珍しく焦った挙句に出た結論がこうなんだ。もうどうにでもなれ...
唯一の希望といえば《森の暇人》と呼ばれている生ける骸骨がコイツだということぐらい。話によるとソイツは無類の人好きで、変わった奴なんだとか。
それも風の噂にしかすぎないんだけどね..
「............」
反応がない。いや、わからないだけか?
アンナの必死の願いをうけても、骸骨は特になにも感じない様子で彼女を見つめる。
その反応に対して少し不安になり、思わず聞いてしまう。
「...あの..だめ、かな?」
奴から相変わらず大した反応は見られない。
自分の心音がやけに大きく聞こえる。
汗が額から滲み出し、雫となって落ちていく。
握っている手にいつの間にか力を込めていた。
「...ついてこい」
「やったー!」
演技ではなく、心からの反応だった。
小さな希望が見えた気がする。もがき足掻かなければすぐにでも消えてしまいそうな小さな希望が。
少女は一人、誇らしげに笑った。




