【ケンジ】嫉妬
成人式の時に春樹が誂えたスーツを、ケンジにあわせて仕立て直してはみたものの、日ごろから着慣れていないだけにぎこちなく、佐原家の人々はみな声を殺して笑っていた。
「結局、あれから連絡はないの? 春樹から」
母の言葉で、瑞希から笑顔が消えた。
「うん、そうね。今頃、どこで何しているのかしら」
「大丈夫だ、瑞希。春樹はかならず帰ってくる」
「そうよ、心配しなくても、いつかは会えるわよ」
明るく振る舞う佐原家の人々を、ケンジは一抹の寂しさを覚えながら眺めていた。
「さて、ケンジくん。準備は出来たかい? キャニックスのような大手との契約なんて、一生のうち何度も経験できることじゃないぞ。時間に遅れたら大変だ」
「ヒロくんとタケトくんはどこにいるの?」
「途中の駅で待ち合わせています」
「そうか、瑞希が連れて行ってやれたら良かったのだが」
「お店をほっとくわけにはいかないわ」
「大丈夫です。もう3年近くもここでお世話になっているので、道もわかります」
ケンジは自分の言葉に、残された時間が少ない事を改めて認識した。手がかりは何もつかめていないが、向こうの世界に戻る前に、自分の代わりに春樹を起用してもらうよう頼み込むつもりだった。
家を出て地下鉄に乗り、ヒロとタケトが待つ私鉄の駅に向かうため歩いていると、スプレーで落書きしてある高架下の壁にもたれかかっている春樹を見つけた。
「春樹くん? 春樹くんじゃないか! 今まで何していたんだよ!」
「……ケンジ、ちょっと顔を貸してくれ」
春樹の目は虚ろで、無表情のまま人通りのない路地のほうに歩き始めた。ただならない空気を感じたケンジは、何も言わず後についていった。しばらく歩いたところで高架下に公園が見えてくると、その中でガラの悪そうな5人の男たちがドラム缶に火をおこし、取り囲んでいた。そこに笑顔でハイタッチをして入っていった春樹が、ケンジの方へ振り向いた。
「よお、久しぶりだな。お前、これからキャニックスに行くんだって? トミーやザクトにケツ振って、楽しいのかよ」
ケンジは何も答えず、ただ春樹の目を見て突っ立っていた。
「色々考えたんだけどさ、ケンジ。やっぱお前、ムカつくわ」
顔を上げ、春樹の目を見つめてケンジは話し始めた。
「お父さんが言ってたぜ。春樹くんは今まで挫折を経験せずに育ったから、ちょっとした事で大きく傷つく可能性があるって。その時は、そばにいて助けてやってくれって。お父さんも、お母さんも瑞希もヒロもタケトもトミーさんも、みんな春樹くんの事を心配しているんだぞ」
「ふふっ、ふははははっ! もういいや。みんな、やってくれ」
男たちはいずれも屈強な体つきをしており、不気味な笑みを浮かべながら少しずつにじり寄ってきた後、ケンジに向かって飛び掛ってきた。
ケンジの動きは基本的にゲイリーと良く似ているが、より相手の力を利用して倒す合気道に通じる技が多く、飛び掛ってくる男たちを次々となぎ倒していった。初めは余裕で傍観していた春樹にも、徐々に焦りの色が見え始めてきた。
「チッ、くそ! お前はケンカも強いのかよ」
春樹は傍に落ちていた、割れたコンクリートのブロックを拾った。
「もういい、お前ら。とにかく死ぬ気で押さえとけ」
男たちは必死でケンジの手足を押さえつけた。ケンジは春樹を睨みつけたが、それは怒りからではなく、内側からこみ上げてくる寂しさや悲しさからくるものだった。
「何だよ、何でそんな目で俺を見るんだよ? バカにしているのか? 見下しているのか? いつもそうだったのか? 俺を、俺を、俺をそんな目で見るんじゃねえよお!」
春樹は振り上げたブロックをケンジの左手に落とし、それを何度か繰り替えした。
「はあーっ、はあーっ、はあははははは! これはお前のせい、お前が招いた結果だからな!」
天を仰ぎ、涙を流しながら春樹はフラフラと歩きだした。仲間の男から白い粉を受け取り、金を払うとその男に肩を組まれて立ち去っていった。
一人残されたケンジは天を見上げたが、高架下のひび割れた、古びたコンクリートが広がっているだけだった。
「はあ、せめて青空が見たいな」
目を閉じるとゲイリーや智也など向こうの世界にいる仲間の顔が浮かび上がり、あと少しでこの世界を去らなければならないという焦りの感情が浮かんできたが、それ以上に瑞希の顔が頭の中を支配して、無性に会いたい気持ちが溢れ出してきて、涙が止まらなかった。




