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【ケンジ】亀裂

 いつものようにリハーサルを終えて、鼻歌交じりの春樹が昼食に誘うためヒロとタケトに声をかけようとしたところ、二人は何やらヒソヒソと相談していた。


「おいお前ら、何やってんだよ、飯行くぞ」

「春樹ぃ、昨日からトミーさんの様子がおかしいんだ。何かあったのか?」

 そこには目に涙を浮かべ、ケンジの両肩に手を置き、頭を下げている富沢の姿があった。

「あんなトミーさん見たことない」


「知らねえよ! 俺には関係ねえ。それより飯だ、飯行くぞ!」


 3人に気付いた富沢が、鼻を垂らしながら無理やり作った笑顔で近づいてきた。

「おい、お前ら喜べ! あのキャニックスがお前たちを引き抜きたいって言ってきたぞ!」

 目には大きなクマを作り、少しやつれた富沢の目は赤く、虚ろだった。


「ええ、マジかよ!? キャニックスが!?」

「ちょっと待て、タケト。この話には裏があるんだぜ。なあトミーさん」

「……ああ」

 富沢は3人に今までの事情を全て話した。


「ケンジも、お前たちが良いって言うならOKだと言ってくれた。なぁ、頼むよ」

「そんなの良いわけないだろ!?」

「春樹、はっきり言っておくが、お前の意見を聞いているんじゃない。嫌ならバンドを辞めろ。ただ辞めたら、この業界でお前を拾ってくれるところなんてないぞ」

「何だと!? 俺を脅すつもりかよ!?」

「確かにお前は歌が上手い。ルックスも良いほうだし、関係者の評判も良い。だけどな、そんなヤツは世の中にごまんといる。埋もれちまうんだよ。でもケンジは違う。独特なテクニックもそうだが、ヤツにはカリスマ性がある」

「トミーさん、それは本心か? そう思っていながら、今まで俺たちに付き合っていたのか?」

 富沢は春樹の目を見つめ、唇を噛みしめた。


「ああ、そうだ。だから春樹、ザクトやケンジの持っているものを間近で感じてみろ。そうしたら、お前の中で何かが産まれるかも知れないぞ」

「へ、バカバカしい。やってられないぜ」

 春樹はこちらを心配そうに見ているケンジを睨みつけ、つばを吐き捨て、立ち去った。


「お前たちはどうする? ケンジについてきてくれるよな?」

「どうするって、俺たちはずっと春樹と一緒にやってきたし……」

「ああ、春樹を裏切ることはできない」

「頼むよ! お前たちが来ないとケンジはダメだって言うんだよ! 俺を助けてくれ」

 富沢は床に頭をこすりつけながら土下座をし、両手を合わせて頼み込んだ。


 春樹が出口のドアを開けると、そこには心配そうな顔をした瑞希が立っていた。

「え? あ、春樹、どうしたの?」


 春樹はどうしようもない焦燥感に苛まれた。

「お前もどうせケンジの方が良いんだろ! どけよ!」

 興奮した春樹が瑞希を突き飛ばし、よろけた瑞希を追いかけてきたケンジが受け止めた。


「チッ」

 春樹は足早にその場を離れた。


「大丈夫か?」

 瑞希は小さく頷いた。


「春樹、どうしちゃったの?」

「どうもしてないさ。後は俺に任せろ」

 海を眺めながら歩いていた春樹は、追いかけてきたケンジに気付くと、逃げるように速足で歩いた。しばらく距離を保って歩いた後、漁を終えたいくつもの小さな漁船が陸に上げられた、磯の香り漂う堤防に差し掛かった所で、春樹は立ち止まった。


「ついてくるんじゃねえよ」

 背中を向けたまま、顔を合わせようとはしなかった。


「トミーさんがどうしてもって、俺たちが移籍しないと会社が潰れるって。でも春樹くんが嫌なら、俺もいかねえ」

「バカヤロウ! なに甘っちょろい事を言ってんだ? お前は、トミーさんを助けてやれ」


「でも……」

「俺も気付いていた。お前のギターはみんなを魅了する、不思議な力がある」

「それは春樹くんも同じだろ?」

「違う! 確かに俺は歌には自信がある。だけどトミーさんが言った通り、俺くらいのヤツは世の中にはごまんといる。今の音楽業界はどんなに良い作品を出してもすぐに埋もれてしまう。イベントやタイアップなどのプロモーションを駆使して、生き残っていかないとダメなんだ。大物が若手を食うのも一つの方法だ。それに対してとやかく言うつもりはない。だけど、お前は俺から全てのものを奪っていく。バンドの仲間やファン、親や妹までも!」


「そんな……」

「お前と出会わなかったら、こんな事にはならなかった。お前と出会わなければ……」

 春樹はその場で座り込み、泣き崩れた。するとケンジの後ろからついてきた瑞希が歩み寄り、そっと春樹の背中に手を置いた。


「何も変わってないよ。私たちはずっと兄妹だし、これからも変わらない。お父さんやお母さん、ヒロさんやタケトさん、それにケンジくんも。変わったのは、春樹のほうだよ」

 春樹は時おり嗚咽を上げながら泣き崩れ、しばらくそれを瑞希とケンジはただ見守っていた。


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