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【ケンジ】富沢聖

「よお、お疲れちゃ~ん。みんな、頑張ってんねぇ~」


 疲れ切って床に寝転んでいた皆が振り向くと、よれよれのカーキ色のコートを着て、金髪の長髪をカチューシャで止め、無精ひげを生やした30代後半くらいの男が立っていた。


 ケンジは誰かわからずボーっと見ていたが、春樹は勢いよく起き上がり、その男に駆け寄った。


「トミーさん、どうでした?」


 春樹が声をかけると、二重の少し垂れた瞳を細めてニヤッと笑顔を浮かべた富沢は、いつものように春樹とヒロに缶コーヒーを手渡した。


「よおタケト、ほらよ、いつものヤツ」

 タケトにもいつも通りのコーラと鶏のから揚げを放り投げ、最後の一本をケンジに手渡しながら顔を覗き込み、ジーっと目を見つめた。


「お前、ガキの割になかなかやるなぁ。どこで覚えたんだ?」

 ケンジの左手をおもむろに掴んだ富沢は、その指をじっと見た。


「ふう~ん、いっちょ前の指をしてやがる。まぁいいや。春樹ぃ、今度ウチの事務所に来いや。細か~い、もろもろの打合せをしないとなあ」


「え!? じゃあ……」

「最終判断はまだだぞ。荒いところもたくさんあるし、ちゃんとスタジオで音を録ってからだ。でもまぁ、契約するとなると、色々とややこしいんだよ。それまで他から声をかけられても、ついて行くんじゃねえぞ」

 軽くウィンクをすると富沢は振り返り、軽く手を上げながら帰っていった。


「うおおおおお! やったぁ!」

「あれ、誰?」

「フリーのプロデューサー、富沢さんだよ。みんなトミーさんって呼んでいる。俺らのようなデビュー前のバンドとかアーティストを発掘して売り出すスペシャリストだ。デビューしたヤツらのほとんどが後にメジャーレーベルに移籍している。あの人に目をかけられたら、成功したのも同然だ。すげえ人だよ」

「へぇ、なんか、胡散臭いおっさんにしか見えなかったけど」

「バカヤロウ! 確かに見た目はペテン師みたいだけど、あの人は本当にすげえ人なんだぞ! それに、新人発掘よりも更にすげえところがある。知りたいか?」


 熱くなったタケトが、ケンジに顔を近づけた。

「あの人はいつも俺に鳥の唐揚げを持ってきてくれるが、その味がサイコーなんだ。売っている所を聞いても秘密で、一説では彼女の手作りだとか。でもその女の姿を誰も見たことがねえ。ミステリーだろ?」


 タケトは親指を立て、不敵な笑みを浮かべている。その後はずっとスタジオに篭りっきりで、時々ロビーで食事や仮眠を取りながら、自分たちの音を作る事に夢中になっていった。


――近くを通った店員が、中から放たれる恐ろしい悪臭にむせ返る頃、春樹の携帯が鳴った。


「よぉ春樹ぃ、印鑑持って今から来いよ」

 富沢からだった。


「え? 今からですか!? わ、わっかりましたぁ!」

 電話の終話ボタンを押し終える頃には、春樹は既にスタジオを飛び出していた。歩道を歩く人々がその悪臭に悲鳴を上げる中を、全速力で走った。


「終わったか……」

 ヒロは白目をむき、口からきめ細やかな泡を吐きながら、前のめりに倒れた。タケトは何かブツブツと言いながら、スティックを箸に見立てて何かを食べている。壁に持たれながら崩れ落ちたケンジは、薄れて行く意識の中で、今まで感じたことのない充実感を味わっていた。


 恐ろしい形相で走ってきた春樹は、町外れの雑居ビルにある富沢の事務所で、かなり年季の入った黒革のソファに、前のめりになって腰掛けていた。


「それにしても臭せえなぁ。お前ら、あれからずっとスタジオか?」

「はいっ!」

 少しかけたマグカップにコーヒーを注ぎ、富沢はそれを春樹に手渡した。


「ふぅ~ん。で、良いモン出来たのか?」

「もうびっくりしますよ! やっぱりあいつのギターは面白い。今まで想像もつかなかったようなメロディが溢れ出てきて。ああ! 早くトミーさんに聴いてもらいたいなぁ」


「実は、あれから俺も何回か顔を出していたんだぜ。だけどお前らは誰一人として気が付かなかっただろ? あれだけ集中しているお前らは、今まで見たことねえよ」

 和やかな笑顔を浮かべていた富沢の顔が突然引き締まり、改まって座りなおして、頭を下げながら契約書を差し出した。


「その音を聞いた上で正式に申し込むよ。春樹、スナッジと契約させてください」

「いやいやトミーさん、頭を上げてください! 俺らこそ、よろしくお願いします!」


 その頃スタジオでは3人を担架で運び出した後、その刺激臭に危険を感じた店長は、バイトを帰らして一人マスクを付け、涙を流しながら掃除をしていた。

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