【ケンジ】佐原家
すっかり辺りが暗くなった頃、瑞希は店のシャッターを下ろし、鍵をかけていた。
「はい、今日も終わり。さ、帰りましょう」
「本当にいいのか?」
「さっき母に電話して事情を説明したら、是非ウチに来てもらいなさいって言われちゃった。きっと父も賛成してくれるだろうって。ウチはそういう家族なんです。だから気にしないで」
地下鉄に乗り、何気ない会話をしていると、ケンジは瑞希の落ち着いた丁寧な話し方もあり、自然と会話を楽しんでいる自分を不思議に思いながらも周りを見ると、その人の多さにはまだ慣れずにいた。
「瑞希さん、俺5つも年下だし、敬語はやめてよ」
「え、ダメですか? ケンジさんは落ち着いているから、年下とは思えないですよ。しかも何となく頼りがいもありそうだし。でも、ちょっとずつ慣らしていきますね」
「それも敬語」
「あ、ホントだ。ゴメンなさい」
はにかんだ瑞希の笑顔につい見とれてしまい、ふと我に返るとケンジは恥ずかしくなって、気づかれないように顔をそらした。
駅前の繁華街を抜けると、瓦葺の塀が遠くまで続いている一角に差し掛かった。それに沿ってしばらく歩くと立派な門構の入り口が見えてきた。その脇にある勝手口を、瑞希が開いた。
「え? ここ?」
「うん、先祖代々からのおウチなので、古いから何かと不便なんですよ。さ、入って」
中に入ると細部まで手入れがなされた日本庭園が広がっていて、時おり鹿威しが涼しげな音色を鳴り響かせていた。石畳の通路を歩いて玄関に入ると、数名の家政婦が待ち構えていた。
「お帰りなさい、瑞希ちゃん」
「ただいま。あ~、お腹へっちゃったあ」
「そちらがケンジさんね。どうぞ、おあがりください。こちらです」
家政婦たちがニコニコしながらこちらを見てくるので、ケンジは少し頬を赤らめながら靴を脱いだ。廊下をしばらく歩くと畳敷きの大広間が見えてきて、そこにはたくさんのご馳走が並べられ、奥には佐原夫妻が座っていた。
「お帰り瑞希。それと、君がケンジくんだね。私は佐原慶喜、隣にいるのは妻の良子だ。瑞希から事情は聞いているよ。遠慮せず、自分の家だと思ってくつろいでくれ」
「お腹すいたでしょ? 今日は奮発したから、何でも食べて。でも断っておくけど、いつもはこんなご馳走じゃないのよ」
ケンジは促されたとおり手前に用意された座布団に座り、瑞希もその横に座ると、すぐに家政婦が手際よく飲み物や箸を運んできてくれた。
「じゃ、新たな家族に、乾杯!」
ケンジが戸惑っていると、良子がいくつかの料理をとりわけてくれた。
「お父さん、今日ね、春樹に会ったよ。来週からまたライブだからって着替えを取りに店に来たの。それでね、その時にケンジさんをスナッジに勧誘したのよ」
「そうか、あいつは元気にやっているのか。こっちには全く帰ってこないからな。ま、母さんにはちょくちょく連絡しているみたいだがね。それでケンジくん、君は本当に良いのかい?」
「はい」
「そうか、若いうちに色々なことを経験しておくのは良い事だ。ただし、他人に迷惑をかけてはいけないぞ」
「でね、ケンジさんが加入したら、デビューするんだって」
「そうか、じゃあ後を継がせるのは、当分は難しそうだな。良子、君は知っていたのだろう?」
「さあ、何のことかしら」
良子は満面の笑みを浮かべながら空いた皿を片付け、台所に持っていった。家政婦たちはいつも自分でテキパキと動く良子に、皆うろたえるばかりだった。
「ところでケンジくん、君はミュージシャンになりたかったのか」
「え?」
将来のことなど一度も考えたことがなく、ケンジは上手く返事が出来なかった。
「まあ……」
「いずれにしろ、落ち着いたら学校に行って、きちんと卒業しないとダメだぞ。その間、店を閉めていたって構わないから」
今日会ったばかりにも関わらず、まるで家族の一員のように迎え入れてくれる佐原夫妻に、ケンジはその暖かい雰囲気からくる居心地の良さと、本当の事が言えない罪悪感とが心の中で交錯していた。
食事を終えると、瑞希はケンジを部屋に案内した。隣は春樹の部屋だが、今はほとんど帰ってきていない。
「じゃぁケンジさん、自分の家だと思って、リラックスしてね」
瑞希はパタパタとスリッパの音を立てながら、少し離れたところにある自分の部屋に入っていった。ケンジはドアを閉め、ベッドの上に横になると、自分にアイオーンを倒す手がかりを見つけられるのか不安になりながらも、いつもと違う天井を眺めていると、いつの間にか気を失うように深い眠りについていた。




