【ケンジ】向こうの世界
暗闇の中を歩いていくと、初めは点だった光は次第に大きくなり、やがてその光がケンジを包み込んだ。眩しさのあまり目を閉じたまま進んでいくと、車のクラクションや人々の行き交う雑多な音が聞こえてきた。次に目を開けた時には、自分たちの世界とさほど変わらない光景が広がっていたが、よく見ると建物はより密集し、高層化しているようにも見えた。
明らかに違う点は、行き交う人の数、特に老人の多さだった。自分たちが住む世界では60歳以上の人はほとんど見かける事は無かったが、こちらではたくさんの老人が街中を行き交い、かつ45歳以上と見受けられる人々も、多くが現役で活躍しているように見えた。
戸惑いながらも歩いていると、次第に息が苦しくなってきたので脇の商店街へ逃げ込むように入ってみたが、そこでもタイムセールに群がる人々が、奪い合うように食材を購入していた。
その横を通り抜け、ようやく人通りも少なくなってきた辺りに、年季は入っているが綺麗に手入れされたガラスのショーケースがあり、中に様々なギターが並んでいるのが見えた。その横に『佐原楽器店』という古びた看板を掲げた店の前で足を止め、しばらく眺めていた。
「いらっしゃいませ。何か、お探しですか?」
ゆっくりと優しい声で話しかけられた方に顔を向けると、そこには自分より少し背が低く、栗色の艶がある長髪を揺らし、ドキッとするくらい大きな瞳を閏わせた少女が立っていた。一瞬の間見とれてしまっていたケンジは、ハッと我に返った。
「え? あ、いや、別に……」
恥ずかしさと動揺でキョロキョロしていると、ガラスの端に張ってあったアルバイト募集のチラシが目に入った。
「アルバイト、募集しているの?」
「ええ。あ、応募の方? 良かったら、中にどうぞ」
促されて中に入ると、決して広くはないが、掃除が行き届いた店内にギターやベース、更にはエフェクターやアンプなど、厳選された商品が陳列されていた。
「ここは私の祖父が趣味で開いたお店なんですよ。父は別の仕事をしているので、私と双子の兄と二人で手伝っています。でも、本当の事を言うと兄はバンドを組んでいて、ここにはほとんど来ないんです。それでどうしても人手が足りなくて。でも、かなり前から募集していたんですけど、応募に来られたのは、あなたが始めてですよ」
はにかみながら話す瑞希の後ろ姿をケンジは気づかれないように見つめていた。
「あの~、履歴書はお持ちですか?」
「……」
「あの~……」
いつの間にか振り返っていた瑞希と目があい、またハッとした。
「あ、俺は三島ケンジ。急な事で、履歴書は持ってきていないんだ」
「そうですか。挨拶が遅れちゃってごめんなさい。私は、佐原瑞希と言います」
ケンジは頭を下げて、慌てて店を出て行こうとした。
「あ、ちょっと待って。ケンジさんはギターがお好きなのですね。さっきショーケースを見ているときに思いました。良かったら、どれでも好きなものを弾いてみてください」
「え、いいの?」
そう言いながらも手は自然と店に入った時から気になっていた黒のレスポールに伸びていた。手に取ると、途端に馴染んでくる妙な感覚があって、更に弾き始めるとまるで指が吸い付くように滑らかに動いた。音も自宅にあるストラトキャスターとは一味違う、ひずんだ音色に気持ちよくなり、いつしか夢中になって弾いていた。
突然に勢い良く入口のドアが開くと、細身で背が高い男が、白に近い金色の長髪をなびかせて入ってきた。
「あ! 春樹!?」
瑞希の声をよそに、瑞希と似た大きな目をした美形の男は、ケンジに歩み寄ってきた。
「君か、今のすごいね! 独特なリフだけど、すごく格好良いよ。どこで覚えたんだ?」
「好きなバンドのコピーをしていただけだよ」
「なんてバンド?」
「ルーシー」
「知らないなあ、インディーズか? いずれにしても、すごく良い」
ルーシーは向こうの世界ではメジャーなバンドであり、ギターのリフも人気のあるフレーズだったが、この世界では、非常にユニークなものに聞こえた。
「君、今はどこかのバンドに入っているの?」
「いや」
「ケンジさんはアルバイトの応募に来られたの」
「ケンジってんだ。年はいくつだ?」
「15」
「15歳か、若いねえ! 俺は佐原春樹、20歳。そこにいる瑞希の双子の兄だ。よろしくっ! でさあケンジ、バイトもいいけどよ、俺のバンドに入ろうぜ! 俺は今スナッジってトリオバンドのギター兼ボーカルをやっているんだけど、やっとデビューが出来そうなところまで来ているんだ。でもそれには俺は歌に専念して、新しいギタリストを加入させろって条件があって、ずっと探していたんだよ」
「でも俺はいつも一人で弾いていたから、バンドなんかやったことないし……」
「ダァーイジョウブ! 俺の耳は確かだ。ケンジ、早速だけど明後日、ここのスタジオに来てくれ。他のメンバーに合わせるよ」
春樹は殴り書きしたメモをケンジに渡した。
「あ、でも……」
「なんだ、ダメか?」
「実は俺、急に家を出てきたから、何も持ってないんだ」
一瞬の間はあったが、春樹は詳しい事情も聞かずに笑顔でケンジの肩に手をまわした。
「じゃあ、ここにあるもので、好きなのを使いなよ」
「ち、ちょっと、春樹ぃ!?」
「ダァーイジョウブ! もうすぐ契約金が入ってくるから、俺にツケとけよ。あ、あと来週からしばらくはライブばっかで、しばらく帰って来られねえからな」
そう言うと店の奥の階段を駆け上がり、衣装や着替えを取りに2階の部屋に入った。
「ケンジさん、ゴメンなさい。兄はあんな感じだから。嫌なら断ってくださいね」
「……」
勢い良くドアを閉める音が聞こえると慌ただしく階段を下りてきて、ズカズカと二人の前を横切って店のドアを開け、春樹は振り返った。
「そうだ、さっき家を出てきたって言ってたよな? 良かったらウチに来いよ。瑞希、仕事が終わったら連れてってやれよ。親にはお前からよく言っておいてくれ。じゃあな!」
「ち、ちょっと待って、春樹!?」
そこには既に春樹の姿は無かった。
「もう、いつもあんな調子なんだから」
一息ついて、瑞希は振り向いた。
「でも、おウチの方は今頃心配されていませんか?」
ケンジの顔が少しこわばった。
「両親は死んだ」
「そうですか、変な事聞いちゃってごめんなさい。でも、それなら本当に私の家に来ませんか? 両親も事情を話せば、きっと歓迎してくれるはずです」
「そんなに甘えては……」
「その変わり、空いた時間はこの店の手伝いをしてください。それなら大丈夫でしょ?」




