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【ミゲルたち】選択

「やっぱり、お前たちでは練習相手にもならんな」


 2対1のスパーリングを終えたミゲルは汗一つかいていないが、修一と龍次はまるで死体のようにリングに転がり、息をするのが精一杯だった。


「く、くそ、あの野郎、強くなったら真っ先に殺してやる」

 龍次がやっと声を出せるようになって目を開けた頃には、修一は既に起き上がっていた。

「でも、いつもよりちょっと粘れたんじゃないか」

「うるせえ! お前から先に殺ってやろうか!?」


 言葉とは裏腹に、龍次は思うように動けない自分への腹立たしさと、焦りを感じていた。天性の体格と素質を持つ修一が順調に成長しているのを目の当たりにし、自分との差が開いていくように感じていたからだ。

「いらねえ! 自分で起きられるよ!」

 差しのべられた修一の手を跳ね除け、ガクガクいう膝を無理やり抑えながら立ち上がった。


「お前ら、お遊びなら日本に帰ってからやれよ」

 リングサイドに近寄ってきたジルが腕組みをしながら笑っていた。


「ところでさあ、俺とミゲルの前座として、お前たちも試合やるか?」


「えっ!? まじっスか?」

「一人ずつか? タッグ?」

「調子に乗るな。お前らの実力でうちの連中と戦ったら、どれだけ手加減してもすぐに殺しちまうよ。そうなると見ているほうも面白くねえんだよ。だからお前ら二人でやれ」


「えっ!?」

「面白い。その話、のった!」

 動揺する修一とは対照的に、龍次は即答した。


「龍次……」

 修一は困惑した表情で、龍次を見つめた。


「ま、順当にいきゃあそっちのでっけえヤツが勝つんだろうけど、うちの連中とやるより少しは面白くなるんじゃないの? 客も物珍しいだろうし」

そういうとジルは振り返り、笑い声をあげながら去っていった。


「いいのかよ」


 修一が肩に置こうとした手を、龍次は振り払った。

「お前、もう勝った気でいるのか? 何様だ? 今日から練習は別々にしようぜ」

 龍次は足を引きずりながらリングを下りて、振り返らずにそのまま消えていった。


「おい! どこ行くんだよっ!?」

 追いかけようとした修一を、ミゲルが止めた。


「行かせてやれ」


 修一はミゲルの方へ顔を向け、もう一度振り返ると、既に龍次の姿はなかった。


 翌日の朝、ミゲルがリングに来た時には既に修一がリング上で正座をし、目をつむっていた。 


「龍次は、どこに行っちゃったんスか? ここがどこかもわからないのに」

 大粒の涙を今にもこぼれそうに潤ませて、修一は訴えた。


「ヤツのことだ、腹が減ってきたら、そのうち帰ってくるさ」

「そうっスかね? どちらかというとそのタイプは俺なんスけど」

「信じてやれ」

「……はい」

「ところでお前、今までアイツに気を使って、手を抜いていただろ。今日から本気で来い」

「え、あ、はい!」

 二人の激しいスパーリングが始まった。


「ふーん、あのでけえヤツ、結構やるんだな。こりゃあちょっと面白くしてやるか」

 その光景を遠目から見ていたジルは、怪しげな笑みを浮かべて腕組みをし、顎を触っていた。


 ――それから一ヶ月近く経った頃、練習場に突然、ホセが現れた。ジルたちジムのスタッフが慌てて出迎えると、ミゲルたちが練習しているところに近寄ってきた。


「よぉ、ちゃんとやっているか?」

 二人とも沈黙したまま、目をあわせなかった。


「ん? あのちっこいほうのガキはどうしたんだ。逃げたのか?」

「に、逃げてなんかいませんっ! ちょっと今は別の場所で特訓しているだけッス!」

「そうか、じゃぁ俺が道で拾ったこれはゴミか?」

 ホセが指を鳴らすと、後ろに立つSPは担いでいた大きな麻袋を放り投げ、中から血まみれの龍次が転げ出てきた。


「あ……」

 修一から力ない声が漏れた。


「ちなみに俺がやったんじゃないぜ。このまま道端に落ちていたんだ。お前ら、ちゃんと管理しとけよ」

 そう言い残して、ホセはジルの練習を見に去っていった。ミゲルが近くにあった水道の水をかけると、呻きながら龍次は目を覚ました。


「龍次! 大丈夫かよっ!?」

「うう、ここは?」

 龍次はあたりを見渡して状況を把握すると、差し伸べられた修一の手を力なく振り払った。何とか自力で起き上がり、また出て行く様子を、二人はただ黙って見送った。


「おい、アイツの背中の筋肉を見てみろ。あれは一人で訓練して出来るモノではない。かなり荒い事をやっているのは間違いないが、科学的な裏付けのあるトレーニングをしているようだ。優秀なトレーナーがついているんだろう」

「えっ、まさか……」

「ジルに問いただしてもシラを切るだろうが、おそらく間違いない。ふん、アイツめ、全てにおいて俺に勝ちたいらしい」

「俺はどうすればいいんスか」

「やる事は変わらない。限界まで鍛えて、勝つ事だ」

「く、くそ! わかったス! やってやるッス!」

 それからしばらく二人は黙々とスパーリングを行った。


――「おいお前、なんでボスに見つかったんだ? ヘマしやがって」


 古びたレンガが所々欠けた壁が今にも崩れ落ちてきそうな地下室で、龍次はジルに踏みつけられ、下水の滴る床に顔をうずめていた。薄っすらとロウソクの火が灯される中で、苦痛にゆがんだ表情を浮かべながらも、龍次は抵抗せず、甘んじて受け入れていた。


「ク、すまねぇ」

「死にたいんなら勝手に死んだらいいけどよ、ボスの手を煩わすんじゃねえよ。お前は才能がないんだからよ、もうやめちまった方がいいんじゃないの?」

 龍次は何も言い返す事が出来なかった。


「あ、紹介するのを忘れていた。ここにいる連中は、スラム出身のヤツらだ。ほら、覚えているだろ? お前らと会った時、地面を這っていたヤツらだよ。こうやってちゃんと飯を食わせれば、結構いいガタイしているヤツもいるんだぜ。特にコイツらは地下レスリングでデビューする事を狙ってやがる。あそこに住む家族にも、たらふく飯を食わしてやりたいんだとさ。そこで、コイツらにはお前の首を俺んトコに持ってきたヤツを一人だけ、すぐデビューさせてやるって約束したのさ。そういうことだから、じゃ、頑張って。もし万が一お前が生き残ったら、ちゃんと鍛えてやるよ」


 ジルが口笛を吹きながら去った後、暗闇の中で先頭に立っていた男が話しかけてきた。年は40代半ばのようだが、無駄のない筋肉に覆われた体に、龍次は不覚にも見とれてしまった。


「おい、そこの東洋人。悪いが、俺たちは家族のためにどうしてもお前の首がいる。これだけの人数だ、お前に勝てる見込みは無い。ただお前には何の恨みもない。せめて痛みがないようにするから、俺に殺させてくれ」

「何を言ってやがる、それは俺だ」

「俺だ」

 他の連中も騒ぎ出し、異様な殺気に包まれる中、龍次の目が鋭くなった。


「俺にも事情があって、ハイそうですかってわけにもいかねえな。お前らが何人いるかは知らねえが、俺は諦めが悪いぜ。命が惜しいやつは邪魔するんじゃねえよ」

 

 翌日、ジルが様子を見に行くと、男たちは折り重なって倒れていた。


「チッ、臭せえな」

 ジルが鼻をつまみながら一人ずつ剥いでいくと、一番下に龍次がいた。顔を近づけてみるとヒュー、ヒューとかすかに呼吸をする音が聞こえた。


「お! 生きてやがる! しぶといな」

ジルは龍次の頭をわしづかみにして、口笛を吹きながら引きずっていった。


「勝ちてえ、勝ちてえ……」


 意識を失ったままうなされていた龍次の目には、涙が滲んでいた。

 

――「思った以上だな」

ミゲルは白目をむいて口から泡を吹き、意識を失っている修一を眺めていた。バケツの水を顔にかけると、修一は飛び上がって目を覚ました。


「はっ、ここは? 龍次!?」

 辺りを見渡した後、目の前のミゲルを見て、修一は我に帰った。


「……すみません、こんなんじゃミゲルさんのトレーニングにならないスね」

「いや、お前はある程度上達している。その証拠に、俺を相手に10分近く立っていられた」


 ミゲルがメキシコで活躍していた頃はほとんど瞬殺で、それがもっと美しいミゲルの技を見ていたい観客の、唯一の不満だった。


「ただ言っておく。アイツとの対戦では、容赦はするな。それがアイツのプライドをどれだけ傷つけるかはわかるはずだ」

「はい、でもあれからずいぶん経ったけど、一度も姿を見せないっスね。大丈夫でしょうか」

「さあな。死んでいたら、そこまでのヤツだという事だ。でも、もしジルの特訓を全てクリアしていたら、お前も危ないかもな。お前の弱点でもある精神面が、ヤツの良いところだからな」


 じーっとリングを見つめていた修一は上を向き、そのあとミゲルを見た。


「俺、負けないっス!」

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