賞金稼ぎと弐式核弾頭
パチリと目を覚ます。
白と青のコントラストに彩られた棲んだ空が広がっていた。
混沌の夢が覚醒した瞬間に洗い流されていく……そんな錯覚に襲われた脳が一定リズムで上下に揺らされ酔いを覚える。
瞼を開けた事で世界を映した眼球を動かし、喉の渇きを癒す様に情報を求めた。
首を動かし索敵範囲を広げると、かなり遠い位置に地面を発見する。
その地面はゆっくりと前へと流れていた。
「ここは……」
「ん? ああ、起きたんだね。おはよう、お寝坊さん」
声は真後ろから聞こえてきた。
近いようで遠くから聞こえてくる女性と思わしき流麗な音色。
その時ようやく、身体が何かに縛られて固定されている事に気が付く。
背中からは人肌の温もり。
下腹部からは突きあげるような衝撃の連続。
「あまり暴れないでね。こいつ、機嫌を損ねると全く動かなくなるんだ。そうなったら2、3日ここで野宿になる。次の町までもう目と鼻の先なのに、そんなの御免だからね」
女性のその言葉と現状を鑑みて、馬かロバの様な乗り物に乗っていると推測する。
背景が前方へと流れ行くのは馭者の女性と背中合わせのため。
「あんた、名前は? 私はレベッカ。旅から旅の賞金稼ぎさ」
「名前……」
「忘れたのかい? なら偽名でも良いさ。とりあえず呼べれば良いからね」
まだ頭がハッキリしなかった。
何か途轍も無く嫌な事があった様な気がしたが、早朝の川面が如く霞掛かり記憶が虫食い状態となっている。
覚醒した筈の意識が混乱の渦に沈み、慣れない上下運動に酔いが加速度的に悪化する。
「さい、さりす……」
脳裏に浮かんだ言葉――幼少時に組み立て、部屋にずっと飾っていた模型の名を口ずさむ。
ブロッサム、ゼフィランサス、ステイメン、ガーベラの名が続いて思い出されるが、偽りの花言葉を持つ鬼灯から名付けられたその型式を気が付けば選んでいた。
偽名としても使えそうだった為。
「サイ・サリスね。サイって呼べば良いかい?」
「……ああ、それで頼む」
本名を名乗る事は、脳内で謎の警笛が鳴っていた。
「俺は……レベッカに捕まっているのか?」
「あんたが賞金首ならそうなるね。賞金首かい?」
「この状況でその答えを選択する気は無いな。俺は賞金首では無い……筈だ」
確信が持てなかった。
「ま、どっちにしても身元が確認出来るまでは解放する訳にはいかないね。ギルドまで付きあってもらうよ」
「俺は……何者だ? 何故レベッカに捕まっている」
「何者かなんて私が聞きたいぐらいだ。私はあんたが落ちてたから拾っただけだよ。サイ、あんたは木の上に落ちてたんだ」
「? 言っている意味が分からない」
「高い木の上に引っかかってたんだよ」
「それを落ちていたと言うのか?」
「とりあえず石を投げて落とした。なのに目を覚まさない。勝手に起きて勝手にどっか行ってくれれば良かったんだけど、暫くして様子を見に戻ったらまだあんたは落ちたままだった。だから仕方なく拾った」
「……それを落ちていたと言って良いのか?」
高い木の上から落下したなら死んでいてもおかしくない。
むしろそのまま永眠だ。
「死んでなくて良かったよ。賞金が減るから」
レベッカが笑いながら言う。
「俺が賞金首で無くて残念だったな」
「賞金首は皆そう言う」
「信じてくれないのか?」
「あんた、ちょっと記憶が無いだろう」
「? 何故そう思う?」
少しドキッとする。
しまった、身体の震えが背中越しに伝わってしまった。
「頭から落ちたから」
「俺、良く生きていたな……」
「相棒が口で受け止めてくれなければ死んでいたよ。こう、あーんてね」
「しかも食われる所だった!?」
ちなみに現在の視界高度は4メートルぐらいあった。
レベッカに相棒と呼ばれた謎の乗り物は例に漏れず巨大で、まるで象の上に乗っている気分。
顔は見えないが、あーんすれば丸呑みされてもおかしくない巨体だった。
「もちろん吐き出させたけどね。ただ此奴の口の中に消えた時、少し悩んじゃったよ。これで今日の食事代が浮くかなって」
「一度食われてた! ……それと俺が裸なのは何か関係があるのか?」
非常に寒かった。
「あんたが上等な服を着ている事を思い出したからね。それがあんたを助けた理由」
「謝礼目当てか」
「いや、服目当て。いくらで売れるかな?」
「追い剥ぎかよ……」
「良かったね、餌にならなくて」
どこまで冗談なのだろうか。
「んで、サイ。記憶喪失なのは間違いないのかい?」
流れていく眼下の景色が徐々に舗装された道へと変わり始めた頃、背中の賞金稼ぎが問いかけてくる。
肩の上で羽根を休めていた鳥達が驚き、悲鳴を撒き散らしながら飛び立つ。
顔を嘴でツンツン刺して遊ぶのは禁止事項だと注意しようとした矢先の事だった。
「部分的にだけだな。昔の事は覚えている」
その影響か、若干精神年齢が若返っていた。
社会の荒波に揉まれ嫌な大人になるよりも前、思春期真っ盛りで馬鹿ばかりしていた暗黒時代の初め頃。
15歳ぐらいか。
精神は肉体年齢に引き摺られるという話を聞いた事があるが、部分的な記憶喪失と混ざって酷く落ち着かない。
社会人としての記憶が残っているため口調も混乱気味だった。
「例えば?」
「……漆黒を呼ぶ炎髪の使徒、常套無形のカオス弐式核弾頭サイサリスとは俺の事だぁ! ……という恥知らずな名乗りを昔は連発していた」
気が付けば口が動いていた。
精神が若返った為だろう、ほぼ抵抗無く出てきてしまった。
黒歴史である。
髪は赤歴史で、紙も真っ赤な時代だったが。
「よし、賞金首ゲット」
「まだ疑っていたのか」
むしろ確信されてしまった。
例が悪すぎたか。
笑いを取るつもりで言ったのだが。
「信仰神は覚えてるかい?」
「特定の神を信仰している気はない」
好きな神はいる。
猫の神バステト、愛と美と性を司る戦女神アフロディーテ、炎と鍛冶の神ヘパイストス、終わらせる者ロキ、十二天将。
順に、猫好き、持て余す性欲、炎髪の由来、箔付け、四神/五行/干支とか繋がってて気に入った、そんな感じか。
古今東西入り乱れているのは特定の宗教に染まっていない自由型の日本人ならではか。
「珍しいね。魔法嫌いかい」
「いや? 魔法は使えるが?」
以前、何処かの村で拘束された際にロープを切るため【火】属性魔法を使った記憶があった。
同じ魔法を今使う事は出来ないが、才能:魔法と魔力はある為、頑張れば何かしら使える確信はある。
「おいおい、こんな基本中の基本を忘れてるのかい。信仰神がいなければ魔法は使えないよ」
「そうなのか? 初耳だな。良ければ教えてくれ。信仰神と魔法の関係を。もしかしたら何か思い出すかもしれない」
知識欲に惹かれ脳が加速する。
地平線の彼方を眺めて酔いを覚ましていた双眸の焦点を絞り現実を観る。
「いいかい、魔法は信仰した神より授かる力なんだ。空の神セイティを信仰すれば風魔法を、月の亜神ムーラを信仰すれば光魔法が使えるようになる。これぐらい、赤ん坊でも知ってる事だよ」
「ほぉ、そうなのか。それはつまり、より多くの神を信仰すれば多くの魔法を使えるという事か?」
「ああ……そんな事も忘れてしまったのかい。信仰出来る神は一つまでだよ。つまり、1人1系統まで。例外はあるけどね」
「……なるほど。ちなみにレベッカの信仰神は何だ?」
「言える訳が無いだろう。敵に手の内を見せてどうするんだい」
何故か警戒されていた。
まだ俺が賞金首だと疑っているのか。
「ならば先程、俺に聞いてきたのは?」
「そりゃポロッと零れ落ちてくれば戦闘を有利に運べるからだろうに」
「俺にレベッカと戦う意思は無い」
「この御時世、それを信じてる馬鹿は死ぬだけだよ」
裸に引ん剥かれて拘束されている為、随分と説得力がある。
「ま、私が美人でサイが男って理由だけで十分だね」
レベッカの方が獣に見えた。
よく見ると謎の乗り物の両サイドには大剣が2本ぶら下がっていた。
それ以外にも首を巡らせば僅かに見えるレベッカの細い腰には剣が見える。
懐には短剣ぐらい忍ばせていても不思議では無いし、靴も頑丈そうで男の大事な部分を蹴られれば一発でアウトだろう。
美人かどうかは不明。
声から判断すると、しゃぶり付きたくなる野獣の美貌の持ち主。
筋肉が引き締まっていて美味しそうだった。
「ちなみに、サイは町に着いたらまず何をしたい?」
「そうだな……肉を食いたい」
「キロスは奴隷の宝庫だからね。まったく男って奴は……」
何故か勘違いされた。
肉を食う、が、雌奴隷の身体を貪るという言葉に脳内変換されている。
そういう御時世なのか、もしくは俗語の一種だったか。
だが嬉しい情報をゲット出来た。
女性の奴隷を買うのは、この異世界では一般的だという事。
三十路を過ぎて心身共に衰えていた時にはあまり触手は動かなかったが、全盛期の精神状態まで退化?した今、女性と背中合わせの状況というだけで身体は熱く火照る。
なるほど、確かに男は獣だな。
久しく忘れていた事実を実感する。
その喜びを思い出し、身体が打ち震えていた。
「んで、信仰神は思い出したかい?」
「思い出しても言う気は無いぞ」
そもそもこの世界の神の名を知らないため思い出す以前の話。
しかし視界外に見える各種情報には、何故か信仰している神の名が表示されていた。
信仰心の名は、歪の神アズリ。
記憶の中には無かった表示。
元々、才能:空間操作を持っていた所に、極最近になって新規入手したらしき才能:魔法と魔力により勝手に信仰対象とされたのか。
となると、使用出来る魔法は当初想定していた空間系と見て間違いないだろう。
さしずめ【時空】属性魔法と言った所か。
空間魔法と呼ぶより格好良い。
これからは『漆黒を呼ぶ炎髪の使徒、常套無形の時使い、カオス弐式核弾頭サイサリス』に名乗りを変えよう。
いや、使う予定などこれっぽっちも無いが。
ちなみに、この名乗りは2番目に使用していたもので、他の名乗りも存在する。
真っ黒な墨の如き黒歴史だった。
「んじゃ、何の才能を持ってるか教えておくれよ」
「拒否する。俺が所持している才能を教えたら、もしレベッカと戦闘となった場合に不利になるからな」
「学習力はあるみたいだね。無知な貴族の凡々という線は無しか。なら、あんたが着ていた服、いったい何処で手に入れたんだい? ありゃ上等すぎるよ。金貨5枚ぐらいの価値はある」
金貨1枚が日本円で約30万円だとすると……札束超えた!?
「……自作だ」
「おっと、裁縫職人さんだったか。なるほど、そういう線は考えてなかった。名うての大商人か盗賊山賊の類かと思ってたんだけど、人は見た目によらないねぇ。でもネコババは良くないよ。ああ、なるほど。それが賞金首になった理由かい」
まだ拘るか。
「材料の用意から仕上げまで全部俺の手によるものだ」
「馬鹿言っちゃいけないよ。あの上等な生地を買うだけでどれだけのお金が掛かると思ってるんだい」
「布はおろか、糸の生成まで自前だ。糸の素となる蚕を買った時にしかお金は使ってない」
「は? 糸からだって? いや、それなら確かに……いやいや、やっぱり信じられないね。あれだけの服が仕立てられるのに、その糸や布を作る才能まで持ち合わせて、しかも膨大な経験まで積んでるって……。どれか一つならまだ分かるけど、その若さでそれは無い無い。永遠の命……いや、永遠の若さでも持ち合わせてないと無理な芸当だよ。あんた、いったい何歳だい?」
核心を付く言葉が出てきてヒヤッとしたが、今度は旨く平静を保てた。
「15歳だ」
暗黒時代の年齢を告げると納得された。
やはり22歳の容姿には見えないのか。
背広を着れば一目瞭然なんだがな。
「サイ、あんたは嘘吐きだね。やっぱり絶対にギルドに連れていく」
年齢は納得しても、代わりに服制作の疑念は深まっていた。
「俺は生きたくないな」
理由は分からないが、心の底からそう思った。
失った記憶と何か関係があるのだろうか。




