絶望のプレリュード
本話には、一部残酷な表現が含まれています。御注意下さい。
俺はその日に起きた出来事を、一生忘れない。
例え永遠に生き続ける事になったとしても、俺は絶対に忘れない。
運命を……呪う。
己の無力を嘆くつもりはない。
だが、後悔はしている。
あの日……俺がその答えを選択してしまった事に。
「うーん、今日も良い天気だな。絶好の洗濯日和だ」
「にぃに、おはよー。きょうは、おせんたく?」
「うむ。こんな快晴の空の下で干す洗濯物は、さぞ清々しい光景だろうな」
昨日出現したクエストを、俺はどちらも選ばなかった。
一方は無茶も良い所、もう一方はあまりにも悪い予感がしたために。
前者の「壁作り」「落とし穴掘り」は、長期的に考えれば悪い選択肢ではない。
この世界には、あの巨大ウリ坊のようなビッグなモンスターがたくさんいる。
そのモンスターの大群がやってきた時用に、壁と落とし穴を作っておく事は決して悪くない。
ただ、景観が非常に悪くなるし、落とし穴に子供達が誤って落ちてしまう危険性がある。
だから、突貫工事では作りたくなかった。
後者の「素材を荷車に乗せる」「睡眠薬を作り、みんなに飲ませる」は意味不明。
今日はみんなで昼寝しろという事だろうか。
だが、素材を荷車に乗せる理由が分からない。
夜逃げの準備だろうか?
昼間に寝て夜に備えると考えれば繋がらない事もない。
となると、トラブルは今夜起こるという事になる。
しかしそれなら、前者の「壁作り」「落とし穴掘り」を昼までに終わらす理由が説明つかなくなる。
もし今夜に大掛かりなモンスターの襲撃があるならば、前者の選択肢は夕方まででも良い筈だ。
条件をイーブンにするために、どっちも昼までという事にしたのだろうか?
それ以前に、前々回に発生したクエスト――4メートル級の熊を一撃で倒すとか、あまりにもクエストの難易度が高すぎる。
前回発生したクエスト――空間魔法を覚えようとも頑張ってみたが、まるで切っ掛けすら掴めない始末。
夢オチ事件で一度火の魔法を使った事があるため簡単だと思っていたのに、結局その魔法すら未だに使えていない。
子供達に発生しているクエストの難易度はやたらと楽なのに、何故に俺だけが。
やはり《徳》が少ない事が起因しているのか。
だとしたら、どこかで無理をしてでも達成していかないといけないな。
「にぃに、そっちおねがい」
「了解……って、こっちのカゴに入ってるのは下着ばかりじゃないか」
「においがきついから、そっちおねがい」
「別に良いが……」
自分で作った物とはいえ、流石に目のやり場に困る。
子供達の裸は見慣れていても、汚れ物が単体であるとどうしても別の妄想と結びついてしまうからだ。
お父さんモードになっても、こればかりは解決出来なかった。
別に変態の気はないが、一男性として女性物の使用済下着は基本タブーである。
自分の下着を上に置いてカモフラージュした。
純白のシルクを、俺専用の黒トランクスが覆い隠した。
「あ、これもお願いします~」
しかしユキさんが現れ、追加の下着を置いてしまう。
サイズ的に本人の物だというのは間違いない。
非常に危険だ。
「というか、朝から俺は何を考えているんだ。賢者モードになれ」
「?」
横でカリーちゃんが不思議そうに見ていたが、賢者の顔を貫いた。
「じゃぶじゃぶ~」
「カリーちゃん、洗うなら俺より川上で」
「はーい。あ、にぃに。おさかなさんいる。すごいね、このかわ」
「わざわざ片道20分も歩くのは面倒だからな。物作りするにも水は必須だから、力を持て余していたビックス達に頼んでコツコツこの水路を作ってもらったんだ」
「みずくみ、すごくらくになった」
「ただ、絶対に教会より川下では水を汲まないように。排水を流されている時もあるから」
「はーい」
教会周囲の調査をした際に、元々用水路を造る計画があったのか溝らしき跡があった。
魔族領との境である崖から伸びたその用水路は長い年月で亀裂が入り、ぱっと見にはただの亀裂にしか見えなかったが、亀裂の入り方が明らかに不自然だった。
直線ではなく、緩いカーブを描きながら教会の方へと向かっていたのだ。
これは変だと思いもう少し詳しく調査してみると、亀裂の延長線上に周囲の地面と堅さも色も異なる場所が見つかり、それが教会の横を掠めて東の川へと向かっている事を発見する。
一度造られた溝は、川の水が流れ込む前に何らかの理由で中断され、自然と周囲の土が入り埋まってしまったのだと俺は推測した。
ともあれ、以前から川の水を教会まで引きたいと考えていたので、これ幸いとその用水路作成跡を利用し、この前ようやく完成に至る。
ちなみに、川の水が教会に流れてくるようになったその日は、ビックスが突然にモンスター狩りを提案してきたその前日だった。
つまり、持て余している力の発散先がなくなった事に起因していたりする。
「にーちゃん、おはよー。今日こそ一緒に狩りに行こうぜ」
「残念だったな、ビックス。今日はマリンちゃんとカリーちゃんにプリンの作り方を教える予定なんだ。あと、服の作成にもチャレンジしてもらう予定だ」
「プリン! あのプルプルしたうんめーオヤツか! にーちゃん、おれ、味見役になる!」
ビックスがそんな事を大声で叫んでしまったので、味見役の立候補者が殺到した。
プリンの制作は昼御飯を食べた後を予定していたのに、期待の眼差しがあまりにも多すぎて、そのまま朝からプリン作りに勤しむ事になる。
ただ折角なので、女の子達全員に調理実習させてみる事にした。
「まじぇまじぇ~」
「混ぜる時はゆっくりな。泡立てないように、よく混ぜ混ぜしてくれ」
火を使う作業は年長者のみに限定し、その他の作業はみんなで順番に行っていく。
使用する卵は、当然ポッポが産んだ卵。
牛乳はまだないので、代わりに緑アルカの豆を水に浸してすり潰し、それを煮詰めた汁を漉して出来た豆乳を使用する。
「にーちゃん、おかわり!」
「もっとゆっくり味わって食べろよ……」
ほとんど同じ材料を使っているのに作る子によって味が変わるので、隣の部屋で開かれているプリンパーティーは大盛り上がりだった。
いくらなんでも同じプリンばかり食べさせるのは作る方も食べる方も詰まらないので、隠し味として少しだけ好きにアレンジを加えさせていた。
3人の女の子が作ったプリンを食べてもらい、誰がどのプリンを作ったか、隠し味として何を入れたのかをクイズ形式にして当ててもらったりもした。
全部正解したら、俺特性のプリンを贈呈。
全部外したら、ユキさん特性の焼きプリンを贈呈。
途中、出来上がったプリンを運んでいた子が転んでしまい、空を飛んだプリンをビックスが間一髪で滑り込んで口に入れたというハプニングもあった。
その時、ビックス以外にも即座に反応していた子が数人いた事で、俺はプリンの食事効果を察する。
反応を見せた子は、皆クイズに正解して俺特性のプリンを食べた子だけ。
どうやら、俺の作ったプリンを食べると反応速度が早くなるようだ。
「にーちゃん。おれ、もう死んでも良い。こんなにうんめープリンをたくさん食べれて凄く満足だ。おれ、今まで生きてて本当に良かった。にーちゃん、ありがとう!」
最後の締めとして出した渾身のバケツプリンを全力で平らげたビックスが、まるで天にも昇るような幸せな顔をしてそんな事を言ってくる。
「ここで死んだらもうプリンは食えなくなるぞ?」
「やっぱ死にたくねぇ!」
全員が笑い、プリンパーティーは幕を下ろした。
朝食はおろか昼食までプリン一色に染まってしまった後、子供達のほとんどはお昼寝タイムに入った。
今日はもう完全に休日モード。
モンスター狩りもしない、川魚取りもしない、伯爵イモや食べられる草花の採集もしない。
予定していたマリンちゃんとカリーちゃんの服作り実習もしない、俺も何も作らない。
炊事洗濯はもちろん別。
キッチンで一人、プリン作りの後片付けをしながらのんびりとした午後を過ごす。
「ふわぁ……俺も眠くなってきたな。一緒に昼寝をするか」
昼寝をした後は、日の光をたっぷりと浴びた洗濯物を取り込んで、みんなで一緒にたたもう。
洗濯物をたたむのはクリスが上手なんだよな。
まだ5歳なのに、クリスは良く働いてくれる。
もしかしたら一番の頑張り屋さんかもしれない。
さっきも、眠たそうにしながらも最後まで片付けのお手伝いをしてくれていた。
それでも最後には眠気に負けて、ユキさんに抱き抱えられてみんなが眠っている部屋へと連れて行かれた。
ユキさんもきっとそのまま一緒に眠ったのだろう。
大量の皿洗いも終わり、後は自然乾燥に任せるだけとなった頃。
「……ん? なんか焦げ臭いな。もしかして火の不始末があったか」
しかし火焰石を見ても火はついていなかった。
数もしっかり揃っている。
「いったい何処から……ポッポ!?」
不審に思い香りの元を探しに向かおうとすると、ポッポがけたたましく鳴きながらキッチンに入ってきた。
「もしかして、卵が孵ったのか? いや、でもこの臭いは……わっ」
羽根を周囲に撒き散らしながら顔に飛び込んできたポッポを間一髪で抱き留める。
しかしその後もポッポは腕の中で暴れ続けた。
まるで何かを俺に伝え様としているかのように。
胸騒ぎがした。
何かとてつもなく良くない事が起こっている事が、ポッポの慌てようからすぐに分かった。
ポッポに急かされるように、急ぎポッポ専用の卵部屋へと向かう。
「なっ……!?」
だがその足は、廊下に出た瞬間にピタリと止まる。
廊下の先が、火に包まれていた。
一瞬にして全身に凄まじい鳥肌が立つ。
足の爪先から頭のてっぺんまで、ぞわぞわっという激しい悪寒が走った。
「お……きろ……」
肺の中の空気が足りず、大きく息を吸う。
「みんな起きろーーーーーーっ!!」
全力で叫んだ。
叫んだ後、すぐに子供達が眠る部屋へと駆け込む。
「起きろ! 目を覚ませ! 火事だっ!」
「んん……おにーちゃん、なに……?」
「クリス! みんなを叩き起こせ! 火事だ!」
「……?」
一度夢の中に落ちた子供達は、ちょっとやそっとでは目が覚めない。
目を覚ましても暫くは寝惚けたままで、脳の働きは著しく落ちたまま。
子供達の何人かは目覚めたが意識が完全に覚醒した訳ではなく、目を擦ったり頭を左右に揺らしたりしながらまだぼーっとしている状態だった。
「目を覚ませ、クリス!」
俺は心を鬼にして、一番近くにいたクリスの頬を両側から軽くパンと叩く。
普通ならこれで目が覚める。
だが、クリスの瞼はとろんとしたままで、ほとんど効果が無かった。
「なっ……」
クリスをこの場で完全覚醒させる事は放棄し、抱え上げて他の子に取りかかる。
一番の年長者であるユキさんの腕を強引に引いて乱暴に上半身を起こす。
幸せそうな顔で寝ていたビックスの額に強烈なデコピンをお見舞いし、そのお腹の上で寝ていた子猫姿のミントちゃんを俺の頭の上に。
マリンちゃんの眠りは浅かったのか、すぐに俺が焦っている事に気が付いて他の子供達を起こすのを手伝い始めた。
だが妙に動きがぎこちなく、まるで眠気が身体の芯まで残っているようだった。
「外に出ろ! 落ち着いてゆっくりと進め! 右だ!」
左の先には火が舞っていた。
だから右に行けと指示する。
左に進むな、とは言わない。
左という言葉は絶対に使わない。
頭の回転が落ちている所に誤解を招くような言葉は危険だからだ。
だが、事態は俺が考えていたよりももっと深刻だった。
「にぃに、火が!」
年少の子供達の手を引きながら先行したカリーちゃんが、血相を変えて部屋に帰ってきた。
子供達によって埋め尽くされた部屋の入口をやや強引にかき分けて廊下に出る。
右側の通路の先にも火の海が出来ていた。
「くそっ! どういうことだ!」
「げほっ、げほっ……おにー、ちゃん……」
「煙! くっ、頭を低くして口に何か布を当てろ!」
抱き上げていたクリスと頭の上のミントちゃんを下に降ろす。
僅か数十秒で火は勢いを強め、教会の天井を黒煙で埋め尽くし始めていた。
子供達の何人かが未知の光景に恐怖し泣き始める。
煙を吸ってしまい激しく咳をする。
「にーちゃん、こっち! こっちは火が無い!」
出口を見つけたビックスが叫ぶが、恐怖し混乱し咳き込んだ子供達の足はほとんど止まったままだった。
後ろにいる子が立ち止まった前の子の背中を強引に押して逃げようとする。
廊下に密集して並んでいるので、将棋倒しのように崩れた。
先頭で子供達を誘導する俺やビックスが転んだ子供達を立たせるが、泣いたり咳き込んだりでなかなか立ち上がってくれない。
その間にも火は勢いよく燃え、天井に立ちこめる黒い煙をどんどんと下げてくる。
この教会の天井が無駄に高かった事が幸いし、まだ子供達が煙に包まれる所までは降りてきていないが、それも時間の問題だった。
背が一番高い俺はもう普通には立っていられなかった。
「ビックス、そいつを連れて先に行け! 兎に角、一人ずつ確実に外に出していく!」
「ヒット&アウェイ作戦か! 分かった、にーちゃん!」
意味は違うが、俺が言いたい事を理解したビックスが一番前にいた子を抱いて出口へと向けて走る。
その後ろを、二人の子供を抱えた俺が全力で走る。
火のない出口はすぐそこにあった。
だが倒れた子供達の壁が出来てしまい、このままでは後ろの方にいる者達が逃げ遅れてしまう可能性が非常に高い。
泣く者、咳き込む者、放心する者、恐怖して立ちすくむ者、混乱して進む方向を間違える者。
この状況下では、もはや彼等が自力で脱出する事は望めそうになかった。
短い距離を疾走する。
すぐそこにある、日の差した出口へと向かう。
その光ある場所に、両脇に抱き抱えた子供達を乱暴ではあるが投げ込むつもりで走る。
本当に投げ込んだ。
「次!」
瞬時に踵を返した俺の横を、速度で勝るビックスが追い抜いていく。
俺達のしようとしている事を理解したミントちゃんが、子猫姿のバージョン1から半獣半人姿のバージョン2に変身し合流。
そのまま3人で何度も短い距離を往復する。
出口へと投げ込んだ子供達が外でどうなっているかなど考えず、ただひたすらに動けない子供達を運ぶ。
3往復もすると煙が充満し、子供達は座る事すらも出来なくなっていた。
出口付近に来た瞬間に呼吸し、煙の中を走っている間は息を止め続ける。
煙に晒された目が痛みを訴えてきたが、我慢して耐えた。
「ケントさん! クリスちゃんがポッポさんを探しに奥に!」
ようやく殿にいたユキさんの所まで辿り着き、床に倒れていた彼女を抱き上げると、そんな絶望的な言葉が伝えられた。
「ビックス! ミントちゃん! ユキさんを頼む! 俺はクリスを探しに行く!」
悲鳴と制止の叫びが返ってきたが無視した。
「クリス! クリス、どこだ!」
ポッポを探しに行ったという事は、間違いなくクリスはポッポ専用の卵部屋に向かった。
しかし辺り一面は煙に満ちていて、その先は赤く燃える火の世界。
火は既に卵部屋の入口をのみこんでいた。
故に、クリスが真っ直ぐ目的地へと向かう事が出来たとは到底思えなかった。
だが、俺の問いかけに返ってきた鳴き声は、その目的地である卵部屋から聞こえてきた。
「くそっ! 心頭を滅却すれば火もまた涼し。心を無にせよ、南無!」
上着を脱ぎ、それを盾代わりにして卵部屋に突撃した。
不屈の意志で強行する。
戦技〈シールドタックル〉とはいかなかったが、ウリ坊の皮を使った上着はよく火を防ぎ、転がり込むように卵部屋の奥へと辿り着いた後も火は燃え移っていなかった。
「クリス! 無事だったか!」
クリスは胸にポッポの卵を抱いたまま、ポッポと共に部屋の隅で蹲っていた。
「うぅ……たま、ご……」
だが意識はほとんど無く、肌に酷い火傷を負っている。
俺のように無茶をしたのだというのがハッキリ見て分かった。
すぐにクリスとポッポを俺の上着で包み、抱き上げる。
今度は生身で火の海を越えなければならなかった。
部屋にある窓はかなり高い位置にある。
煙は窓から外に出ていくので部屋に充満する事はなかったが、その分今度はメラメラと燃えさかる炎の姿が良く見えた。
「あれを越えてきたのか……」
そして、これからまた越えなければならない。
この教会の壁は無駄に頑強に作られているので、ぶち壊して外に出るという選択肢は無かった。
そんな選択肢があれば、最初から子供達を叩き起こした時に部屋の壁をぶち抜いている。
「迷うな。その迷いは3つの命を死に至らしめる」
クリスが守ろうとした卵に息づく新しき命も含めて3つ。
ゆで卵になっていない事を祈りつつ、決死の覚悟で炎の海に突撃する。
その一瞬後、背後で天井が崩れる音がした。
間一髪助かったという事実を喜ぶ余裕などなかった。
何も着ていない上半身を火炙りにされるという冗談じゃない体験の次は、天井の崩落で空気の流れが急に変わった事で、黒煙に包まれた向かい風がこの身に襲い掛かる。
目を開けている事など出来ないので、目を瞑ったまま勘を頼りに進まざるをえなかった。
それでもどうにか出口へと辿り着く。
目はまだ開く事は出来なかったが、肌が日の光を浴びた事に気が付く。
瞼の向こう側も明るくなったので間違いないだろう。
「助かった……」
そのま十歩ぐらい歩くと、自然と膝が崩れ落ちた。
上着で包んで抱き抱えていたクリス達を押し潰さないよう、横向きに倒れる。
それからゆっくりと息を吸う。
命がまだある事を感謝した。
そして瞳を開くと……。
「まだ生き残りがいたか。その体躯、その容姿……貴様がケントだな。やはりここにいたか」
そこには――血に濡れた剣と、血塗れになったビックスの髪を掴んだ男が立っていた。




