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 そうして件の神社の前に立つ。

 短めの階段を上り赤い鳥居を潜る。――思った通り。連中はそこにいた。

 脚に竹刀を喰らった連中も、あの装飾男子も確認できる。相手に間違いはない。突然の来訪者である俺に大半の者は怪訝な顔をした。だが直ぐにさっきの数人が俺の情報をリンクする。視線は好奇から威嚇へ変わり、中には臨戦態勢に入る者もいた。

 走ってきた疲労が階段を上る途中でどっと押し寄せてきたが、どうにか息だけは整えた。出来るだけ尊大に聞こえるよう、堂々として胸を張り、声を張り上げる。張り上げる、つもりだったが、俺の声は自分の喉から出たことを疑うほど低い。言葉が気持ちを抑えているみたいだった。

「――生徒会執行部として、おまえらを解散させる。異論はないな?」

 しぃん、という音が聞こえた気がする。

 中にはうちの生徒でない者も何人か見られる。言っている意味が解らない。こいつはアホなのか? と誰もが思っているはずだ。俺でさえ自分の台詞の馬鹿らしさに呆れた。もっとましないいようがあっただろう。これでは生徒会が正義の味方を代行する学園漫画だ。

 数分を待たずに嘲笑が沸く。

 笑い声は一瞬で感染した。これまでの静寂が嘘のように夜空に嘲笑う声が満ちる。

 心底可笑しい。馬鹿を見る目を皆が俺に向けている。自分は今どんな顔をしているだろう。こんな風に笑われて、情けない気もするが、それどころではない。今は黙って嘲笑の雨を受け止めた。

 一人が笑いながら近づいて来る。げらげらと下品に笑いながら、不良同士ががんをつけ合うような距離で睨んでくる。何事かを言っているが耳を貸す気になれない。男の手が頬に触れる。それを合図にして、俺の中で何かが落ちた。

「――ッ!?」

 拳に固い感触。頬骨はさすがに折れていないだろう。

 突然の衝撃があまりに予想外だったのか、痛みに伏した男はのた打ち回る。そして仲間が熨されたのを信じられないという目で全員が凝視している。既に嘲笑は止んでまた場に静寂が満ちた。いや、これは静寂ではなく沈黙だ。部類として、嵐の前の静けさ。

 誰かが叫んだ。

 今度は怒りが伝染する。

 先導を切って走り出した一人に続いて次々に飛び出す。

 暴言と暴力を携えて、連中の勢いが爆発する。

 小細工も連携も必要ない。数にして十数人と一人だ。囲んで全方位から殴る蹴るをしていれば決着はつく。ここまで冷静に考えられている自分が怖い。頭は冴えているのに無策だ。だがいい。この際痛みは戒めと思えばいい。後は捌け口のない気持ちを発散するだけ。

 こんなのはただの八つ当たりだ。何の解決にもならないし自己満足にもならない。ただ自分が許せないから、口実を得て暴れているだけ。

「チッ」

 舌を打った。相変わらずの偽善者ぶりだ。名目は遊季の安穏の為、口実は蒼の復讐。けれど実態は何もできない自分を慰めるだけの自傷行為と暴力。かつて俺が憧れた、本当の正義には程遠い。

 なあ、紗季。

 おまえなら、こういうときどうしたっけ――? 

 誰かの膝が腹に食い込む。両手は別の方から来る拳を捌くのにどういんしている。後頭部に衝撃。何をされたのかさえ理解が追いつかない。視点がやたらと低い。賽銭箱が目の位置より上にあるのはどういったことだ。砂埃が舞い上がって目に入る。どうやら囲まれた上、しゃがんでしまったらしい。三百六十度全てから蹴りが降る。痛みさえもう遠い。

「がっ……はぁ……」

 遊季と食べたお好み焼きを全部吐き出しそうだ。いや、たくさん走ったし、もう消化しているか? 

 どうでもいいことしか頭に浮かんでこない。走馬灯みたいだ。子供の頃の蒼は、毎日こんな思いをしていたのか。今になってまたあの頃がいたたまれない。何もできなかった自分。今も無力な自分。何も、変わっていない。

「律――!」

 声。

 この場に似つかわしくない。この場にあってはならない声。

 暴力が止まる。痛む瞼を開けて見る。囲われた脚の隙間から鳥居の下に、夕凪友の姿を見つけた。その傍らに蒼と遊季を引き連れて。

「な、にを……してんだよ」

 たぶんそれは声になっていない。掠れて誰にも聞こえていなかっただろう。

 蒼の登場で辺りがざわめいた。何も知らない連中にしてみれば全国大会出場の剣道部員が竹刀を持って現れたのだから、当然の反応だ。――しかし、連中の中には蒼の現状を知る者もいる。あのピアスもその一人だった。

「なに、あんた、放しなさいよ!」

 金色のピアスが薄汚く笑って、蒼の手首を掴んでいる。友がそれを必死に振り払おうとするが、簡単に跳ね除けられる。

「友!」

 蒼の声。弱弱しくも友を心配する悲痛な叫びが転がる。

「うるせえよ、おまえ」

 ピアスが蒼に平手打ちを見舞う。抵抗はない。蒼の全身ががたがたと震えている。遊季が必死に止めようとするが叶わない。引き摺られるように蒼が輪の中に連れてこられた。

「律……ごめん。ごめんなさい……私のせいで」

 泣き声の蒼。

 それは、子供の頃の彼女の声によく似ていた。

「私……また、誰も守れなかった。私のせいで、律も遊季も、友も――」

「蒼……おまえ」

 ぼろぼろと流す涙はいつも他人のためだ。自分の無力を嘆く、そんな涙を蒼は流す。

「終わったか?」

 冷徹な声が言って、蒼の抱く竹刀を取り上げる。切っ先が夜空を向くのを見て、後は反射で体が動いた。とうに限界なんて超えていただろう。庇うというよりただ不細工に飛び出しただけだ。それでも蒼の盾ぐらいにはなれる。

 背中に落とされる竹刀。痛みが脊椎に直接走り抜ける。その一撃で足腰が体を支えられなくなった。膝を折って倒れ込み、しかし続く攻撃から守れるように蒼の体に覆い被さる。

「律! 律……! もういいよ律! 止めて、止めてってばぁ……!」

 泣きながら懇願してくる声が、今までにないくらいに震えている。これだけ密着しているのだから無理もない。現状で最も蒼を苦しめているのは俺かもしない。横から蹴り飛ばされる。それで、あっさりと蒼から引き剥がされた。

 転がりながら視点を戻す。蒼は、意外なことに直ぐ体を持ち上げた。膝立ちになって、こちらを眺めている。俺はここにきてようやくまともに蒼の表情を見た。ずいぶんと酷い顔をしている。いつもの凛々しさは微塵もない。らしくないぞ。

「この……いい加減にしなさいよ!」

 友が怒声を上げて殴りかかる。だが男の腕で拘束されてしまっては動けない。それも二人係りでだ。

「ちょ、放してよ! 律ぅ!」

 首を振れば、遊季も同じ状況だった。全員がもう抵抗する術を奪われて蹂躙されるだけ。

 そして俺自身も地に伏していることを許されず、さっき腹に蹴りを入れたピアスに襟元を掴み上げられる。逆手には蒼の竹刀。肘を引いて、奴はそれを突き出そうとしていた。

 その中で、

「止めろ……」

 低く、唸るような声が、聞こえた気がした。

 騒がしかった境内が静まる。一瞬俺は、それが誰の声だったか解らなかった。

 おそらくこの場の全員が一か所に視線を集めていた。震える膝に手を置いて、やはりその手も震わせていながらも懸命に立ち上がろうとする蒼の姿。その目は、怯えながらも真っ直ぐに何かを見据えている。目が合ったということは、その何かは俺なのだろう。

「……あぁ?」

 竹刀を突き立てようとしていたピアスの動きが止まる。どさり、と衝撃に見舞われる。乱雑に体を投げ出され、僅かに視界がぶれた。それをどうにかまた蒼へ向け直す。じゃりじゃりという足音とネックレスがじゃらじゃらと擦れる音が蒼に近づく。

「なんだよ、おまえ」

 直ぐに蒼の前に立ったピアスが憤った声で問う。

 蒼は、震えながら――肩をわなわなと震わせながら覇気の籠った声で言った。

「止めろ……と言ったんだ」

「なんだと?」

「私の、私の友達に――」

「ッち――黙れ、このアマ――――!」

 蒼の言葉を遮ったのはきっと、奴にも解ったからだ。蒼の声に確かな覇気が戻っていたこと。そしてそれが敵意と憎悪に溢れていたことも。俺でさえその声に恐怖した。目の前で直接その殺気をぶつけられた奴にしてみれば、手に持った武器を振り上げるしかなかっただろう。

 だが、そんなことになど既に意味はない。

 蒼の震えは全身から肩だけに変わっていた。それは恐怖からの震えではなく、たぶん怒りからのものだと、朦朧とした頭で思う。散々殴られ、蹴られたダメージもあったからか、奴が竹刀を振った瞬間に友や遊季が叫ぶのに声を重ねられない。

 あるいはそのことに意味を感じなかったから。

 かくして。

 落とされた竹刀は空を切り、切っ先を地面に突き立てた刀身は少女の手に握られていた。

「な……てめ……ッ!」

 ぐるり。

 形勢が瞬きの内に逆転する。蒼がしたのは竹刀を引いただけだ。それだけで刀は持ち主の元へ帰るようにあっさりと敵の拳を抜けた。蒼の体から震えが消えている。ゆらりと立つ姿は圧倒的な威圧感を放つ。脱力した剣の構えは下段――というよりもただ、刀の柄を握っただけと言った方が正しい。

「もう一度言うぞ」

「ひっ」

 蒼の叫びが夜空を割る。


「私の友達に手を出すなあ――――――ッ!」


 空間が震撼した。声だけで逃げ出す者もいた。蒼は片目から涙を一筋流しながら剣を構える。

 肌を焼くような凄まじい殺気が冷えた空気を焦がす。じりじりと間合いを詰められて、後退し続けたピアスが遂に尻餅をつく。その直ぐ後ろで俺は、ようやく体を起こすことが出来た。蒼と目が合う。いつもと同じ凛とした姿と相貌。トラウマは、今度こそ克服できたらしい。

 ゆっくりと両手で握った竹刀を振り被る。上段から次に繰り出されるのは頭蓋を砕く面の一撃。

 腰が抜けて立ち上がれないのか、黒髪にピアスの男は裏返った声で命乞いする。

「お、おまえ……剣道部だろ? そんなことすれば、部活も活動停止に……」

「構わん」

「な……」

「そもそも大事なものを守れない力に何の意味がある――覚悟しろ、外道」

 落雷に似た一撃だった。

 振り落とされた切っ先は轟音と共に地に刺さり、深々と溝を生み出す。切っ先が鼻の頭をすれすれで通る恐怖に常人ならば耐えられるはずがない。ばたり、と金色のピアスを着けたその男子生徒は仰向けで倒れた。当然蒼の言葉ははったりだ。直撃させれば軽い怪我では済まない。

 泡を吹いて昏倒する仲間の姿に他の連中は言葉を失った。が、直ぐに蒼の睨みを受けて悲鳴を上げる。通り魔にでもばったり出遭ってしまったように誰もが一目散に逃げ出した。境内に最後の喧騒が巻き起こる。それが止むのには数分も掛からない。やがて残ったのは俺たちだけになった。

 かたん、と竹刀が落ちる。

 俺はどうにか立ち上がろうとして痛む体を叱咤していたのだが、

「……蒼?」

 崩れ落ちそうになる体を、蒼爽架に抱き留められた。

「ごめん、律。私、また守れなかった……」

 もう体は震えていない。俺に触れても大丈夫だということは、声が泣きそうなのは男性恐怖症からではないだろう。動転する思考を紛らすように俺は現状の分析なんかをしてみた。

「駄目だな。私は……強い女の子に、ずっと憧れてきたのに」

「十分強いよ、おまえは」

 なんせ自分で、トラウマを乗り越えたのだから。

「そうじゃない。そうじゃないんだよ、律」

「……?」

 蒼に抱きしめられている以上、蒼の表情は見えない。少し黙った俺に対して蒼はどんな顔をしていただろうか。

「まあいい。帰ろう。立てるか、律?」

「無茶言うな。全身ずたぼろで、回復するまでまだかかる」

「そうか。ならもう少し休め。私が支えておいてやる」

 それから蒼は僅かに間を置いて付け加えた。

 見えなくても解ることがある。

 多分蒼はそれを言ったとき、唇を尖らせ頬を少しだけ赤くしていただろう。

「でも少しだけだぞ。あんまりこうしていると、さすがに恥ずかしい」

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