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 双色ファンクラブとは双色姉弟ファンクラブの双方を総称してそう呼ばれるが、実際、その二つの勢力は特色と構成を異にする。端的に言うならば保守派と過激派だ。主に影から隠れて憧れる対象を神のように崇め奉るのが保守派の双色遊季ファンクラブであるなら、手紙を送ったり遊びに誘ったりやたら滅多に活動的なのが双色紗季ファンクラブである。

 そもそもこの二つがここまで異なった性質を持つ理由は幾つかあるが、その最たるものは集団を構成する人間の種類だろう。遊季のファンクラブを構成する人員の過半数は男だ。それがどういう意味かは語るまでもない。表沙汰に騒げる連中ではないのだ。紗季の方も同じであるが、この場合、性別的な問題が発生しない分メンバーも能動的になれる。

 さらに言うならば。

 紗季ファンクラブの連中は過半数が紗季に袖にされた過去を持つ連中なのだ。起源を辿ればファンクラブの発足は『双色紗季の被害者友の会』みたいな性質の悪い来歴に行き着く。それがファンクラブという形を持ってある意味で安定しているのは対を成す遊季のファンクラブが影響しているのかもしれない。

 以上のことをプロファイリングした資料を読み上げながら九ノ瀬渚は俺と友に語り聞かせた。

 昼休みの一件の後は結局生徒会室には立ち寄らず、放課後に至る現在になって俺は九ノ瀬の面を拝むこととなった。まず初めに昼休みの話をしてやると、こいつはこれはタイムリーだと言わんばかりに先の資料を提示したのだ。

 この時になって俺は、そういえば最近活動が過激化している連中の抑制を、この生徒会長様に押し付けられていたな、ということを思い出していた。

「つまり、最近暴れてるのは紗季のファンクラブの連中だってことか?」

「だから、今そういう旨の資料を読んだだろうが」

 九ノ瀬は優雅にカップを傾けて紅茶なんかを飲んでいる。大した仕事もしていない癖にそんな仕草だけは様になっているから腹立たしい。友は九ノ瀬の報告を聞きながら持参した何やらの本(カバーが付いていてタイトルが解らない)を読んで大人しくしているので、この場で九ノ瀬に反論できるのは俺だけだ。

 生徒会という機関が本来どの程度の諜報能力を持つのかは定かでないが、こと生徒会長が九ノ瀬渚である場合、その情報収集力はかなりのものになる。それは九ノ瀬を信望する多くの生徒がこの学園に存在するからだ。特に女子生徒達の噂好きな性質を利用した情報網は警察機関にも匹敵するかもしれない。この学園内部の事情を掌握することは、この男にとってそれほど難しいことではないのだ。

 俺とて九ノ瀬の情報に誤りがあるとは思えない。これまでも正確な情報を幾つもこいつは集めて見せたのだ。今更疑いようもないのは事実だが、それでは矛盾するのだ。

 そう。

 過激な活動をメインとするのが紗季派の連中だというならば、これまで街中や廊下で暴走したり、今日のように遊季に直接絡んでいたのはそいつらだということになる。だがしかし、事の中心にはいつでも遊季がいたのだ。紗季ではなく、遊季が。

 全ての情報通りに物事を整理するならば、紗季派の生徒が遊季を追い掛け回しているということだ。

「まあ、それは確かにな」

 九ノ瀬はこめかみを抑えながらそうぼやいた。反論のしようがないのだろう。こいつだって自分の集めた情報に自信があるはずだ。だからこそ現状との矛盾には唸らずにはいられない。

「けど関係ないだろ」

「どういうことだ?」

「俺がおまえに与えた任務は連中の解散だ。行動は矛盾していて妙だが、公共の福祉に反しているのは変わりない事実。ファンクラブを解散させる理由は何一つぶれちゃいない」

 任務とはなんだ。

「ははは」

 笑いごとか。

 九ノ瀬は盛大に笑いやがるが何が面白いものか。何故俺が一文の得にもならない生徒会活動なんかの手伝いをしなくてはならないのだ。それにこれは手伝いなんてものじゃない。肝心の生徒会が全く動いていないのだから、これはもう俺の個人的な活動だ。学園側から恩賞なんかは出たりするのだろうか。

 そもそも既に相当な規模になっているファンクラブとやらを壊滅させるなんてことが、果たして可能なのか。聞けば連中の中には他校の生徒も交じっているとかいう話ではないか。もはや俺という一個人の力ではどうしようもないところまで来ている気がしてならない。

 活動を鎮静化したいのならばいっそのこと、紗季と遊季に恋人をでっち上げるようなことをした方が、案外効果的なのではないか。冗談半分に俺はそんなことを言ってみる。

 生徒会室には、それから数秒ほどの沈黙が流れた。

 直前に発言している俺が黙るのは普通だ。だからここで発言しなくてはならないのは九ノ瀬か、もしくは友であるはずなのだが。友は読んでいた本から両目を覗かせて、ジト目で俺を見ている。なにかそんな悪い発言でもしたか、と助けを乞うように九ノ瀬を見遣ると――

「……」

 九ノ瀬の顔には表情がなかった。

 というよりも感情を殺したせいで逆に飽和したという感じだろうか。ともかく、俺にはこのときの九ノ瀬の内心がまるで読めなかった。何を考えているのかも、どんな感情を飲み込んだのかも。

「律……おまえ」

 ようやく口を開いた九ノ瀬は――ころりと表情を変えて蔑みの視線を俺に向けてきた。

「人の恋心をなんだと思ってんだ?」

「は、はあ?」

「偽物の恋人をでっち上げるなんて最低の行為だぞ」

「いや待てよ、九ノ瀬――」

「信じられんなあ、おまえがそこまで女心を理解していないとは」

「待て待て、女心とか恋心とか、あくまで手段としてだな」

「止めなよ律。あんたが悪いから、今回はどう考えても」

「な……」

 これまで話に入ってこようともしなかった友が加勢する。さっきからなんだというんだ、九ノ瀬も友も何故そんな罪人を咎めるみたいな態度で俺を責めるのだろう。

 ぱたり、と本を閉じて、友は極めつけとも言える台詞を吐いた。

「それじゃあ失礼だよ。遊季にも紗季にも渚にもね」

「……」

 いや、ちょっと待てよ。

 確かに遊季や紗季には悪いことを言ったかもしれない。それは認めよう。だけれど九ノ瀬にとはなんだ。俺は背負う必要もない任務なんてものを背負わせれて、それでも解決策を提示したのだ。むしろ協力的な態度は評価させるべきだろう。

 そう反論してやりやかったが、友の視線はそれを許さない。この場での悪人は完全に俺だと決定されてしまったのだ。こうなってしまうともう謝る他にない。不本意だが、そうするしか場を収拾できそうになかった。

「……悪かった」

「いや、いい」

 間髪入れずに、九ノ瀬が言う。

「ならやってみるか、実際」

 九ノ瀬は悪人顔でにたりと笑い、友は俺にしたのと同じ目を九ノ瀬に向ける。

「律、明日の放課後、おまえ遊季とデートしてこい」




「信じられない……渚まであんなこと言うなんて、最低」

「なんでおまえがそんなに怒ってるんだ?」

 友は生徒会室を出てからずっとこの調子だった。

「実際に迷惑を被るのはおまえじゃないだろ」

 現実的には一番の被害者は間違いなく遊季である。とばっちりもいいとこだ。しかし遊季は九ノ瀬のコールに応じるや奴の提案を快諾したのだ。

 九ノ瀬が電話で言ったのは明日の放課後俺とどっかに遊びに行け、という旨のことで、さすがにデートとかいう単語は口にしていない。奴が肯定の返事を得たという反応をするまでには三秒と必要なかった。……まあ、遊季にしてみれば俺と放課後に出かける程度のことだから、大した感情もないのだろう。こっちはそうなる経緯を知っているから気が重いのだ。

 これだとまるで囮捜査だ。俺は構わないが、遊季を出汁に使うような真似はどうかと思う。

 本来ならば俺が全力を以て止めるべきだったのだろうが、何分言いだしっぺが自分であったこともありそうできなかった。それに、九ノ瀬がさっさと約束を取り付けてしまったことも理由の一つに挙げられる。

 いや、それよりもなによりも。

 九ノ瀬の目が本気だったのだ。

 顔ではチープに悪い笑顔を作っていたが、その目は一ミリも笑ってなどいない。俺に拒否を許さない強制的な威圧感さえ感じさせた。

 ――それだと失礼だよ、紗季にも、渚にも。

 友がそんなことを言っていたが、俺の発言は本当に九ノ瀬の逆鱗に触れてしまっていたのだろうか。

 だん、と音がした。

 古めかしい掃除用具入れが殴られた音だと気付いたのは、自分でそうしておきながら舞い上がった埃にくしゃみをする友を見つけた時だった。相当長い間使われていなかった掃除用具入れには相応の埃が積もっていたのだろう。こっちまで粘膜がやられる。

 しばらく二人でくしゅんくしゅんやってから、落ち着いた頃に涙目を微かに充血させた友が俺を睨んだ。

「誰にどう迷惑だとか、そんなの関係ない」

「だったら何だよ」

「あんた解らないの?」

 解らんから訊いているのだろう、依然として友を立腹させるものが何なのかもまるで見当がつかん。

「渚も渚よ。あんな風に投やりになってさ。もうなんていうか、男って馬鹿な生き物よね」

 そうかもしれんがおまえが言うな。

 今更ながらここがどこかというと屋上に通じる階段の踊り場だ。立ち入りを禁止されてしまい、もはや学園内にあって隔絶された空間と化したこの場所にはさっきのような自然のトラップが存在する。天井の電球だって切れてから久しい。

 何故友とこんなところにいるかと言えば、いつものように――といってもここ数日は空けてしまった――紗季のところへ向かった俺に友が同行したからだ。

 生徒会室を出てからさらに上の階を目指す俺を友は呼び止めてどこへ行くのかと尋ねた。当たり前みたいにエントランスへ向かうものと思っていたのだろう。屋上、屋上は立ち入り禁止でしょ? みたいなやり取りの後で何故今更こんなことを説明しなくてはならないのかと呆れながら俺は言った。

「あそこは紗季のアトリエだからな」

 紗季がこの高校を進学先に選んだ理由を俺たちは全員知っている。だからこれ以上の言葉は必要ない。俺はそれだけを言ってさっさと屋上への道を急いだ。その背に知らぬ間に友を連れて。

「なあ、なんでおまえついてくるんだよ?」

 これで四度目くらいになるだろうか、俺は友に問う。

 友はむすっとした相変わらずの不機嫌で俺を見ずに、ようやく繰り返し続けた質問に答えた。

「紗季がいるんでしょ?」

「だからそう言ってるだろ」

「話したいことがあるのよ、紗季と」

「そうかい」

 好きにすればいい。俺だって結局紗季とぐだぐだ話しているだけだから友がいてもなんら変わりない。

 ふと、本当にふと疑問が生まれた。

 そういえばどうして俺は屋上へ上るのだろう。俺がいてもいなくても紗季の作業は変わらない。むしろ俺がいるせいで進んでいないとも思えるくらいだ。有害にしかならない。なのに俺は気付けばそこへ向かっている。紗季のいる屋上へ。習慣のように義務のように。

「……ッッ」

 軽い眩暈がした。

「どうしたのよ」

「いや。……悪い、なんでもない」

「あっそう。だったらさっさと出ましょう。ここ、埃っぽくてやだ」

「はいはい」

 俺は生徒会長から賜った鍵で施錠を解除する。ぎぃ、と軋む重厚な音を立てて扉が開く。流れ込んでくる夕日が舞う埃を照らして赤い霧みたいだ。急な明度の上昇に開いていた光彩が痛む。目を細めて慣れない視界のまま屋上に出た。

「あ、律だ」

 紗季はいつも通りの定位置にいた。給水塔に凭れて座っている。その姿がもう景色の一部みたいだ。紗季がそこにいることが探すまでもなく運命みたいに決まりきった現実だった。

「……紗季」

 俺に遅れて友がひょこりと頭を出す。ようやくまともに目を開けられるようになった俺は、紗季の表情が友の声を聞いた途端に変化したのを見逃さない。穏やかな笑顔は確かに驚きの表情に変わったのだ。

「なんだ、友。もう来たんだ」

「……」

「まだ絵は完成してないよ。でもまあ、いつかは来ると思ってたけどね」

「……」

 話したいことがあると言っていたのに友は無言だ。無言のまま幽霊を見るような顔で紗季を見ている。黙っているというよりは言葉が見つからない、といった風だ。それも動機と矛盾するから変な話なのだが。

 紗季は変わらず回復した笑顔を絶やさない。背中を給水塔から離すこともせず。友を見上げながら、じっと相手の発言を待っている。それからややあって、ようやく友が口を開いた。苦し紛れというような感じで消えそうな声が紡ぐ。

「十年彗星」

「……」

 今度は紗季が黙り込む番だった。というよりも、これは待っているというのが正しいのだろうか。友の言葉に、それだけは不十分だと言うように、まだ続きがあるんだよね? と先を促すような沈黙だ。

「知ってるよね、紗季?」

「知ってるよ」

「聞かせてよ……紗季は、貴女だったら、彗星にどんなことを願うの?」

「……さあ、何だろうね。友はどう思うの?」

 紗季が質問に対して質問で返す。こんな風にお茶を濁すのは珍しい。解らないなら解らないなりで答えを用意するのが紗季だ。意図的にぼかしたということはそれは、ただ紗季が話したくなかったということになる。

 十年彗星。

 あの日、友が図書館で読んでいた本に書いてあった言葉だ。

 それはわざわざ調べるまでもない。この街に昔からあるお伽話の一つだ。きっと誰だって一度は聞いたことがあるだろう。流れ星の話と似ているが、別に願い事を三回唱えることに成功したらだとかそんな条件はない。十年に一度の周期でこの街の上を流れていく彗星が観測される。その星が現れる時間は決まっておらず、朝昼晩のいつなのか、どれくらいの間見られるのか、それらは一切解っていない。だから見られる可能性はかなり低いと言える。

 星は。

 この街に愛された誰かの願いを叶える。

 それがこの街の伝承の一つだ。

「……っ!」

 友が息を荒げた。

「紗季……それでいいの? 本当に、紗季はこれでいいの?」

「同じことをわたしも訊いていい? 友こそ、これでいいの?」

「あたしは……あたし、は……」

 くす、と紗季が笑った。

 子供をあやすように暖かく、優しく。

 それが紗季の得意の所作だということは今更再認するまでもない。

「ごめんごめん。これだとずるいね。わたしが先に答えるわね。……うん。いいよ」

 友が俯けた顔を上げる。はっ、とした顔を向けられても、それでも紗季の表情は変わらない。

 また二人は黙って見つめ合う。友の顔は怒っているようにも泣きたいのを堪えているようにも見えた。俺は、会話に参入するならこのタイミングだろうかと考えて、ではどう切り出したものかと思案し始めたがそれと同時に友が言った。ぽつり、と言葉が落ちるのは雪が落ちて溶けるみたいだった。

「そう」

 ぐ、と友が拳を握って、直ぐに解く。

 ――白い何かが閃いて、それが友の平手打ちだったことに俺が気付くのには少し時間が必要だった。

 ぱあん、という乾いた音が冬空の下で無視気質に響く。

 ごく当たり前の動作で友が紗季の頬を打ったのだ。

 あまりのことに俺は目の前の事実に理解が及ばない。けれど時間が止まったこの場で誰よりも先に我に返ったのは俺だったらしく、二人はまだ直前の姿勢で停止している。苦い顔をして紗季を睨んでいる友に飛びつき、手首を掴んだ。

「何やってんだよおまえ――!」

 掴んだ友の体は冷たい。

 そしてあまりにも力の籠っていない腕は、解放してしまえばだらりと力なく項垂れてしまうだろうと思えた。そんな曖昧な予感だけで友の手首から手を放した。何が何だか解らないまま、自分の予想通りの光景を見届ける。

「紗季……紗季……なんで――だって、それじゃあ――」

「友」

 ずっと座っていた紗季が立ち上がる。長い髪がふわりと舞った。紗季は人差し指を立てて、友の唇に押し付ける。それ以上は何も言わず、殴られたのに全く崩れない慈愛顔で友に笑いかけた。最後に、

「それ以上は言っちゃだめだよ。解るでしょ?」

「……」

「ごめんね。友には悪いと思ってる」

 この時既に、俺は目の前で起きていることに取り残されて立ち尽くしていた。何もかもが可笑しい。怒って然るべきの紗季がこうも優しく笑っていることも、友がこんなにも苦しそうに唇を噛んでいるのも。何もかもが間違っている。どうして紗季が謝らなくてはいけないのか。そう思うと黙ってはいられなかった。

「ちょっと待て、何なんだよ、二人ともどうしたんだよ」

「ごめんね律、まだ今は言えないんだ」

「今は、てなんだ。何を隠してるってんだよ。さすがに説明――」

「もういい」

 混乱して早くなる語調を友が一言で遮った。紗季がしたように穏やかな口封じではなく、掌を突きつけてくる乱暴な制止だが、俺はそれに従わざるを得ない。それをした友の小さな背中は微かに振動していて、その制止を振り切ったなら、今こいつが抑えているものが一気に溢れ出すと思ったからだ。

「紗季――叩いてごめん。それでね、あたしは……紗季がいいなら、これでいいと思う」

「ありがとう、友」

「……でも、絶対、なんとかしてみせるから」

「うん。期待してる」

 最後に友はそれだけを言って走り出した。本当にそれ以上のことは何も言わないで。話があると言っていたのはもういいのだろうか。そんな風に考えてしまう自分のやけに冷めた思考を嘲笑する。自分だけでは理解しきれないことが起きたせいで、きっと、これは一種の現実逃避なのだろう。

 屋上から出ていく友を俺も紗季も止めなかった。

 俺の場合は止めなかったのではなく止められなかったというのが正しい。まだ頭の中で一連の出来事と二人の会話の真意を整理できていない。それはこの後何時間考えても答えは出ないだろうが。だが今の俺が自発的に行動を起こすことは不可能と言えた。

 そうして呆然としていると不意に姿勢が傾ぐ。紗季が俺の背中を押したのだ。いつの間に背後に回られたのか全く気が付かなかった。それくらいに呆けていたのか今の俺は。

「律もわたしに話があるの?」

「いや、俺は……」

 蒼のこと、明日の遊季とのこと。

 話したいことならいくつかあった。けれど紗季の問いはそんな俺の本音を引き出したいわけではない。それくらいは今のごちゃごちゃになった頭でも察することができた。暗にこの場で俺たちが話すことはない、と言われているのだ。紗季が言いたいことは、言われなくても解った。

「友を追いかけて。わたしとは、またここで話せるでしょ?」

 まるで今友を追いかけて捕まえないと、二度と会えないような言い方だ。

「おまえは?」

「わたしは……いけないや。ごめん」

「解ったよ」

 確かにさっきみたいなことがあっては紗季もそうし辛いだろう。だからアフターケアを俺に任せたのだ。――本当にそれだけか? へたり込むようにまた給水塔に凭れる紗季を見ながら疑問が浮かぶ。何が変じゃないか、と。けれど何がかは解らない。

 ほら早く、と紗季に促される。

 今はうだうだと考えている場合ではない。ここは紗季に従って友を追いかけなくてはいけない場面だ。

 手短く紗季にこの場での別れを告げて、俺は友の後を追った。屋上を出る刹那、紗季の姿を横目に窺う。相も変わらず病的に白い顔をした紗季は、心なしか呼吸が荒い。最後に視界に入った紗季は眠るように目を閉じていた。

 一つだけ後悔するならば、なぜ俺は言われるがまま紗季を取り残してしまったのだろう。

 結果から言ってしまえば全てにおいて俺の選択は間違っていた。

 結局、追いかけた友に追いつくこともできず、校門を出る頃には茜色も黒い夜空に飲まれた後だった。

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