第6話 数字を見る少女
「あなたの《-1》は、世界そのものを削っています」
「物を移動させただけなら、離れた時点で元の距離へ戻ります。けれど、あなたが対象にした七メートル分の空間は消えたままです」
「じゃあ、俺たちが歩いたあとの距離は?」
「移動すれば、新しい間隔は生まれます。消えた七メートルが復活したわけではありません」
丸眼鏡の少女は、真顔でそう言った。
俺は黙って考えた。
「つまり、弁償が必要か?」
「最初に心配するのがそこですか」
「七メートル分の世界なんて、いくらするのか分からないぞ」
「売り物じゃないでしょ」
プラナが呆れた顔をする。
少女は俺たちを交互に見てから、大きく息を吐いた。
「ここでは話せません。来てください」
「どこへ?」
「私の研究室です」
「先にギルドへ行きたい。薬草が傷む」
「世界と薬草、どちらが大事ですか?」
「報酬が出る方」
「この人、本当に世界を削ったんですか?」
「残念ながら、たぶん」
プラナが答えた。
◇
少女の研究室は、ギルドの裏手にある時計店の二階だった。
扉を開けた瞬間、紙の山が崩れてきた。
「危ない!」
俺は両腕で受け止めた。
紙だけではない。本、木箱、歯車、空き瓶まで混ざっている。
「片づけろよ!」
「どこに何があるかは把握しています」
「今、全部落ちたぞ」
「落下前と落下後の位置を把握しました」
「それを世間では散らかったと言うの」
プラナが窓を開ける。
細い部屋には、壁一面に数字と図形が書かれていた。床にも紙が広がり、歩ける場所は一本の細い道しかない。
中央の机に、町の地図が広げられている。
少女は椅子へ飛び乗るように座った。
「私はゼロナ。十四歳。王立魔導院の数理研究員です」
「十四歳で?」
「年齢と知性に相関はありますが、絶対ではありません」
「友達は少なそうだな」
「現在値は二です」
「いるのか」
「驚くところ?」
「一人は時計店の店主です。もう一人は、先月から返事がありません」
「それは一人では?」
ゼロナは咳払いし、机の地図を指した。
「本題です。私は《数理眼》を持っています」
金色の瞳が淡く光る。
「世界に存在する数字を見つけ、読み取る能力です」
「何でも見えるのか?」
「いいえ。知識が必要です。知らないものは数字として認識できません」
「俺と同じだな」
「似ています。ただし、私は見るだけ。数字を動かせません」
ゼロナが地図の端へ定規を当てた。
「三年前、この町から北の村までの街道は百二十キロメートルでした」
「今は?」
「百二十一キロと三百四十七メートルです」
俺は地図を見た。
「道を作り直したんじゃないのか」
「経路は同じです。曲がり角も増えていません」
「測り間違いは?」
「四十三回測りました」
「多いな」
「二回目くらいで間違いじゃないと認めてもよかったんじゃない?」
プラナの言葉を無視し、ゼロナは別の紙を出した。
去年と今年の町の地図だ。
重ねると、今年の地図の方がほんの少し大きい。
「町も広がっています。建物の数は同じなのに、建物同士の距離が伸びている」
「どうして誰も気づかない?」
「一年で数十センチ程度です。毎日暮らしている人ほど気づきません」
「でも世界は広い。全部合わせたら……」
プラナが言葉を切った。
ゼロナはうなずく。
「少なくとも、私が観測できる範囲では毎日百メートル前後、世界の距離が増えています」
俺は息をのんだ。
「俺が七メートル減らしたくらいじゃ、足りないじゃないか」
「足りる足りないの話ではありません」
ゼロナが机を叩く。
「これまで誰にも減らせなかった数字が、あなたには減らせた。その事実が重要なんです」
「じゃあ、世界を壊したというのは?」
「あなたが逃げないように、少し大げさに言いました」
「帰るぞ、プラナ」
「待ってください!」
ゼロナが机を回り込み、扉の前へ立った。
小さいので、簡単に横を通れそうだ。
「私の研究を手伝ってください」
「嫌だ」
「返事が早すぎます」
「俺たちは今、銅貨二十枚を稼ぐので忙しい」
「狼の素材を売れば銀貨になります」
「なぜ知ってる?」
「持っている袋の重さと、血の匂いと、森に入る前後の狼の個体数を見ました」
「便利を通り越して怖いわね」
プラナが自分の荷物を背中へ隠した。
「私の財布も見える?」
「所持金は銀貨三枚、銅貨十一枚」
「見ないで!」
「そこの男は銅貨十二枚です」
「俺は最初から隠してない」
「少しは恥ずかしがりなさいよ」
ゼロナが棚から小さな鉄球を取り出した。
「一つだけ実験を。これが成功したら、研究の報酬として銀貨一枚を払います」
「やる」
「返事が早いわね」
「銀貨一枚だぞ」
鉄球を手渡される。
手のひらに収まる大きさだが、ずしりと重い。
「重量を減らしてください」
「それだけか?」
「表示を見ずに」
「表示を見ずに?」
俺は鉄球へ意識を向けた。
【重量:2kg】
すぐに数字が出る。
「見えるぞ」
「その表示は、あなた自身の認識が作っています。目を閉じて、重さを考えないでください」
「重さを減らすのに、重さを考えるな?」
「私の数字だけを見せます」
ゼロナが俺の手首へ触れた。
金色の瞳が強く光る。
視界に、今までとは形の違う文字が浮かんだ。
《数理眼・共有》
【鉄球重量:2047.3g】
「細かいな」
「あなたの認識では二キロ。実測値は二千四十七・三グラムです」
「どちらから一を引く?」
「試してください」
俺は共有された数字へ意識を向けた。
「《減算》」
【2047.3g → 2046.3g】
鉄球が、一グラム軽くなった。
体感では分からない。
ゼロナだけが息をのんだ。
「成功……」
「俺が二キロと見たときは、一キロ減ったぞ」
「単位によって、一の大きさが変わる」
「なら、二千四十七グラムではなく、約二キロと見れば一キロ減る」
「その通りです」
「一トンと見れば?」
「この鉄球は一トンありません。存在しない数字からは引けない」
ゼロナは新しい紙へ猛烈な勢いで書き始めた。
「数字は世界そのものではなく、認識の切り口です。同じ重さでも、単位を変えれば一の幅が変わる。ただし、元の量を超える単位は認識できない」
「難しく言わないでくれ」
「大きく見れば、大きく引けるってこと?」
プラナが尋ねる。
「大まかには」
「なら最初から、あの岩を十トンと見ればよかったんじゃない?」
俺とゼロナは同時に黙った。
「……十から一で、九トン」
「一回で千キロ減らせたな」
「三日もかけたの?」
「言うな」
俺は頭を抱えた。
ゼロナは笑いをこらえながら紙へ書き込む。
「やはり、あなたは面白いです」
「今のどこが?」
「能力は規格外なのに、使っている本人は失敗ばかりです」
「褒めてないな」
「観察対象としては最高です」
「人を虫みたいに言うな」
ゼロナが銀貨を一枚、机へ置いた。
「約束の報酬です。そして次の依頼があります」
「勝手に続けるな」
「報酬は一人、銀貨十枚」
「詳しく聞こう」
プラナが俺の脇腹を小突いた。
「少しは迷いなさい」
「何を調べる?」
ゼロナは壁に貼られた地図を指した。
リーネの東。森の奥に、赤い丸が描かれている。
「古代の観測塔です。三日前、地下から異常な数値を検出しました」
「異常な数値?」
「重量が毎日増えています」
嫌な言葉だった。
「今は?」
「六万キロです」
「一万キロの岩で三日かかったんだぞ」
「今度は六十トンと見れば、一回で一トン減らせます」
「学習したな、俺」
「感心するところじゃないわよ」
ゼロナは椅子から降り、黒い鞄へ紙を詰め始めた。
「お前も来るのか?」
「当然です」
「戦える?」
「攻撃力は三です」
「三?」
「十進法では、ゼロより三大きい数字です」
「意味は知ってる」
「杖で殴れば狼を倒せる私の方が強いわね」
プラナが胸を張る。
「比較対象が低すぎる」
こうして《プラスマイナス》に、数字を見るだけの少女が加わった。
戦える者は一人もいない。
不安しかない三人組だ。
◇
翌朝、俺たちは観測塔へ向かった。
森の奥に立つ塔は、半分以上が土へ埋もれていた。
石壁には蔦が絡み、入口の上には四つの記号が彫られている。
《+》
《-》
《×》
《÷》
「-だけ削られてる」
プラナが指でなぞる。
ほかの三つはきれいに残っているのに、横棒だけは何度も刃物を打ち込まれたように傷ついていた。
「誰かが消そうとしたんです」
ゼロナの声が低くなる。
「不吉な記号だからか?」
「現代では、そう教えられています。でも、この塔が建てられた時代には四つが並んでいた」
「同じ扱いだったのね」
「おそらく」
入口の石扉へ手をかける。
三人で押すと、重い音を立てて開いた。
冷たい空気が流れ出す。
中は暗い。
ゼロナが魔導灯をつけた。
光が円形の広間を照らす。
中央に、巨大な石像が座っていた。
頭が天井近くまである。
両腕は柱ほど太く、胸には古代文字が刻まれていた。
「これが六万キロの正体か」
「正確には、今は六万四千二百――」
ゼロナの声が止まった。
石像の胸で、赤い光が灯る。
床が震えた。
石の巨人が、ゆっくりと立ち上がる。
天井から砂が降った。
「ゼロナ」
「はい」
「依頼内容に、動くとは書いてあったか?」
「今、追加しました」
「報酬も追加しろ!」
巨人の腕が振り上がる。
ゼロナの《数理眼》が、その全身を数字で覆った。
【古代守護ゴーレム】
【重量:64t】
【防御力:999】
【停止条件:不明】
そして、胸の奥にある数字だけが金色に光っていた。
【動力核:1】




